第3話 僕の担当看護師さん
僕の担当医師となっている礒部先生が僕の病室までやって来て、言い出した。
「次のCT検査で問題ないようだったら、退院の日にちを決める形になるから、それまでは元気になったからって暴れたら駄目だよ〜?」
礒部先生は口髭を生やしたおじさん先生なんだけど、顔は横に広いし、額は脂ぎっているし、いつもニコニコしているんだけど何だか胡散臭いって感じの先生なんだ。
この先生の右肩のところには、いつでも女性の頭が乗っているんだ。髪が長い女性で、その女性の髪の毛が先生の首に巻き付いているから落ちないんだけど、今も、ほっぺたにチュッチュッてキスをしているから気になって仕方がない。
「何かゴミでもついていたかな?」
僕が先生の右肩ばっかり見ているから、ゴミでも付いているのかと思って自分の白衣の右肩部分を先生が手で払う仕草をしているんだけど、先生には女性の生首は見えていないらしい。
「いや、先生の寝癖が今日も凄いなって思って、特に右側がぴょんぴょん跳ねていますよ?」
癖っ毛でうねりまくっている先生の髪の毛を指差しながら言うと、
「天パなんだよね〜」
と、答えて先生はにこりと笑う。
僕に手を振りながら廊下の方へと戻っていく先生を見送っていると、先生の腰のあたりに手を伸ばしている女の人の腕が見えた。
「うーん・・手の方は生き霊だな」
僕は脳外科病棟に入院して、どうやら幽霊が見えるようになったらしい。生き霊と死霊の区別が出来るようになったのは、
「CT室はその廊下の奥に行って右側だから」
僕が初めて一人でCT室を訪れた際に、緑のパジャマ姿の老人が指をさして教えてくれたのがきっかけだった。
この病院の地下一階には売店とか床屋とか、入院患者さんの食事を用意する厨房とか色々あるらしいんだけど、同じような廊下が続いているから、自分が何処を歩いているのか分からなくなることがたまにある。
一階には検査室まで分かりやすく行けるように床に線とか引かれて表示されていたりするんだけど、地下一階にはそれがないから本当にわかりづらい。
「ありがとうございます」
僕がお礼を言ってCT室がある方向へ廊下を歩いて行こうとすると、
「坊ちゃん、坊ちゃん、坊ちゃん」
後ろから声がかかって来たんだ。
僕の担当看護師さんは大久保さんだったんだけど、悲しい事故(死んだ後も病院で働いているくらいだから自殺ではないと僕は思っている)でお亡くなりになっている為、別の看護師さんが担当に付くことになったんだ。
看護師さんの中では歳を取っている方なんじゃないのかなっていう感じの君島翠さんは、黒い髪を後ろに一つで縛って、メガネをかけたお姉さん。(おばさんと言ったら殴られる)
「君島さん、売店で買い物ですか?」
ビニール袋からはみ出している菓子パンを見ながら問いかけると、
「坊ちゃんはアレが見えるんだよね」
と、君島さんは言い出した。
君島さんは『姉さん』と言われてみんなから慕われているようにも見える看護師さんなんだけど、僕のことをなぜだか『坊ちゃん』と呼ぶんだよね。
「アレって?」
君島さんが指差すのは、エレベーターから少し離れた廊下に佇む老人で、売店で親族の人が買い物しているのかな?それを手持ち無沙汰で待っているような形で立っている。
「白髪、緑のパジャマ」
「それが何だって言うんですか?」
「そうか、君はそうなのか」
君島さんはバシバシと僕の背中を叩くと、
「後で説明してあげるから、早く検査に行って来なさい」
と、僕の背中を押し出したのだった。
CT検査は台の上にゴロリと寝転がってウィーンという機械音と一緒に台が動いていく時が一番緊張するんだけど、幸いにも僕の頭蓋骨は順調に回復しているのか、対応にあたってくれた検査技師さんも朗らかな様子に見えた。
「それじゃあ、気をつけて病棟まで戻ってね」
そう言って廊下に送り出された僕は、同じように見える地下一階の廊下を歩いて、売店が目の前にあるエレベーターの方まで移動すると、丁度到着したエレベーターに乗り込んだわけ。
すでに緑のパジャマのご老人は居なくなっていたので、入院している病棟に戻ったのかもしれない。そんなことを考えながら脳外科病棟に戻って行くと、
「おい!少年!」
と、ナースステーションから君島さんが大きな声で僕を呼んできた。
「家族と師長さんに許可を取ったから、坂本さんのところにちょっとだけ面会に行っても大丈夫だぞ」
「面会?」
誰に面会に行くと言うんだ?
