第2話 脳外科病棟
小学四年生の僕は本来なら小児科病棟に入院しているはずだったんだけど、もうすぐ夏だというのに感染症が蔓延していて、小児科病棟は満床なんだって。
頭蓋底骨折の急性期の患者さんは、やっぱり脳外科で診てもらったほうが良いんじゃないかという話で、僕は子供なんだけど大人が入院する病棟に入院することになったんだ。
頭蓋底骨折っていうのは、頭蓋骨の底の方の骨にヒビが入っちゃっている関係で、髄液っていうのが漏れ出て来ちゃう恐れがあるんだって。脳みそは頭蓋骨の中にある液体に包まれているようなものなんだけど、包み込む器にヒビが入ってしまったから、中の液体が漏れ出て来ちゃうかもしれない。
その液体が漏れ出ちゃわないようにヒビの部分を一生懸命修復をしているところなんだけど、その修復工事の邪魔をしないように頭は動かしたら駄目、起き上がってご飯を食べてもだめ、トイレに行っても駄目ってことになるみたい。
救急車に運ばれて来た僕は、まずは脳外科病棟というところの観察室、看護師さんがいるナースステーションのすぐ隣にある部屋に入れられていて、いつでも何か問題があればすぐに看護師さんが来てくれるようになったんだけど・・
僕のベッドのまわりは常時、ピンク色のカーテンでぐるりと囲まれているような状態なんだけど、
「ううううう・・ヴヴヴヴヴ・・・ううううう〜」
地獄の奥底から聞こえて来るような唸り声が聞こえて来る。
「ヴヴヴヴヴ〜」
ガタガタガタッ
「ヴヴヴヴヴ〜」
ガタガタガタッ
唸り声と一緒に、ガタガタ聞こえて来るんだけど、これは幽霊の唸り声とか、ラップ音とかそういうことではなくて、
「智充くん、ごめんね〜、うるさくて眠れないよね〜」
僕のところに様子観察に来てくれる看護師さんたちは、みんな、申し訳なさそうに謝ってくれるんだよね。
昨日の深夜なんだけど、交通事故を起こして脳出血で運ばれて来たお兄さんが僕の居る観察室に入院したんだけど『せん妄状態』という、自分のことが訳分からない状態となってしまって暴れちゃっているみたいなんだ。
頭を打って訳が分からなくなるとかは良くある話みたいで、ここまで本気になって暴れる人って居るんだなとか、看護師さん大変そうとか、そもそも、ピコンピコン永遠に続く機械音がうるさ過ぎて耳栓を利用しているから、
「耳栓もしているんで、大丈夫です〜」
と、僕は愛想良く言うしかない。
「智充くんは本当に偉いわね!」
大久保さんという看護師さんが僕の担当看護師さんと言うことになるんだけど、いつでも僕のことを偉いわねって褒めてくれる人なんだ。
脳外科病棟で子供が入院するのは異例中の異例で、どの看護師さんも気を遣って僕に声をかけて来てくれるんだけど、大久保さんだけは、担当看護師さんだから特別って言うのかな、とっても優しい人なんだ。
とりあえず一週間は絶対に安静ってことになって、ベッドの上でおしっこをしなくちゃいけなくなったんだけど、最初はやり方も分からなくって、尿器の使い方とか大久保さんが教えてくれたんだけど、失敗しないように最初は手伝ってくれたんだ。めちゃくちゃ恥ずかしかったよ。
もちろんうんちもベッドの上でやるんだよ。お尻の下に便器を差し込まれるんだけど、本当に絶対安静って辛い。でも、頭の中の液が漏れてきたら一週間の絶対安静が三週間に伸びるって言われたから、頑張って耐えるしかない!
