第三章「恋する蘚」3

「さて、とどこから話をしたらいいものか。というか、できれば話はしたくないんだけど、さすがにそうもいかなくなってきたみたいだね。君はずいぶんこちら側に寄りすぎてしまった」

「そりゃそうだ、知っていること、なんでもいいから教えてくれ」

 一ノ瀬と別れ、小さな公園のベンチに賀茂と一緒に優斗が並んで座っている。賀茂はコンビニで買った缶コーヒーを美味しそうに飲んでいる。

 ほう、と一呼吸して、賀茂が空を見た。空は澄み切っていて、星がきらきらと光っている。

「うーん、どうかなあ、これはね、世界の見え方の問題で、知ってしまえば、見方が変わってしまう。そして、それはいいことだとは言えない」

「御託はいいから」

「君のためを思って言っているんだけどなあ」

「それが芹菜を見つけるためだっていうなら、なんでもいい」

 芹菜を見つけ出すことが今の目的だ。それが『呪い』とかいうのと関係があるのなら、知るしかない。

「覚悟は? 引き返せないと知って、それを知る覚悟」

「知らないよりは知っていた方がいい。そうじゃないのか?」

「世の中そういうことばかりじゃないさ。たとえば、さ」

 賀茂が缶コーヒーを飲みきって、ベンチに乗せる。

「たとえば?」

「君にとって、その、芹菜ちゃんはどういう立場なのかな?」

「どういうって」

「幼馴染み、友人、相方、それとも恋人?」

「それは……」

「芹菜ちゃんが、『はっきりして』と言ったらどうする?」

「……わからない」

「まあ、そうだよね。そういう曖昧な気持ち、青春っぽくていいよ。大事にするといい」

 馬鹿にされているのか、優しそうな声で賀茂が言った。

「そんなことはどうでもよくて」

「ああ、そうだね、『呪い』の話だ。世の中には、何らかの役割があって、そのために作られた『道具』と呼ばれるものがある。その中に、『呪い』に関するものもあるんだ」

「道具……? なんだよそれ」

 いきなり突拍子もない説明で、つい構えてしまう。

「そう、道具。えーっとそうだな、ドラえもんの未来道具みたいなものだと思ってそんなに間違いないかな」

「どこでもドアみたいな?」

「そうだね」

「そんな子供だましを信じるとでも?」

「そりゃ、信じられるわけないよね」

 無言で優斗が頷く。

「じゃあ、一つ実演をしてあげよう」

 革鞄を開けて、その中から手探りで何かを探している。

「あったあった、これでいいかな」

 賀茂が鞄から取り出したのは、試験管の半分ほどの長さの瓶だ。コルクで蓋がされている。その中に、緑色のものがびっちりと詰まっている。

「持ってみて」

 手渡されたそれを優斗が持つ。

「少し強めに握ってみて」

 賀茂に言われた通りにしてみる。

「何か、温かい?」

 ほのかに瓶が温かい気がした。それは、使い捨ての携帯カイロほどではなく、あくまでほのかにだ。それなのに、熱は確かに伝わってきて、胸がポカポカしてきた。ぬるめの温泉に入っているような気分だ。

「これはね、『恋するこけ』という道具だ。なんだか気持ち良くなってきただろう?」

「うん」

「そういうもの。それはそんなに貴重じゃないから、せっかくだし君にあげよう」

「なんか……、わかりにくい」

 そう言いつつも優斗は小瓶を制服の胸ポケットにしまう。初夏とはいえ北海道はまだ寒い。カイロの代わりにはなってくれるだろう。

「そうだな、じゃあこういうのはどうかな?」

 賀茂が鞄からまた別なものを探している。

「これなんかどうかな」

 ピンポン球程度の白いボールを取り出した。

「『蜘蛛の糸』と呼ばれている」

 顔の前にそれを持ってくる。よく見ると、細い糸でグルグル巻きにされて球体になっているのがわかる。

「これをね、こうする」

 糸の端を摘まんで、スルスルとほどく。

「さて、なむなむ」

 賀茂の手のひらに乗っている糸玉は勝手にほどけて、重力に従って先端が地面に、落ちなかった。

 糸はむしろ重力に逆らって、上に上にと伸びていく。二メートルほどは上っただろうか、糸はそこで停止した。

「こういうこともできる」

 先端が降りてきて、優斗の目の前で止まった。それから鼻の頭をくすぐる。

「そら」

 賀茂が飲みきった缶コーヒーを宙に放り投げた。

 頂点に達したところで、落下を始める。

「糸よ」

 優斗の眼前にあった糸の先が素早く落ちていく缶に触れ、缶をぐるぐる巻きにした。賀茂が糸を引き寄せる仕草をすると、缶はまた賀茂の手元に戻ってきた。缶がベンチに置かれると、糸はまるで何もなかったかのように集まり最初と同じ球体になった。

