閑話  弟の塾も阻止したい ①

 小学四年生の時に交通事故に遭った僕は、塾に通うことなく家庭内学習のみで小学校の最終学年である六年生になるわけで、

「智充くんのお受験どうするの?」

 と言うママ友の質問にも、

「うちは四年生の時に交通事故にあって長期間休んじゃったから、色々と遅れも出ちゃったし、中学は公立校に行かせることにしたのよ」

 お母さんはスムーズに答えられるようになっていた。


 長期間って、入院期間は一ヶ月程度のものだし、学校自体も半月程度しか休んでいないんだけど『長期間、入院しちゃったんだから仕方がない』という、お母さんなりの落とし所を見つけたらしい。


 春休みになって、僕は六年生なる準備、弟は四年生になる準備を始めることになったんだけど、

「優斗は今年は小学四年生になるし、塾も始めることにするから」

 と言うお母さんの宣言により、家族に衝撃が走ることになったんだ。


 それも、お父さんが久しぶりに家族旅行でもしようかと言い出して、芦ノ湖を眺める場所にあるホテルで、夕食を美味しく食べ終わったところでの発言だよ。


「僕、塾なんて行きたくない!」

 優斗はプクッとほっぺたを膨らませながら言い出した。

「塾なんて嫌だ!」

「だけどね、中学受験をするには四年生から塾に行くしかないのよ(・・・・・・・・)」

「お兄ちゃんは塾に行ってないもん!」

「智充は四年生の時に交通事故に遭ったから、どうしても(・・・・・)、仕方なく(・・・・)、塾を諦めざるを得なかったのよ」


 怖っと僕は思ったよね。

 本当に、本当に、お母さんは無理矢理にでも僕を塾に行かせるつもりだったんだと、入院したから仕方なく僕が塾に通うことは諦めたけど、優斗は入院していないんだから行くしかないっていう状態になっているみたいだ。


「まあ、まあ、せっかく旅行に来ているんだから、塾に行くとか行かないとか、そんな話は家に帰ってからにしようよ」

「塾に行くとか行かないとかじゃなくて!行くんです!」

「行きたくない〜!」


 ウワーッと泣き出す優斗を僕は怒れない。なにしろ塾に行きたくなさすぎて、幽霊をひっつけて歩いている医者を脅迫したのは僕だもの。そのおかげもあって僕は塾に行かずに済んだけれども、残念ながら優斗は入院をしていないし、交通事故にも遭っていない。中学受験をするのに何の障害もない状態になっているんだよね?


「とにかく、その話は終わりにしよう」

 お父さんは悲壮感を露わにしながら、優斗の涙をおしぼりで拭うと、

「智充、優斗と一緒に綿飴でも貰って来なさい」

 と言って、テーブル席から離れるように促した。


 後から知ったことなんだけど、お父さんはお母さんに、優斗の塾通いを諦めさせるために、説得するために、わざわざ芦ノ湖を見下ろすような場所にあるホテルの予約に踏み切ったらしい。


 世知辛いことに社会保険料(よくわからない)健康保険料(よくわからない)税金(これはよくわかる!)の値上がりと金利(何それ?)の上昇により、ほんとうに、ほんとーに、中学受験はやめて欲しいらしいんだ。出来れば、高校大学までお父さんとしては、公立一本で行って欲しいんだって。


 子供も多く訪れるようなホテルで夕食はビュッフェ形式、子供用のおやつも充実していて、綿飴なんかはホテルの人がその場でくるくる割り箸を回して作ってくれるんだけど、僕はホテルの人がくるくる白い煙のように見える綿飴を巻き付けていく様子を眺めながら、お父さんお母さんが座っているテーブルの方にも意識を向けていたってわけ。


 お母さんの後ろには相変わらず鬼のお面が見えるんだけど、最初は心配そうに何かを訴えていた鬼のお面も、次第に怒りのオーラが溢れ出し、最後には紫色の渦のようなものを撒き散らす。


 交通事故に遭ってから僕は幽霊が見えるようになり、お母さんの後ろの鬼の面が見えるようになったんだけど、鬼のお面はお母さんの感情と一緒の表情を浮かべているように僕には思えるんだ。


