第三章「恋する蘚」4

 賀茂と優斗の二人が正午前に月村家の門扉にいた。結構やお屋敷で、塀で家が囲まれていた。普通の一軒家ではない。

 アポイントメントは取っていなかった。

 インターホンを鳴らすと、気怠い声が聞こえていた。

「君は、誰だね」

「あの、その、僕は」

 そういえばなぜ月村の家に行っているのか、賀茂が行くという流れで着いてきただけだ。

 優斗が言いあぐねているところに、賀茂が割って入る。

「初めまして、統世五見の夜警、月村さん」

「……入ってくれ」

 それだけで何を言っているか伝わったらしく、自動で門がスライドしていった。

 てくてくと玄関までの小道を歩いていく。

 また賀茂に聞くべきことが出てきたが、それもすぐには答えてくれないだろう。

 こちらが開けるまでもなく、玄関が開く。

 目の下に隈を作った不健康そうな加耶が浅い青で染められていた和装で立っていた。その疲れ切った目で賀茂を一瞥する。

「そちらのお客さんは、どうやらこちら側らしい」

「改めまして初めまして、古道具屋をしている賀茂と申します」

「賀茂、賀茂、ああ、『多面体』の賀茂か」

「そういう呼び名もありますね」

 初対面の加耶に優斗にはわからない『多面体』と言われても、賀茂は飄々と受け流していた。

「とりあえず、中に入ってくれ。外は寒くてかなわん」

「ありがとうございます。感謝します」

 玄関で靴を脱いで加耶の後ろについていく。家は純和風で、ここら辺りではあまりみえない古風な様式だった。ふすまを開けて、居間らしき場所に通される。

「家族の者は出払っていてね。ああ、その方が好都合だろう。お茶は出ないが我慢してくれ」

「お構いなく」

 加耶が胡座をかいて座り、それにならって二人も加耶と向かい合わせで座った。

「ええと、僕が紹介、っていうか説明した方がいいのかな?」

 賀茂が優斗に首だけを向けて言った。

「彼は『魔術師』だ」

「はい?」

 魔術師。

 また奇妙な言葉が出てきた。

 加耶を見るが、特段驚いた様子もない。二人で示し合わせて馬鹿にしているわけでもないだろう。

「三種類の話はしたよね」

「人間、異種、混血」

 寝る前に何度も考えていた昨日の言葉を思い返す。

「そうそう、その中で、純粋な人間の、それもごく一部だけが操れる魔術があって、彼はその魔術の使い手だ。というか、月村家がまあまあ名のある魔術師の家だよ」

 賀茂の説明は突拍子もなさ過ぎるが、もうここまで来たら鵜呑みにするしかない。

「魔術っていうのは、なんというか、人の英知というか、ことわりというか、真理の探究というか、まあ、色々あるんだけど」

「ああ、そういうのは、もう日本にはほとんど残されていない。ただただ惰性で魔術を研究しているだけだ。発展性はない」

 加耶が補足をする。

「その、あなたは、そういう、魔術っていうのは使えるの?」

「ああ、使える。人前でおおっぴらに使うようなものではないから、証明は許してほしい」

 畳に沈み込んでしまいそうな加耶の声は、嘘を言っているようには聞こえない。

「能力、混血の能力とは別?」

「むしろ対極にあるといっていい。能力というのが突然変異的なものに対して、魔術は技術の積み重ねだ。伝統芸というべきか。学問と同義だ」

「さっきの統世五見っていうのは……」

 優斗の質問に加耶が答えた。

「古い魔術師集団のことだ。今は形しか残っていない。その中に属さないが、関係はしている魔術師の家系が私たち、月村家ということだ。遠く遠くの昔々に、その集団の門番として活動していた。だから『夜警』と呼ばれている」

