第六章「銀河鉄道のチケット」5
「終わった、のか?」
腰が抜けたのか、立てないまま優斗が言った。それを聞いてくれる人は誰もいない。芹菜は自分と同じく蘚の影響を受けているか確認すべきだろうか。それとも、と、身体を捻って背後にうつ伏せに倒れている賀茂を見た。
飛び降りてどうなったのかわからない加耶とは違う。
目の前で、確かに賀茂は心臓を貫かれてこと途切れた。
「……なんだよ」
言いたいことがいくつかあったが、出せる言葉は一つしかなかった。
「ありがとう」
小さな声で優斗が言う。
そういえば、賀茂には恋人がいると言っていた。
どう言えばいいのだろうか、それも自分の仕事だろうか。
静かな森に囲まれた神社の中で優斗がそう考えていると、道路の方から音がした。
今人に見つかるのはマズい、どう捉えられるかわからない。
動かない腰をなんとかしようと思ったところで、道路から呑気な声が聞こえた。
「やあやあ、何とかなってよかったねえ」
その声は紛れもなく賀茂のものだった。
「ええ?」
賀茂が手を振りながらこちらに近づいてくる。
「よかったよかった。僕も初めてみたよ、あれは壮大だったねえ」
歩いている賀茂が、倒れている賀茂を横切った、
「これは返してもらうよ」
賀茂が優斗がかけていた自分の黒眼鏡を取ってかける。
「ああ、少しヒビが入っているじゃないか。すぐ直さないと」
レンズを撫でながら賀茂が言う。
「それじゃあ、と」
倒れている方の賀茂を担いで、車の後部座席に押し込んでいる。
「……どうなっているんだ?」
手についた汚れを払いながら、再び賀茂がやってきた。
「ん? どうかした?」
とぼけて賀茂が首を傾げる。
「いや、その、説明してくれ」
「どっちから?」
「いや、どっちでもいい」
優斗が首を振る。
「まず、君が使ったのは『銀河鉄道のチケット』という」
「ああ」
優斗があのとき想像した通り、あの蒸気機関車は銀河鉄道を模倣しているのだ。
「晴れた夜に半券をちぎって所有しているものをああしてどこかに連れ去ってしまう」
「どこか?」
優斗の疑問に賀茂は肩をすくめた。
「さあ、南十字星とかじゃないかな?」
賀茂の言葉は優斗には冗談かどうかもわからなかった。
「だからすぐに離せって言ったのか」
「そういうこと。君が連れ去られちゃったら意味がないからね」
「それで」
優斗が喋っている方の賀茂を指さす。
「瑛桜のときに説明したろ? 人間型の道具だってあるんだ」
「人形?」
「『人形遣いの鏡像』という道具だ。まるで自分かのように操作ができる。本人が眠っている間だけだから、僕は睡眠薬を飲ませてもらったけどね」
これが車の運転中だったらどうするつもりだったのだろう。
後部座席にあった大きなトランクケースケース。あれの中身はこれだったのだ。
「いつから?」
「君が芹菜ちゃんの家に入っている間に起動準備させて、僕自身は帰らせてもらった」
「そんな道具も、っていうか、姿まで変えられるのか?」
優斗は賀茂とは何日かしか一緒にいないが、見た目は変わらなかったし、今見比べても違いがわからない。
「ああ、これはね、特注だから完全オーダーメイドの僕仕様。作り手がはっきりしている道具だね。ただ、これは一朝一夕で使えるようにはならないよ。かなりの練習が必要だ。その上で道具まで使おうとするのなら、さらに難しくなる。まあ、それでも道具の出力は半分くらいに落ちるけどね」
賀茂は半分の出力で戦おうとしていたのだ。
というより、あの動きをして半分程度の力だったのか。
いまさらながら賀茂の正体が気になったが、たぶん聞かれても教えてくれないだろうことはわかった。
「ズルい」
「当たり前じゃないか、僕だって死にたいわけじゃないんだ。このくらいの保険はかけているさ。自分の命を最優先させてもらってもいいだろう」
それには返す言葉がなかった。
「そうはいってもね、この人形はすべての感覚をフィードバックしてくれるくらい高性能なんだ。それこそ痛みは夢の中で味わっているし、現実にも影響が出る」
賀茂が手袋を外してみせる。両手には傷痕のようなものが多数見えた。右手は火傷をしているようだ。
身代わり人形もノーリスクではないらしい。
「いやあ、それにしても久しぶりに死んだなあ。寿命がどれだけ縮んだかわからないよ」
やはり呑気に賀茂が言う。
「俺は死んだんだぞ」
