閑話  弟の塾も阻止したい ③

 優斗の塾はどうするのかという話がひと段落して、僕の家に平和が訪れる事になったんだけど、急におばあちゃんからお母さんに電話がかかってきて、おばあちゃんが東京まで出て来るって話になったんだ。その時には、お父さんも、僕も、弟の優斗も、思わずお茶碗とお箸を持ったまま固まっちゃったんだよね。


 その日は日曜日で、家族揃って夜ご飯を食べているところだったんだけど、お箸とお茶碗を置くと、顔をくちゃくちゃにしながらお父さんはビールをごくごく飲みだした。


 お父さんはお母さんの説得に成功して優斗の中学受験を阻止することが出来たと安心していたんだろうけど、ラスボス(おばあちゃん)がやって来るということで、お酒を飲まずにはいられなかったのかもしれない。


 教育熱心なおばあちゃんだから、孫の為ならお金は出すとか平気で言い出しそうなんだけど、そういう事じゃないって僕は思うんだよね。だからこそ僕は、水曜日に学校が終わると、すぐさま自転車に乗って脳外科病棟に向かう事にしたわけだ。


 手ぶらで訪問した僕を快くとまではいかないまでも迎えてくれた君島さんは、僕を見下ろしながら言い出した。


「ヨモギの葉は、きちんと犬のおしっこがかかっていないようなものを選んだんだろうな?」

「選んだ!選んだ!おしっこはかかってないだろうなって思えるヨモギをきちんと選んだし!緑饅頭もきちんと効果を発揮したよ!」


 吐いたものと分かるように、わざわざ胃液の酸っぱい匂いと同じような匂いをさせるために酢も入れたし、ご飯も食べ終わった後のようにぐちゃぐちゃにしたし、緑の何かが混じっている、は、ゲロゲロあるあるらしいので、お手製緑饅頭が疑われることはなかったんだけど、そんなことよりも問題なのはおばあちゃんだ。


「何?今度は君のおばあちゃんがやって来ることになったのか?」


 君島さんは、ちょっと考え込んだ後、

「君のお母さんがやたらと中学受験にこだわるのは、周りのお母さんの影響だけでなく、おばあちゃんの意向が大きく反映されているのだろう」

 そんなことを言い出した。


「君の祖父母世代は、家や車を買って一人前という常識の中で生きて来たからこそ、自分の子供も家と車を買って一人前という価値観を押し付けているところがあるはずだ。それと同じように、子供は良い会社にさえ入れば将来は安泰だ、良い会社に入るには一流の大学に入らなければならない。一流の大学に入るのなら、子供は中学受験をさせた方が良いだろうという考えに陥る人間もそれなりの数居るのさ」


「良い会社に入るために、難関国公立大学を目指すんだけど」

「難しい言葉を知っているんだな」


「その難関国公立大に入るためには、難関国公立大の受験に強い、公立高校を目指すってことで良いって」

「それじゃあ、君の弟の中学受験は無くなったじゃないか?」


「そういう訳にはいかないんだよ。もしもおばあちゃんがやっぱり私立校が良いんじゃないのかとか、最後にはお金は自分が出すとか言い出したら、平気でお母さんはその話に乗っかると思うんだ」


「ふうむ、それでも君のお父さんは私立校には反対していると」


「お父さんは、マンションを買うときにお母さんの方のおじいちゃんおばあちゃんに、結構お金を出して貰ったから、これ以上、お金を払ってもらうのって嫌なんだって」


「ふーん、そんな込み入ったことまで話に聞いているのか。だとしたら、とりあえず親はあまりアテにせずに、君自身がプレゼンを行った方が良いだろうな」

「プレゼン?」

「私立校より国公立、塾になんか通わずに家庭学習、君自身がお婆ちゃんを説得してみろ」


 君島さんはそう言ってからまじまじと見ると、

「君は礒部先生を言いくるめられた男なんだ。そういうの、得意だと思うんだがな」

 と、言い出した。



 おばあちゃんの手を引いた僕は、まずは僕の部屋におばあちゃんを案内する事にしたんだ。僕はおばあちゃんを部屋に置かれた椅子に座らせると、毎月届く、家庭学習用の教材を勉強机の上に広げながら言い出した。


「おばあちゃん、僕ね、今すごく勉強を頑張っているんだよ」

 教育熱心なお婆ちゃんは、僕の勉強の成果を眺めていたようで、鬼のお面を未だにほっこり顔をキープしている。


「コロナで塾とか行けない子が増えてから家庭学習の教材も随分変わって充実するようになったんだよ。塾にわざわざ通わなくても、オンライン授業を受けられるようになっているんだよ」


 僕はタブレットを起動して、授業(録画)を画面に映しながら言い出した。

「これは録画なんだけど、オンライン授業の時にはチャットで直接先生に質問とか出来るんだ」

 鬼のお面が驚いた様子で目をクワッと開けたけど、おばあちゃん自体は何も言わずに、僕の話を黙って聞いているみたい。


「それ以外にも、ユーチューブで分かりやすく教えてくれる動画とかもあるんだよ。僕のお気に入りは家庭教師で有名な会社でやっているユーチューブで、一番分かりやすいかなって思うんだ」