「妹さんも?」

 失踪した彼女もそうなのだろうか。

「桂花か。ああ、そうだ。私なんかよりよほど優秀な魔術師だ。そもそも私は覚えが悪かったから、あまりきちんとした魔術は使えない」

「じゃあ? 自分の意思で失踪している?」

「君たちが知りたいのはこの街に充満している『呪い』のことだろう? ああ、そう、彼女はこのために今活動をしている」

 賀茂といい、加耶といい、会話を先回りしてしまう癖があるようだ。単に優斗のことを無知なやつだと思っているからかもしれない。それは事実だ。

「『呪い』の除去を? そんなことが可能?」

 訝しげな賀茂に、ゆっくりと地を這うような重い声で加耶が答える。

「彼女は人々の夢に侵入するのが得意だ。無意識下の夢では、欲望や呪いが一人歩きしていることが多い。そこを掬い上げる」

「もしかして、天使って」

「そういうことか」

 失踪していた女子生徒は天使が精算をしにくると言っていた。天使とは、夢に現れ『呪い』を取り払っていく月村桂花のことを指しているのだろう。

「失踪した彼女は、精算は死だと言っていた」

 優斗の質問に、加耶は頷く。

「ああ」

「助けるわけじゃないのか?」

「助ける? ああ、『呪い』を掬い上げる、より正確に言えば、こそぎ取る。その過程で自我が剥がれ落ちて死ぬものもいるだろう。だが些事だ」

「些事って」

「まあ、優斗君、魔術師はこういうものだから、基本的には他人の命なんてどうでもいいと思っている」

「そんな」

 そうだとすると、『呪い』をもたらした神様とは一体何なのか。

「『呪い』の元凶はわかっているんですか?」

「……いいや、今のところは対症療法でしかない。それでも、この街を覆い尽くすような危険は去りつつある。いやはや、できた妹だ。しかし、道具屋が出てきたともなれば、魔術の線は薄そうだ」

「どうでしょうかね」

「『砂』は」

 なんとかして、優斗は会話に混じろうとする、一人だけ見えないところにおいておかれるようなのはやはり不安になる。

「『砂』? ああ、あれか、あれは、やはり、『呪い』を生じさせるのに一役買っているとみて間違いないだろう」

「誰が配っているのか」

 優斗の質問を加耶が遮る。

「いや、それは、わからない。もし桂花が掴んでいたのなら何か報告があると思うが」

「あなたはここで何をしているのですか? 妹さんにすべてを任せているというわけではないのでしょう?」

「私か……、時が満ちるのを待っている。なにせ不出来な魔術師だ、それくらいしかできない」

「時が満ちる?」

 意味深なことを加耶が言う。そもそも優斗にはこの世界のことは何もわからないので、何かしらかの共通の意味があるのかもしれない、と思ったが、どうやら賀茂にもその意味はわからないようだった。

「……そうだ」

「なるほど。『呪い』の件はそちらにお任せしてよさそうですね」

「……そう捉えてもらって構わない」

 深い意味があるのか、それとも単に口調の問題なのか、加耶は沈んだ声で答えた。

「失礼ですが、ご家族は」

 ゆっくりと加耶が首を横に振る。

「どうやら月村家は早世の家系らしくてね、今は私が当主ということになる。類縁のものはいくらか家に残っているが」

「そうですか。それじゃあ、やっぱり僕たちは神様を探した方がいいのか。『呪い』の拡散がいつまでも続いても仕方ないし、元は絶たないと」

「ああ」

『砂』の件もある。『砂』と神様は不可分なのだろうか。

「話がまとまったところで、ここからは仕事の話なんだけど」

「……なんだ?」

「もし、月村家が保有している道具のうち、要らないものがあれば引き取りたいんですが。当主ならその権限はあるでしょうし」

 出し抜けに賀茂が言い出した。

「お、おい、急に」

 あまりに突然の話で、制止しようとした優斗を、さらに加耶が制止する。

「いや、いい。確かに、いくつか蔵に保管されているはずだ。眠っているだけだろう。誰が使うというあてもない。あとで調べておこう」

「素晴らしい。取引をしましょう」

「ああ、いいだろう。どうせここには無用のものだ。どうせならこの先、現金の方がよほど役に立つ」

「いいですね、交渉成立としましょう。ではこれを」

 賀茂がカバンから紙を取り出した。

「契約書か、ずいぶん信じられていないようだな」

「この世界で魔術師を信用するような人間がいるんですか?」

 少し笑ったように賀茂が言った。嘲るというよりは、お互い了承済みの軽口のようだった。

「ああ、そうだな、その通りだ」

 紙に書かれている内容は読めないが、取引の契約書なのだろう、加耶が親指を噛み、そこから出た血で紙の箸に親指を押しつけた。

 優斗そっちのけで、商談がまとまりつつあるようだ。

「……まもなく夜が明ける。そうしたらすべてが終わる」

 家を出るとき、玄関先で最後まで気怠く加耶が二人に言った。

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