第六章「銀河鉄道のチケット」6

「さて、二つ、君に対して言うべきことがあるんだけど」

 後部座席のドアを閉めて振り返ると、そこに賀茂が立っていた。

「なんだよ」

「まず一つ目。君の短期的な心身の話だ」

「うん?」

「君はこの世界の一端を知った。知覚した。それだけでも十分過ぎるほど問題があるのに、君は一度死に、道具によって生き返った。これは、そうだな、暫定的に、この世界の『ルール』から外れたことになる。ちょっとこっちに寄りすぎたね」

「それだと?」

「まず、君が意識するかどうかにかかわらず『死』そのものに近づいてしまう。簡単に言うと、死にやすくなる。身体が弱いということではなく、突発的な事故や事件に遭遇しやすくなる。だから当面、そうだな、数年くらいは気をつけておくといい」

「わかった」

「わかったところでだけどね」

 優斗の返事を賀茂が軽く打ち消す。

「それから、こちら側のものを認識しやすくなる。他の人には見えていないものが見え、触れられないものに触れることになる。その上、君自身に能力があるわけじゃないから、その都度体調を崩すだろう。これは慣れかな」

「ああ」

「更に言えば、君はしばらくの間、現実と非現実の境目が薄くなる。まあ、こっちの方は、その境にさえ気をつけていればいい。非現実としての象徴である夢の世界に入り込みやすくなる。毎日ちょっとだけずっと眠くなる、みたいなものだと思ってくれればいい。これも慣れれば大丈夫だし、結局数年で落ち着くと思うよ」

「眠くなる程度で済むなら」

「うん、まあ、実際、この程度で済んだのは相当なラッキーだったと思っていればいい。これが心身の状態に関することだ。二つ目、これは君の経済の話になるね」

「経済?」

 思ってもいなかった言葉に、優斗が戸惑う。

 賀茂は笑って答えた。

「このカプセル、メチャクチャ高いんだよ」

「ああ、どれくらい?」

 請求はされるかもしれない、くらいのことは思っていた。こういったものがどれくらいの価値があるのか見当もつかない。

「そうだな、これくらい?」

 賀茂が三本指を立てた。

「まさか、三百万?」

 たった一つで?

 どれだけバイトをすれば返済できるだろうか。

「冗談かい? 三千万だよ」

「三千!?」

 桁が一つずれていた。

「驚くことはないだろ、効果がわかっているなら、それ以上に払いたがる人は大勢いるよ。今日のあれこれだって持ち出しなんだから、多少は元を取らないといけないし。『佐助の針』も『蜘蛛の糸』も『反魂香』も『ガラスの星』も『人形遣いの鏡像』も『銀河鉄道のチケット』も、同じかそれ以上にするんだけど」

 賀茂が一つずつ指を折る。最後に小指で足りなくなって、左手の親指を曲げた。

 賀茂の使用額はかなりのものになっているのだ。

「まあ、その辺りは、不問にしておこう。僕の安全のために使ったということにしておけばいい。でも、全部というわけにはさすがにいかないかな。それで、君は三千万を払ってくれるのかな?」

「払うっていったって」

 中学生が払える額ではとてもではない。

「あんたは、月村の道具を手に入れるんじゃないか、それで利益が出るんだろ」

 優斗の言葉に賀茂がにやりとする。

「おっと鋭い指摘だね、まあ、でも勝手に持ち帰ったりはしないよ。あくまで彼との契約では買取ということになるからね、もちろん中に何があるかは未知数だけど、少なくとも妹さんが不自由なく一生を暮らせる程度の額で引き取るつもりだよ」

「そうか、そういうのはきちんとしているんだな」

「これでも公正取引には定評があるんだ。業界内ではそういうのが大事だからね。だから、僕は君からもお金を取る。中学生に同情して無料で道具で消耗したなんてことが知れたら足元を見られるようになるかもしれないしね」

「バックれたら?」

「ええ、そうだな、確か鞄の中に美味しいおやつがあるよ、『葬式饅頭』、かわいらしいネーミングだろ?」

 後半の饅頭だけにフォーカスすればそうだが、前半が明らかに不穏すぎる。

「それを食べるとどうなるんだ?」

「永遠に消えない罪悪感に囚われる」

 賀茂が笑った。

 だが、これが冗談ではないことはわかっている。これまでも道具について、賀茂は嘘をついていないのだ。

「……わかった」

 逃すつもりはないらしい。

「いいね、僕はたとえ中学生でも対等な商売相手だと思っているからね」

「あんた、これからどうするんだ?」

「うん? どうするもこうするも、何も変わらないよ。まずは芹菜ちゃんを病院に運ぶことが第一目的になっているね」

「病院って」

 芹菜を検査をして何がわかるというのだろう。

「まあ、ちょっとした伝手があってね。頼めば、彼女がいなくなっていた間のことを有耶無耶にできる」

「そうか」

「あとは、月村家に行って、蔵を拝んでこようかな」

「それはすぐにやるのか……」

 加耶にとってみれば、厄介な道具が家からなくなってしまった方が記憶を消した桂花にとって都合が良いはずだ。

「あとは、まあ、色々と事後処理をするよ。それからは、いつも通りの平常営業に戻るね」

「追うのか? その、瑛桜っていうのを」

「まあ、そうだね。それはライフワークだし」

「……もし、見つけたら」

「見つけたら?」

「思い切り殴っておいてほしい」

「はは、できればね」

 賀茂が苦笑いをした。たぶん、自分と似たようなケースが何度もあって、同じようなことを言われ続けて、それでもずっと続けているのだろう。

「君はどうするんだい? これからも正義の味方を続けるのかな?」

「いや、もう……」

 自分の手に届かないことがあるというのは今回の件で十分にわかった。それに、正義の味方を気取ることで誰かを傷つけてしまう、ということも。

「そうだね、それが賢明かもしれない。まあ、やるんだとしても、できる範囲でやればいいさ。人間にはね、間違える権利があるんだ」

「僕は……」

「ああ、そうか」

 賀茂が何かよからぬ名案を思いついたような顔をした。

「そうだ、さっきの、借金のことなんだけど」

「うん」

「返済する代わりといってはなんだけど、一つお願いがあるんだ。それで帳消しにしてもいい」

 にこにこと最初に会ったときと同じ笑顔を作り、賀茂が優斗を見た。

 この顔に安心してはいけないのはすでにわかっている。

 なにより、三千万の代わりなのだ。どんな難題を吹っかけてくるはわかったものではない。

「なに?」

 とはいえ、聞かなければ、三千万という途方もない借金を背負うことになってしまう。

 賀茂は笑顔を崩さず言う。

「近いうちに、僕の大切な妹がここに来る。君が彼女のお世話をしてくれるなら、三千万のことは忘れてもいい」

「お世話? ていうか、妹がいたのか」

 なんというか、意外だ。

「まあ、血は繋がっていないけどね」

「お世話って?」

「簡単だよ、影ながら適当に見守ってあげればいい」

「そんなことで?」

 三千万がチャラになるのか。

「まあ、なんというか、その、ちょっと気難しい子だからね。僕が君を指名したということは悟られないようにしてほしい。ちょっとしたゲームだと思ってくれればいいかな」

 賀茂は言い淀みながら、また楽しそうに笑った。

「わかった、それでいいなら」

「オーケー、商談成立だ。」

 革手袋を脱いで、賀茂が右手で握手を求める。

 優斗も右手でしっかりと握る。

「それで、妹の名前は?」

藤元ふじもとあんず。杏と呼ぶといいよ」

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