「それも含めて、よかったじゃないか。死にそうになることはあっても、本当に死ぬことなんてないよ」
「そりゃ、そうだけど」
要らない経験ではないか、という言葉は飲み込む。
「まあ、鏡像が破壊されてそれでも決着がつかなかったら、僕自身が出てくることもやぶさかではなかったけど、近場で良かったね」
賀茂が車の辺りを指した。そこには小型のバイクがあった。人形が破壊されたあと、バイクに乗って駆けつけた、というわけだ。
優斗はもう一声悪態をつきたかったが、結果的に解決したし、助けられたのは事実なので何も言えなかった。
「ああ、これは、大変だ」
賀茂がだらりと垂れ下がっている優斗の左腕を見た。
「もう、ダメなのか?」
その言い方が深刻そうに感じたので、優斗が聞く。神様にやられた左腕が二度と使い物にならないくらいは、必要な犠牲として受け止めるべきなのかもしれない。
「うーん、まあ、一週間くらいは動かないだろうけど、気力が戻ってくれば大丈夫。一応これを寝る前に握っておくといい」
賀茂が宝石がなくなったペンダントを拾って渡した。
「多少の手助けにはなる」
「『砂』みたいのじゃないだろうな」
「はは、冗談が言えるようなら大丈夫大丈夫。さて」
賀茂が尻餅をついている優斗に手を差し伸べる。
「全部、終わったのか?」
「そうだね、そうとも言える。見事だ」
あの光はどこにもない。賀茂の言う通り、『神様』は列車に連れ去られ、消滅してしまったのだろう。
「あんなのがあるなら、最初から使ってくれよ」
優斗のぼやきに賀茂がわざとらしく肩をすくめた。
「そう言わないでほしいな。あれはあれでタイミングが大事だし、何より、使い切りだからここぞという時にしか使えないんだ。実体を持ち始めたのが功を奏したね、あれは基本『魂』だけを連れ去るものだから」
「そうか。それで」
優斗が倒れたままの芹菜を見た。彼女は賀茂に吹き飛ばされた時と同じうつ伏せのままだった。
「ちょっと待ってくれ」
賀茂が歩いて芹菜の元へまで行く。
芹菜の胸に手を当てて、鼓動を確認しているようだ。
すぐに賀茂が優斗のところへと戻ってくる。
「良い知らせと、とても良い知らせがある」
海外映画のような言い方を改変して少し笑顔で賀茂が言った。
「なんだよそれ」
「まず一つ、彼女は生きている人間の呼吸がする。君と一緒で大丈夫だ」
「そうか。それは」
「どっちの知らせにしてもいい。次の知らせと自由に比較してほしい」
「それで」
「どうやら、彼女の血の傾倒はリセットされているらしい」
「なんだって?」
「つまりね、ここ数日の彼女の行いが、全部なかったことになったんだ」
「そんなことがわかるのか?」
「まあ、その点では専門家だからね、気配をきちんと捉えればわかるよ」
「そうか、それは信じていいんだな?」
「ああ、まさか蘚にそんな効果があったなんてね」
瓶の中身である蘚のおかげで、優斗は命拾いをした。というより、完全に捨てた命が復活したのだ。そのついでに、といったらいいのか、混血へと傾倒していた彼女が人間に戻っていたらしい。
「これは、ちょっと驚異だな。使節が千年かけて見つからなかった答えがここにあるのかもしれない。要するに、一回殺して心臓を修復させればいいってことなのか。もちろん、程度によるんだろうけど」
賀茂が一人で何度も頷いている。
「すごいのか?」
「いや、これはすごいどころの話じゃない。場合によっては世界がひっくり返るような発見だ」
「蘚を量産すれば?」
「いや、あれは偶然できたものらしいし、でも似たような効果のある道具なら、あるいは。魔術で入れ替えることができる? 混血で実験する人間がほとんどいなかったってことなのか? うーん、これは僕の課題として、調査してみよう。使節に売り込みをかけるか?」
ぶつぶつと独り言を言っていた。
「あれがなかったらどうするつもりだったんだよ」
今回はたまたま蘚が本当に偶然にも優斗と芹菜に対して機能しただけだ。
「いや、ほら、まあ、うーん、結果オーライだったからいいじゃないか」
「マジか」
笑顔で誤魔化した賀茂に、優斗は心底落胆する。
「もうちょっと信じていたよ、あんたのこと」
「昨日今日会った人間をそこまで信用しちゃいけないよ」
人差し指で賀茂が優斗を指した。
「とりあえず、芹菜は大丈夫か」
「うん、君よりは時間がかかるかもしれないけど、すぐに意識を取り戻す、と思う」
「わかった」
自分も生きていて、芹菜も生きている。