 おばあちゃんが何も言わないから不安になったけど、鬼の太い眉が一気に下降しているから、僕はさらに言葉を続けた。


「僕もね、塾ってちょっとだけ行ったことがあったんだけど、一番辛いのがお母さんのご飯が食べられないことだったんだ」

「ご飯?」


「そう、夕方6時から塾が始まるから、お母さんが買ってきたおにぎりを一個だけ食べて塾に行くでしょう?それで夜の9時過ぎに帰ってきてまずはお風呂に入るんだけど、そうすると夜の10時近くになっちゃって食欲が湧かないんだ。あんまり食べられないから、結局寝る前に食べるのも、カップラーメンとかになって辛かったんだ」


 食事内容については思うところがあるようで、眉毛が下がっていた鬼のお面がグワっと怒りで赤くなる。それは無視して僕は続けたよ。


「塾の宿題をして寝ると夜の十一時を過ぎるし、そうすると寝るのが遅くなるから起きるのが辛くて朝ごはんも食べられない。朝ごはんが食べられないと、学校の授業中にお腹が減って、授業に集中出来ないんだ。それに一番嫌だったのが、僕の塾の費用を出すためにお母さんが美容院を我慢していることなんだ」


 お母さんの美容を気にする健気な息子をアピールしろと君島さんには言われていたんだけど、これはかなりの効果があったんじゃないかな?鬼の顔が凄いことになっているよ!


「お母さんにはいつまでも綺麗で居てもらいたいと思うから、僕、塾には行かないで家庭学習で頑張っているんだよ?」


 わざと、高得点を叩き出したテストをおばあちゃんにそう言って渡すと、僕の部屋に飛び込んできた優斗が言い出した。


「ぼ・・ぼく!ぼく!夜は9時には寝ちゃうから!塾は無理だよ!だから、お兄ちゃんと一緒に家庭学習がんばる!」


 優斗と僕の顔を交互に見た鬼のお面(おばあちゃん)は、ヘニョリと太い眉を下げてガックリと肩を落としたのだった。


 結局、僕の家に居る間に、おばあちゃんは塾がどうのと言い出すことはなかったけれど、僕と優斗の勉強のお手伝いはしてくれたんだ。


 鬼のお婆ちゃんが居る間は、何ていうのかな、覇気みたいなものに家中が満たされるというのか、雑多な幽霊が姿を見せなくなったんだよね。幽霊が見える僕としては、非常に過ごしやすくなった訳なんだけど、そのおばあちゃんが帰った後に、お父さんがこっそりと僕に言って来たんだよね。


「あの無表情のおばあちゃんを相手にしても、智充は全然平気なんだなあ〜」

「無表情?」


 僕の目にはおばあちゃんは鬼のお面を被っているような状態なので、無表情が何なのかがよく分からないんだけど、

「意外におばあちゃん、分かりやすい人だよ」

 と、僕が答えると、お父さんは両目を見開きながら驚いた。


 鬼のお面は感情豊かだから、何を考えているのかよく分かるんだよね。

「お母さんも、おばあちゃんも、僕や優斗の勉強を心配しているだけだからさ」

 それは、将来困らないようにって心配しているからなんだけど、

「それに、お父さんが教えてくれるから大丈夫って言ったから大丈夫だよ!」

 と、僕が断言したら、お父さんは困り果てた様子で眉をハの字に下げた。


 それでも、お父さんの後ろにいる小さなおばあちゃんはやる気ムンムンになっているから、僕が勉強につまずいたら、お父さんはきちんと教えてくれるだろうって思っているんだ。




      *************************



 子供をブラジルの現地校に通わせていた時のこと、年に四回ある(トータルの平均点が60点以下だと留年決定というエグいシステム)試験日の前日に子供(小学一年生)を連れて学校に行ったところ、

「今日は試験日前で学校はお休みなのよ!試験日前は親が子供に勉強を教える日なの。勉強は学校で先生が教えるけど、試験勉強は親が教えなくちゃいけないものなのよ!」

 と言われて家に帰らされることがあった訳です。


 これはヨーロッパでも同じようで、

「子供の勉強は親が教えるもの!」

 ということで、高校生になっても宿題を親の前でやっていたりするんですよね。もちろんブラジルもそうで、

「本当に勉強を教えるのが大変!」

 と、現地のお母さんに言ったところ、

「うちの場合は、数学は夫が教えているわ〜」

 みたいな話になるんです。


 で、日本に帰って来て、

「勉強?絶対に教えられないわ!だから塾に通わせるのよ〜!」

 という話を聞いて、軽いカルチャーショックを受けたうえ、その塾の費用に驚愕した覚えがあります。塾、行くでしょ!みたいな風潮に驚きましたとも。


 行かない自由もあっても良いと密かに思っておりますとも。塾はもちろん行くでしょう?じゃなくて、選択の自由があってもいいじゃない。親のフォローは必須かもしれないけれども、お金と天秤にかけたなら・・という思いを込めたお話でした!




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