第7話 協定成立
翌日の夕方、会社を早退してくれた両親が礒部先生から話を聞くことになったんだけど・・
「智充くんは交通事故に遭うという精神的ショックだけでなく、病院での入院生活を経験することになりました。特に智充くんの場合は、頭蓋底骨折という診断を受けた為に、絶対安静での治療を受けたわけです」
珍しく癖っ毛をきっちりとまとめてきた礒部先生は、キリキリと手際よく僕の検査結果(CT検査の画像など)を見せながら両親に説明をした後、かしこまった様子で言い出したわけだ。
「それで、昨日、智充くんの病室に行ってびっくりしたんです。あの、病室のテーブルの上に山のように置かれた教材はなんなんですか?」
ギクリとお母さんは肩を動かしたらしいんだけれど、素知らぬ顔をしていたらしい。すると先生は大袈裟にため息を吐き出しながら言ったんだってさ。
「お母さん、お子さんの勉強の状況を心配するのは分かりますが、智充くんは大怪我を負ったのです。しかもまだ小学四年生じゃないですか。何も焦る必要もないですし、勉強については智充くんのペースに合わせて頂きたい」
先生は下を向き、横に広がった顔を左右に振りながら言い出した。
「僕も小児病院で働いたことがあるんですが、お母さんたちのお子さんに対する勉強への不安というものに接することが多かったんです。お母さんたちの心配はとても良くわかる、僕も子供が居るので良くわかるのですが、無理矢理の押し付けは子供への負担にしかならないんです」
その時、お母さんは自分の耳を両手で塞ぎたいような様子で居たようだけれど、礒部先生は畳み掛けるように言ったらしい。
「お母さん、まずは智充くんに寄り添ってあげてください。そうして、入院生活お疲れ様と言ってあげてください。智充くんはお父さんお母さんと離れて、物凄いストレスを抱えていたのは間違いない事実です。ますは、智充くんを甘えさせてあげてください」
先生は諭すように、噛み砕くように、分かりやすく言ったという。
「塾も大切かもしれませんが、それでも、子供の心以上に大切なものってないんですよ」
お父さんは思わず自分の手をギュッと握りしめたらしい。
「まずは勉強よりも、心のケアが大事なのです。そして、お勉強も大事だと思うのですが、病院に山積みになる程持って来るのは頂けない。教育虐待、そんな言葉が世間でも取り沙汰されてきていますよね?僕は勉強を押し付けられ、心を疲弊させて学校に行けなくなった子供さんを沢山見てきているので、どうしても心配になってしまうのです(・・・・・・・・・・・・・・・・・)(うそ)」
お父さんは先生の口から出まかせを聞いて、この先生は何て良い人なんだ!と、思ったらしい。なにしろお父さんの周りの人(会社の人)は、子供を塾に通わせて中学受験をさせている人が多いんだけど、その中の一人が驚くべきことに飛んじゃったんだってさ。
飛んだって何?訳分からんと思ったんだけど、要するに自己破産をしちゃったってことらしい。借りたお金は返せませんとギブアップして、そのことが会社にもお知らせされたっていうんだよね。
本当に普通の家庭、ギャンブルもしないし、愛人とかも居ないタイプの人だったのに、飛んでしまった(自己破産してしまった)理由は、妻の要望によりタワマンを購入してしまったということと、子供への過剰すぎる教育費によって、なんだってさ。
ボーナスが減らされてローン返済に充てられずとか、気がついたら貯金の残高ゼロとか、あっという間に物件押さえられてとか、ちょっと僕には良くわからないんだけど、全ては『コロナの影響による』ということになるらしい。
私立校に通うと初年度で百万以上、翌年が70万強で押さえられていたとしても、三年間で三百万はくだらない。それが中高六年間で六百万と考えるだけで胃が縮み上がる思いだというのに、更に塾!しかも子供は二人もいるんだぞ!
最近のお父さんは出口のないトンネルに突入したような気分に陥っていたらしいんだけど、先生からの説明後、世の中の良くあるレールには乗っからずに、自分の思う方向で進めようと決意をすることになったんだってさ。
「智充くんは本当に良い子ですから、退院後も、十分にケアしてあげてください!」
退院する時にはわざわざ礒部先生が見送りに来てくれて、そんなことを迎えに来たお母さんに言ってくれた。お母さんは『まだ言うか!』みたいな目で一瞬、先生を見たけれど、
「礒部先生、看護師の皆さん、本当に智充がお世話になりました」
と、頭を下げて言い出した。
僕はそんなお母さんが師長さんと話し出したのを横目に見ながら、私服姿の礒部先生に話しかけたわけ。
「先生、これから出かける予定なの?」
「そう、夜勤明けでこれからお参りに行く予定」
「お参りってお子さんの七五三のお宮参りに行くってこと?」
七五三って十一月だよね?今は八月だけど気が早すぎない?
「いや、縁切寺にお参りに行く予定なんだ」
「縁切りって・・」
思わず先生の右肩に乗る生首の方に視線を向けると、先生は僕の目を手のひらで押さえつけながら言い出した。
「大丈夫だ、縁を切る、間違いなく次は問題ない」
「へー、そうなの」
「それでな、お前はこのことを誰にも言っていないんだよな?」
「言ってないよ!」
僕は先生の手を外して背伸びをしながら、先生の耳元で囁くように言い出した。
「幽霊が見えるだなんて言い出したら、おかしな奴だって思われるだけでしょう!」
「よく分かっているじゃないか」
そう、幽霊が見えるだなんて言い出したらおかしな奴だと思われる。
だけどさ、僕の友達がお見舞いに来て、先生に取り憑く幽霊を見たって言っていたなんて話になれば、看護師さんたちは興味を持って話を聞いてくれるに違いない。
もしも先生が、僕が塾に通うということを阻止してくれなければ、僕は言っていた、間違いなく言っていた。だけど、
「智充、塾には通い始めてはいたけど、大怪我をしたんだし、とりあえず退院後は、塾はやめておこう」
と、病室までやってきたお父さんがそう言い出したから、僕は看護師さんにこっそり話を提供することはやめにしたんだ。
お母さんは悔しそうな顔をしていたけれど、それは見ないことにして、僕は夏休みを勉強以外で満喫しようと心に決めることにしたわけ。
*************************
何かおかしな物が見えると言うのは、実は脳外科病棟に入院する患者さんのあるあるです。
精神疾患の患者さんも、見えないものが見えるということを良く言い出すんですけども、医学的にそういう症状が出ることもある・・と言いながら、
「えーっと・・それは〜・・・」という現象にぶつかると、突然、
「神社に行ってお祓いしてきても良いかもですね」「精神の安寧に繋がるのなら〜」
と、言い出すお医者さんは居ますね。
霊現象という物が本当にあるかどうかは別として、人は思い込みの生き物でもあるので、神社に行ったら、お祓いしたら良くなった〜、みたいなことは良くあります。
そして、人の死が身近だからこそ(女性の恨みを買っている人もいるでしょう)
「お祓いに行ってこようかな」と言い出す医者は結構居るかもなって思います。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます