閑話  弟の塾も阻止したい ②

「え?なに?嘘でしょう?」


 パジャマに着替えたお母さんは、濡れた髪のままで廊下に飛び出して来たんだけど、嘘でしょう?とか言い出したよ?何?何を疑っているのかな?


「お母さん!大泣きして優斗が吐いたんだよ!」

「分かっているわよ!子供は大泣きした後に吐くのは良くあることなの!」


 え?良くあることなの?僕も優斗も、大泣きした後にゲロを吐いたことなんてないと思うんだけど・・


「嘘でしょう?嘘でしょう?こんなに吐いて!」


 嘘ではない、嘘ではない、塾に行きたくないって泣いていたのは本当だし、お手製緑饅頭が引き金となったかも知れないけれど、本当に嘔吐しているんだよ!


「ひぃいいいん!」


 思いっきり嘔吐した優斗はそこで大泣きを始めたんだけど、

「優斗!塾はそんなに怖いところじゃないの!行ってみたら楽しいところなの!何でそこまで心配するの!」

 と、逆にお母さんは怒り出している。


 え?何で?って思ったよ。それにマジかって思ったよ。普通、そこは、

「私が悪かったわ!もう塾に行かなくても良いわよ!」

 ってことにならないの?


「大事なお勉強をするところなの、優斗のお友達も行っているの」

「僕の仲良しのお友達、行ってないもん〜!」


 あれ、こうしたらきっと塾に行かなくて済むって君島さんは言っていたのに、全然、効果が無いみたいなんだけど。


 廊下はゲロでべちゃべちゃ、優斗は大泣き、そんな中で塾を強行しようとお母さんが激怒し始めたところで、

「ただいま〜」

 お父さんが帰って来た!


 僕は玄関まで走って行って訴えたよ。

「お父さん!優斗が、塾に行きたくない、塾は辛い、塾は嫌だって何日も言い続けて、何日も泣き続けて、挙げ句の果てには今、廊下で大量のゲロを吐いちゃったんだよ!」


 何日も泣き続けたというのは盛ったかも知れないけれど、

「優斗、最近塾のことを考えると夜も眠れないって言っていて」

 創作の話も盛り込みながら、

「これだけ塾に行きたくないのに、今度は楽しい学校にも行けなくなったらどうしようって言っていて」

 創作盛り盛り話を載っけた上で、

「こんなに大量に吐いちゃっているんだよ!学校まで登校拒否するようになったらどうしよう!」

 と、僕は大声でアピールした。


 お父さんの後ろには和服姿の小さなおばあちゃんが居るんだけど、そのおばあちゃんがイライラした様子でいつもは糸みたいになっている目を見開いた。


 このおばあちゃんが目を見開いた時に、僕は勝利を確信した。

 お父さんの後ろに居るおばあちゃんが目を見開いた時、お父さんはメチャクチャ強気のお父さんに変身するからだ。


「佳奈子、ちょっと今日は二人でとことん話をしようか」

「え?」


 お父さんの雰囲気が一変したことにより、お母さんの後ろにいる鬼のお面の目尻がぐわっと下に下がっている。


「何?私は話なんてないんだけど?」

 不機嫌そうだし、強気を前面に押し出しているお母さんなんだけど、後ろの鬼のお面がガタガタブルブル震えている。


「話は僕の方にあるんだよ」

 お父さんの後ろにいるおばあちゃんの目がピカっと光った。

「何が言いたいかは分かるよね?」



 お母さんは優斗の吐いたものをきれいに処分してくれたんだけど、僕が与えた緑饅頭が追求されることはなかった。

 ゲロを吐いた優斗はその後、パジャマに着替えた後もビービー泣いて、結局そのままビービー泣きながら寝てしまったんだけど、

「えええー!僕、塾に行かなくても良くなったの!ヤッターーッ!」

 と、朝からはしゃぎまわることになったんだ。


 夫婦の話し合いという中でお父さんが、

「智充が事故で入院した時に担当してくれた先生も言っていただろう?親の都合で無理やり勉強させることは教育虐待になるって。吐くほど嫌がっているのに、それを強要するって、それもう虐待だよね?」