寝てばっかりで起き上がることが出来ないと、子供でも背中とか腰とか痛くなるんだよね。そうしたら担当看護師の大久保さんは熱いタオルで体を拭いてくれる時に、凝り固まった僕の背中のマッサージをしてくれるんだ。下手したらお母さんよりも優しいんじゃないのかなって思うのが、僕の担当看護師さんとなる大久保さんなんだ。
入院してから五日後には観察室から一般病室と呼ばれる四人部屋に移動することになったんだけど、周りはおじいちゃんばかり。本当は小児科病棟に移動出来れば良かったんだけど未だに満床で移動が出来ず、僕はとりあえず良い子にしていて看護師さんたちに迷惑もかけないから、このまま脳外科病棟での入院を続行することになったってわけ。
廊下を歩けるようになってから分かったことなんだけど、ナースステーションに近い病室になればなるほど、重症で容態が悪い人とか、寝たきり状態でケアが必要とか、自分で呼吸が出来なくて機械を使って呼吸をしている人とか、手間暇がかかる人が入院していて、ナースステーションから遠ざかれば遠ざかるほど、自分で動いて生活できる人が入院しているような形となるみたい。
観察室に入院している時には、ひっきりなしに看護師さんが様子を見に来てくれたんだけど、廊下のはじに位置する病室に移動した時点で、
「智充くん、元気かな〜?これから検温するね〜」
と、言って看護師さんが体温とか血圧とか脈とか測りに来て、めまいとか吐き気とか、そういう症状は出ていないか確認しに来るだけになったんだよね。
点滴も終わると、本当に、一日一回の検温と食事を運んできてくれる時に顔を合わせるだけになっちゃうわけ。観察室から一般病室に移動してから、担当看護師さんの大久保さんは検温にすら来てくれなくなっちゃったけど、廊下で顔を合わせれば笑顔を向けてくれるし、手を振ってくれたりするんだよね。
「今日は朝からオムツ交換十三個もして大変だった〜!」
「それは大漁だったわね〜」
廊下から聞こえて来る看護師さんの声を聞いていると、他に手が掛かる患者さんが沢山いるんだから、大久保さんが僕に話しかけて来てくれることはなくなったのは仕方がないことだと思っていたんだけど・・・
「それにしても、大久保さんが亡くなって十日よね」
という言葉が聞こえて来たから、僕はベッドの上で動きを止めた。
「まさか、駅のホームに転落だなんて・・事故かもしれないし、自殺かもしれないし、未だに分かっていないのよね?」
えーっと・・えーっと・・
僕はベッドから飛び降りて廊下に飛び出ると、廊下で立ち話をしていた看護師さんが逃げないようにエプロンの裾を掴みながら問いかける。
「あの・・あの・・大久保さん・・亡くなったんですか?」
「あ・・・!」
僕の担当看護師さんが大久保さんだということに気がついた様子の二人の看護師さんは、気まずそうな様子で視線を交わすと、
「あのね、残念だったけど、出勤する時にね、駅のホームから転落してしまったのよ」
と言って、悲しそうに瞳を伏せた。
「ほ・・ほ・・本当に?本当に死んじゃったんですか?」
「本当よ」
「もう葬儀も終わっているのよ」
「嘘だ!嘘だ!嘘だ!」
大声をあげた僕は、廊下を走り出した。ナースステーションを左に曲がるとその奥の突き当たりがカンファレンス室、カンファレンス室の手前が処置室となっていて、注射器とか、ビニール手袋とか、色々なものがしまい込まれているわけだ。
処置室の扉は開け放ったままで、中では一人の看護師さんが注射器の補充をしている姿が見える。僕が息をゼエハア言いながら中に入ると、振り返った大久保さんが僕の方を見て、ここに入ったら駄目だというように首を横に振った。
「智充くん!」
追いかけて来た看護師さんに肩を掴まれた僕が振り返ると、二人の看護師さんは泣きそうな顔で、
「ごめんね、本当にごめんね」
と、言い出した。何がごめんね、なのかが分からない。だって大久保さんはここに居るじゃないか!
「大久保さんは!」
僕が注射器を補充していた大久保さんの方を振り返ると、そこには誰も居なかった。
「そうよね、大久保さんはいつもこの時間は、資材の確認と補充をしてくれていたわよね」
「本当に、良い人だったのに、何で死んじゃったのかしら」
そう言うと、二人の看護師さんはメソメソ泣き出したんだけど、そんな二人につられて僕まで涙がこぼれ落ちた。
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夜勤中、朝のラウンド(見回り)でオムツ交換十三個は私の最高記録ですかね。
もちろん、全部う○ちの交換です。経管栄養(管で直接胃に栄養駅を送る)の患者さんが多いとこんなことになります。
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