 側から見ると二人は冷静におしゃべりしているように見えるけれども、はっきり言って、お母さんはめちゃくちゃ激怒しているみたい。


「お兄ちゃん!ほら!綿飴!」

 ホテルのお兄さんが用意してくれた二つの綿飴を受け取ってお礼を言うと、僕は恐る恐るお父さんとお母さんの方へと戻って行ったんだけど、

「もうわかった、勝手にすれば良いだろう」

 というお父さんの声が聞こえて来たんだよね。


 ああ、お父さんの勝手にすれば良いだろうが出ちゃったよ。優斗を助けられるのは僕しか居ないのかもしれない。



       ◇◇◇



「なんだって?君の弟の塾行きを阻止したいだって?」

 僕の外来受診はとっくの昔に終わっているんだけど、困ったことがあると僕は脳外科病棟を訪れる。水曜日には君島さんが日勤で働いているので、夕方だったら比較的声がかけやすかったりするわけだ。


「看護師の皆さんに芦ノ湖まんじゅうと、君島さんには芦ノ湖キャンディ(ソーダ味)を買って来ました!」


 本当は患者さんからものを貰ったりって出来ないらしいんだけど、僕は何年も前に退院しているし、時々顔をだす可愛いアイドル枠(と君島さんは言うので)だから貢物は必ず受け取ってはくれるんだけど・・


「君が病棟に遊びに来ると、何年も前に卒業した生徒が遊びに来たと言うので対応することになった教師のような気分を味わうことになるなぁ」


 と、君島さんは芦ノ湖キャンディーを一つ口の中に放り込みながら言うと、

「だったらこういう作戦で行ったらいい」

 と、君島さんは僕にアドバイスをしてくれたわけだ。


 その日、僕はこっそりと病院から帰る途中で生えていたヨモギを千切ってポケットの中に突っ込み、お母さんがお風呂に入っている最中にキッチンに侵入し、ビニール袋によく洗ったヨモギと残ったご飯と酢を入れて、ギッチョンギッチョンに混ぜ合わせて作った緑色の団子のようなものを作り出した。


 明日には塾の面接に行くということで、弟の優斗はベソベソ泣いているんだけど、そんなことに頓着するようなお母さんではない。


 僕は優斗のところに行くと、

「優斗、塾に行きたくないよな?」

 と、問いかけると、優斗は真っ赤な目で、

「行きたくないよ!」

 と、言い出した。


 優斗の学年は塾通いを四年生から始めている子どもは少ないし、中学受験を目指している子供も自体が少ないらしい。学校の先生は景気の悪化とか言っているけれど、塾に行かないで良いのなら、塾に行かなくていいと僕なんかは思うんだ。


「それじゃあ兄ちゃん、魔法のお団子を作って来たんだ。これを食べれば塾に行かなくて済むようになるけど、すっごく不味いんだ、地獄のように不味いんだ、吐いてしまうほど不味いんだ。それでも優斗が塾行きをやめたいのなら、この緑饅頭を食べたら良いと思う」


 僕が差し出したのは、ビニール袋の中にある、ヨモギとお米と酢を混ぜてギッチョンギッチョンにしたもので、

「くさっ」

 酢とヨモギの匂いで優斗は顔をくちゃくちゃに顰めた。


「間違いなく体に悪いものは入ってない。だけど、オエッとなるのは間違いない」

「オエッとなるの?」

「オエッとなる」


 優斗はまじまじと僕のお手製緑饅頭を見つめると、

「塾、行かなくて良くなるのなら食べる」

 と、言い出したわけだ。


 お母さんがお風呂から出るのを見計らいながら、廊下で待ち構えていた僕たちは、

「よし、いけ!」

 という僕の合図と共に優斗が緑饅頭を自分の口の中に突っ込んだ。予定なら口の中で十回噛んで吐き出すだけで良かったんだけど、

「ウェエエエエエエエッ」

 三回くらい噛んだところで、優斗は緑饅頭を吐き出した。

 緑饅頭だけでなく、今日の夜に食べた物までゲロゲロゲロっと吐き出したので、僕はその場で飛び上がって、

「ぎゃあああっ!」

 と、叫び声を上げた。


「ぐええええっ」

 廊下で嘔吐する優斗に驚いた様子でお母さんが飛び出してきたので、

「お母さん!優斗が塾に行きたくないって大泣きした後に吐いた!」

 と、叫んだわけだ。


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