「あの先生は、四年生から無理させる必要はないと言っていたよ。子供の気持ちに合わせていかないと、それこそ智充が言うように、精神的に無理し過ぎて学校に行かない、登校拒否とかになったらどうするの?」


「先生は言っていたよね?子供に寄り添った上で、教育方針は考えたほうが良いと」

 なんてことを言っていた。


 僕は部屋に押し込められたんだけど、弟の塾の行方が気になるから廊下にこっそりと出て、話を盗み聞きしていたんだけど、まさかこれほどまでに、礒部先生の言葉が引き合いに出されるとは思わなかったな〜。


 そういえば礒部先生、浮気がバレて離婚したらしい。そんなわけで独身生活に戻って満喫しているのかな?と、思ったんだけど、子供が恋し過ぎてげっそりしちゃっているんだよね。女遊びもしていないみたいで生き霊の数も減って来ているんだけど、離婚してから生き霊の数が減ってもね〜って僕は思ったよ。


 まあ、相変わらず右肩には泣きぼくろの女性の生首をつけて歩いているので、寂しくはないのかなとは思うけども。


 こうしてお母さんは、

「うちの子、塾に通おうかって言ったら、急に嘔吐しちゃったのよ〜、まさか吐いてまで嫌がる子を無理やり塾に通わせられないし、とりあえずうちは塾はいいかなって感じで〜」

 という免罪符を見つけたらしい。


ママ友と塾どうするの?みたいな話になると、だからうちは塾に行かせない、塾に行かないから中学受験はやらない。中学は公立に通わせて、公立の高校に通わせるつもりという論法が成立することになったんだ。


 なにしろお父さんが公立の中学、公立の高校、一浪の末に国立の大学に入学という経歴の持ち主だから、全ての学校は公立(お金がかからない)という方針で一本化を目指すことになったわけ。


 最近は不景気なものだから、

「うちも中学受験は諦めたわ〜」


「国公立大目指すには、難関(・・)国公立大学の入試に標準を合わせた高校を受験させた方がいいし、あえて(・・・)高校受験をさせて、大学入試までのブランクが短くした方が良いのかなって思うもの」


「それに、私立はやっぱり高いわよ〜」

 と言い出すお母さんたちも出て来ているみたい。


「そうよね、難関(・・)国公立大学に入学するには、難関(・・)国公立大学の入試に標準を合わせた高校(公立)に入学させた方が良いわよね」


 っていうか、難関ってなに?難関って?それに、頭の良い公立の高校に行くこと決定みたいになっているんですけど、僕、まだ中学校にすら上がっていないのですが?


 とりあえず嵐は過ぎ去ったと僕は思っていたんだけど、優斗の塾はやめるということを決めた一ヶ月後に、なんとお母さんの方のおばあちゃんがやって来ることになったんだ。


 教育熱心なおばあちゃんは東北に住んでいるのに、わざわざ新幹線に乗って僕の家までやって来たんだけど、着物姿のおばあちゃんを見て僕は驚いたよ。

「お・・おばあちゃん!来てくれて僕!嬉しいよ!」

 玄関先に立ったおばあちゃんは、首から上が鬼になっていたんだからさ。


 お母さんは後ろに鬼のお面がついているんだけど、おばあちゃんの場合は、自分の顔に直接、鬼のお面が付いちゃっているんだよね。そういや、僕はおばあちゃんに会うのって事故に遭った後始めてだったかも。いっつも、都合が合わなくて会えなかったんだよね。


「優斗が塾に行かないなんて!」


 おばあちゃんが玄関先からお怒りモードだったんだけど、僕はおばあちゃんの手を握って言い出した。


「おばあちゃん、僕、おばあちゃんに会うのが久しぶり過ぎてすごく嬉しいよ」

「・・・・」

「さあ!上がって!僕、おばあちゃんに聞いて欲しいことがいっぱいあるんだ!」

「・・・・」

 鬼の仮面は嬉しそうに歪み、ほくほくした様子で家に入って来たんだ。


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