「持ち主の意思で自由に動かすことができるんだ。少しは信じた?」

「手品じゃない?」

 それこそ、空から糸で吊っているものではないのか。しかしそうは見えない。

「そう、手品じゃないんだな、これが」

「超能力?」

「そういうのともまた違う。これは、道具そのものにそういう効果が備わっているんだ。もちろん扱うには慣れとか才能とかあるけど、基本は誰でも同じように使うことができる」

 直接こんなものを見せられてしまえば、信じる信じないでない。

「こういうのをね、僕は集めているんだ。集めていると言っても、お金が欲しい人から買ったり、欲しい人に売ったりしているから、あれかな、道具専門の古物商ってところかな? 古道具屋が一番合っている気もするけど」

「そういう仕事なのか」

「そうそう、僕はね。だから道具を使うことにも慣れている。道具屋にして道具使い、そんなところかな。さてと、これはもういいね」

「そもそも、それ、どうやって作るんだ?」

「いい質問だね」

 明るく賀茂が言った。

「それ、誰かの真似?」

「冷静に言われると困るんだけど。専門に作る人間がいる。使う人間よりも遥かにレアだね。またいつ誰が作ったかはわからないけど長く伝わるものもあるし、自然発生的に生まれるという言い方しかできないものもある。付喪神ってわかる?」

「ああ、ええと、百年経った道具に神様が宿るとか」

 どこかでしゃもじが踊っている絵を見たことがある。だから、昔は長く使ったものを神様にしないためにわざと捨てていたとも聞く。

「そうそう、そういうのもあるね。というか、今回はたぶんそれに近い」

「だから神様?」

「それと関係があるかはわからない」

「一ノ瀬のは」

 おまじない用にシートを作っていた。

「あれはね、専門家じゃない人が作った簡単な、まあ、オモチャみたいなものだね。たまにすごいのができちゃうのが怖いところだけど、あれ自体は大した効果はないよ。せめて呪いを短期間増幅をするような、子どもの悪戯みたいなものだよ。問題の根っこじゃない」

