第五章「こわれ指環」6

「どうなるんだ?」

「ちょっと様子を見よう」

「様子って」

「今できる最善はした」

「あんた、その手」

 優斗が賀茂の右手を見る。その手にはペンダントはもうなかった。そのペンダントを持っていた手のひら以外、特に指は酷い状態だった。赤く腫れているというより、どす黒くなっている。優斗が指を強く握ってしまえば、ボロボロになって崩れ落ちてしまいそうだった。

「ああ、いや、まあ、どうしようかね。あの光は実体のない光だから、単なる火傷ではないし、うーん、まあ、すべてが終わったらこういうの専門のところに行くよ。回復薬もないわけでもないし、それは、うん、君と芹菜ちゃんに優先的に使おう」

 さっきまでの死闘と打って変わって、のんびりとした声で賀茂が答えた。

「さて、どうだろうか」

 芹菜が頭から手を離し、ようやく根源である腹部に手を置く。ぐっと賀茂が開けた傷口に手を入れたようだった。

 芹菜が両手で自分の腹をかき回す。血液ではない何かの液体が芹菜の腹部からぼたぼたと漏れ出ていく。その液体も淡く光っていたが、その中にはキラキラとした青い光がところどころ混じっている。ペンダントの宝石の一部だろう。

「全てを取ることはできない。おや」

 芹菜が屈んで零れた光を集めているようだった。その光をまた腹部に戻すが、同時に同じだけの量が零れていく。

「どうする?」

 優斗が賀茂に聞いた。

「もしかしたら、芹菜ちゃんは第一ルートまで戻ったかもしれない」

「本当か!?」

「まあ、見立てはそうなるね」

 賀茂が視線で芹菜を見るよう優斗に促す。

「光が、消えかけている?」

 ここで最初に芹菜を見たときよりも光が弱々しくなっている。

「うん、そうだね」

「じゃあこれで!」

「さあ、どうだろう? 少しは近づけるかもしれない。あの熱も弱くなっているだろうし。それならはやく病院に連れ行かないといけない。僕がナイフで切ったことは事実だからね、手持ちの道具で止血はできるけど、念のため」

 肩をすくめて賀茂が言うと、優斗はいてもたってもいられず芹菜に駆け寄る。

 芹菜は漏れ出た光を集めている。

「芹菜」

 膝を曲げて地面の光を集めている芹菜に優斗が声をかける。ピタリと動きが止まって芹菜が顔を上げた。

「……優斗」

 苦しそうに芹菜が言う。

「芹菜の意識が戻った!」

 距離を保っている賀茂に優斗が叫ぶ。

 賀茂は縦に頷いて同意とも、首を振って否定とも取れる、曖昧な動きをした。ただ、優斗が芹菜に近づくことに注意をしなかったから、賀茂の中でも安全寄りだと思っているのだろう、と優斗は判断した。

「良かった、良かった、これでもう大丈夫なんだ」

「でも、零れているの」

「それはもう」

「零れているの、私が、私の中身が」

 キラキラした粒を集めている。

「いや、芹菜、もうそれはいいんだ。それはもう芹菜じゃないんだから」

「よくなくなんてない。これは私なんだから」

 芹菜はこちらの問いかけに少しズレたことを返している。夢遊病患者みたいだった。

「芹菜……」

「私、なんてことを、みんなに謝らなくちゃ」

「いいんだよ」

「でも、もうあとには引けなくて」

「うん」

「大変なことをしちゃった」

 芹菜がここ一週間ほどで何をしていたか、その自覚が彼女にもあるようだ。意思に抗えなかったとしても、それが本来してはいけなかったことを理解している、はずだ。

「うん、あとで、まずはゆっくりして、少しずつ片付けていこう」

「でも」

「うん、時間はかかるけど、二人でやっていこう」

「優斗は優しいから、私を助けてくれる?」

「ああ」

 芹菜がぐにゃりと困惑と笑顔を混ぜたような顔をした。

「そう、よかった。助けてくれるんだ」

 芹菜がパーカーの左ポケットに手を入れた。

 嫌な予感が優斗にまとわりつく。

 彼女は、そこから何かを取り出した。

 定規ほどの十五センチくらいの細長くて茶色い棒だ。棒の先に花が一つだけついている。

 それの正体がなんなのか優斗はすぐに気がつく。

「ま、芹菜、何を」

 芹菜がその棒を二つに折る。

「優斗、お願いは、もう止まらないの」

「いや、もう、そんな事はないんだ!」

「優斗は何にもわかっていない!」

 彼女の悲痛な叫びが境内に広がっていく。

「私だって助かりたかった! 他の人みたいに! 優斗に助けてほしかった!」

 賀茂が数日前に言っていた壊れたオルゴールの話を急に思い出す。芹菜なら壊れたオルゴールを直さない理由にどう答えるだろう。

 きっと、こうだ。

 心から信じられる、本当に直せる人間を、内心では待っているのだ、と。

「それは……」

 ただの一度でも、彼女の本意を聞いたことがあっただろうか、と優斗は自問する。正しいことをしていれば、それがたとえ半径十数メートルでも幸せになる、そう信じてきた。その上で、彼女の家の複雑さを知りつつも、何か手助けをしようとしたことがあっただろうか。芹菜は強いから、で放っておいていなかったのか。芹菜はついてきてくれた。それを当然のことだと思っていた。でも、本当は、本当の芹菜は、問題を解決してほしかったのではないだろうか。

 その答えが芹菜の言葉だ。

『正義の味方』と一緒にいてなお、他人を優先されて、こちらに向き合ってくれていなかった、芹菜はそう思っていたのではないか。

 自分だけの日記でさえも、芹菜自身ではなく両親の幸せを願っていた。それは本心でありながら、やはり、芹菜は助けてほしかったのだ。

「お願い、優斗」

 芹菜は顔を夜空に向けて気道を真っ直ぐにしたあと、それ、つまり『桜の古木』を口に入れ、飲み込んだ。

 ごくん、という音が芹菜からする。

「ごめんね優斗、私のために死んでくれる?」

 それは、芹菜の明確な意思だった。

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