事件は解決したんだ、と思うと膝の力がすっと抜けそうになるが、そこをなんとかこらえて踏ん張る。
だけど。
「願いは、叶えられない、か」
「そうだね、それはそうだ」
古木の発動条件である大切なものの死。優斗は犠牲にならなかった。だから、芹菜が望んでいた家庭問題は何も解決しなかった。
振り出しに戻っただけ。
すべてが無駄に終わったのだ。
それに、まだ残っていることがあった。
「あんたにお願いがある。そんなことを言える義理じゃないのはわかっているんだけど」
「ああ、まあ、そうだね、君の願い、なんとなくわかっているよ」
「そうか、方法が」
「ある」
賀茂が、置いてある鞄の方へと確かな足取りで向かう。鞄の中に手を入れてガサゴソと何かを探している。
「あったあった」
賀茂が優斗のところへと戻ってきた。
右手を広げてそれを見せる。
「それは?」
「これは、『レーテー川の水』という」
手の中にあったのは、小さなカプセルだった。縦長のカプセルは、青い色をしている。その辺の薬局で処方してもらえる薬と言われてしまえばそのように見える。しかし、賀茂が言うからには、普通ではない効果を持っているのだろう。
「それを飲ませれば」
「そうだね、彼女の『記憶』は消える」
「そうか」
加耶が古木の願いを使い桂花の魔術に関する記憶を消したように、賀茂の持つ道具の中にも似たようなことができるものがあるのではないかと思っていたのだ。その予感は的中した。まるで、こうなることがわかっていたみたいだ。
「それを、くれ」
「はい」
あっさりと躊躇う様子もなく、優斗が伸ばした手の上に、賀茂がカプセルを置く。重さを感じないそれは、妙にひんやりしているようにも感じた。
「眠っているときにしか使えないから、他人が飲ませるしかないんだ。その水は、『直近に起こった本人にとって嫌な記憶』を消すことができる。つまり」
「嫌な記憶に決まっているさ」
嫌だと思っていなければ、この記憶は消えない、ということだ。
「芹菜は、後悔していた。こんなことをしても意味がないってこと、しちゃいけないんだってこと、本当はわかっていたんだ。だけど」
彼女は桜の誘惑に負けたのだ。
そうだろう、そうであってほしい。
「そうだね、そうだといいけれど。たとえそうだとして芹菜ちゃんが身勝手だったことにはかわりはないけど」
トゲのある言葉を賀茂はさもそれが当然であるかのように言った。
「なんだって?」
「いや、そのままの意味、でも僕は怒っているわけじゃないよ。君たちくらいの年の頃は、元々身勝手だし、身勝手でいいんだよ、そういうのを見守って、ときには手を貸し、修正し、成長を見守るのが大人ってことさ」
「それがあんたってわけか」
「今回に限って言えばね」
賀茂は微笑みながら首を傾げる。
カプセルを受け取った優斗は、ゆっくりと芹菜の方へと向かった。そばで膝をついて、まずは芹菜を仰向けにする。
「良かった、生きてる」
呼吸は微かだが、心臓は動いているようだ。
「優斗、優斗、ごめんね」
彼女がか細い声で言った。優斗がそこにいるかどうか、はっきりと意識があって気が付いているわけではなさそうだった。
「どうすれば?」
「なに、そのまま喉の奥に押し込むだけさ」
賀茂のアドバイス通り、芹菜の顎を左手で掴み、口を開けさせる。
それから、カプセルを持った右手を口の中に入れ、喉の奥に置いた。
芹菜の身体がビクンと一度跳ねて、カプセルは胃に向かっていった。
「それで?」
「それで、終わりだよ」
「そうか、良かった。これでいいんだ」
自分に言い聞かせるように、優斗が芹菜に向かって言った。
「どこまで忘れる?」
「それは、正直わからない。たぶん、ここ一週間くらいの行動のことはまとめて消えるんじゃないかな。それとなく、『現実っぽい』記憶で埋め尽くされる」
「それじゃ、家に送らないと」
芹菜をいつまでも土の上に置いておくわけにはいかないので、優斗が抱きかかえる。持ち上げた芹菜は、想像していたよりもずっと軽い身体だった。自分でさえ意識していなかった、芹菜はただの女の子だったのだ。
「車は開いているよ。バイクはそのうち回収するさ」
「わかった」
賀茂が開けてくれていた後部座席に、壊れた賀茂の人形を更に奥に押し込んだうえで芹菜を寝かせる。
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