「付喪神が、呪いを振りまいている?」

「状況がどうも掴めないけど、そうだと思う。振りまいているというか、道具を使っている人間がいるんだろうね。いや、使われているのかな」

「それに芹菜が巻き込まれた?」

 少し間があって、その質問には答えず、賀茂が指を立てる。

「問題を整理しよう。目下の目標は、芹菜ちゃんを探すこと、それから、その神様になった道具を探すこと、かな。どちらかに当たればもう一つにも当たるかもしれないし」

「その道具を見つけたら?」

「破壊する、と言いたいところだけど、そこまでの効果があるなら、僕がほしいなあ」

 呪いをまくようなものを欲しがる人間がいるのだろうか。賀茂が言うなら、たぶんどこかにそういう物好きはいるのだろう。

「その、もしかして、『砂』って」

 失踪していた女子生徒が飲んでいたという、おまじないに必須なもの。

「うーん、『砂』かあ、どうだろうなあ。何か関係しているような気はするんだよね」

 なんだかはぐらかしているみたいな感じで賀茂が言う。

「それを配っている人間がいる」

 一ノ瀬の話を信じるのならそういう人間がいることになる。

「まあ、それはおいおいということで、方針が決定してよかったね」

「それから」

 うんうんと頷く賀茂に、優斗が口を挟む。

「なに?」

 賀茂が首をぐるんと回した。

「さっき言っていた『混血』っていうのは?」

 賀茂が一ノ瀬に向かって言っていた言葉だ。

 一ノ瀬が混血だということだ。

「それ、話さないといけないやつ?」

「知り、たい」

「単なる好奇心、て感じだね。道具の説明よりも遥かにオススメしない話なんだけど。そういうのはやめておいた方がいいかな」

 賀茂がこれみよがしにわざとらしく肩をすくめた。

「でも。それが今回のに関係するなら」

「うーん、関係かあ、するかもしれないところがあれなんだよね」

「それなら、知っておくべきなんじゃないの」

「月村っていう人に会いに行くつもりなんだよね?」

「うん」

「うーん、それじゃあ話さないといけないのかあ」

 首を捻りながら、賀茂は渋っているようだ。

「でも、今ある問題に集中した方がいい気もするしなあ」

「いいから」

「まあ、ざっくり言うか」

 賀茂は懇願する優斗に諦めたようだ。

「この世には、おおむね適当に分けて、三種類の存在がある。まず純粋な人間、そして人間ではないもの、最後にその中間のもの」

「人間ではない?」

「うーん、まあ、世間的には妖怪とか精霊とか化け物とか、そういうもの。『こちら側』的には、『異種』と呼んでいることが多いね」

 こちら側はどこにあるのか、という気もしたが、奇妙な道具を扱うような側なんだろうと納得することにした。

「信じる?」

「前なら信じないけど」

 こんな荒唐無稽な話、フィクションでしかみない。

 賀茂の道具や一ノ瀬の能力を見るまでは、だ。

「まあ、それが妥当な反応だよね。それで、異種っていうのは大抵人間とは違う、特殊な能力を持っているものなんだけど、それが人間と交わっても、ある程度は能力を引き継ぐんだ。それが混血、まさに超能力とかいうやつさ」

「一ノ瀬が?」

 彼は見る限り人間のように見える。

「そう、彼の能力、僕が勝手に『ミスディレクション』と名付けたけど、あれは言葉を介して、相手の思考や判断を歪めているんだろうね。それとなく話を逸らして自分の思う行動をさせる、その強化版みたいなやつだ。ただ、起動は瞳を見ること。だからタイプ的には魔眼と呼ばれるものに近い。まあ、こっちの世界ではメジャーだよ。それに君は引っかかっていたわけ」

「あんたは。その眼鏡?」

「よく覚えていたね、『奇妙な遠眼鏡』という道具のレンズを使っている。度は入っていないよ」

 黒縁の眼鏡を外し、優斗に渡す。優斗がそれをかけた。確かに度は入っていなく、見え方は変わらない。

「一ノ瀬君みたいな、視界や空間を通して精神的な、思考を左右してくるタイプの能力や道具に対して抵抗力を持つことができる。こういう商売をしている以上、そういうことがままあるからね。これは結構貴重な道具なんだ」

「……なんか、気持ち悪くなってきた」

 度が入っていないから視界は変わらないはずなのに、頭痛がしてきた。若干の吐き気もする。頭が絞られてくる。

 それを聞いた賀茂が笑顔で返した。

「そうだろう、それ、かけていると頭痛がして、しまいには気が狂ってしまうと言われている。発狂耐性が下がるというか、そういうデメリットがある道具も中にはあるんだ」

 何を嬉しそうにしているのだろう。

「いや、あんたずっとかけているじゃん」

 出会ってから一度も眼鏡を外した顔を優斗は見ていない。短時間であれだけの痛みが来るのだから、常時つけている賀茂はなぜ大丈夫なのか。

「慣れの問題かな。それとももう狂っているから平気なのかも知れない」

「後者でないといいけれど」

 眼鏡を外して賀茂に返す。賀茂はそれを当然のようにかけた。

「そうだね、まあ、違いはないよ。ええと、何の話をしていたんだっけ」

「混血の」

「ああ、そうだった。一ノ瀬君のように能力の発現する混血はそんなに多くない。別に混血自体はすぐに危険だなんてことはないのさ。混血自体は実は珍しくなくて、日本だとそうだな、三割くらいが混血だと言われているんだ」

「そんなに?」

「まあ、その中で、血が濃かったり、隔世遺伝だったり、そういうので、人間とは異なった能力を使える者が出てくる。それが彼だね」

「それはどうやって」

「わかるのかというと、調べる方法がないこともないらしいけど、僕はそっちにはあまりタッチしていないからよくわからない。だから、君がどうなのかもわからないよ」

「そうか」

 物の見事に考えを見透かされてしまった。

「この話をすると、大体自分がどっちなのか、気になるよね」

「あんたは?」

「ん?」

「あんたはどっちなんだ? それは知っているんだろう?」

「さあ、どうだろう」

 笑顔でかわされてしまう。

「さて、と。明日は月村家に行こう」

「その月村っていうのも、混血なのか?」

「いや、まあ、それはまた別の話」

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