「君は病室を移動になった時に坂本さんに面倒になった。それで最後に挨拶をしたいということにして、面会しても良いということにしたんだよ」
「意味がわからないですけど」
「まあ、いいから」
君島さんは強引に僕の手を握ると、ナースステーションの向かい側にある病室の方へ僕を案内した。
その部屋は二人部屋になっていて、手前のベッドの横には大きな機械がグアー、グアーと空気を送り出すような音を立てている。
「君がさっき、地下一階で会ったのが坂本さんだ」
「はい?」
ベッドの上には鼻から長いチューブが入れられた老人が寝かされており、その鼻のチューブが長い管を伝ってグアーグアーと空気を送り出している機械に繋がれていた。頭上にはいくつもの点滴がぶら下がり、ベッド横にぶら下がる尿パックの尿は少ししか溜まっていない。
「一般病室に移動した君が一日だけ同室だった坂本さんだが、容態が急変して今は人工呼吸器をつけている。だからな、地下一階で君が遭っているわけがないんだよ」
ベッドに居るのは白髪の老人で、確かにさっき会っている人に似ているようにも見えるけれど、
「僕が会ったのはこの人じゃないと思うんですけど」
よく似た他人とかあるじゃないか。そもそも、老人の顔とかあんまり覚えてられないし。
「君が見たのはこのパジャマだろう?」
床頭台の扉を開けて君島さんが僕に見せたのが緑色のパジャマで、
「坂本さんのお気に入りのパジャマで、死んだらこれに着せてくれとまで言われている」
と、そんな説明いらないんですけれども。
「生き霊は濃く見える」
「はい?」
「私の場合は死んだ霊よりも生き霊の方が濃く見える」
「はあああい?」
僕がまじまじと君島さんを見つめると、君島さんはパジャマを元の場所に戻しながら言い出した。
「坂本さんは入院中、家族が来ると一緒に地下の売店まで散歩をしていた。そこで検査室に行こうと迷っている人がいれば、率先して声をかけていた」
「えーっと、つまり、君島さんは、僕が見たのは坂本さんの生き霊だったし、本体はここに居たんだと言いたい訳?」
「そうだ」
君島さんは胸の前で腕を組み、僕を見下ろしながら言い出した。
「はっきり言うと、傍目から見ていて、君は誰も居ない場所で礼を言う、頭のおかしな子供にしか見えなかった」
「うぐ・・」
「どうやら君は事故が原因でチャンネルが開いて、幽霊が見えるようになってしまったのだろう。だがな、それを親兄弟に告白したところで待っているのは不幸しかないぞ」
君島さんは胸が大きい人なんだけど、その大きな胸を組んだ腕で支えるようにして僕に鋭い視線を向けたわけ。
「生き霊を見分ける際には、まず影を確認しろ。大概が、何かおかしいなと感じるものだし、そう感じた時には足元を見ろ。影があれば人間、影がなければ生き霊、華麗にスルー出来るようにならないと変人扱いされることになるぞ」
「えーっと・・えーっと・・君島さんは見えるタイプの人なんですか?」
僕の問いに君島さんはうんざりした様子でため息を吐き出した。
「残念なことにそうなんだ、ちなみにこの業界には見える人間は意外と多い」
うわ〜、看護師さんには幽霊とか見える人が多いんだ〜。
「それじゃあ、夜勤の時とか怖くないですか?」
「幽霊は怖くない、なにしろ実際に患者が自分の担当の時間に死ぬ方が嫌だ。ちなみに急変も嫌いだ」
「え?」
「死んだら家族への連絡、葬儀屋へ連絡して遺体搬送の手配、死後の処置、霊安室への搬送、ベッド周りの整理まで行わなければならん。急変したら、人工呼吸器、救急カート、AED、全て用意して対応に当たらなければならん。面倒臭いにも程がある」
「ええーっと」
僕はピンクのカーテンで囲まれている隣のベッドの方を気にしながら言ったわけ。
「隣に患者さんが居るのに、そんな赤裸々なことを言っても良いのでしょうか?」
「大丈夫だ」
君島さんはシャッとカーテンを開けながら言い出した。
「隣も意識不明の重体だからな」
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生き霊が見える、は、学校七不思議なみに病院あるあるだったりします。
本来、絶対に動けない患者さんが廊下に立っていて挨拶して来たとか、全く別の場所に居て挨拶して来たとか。大概、お亡くなりになる少し前に、ああ〜そんなこともあったなという感じになりますが、幽霊とか気にしている場合ではないほど忙しいのでほぼほぼスルーすることになります。
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