第六章「銀河鉄道のチケット」4

「おい!」

 優斗が叫んだが、力の抜けた賀茂は反応しなかった。

「仕方、ないのか」

 神様の方を見る。

 芹菜の姿をした神様は、虚ろな表情で二人を見ていた。

 とにかく、賀茂に言われたことだけをする。

 こういったものに対して対処方法がわからない優斗では、素直に従うしかない。距離は二十メートル以上ある。あの攻撃とも取れない動きを避けながら、神様に触れる距離まで行かなければいけない。

 タイミングを推し量る。

「借りる」

 優斗は立ち上がる前に、置かれていた黒眼鏡を自分の顔にかけた。かけた瞬間に頭を殴られるような痛みが走った。

『奇妙な遠眼鏡のレンズ』と賀茂が言っていた。

 本当に効果があるのかはわからない。ただ、一ノ瀬の能力に対抗できたのは事実らしい。かけ続けると発狂するというこのレンズがかけられた眼鏡は、引き換えにある程度の精神的な攻撃を防げるはずだ。

 眼鏡をかけた優斗が再び神様を見ながら、立ち上がる。

 度が入っていないレンズなのに、神様の姿がやけにはっきりと見える気がした。それも眼鏡の効果かもしれない。

 すうっと大きく息を吸う。

 ミスリルナイフを右手に構え、左手には栞を持つ。

 賀茂から受け取った小瓶を開け、中に入っている水をナイフにかける。

 神様の攻撃は単調で、特別な動きをしているわけではない。

 だから、きちんと見ていれば避けることはできるはずだ。

 ただ、それを避けられなければそれで終わり。

 いまさら愚痴を言う暇もない。

 まずは、近づく方法を考えないといけない。

 優斗が攻撃用に持っているのはナイフと賀茂に託された謎の栞だけだ。遠距離で何かできるわけではない。相手は神様だ。地面に落ちている石を投げたところでどうにかなるわけでもないだろう。

 トントン、と地面を蹴ってリズムを取る。

 距離を取りつつ、あの手から発せられる粒子を避ける。

 そのあと、一瞬動きが停止することはわかっている。その隙を狙うしかない。

「きた」

 神様が緩慢な動きで右手を横一線に振った。

 高さは鼻の辺りだ。

 膝を曲げてその攻撃を難なく避ける。

 予測通り、払った右手が止まっている。

 神様に向かって走り、栞を埋め込むタイミングを計る。

「チッ」

 思っていたよりも右手の戻りが速く、それに触れそうになってしまう。身体を仰け反らせ、右手を避ける。その動きの流れで、ナイフで神様の右腕を下から切り上げる。

 芹菜にうり二つの神様を切る一瞬だけ目を閉じてしまう。

「ああああああ」

 神様が叫んだ。

 芹菜と同じ声に耳を塞ぎたくなるが、別物だと強く想い、両手を上げるのを止める。

 足音も立てず、神様はよろけた。

 優斗は後ろに跳ねて距離を取り直す。

 効いている。

 なんだ、いけるじゃないか。

 賀茂はこれを繰り返して神様を倒そうとしていた。

 大丈夫だ。

 落ち着いてやれば倒せる。

 冷静になれさえすれば、対処できる。

 同じようにやればいい。

 眼鏡をかけたおかげか、気分だけでも賀茂に近づいたような気もした。

 神様が腕を振る。

 来るとわかっていれば、もう避けるのは難しくない。

 飛んでくる粒子を前に屈んで避け、神様に向かって走る。

 左手で栞をねじ込める距離まで到達する。

 いける。

 神様の左脇に回り込んだところで、神様が左腕を振り下ろした。

「しまっ」

 言い切る前に左手に激痛が走った。

 広範囲に麻痺したような痛さだ。

 芹菜の熱とも違う。

「あの程度で」

 ほんの少し神様の指先が擦っただけだ。

 ただ、左腕が動かない。まったく力が入らなくなってしまった。

 だらりと垂れたままの左腕の先を見る。賀茂に渡された栞はまだ掴んでいた。

 もうダメになったのか、と諦めた。

 死ぬよりはまだマシだ。ナイフを持ったままの右手に栞を移す。

 右方向に走って再び距離を取る。

 神様の方を向き直す。

 すぐに追いかけてくるわけではないらしいが、それも時間の問題だ。

 ぼやけた光だったものはますますはっきりとした人間の形を取っていた。芹菜とそっくりで、無表情な神様が、優斗を見た。

 不快だった。

 神様が、口を開けた。

 ぱくぱくと口を開け閉じする。

「なんだ?」

 何か発しようとしているのだ。

「ゆ」

 小さいがはっきりと芹菜と同じ声が聞こえた。

「ゆ、う、と」

 神様は、優斗の名前を呼んだ。

「僕を呼ぶな!」

「ゆ、う、と」

「呼ぶなって言っているだろ!」

 芹菜の顔をした神様が繰り返す。

「た、す、けて」

「嘘をつくな!」

 発した言葉は神様の意思ではないだろう。ただ芹菜が直前に言ったことを模倣しているに過ぎない。

「たす、け」

 それを繰り返しているだけに違いない。

「黙れ!」

 少しだけ、神様が微笑んだ気がした。その顔は、芹菜の笑みともまた違う、寒気のするものだった。

「なら、し、んで」

 神様が右手を横に振った。

 横一直線に右手から発せられた粒子の流れが見える。頭を伏せ、すれすれでそれをかわす。

 このあと、一瞬だけ動きが止まる。

 行くなら今しかない。

 誰にも助けてもらえない。

 自分が行くしかない。

「どおりゃあああああ」

 威勢よく、というよりも、決死の意思を見失わないように駆け出す。

 できることはこれで最後だ。

 右手に持ったナイフを神様に向かって投げつける。それで栞を落としそうになるが、なんとか持ちこたえる。ナイフは回転しながら神様にぶつかった。先端が刺さったというよりは、ナイフはそのまま水に落ちたように、神様の身体に吸収されていく。

「あ。がががが」

 神様がしゃがれた無機質な声を出した。

 痛みを感じているのか。

 特殊なナイフだと聞かされているから、それが役に立ったのだろうか。

 神様がナイフを取り出そうと自身の手を胸に沈め、まさぐっている。

 こちらから注意が逸れている。

 意思と勢いをなくさないように、神様に接近していく。

 どうすれば栞の半券を破ることができるか考えた優斗は、栞を口でくわえることにした。呼吸がしにくくなるが、どうせここが最後のチャンスなのだ、と口をしっかりと閉じる。

 あと一歩、というところで神様が内部のナイフを探り当てた。半透明の姿だからそれが優斗にもわかった。ナイフをむしり取るように乱暴に掴むと、手を振った。

 ナイフと粒子が一緒になって優斗に向かってきた。

 すんでのところで腰を屈める。頭の上をナイフを飛んでいった。そのまま優斗は前のめりに倒れそうになる。感触のない、どうなっているのかわからない左手で地面をタッチした。左肩にこれまで感じたことのない痛みが伝わる。折れているのか、焦げて感覚が奪われているのか、それもわからなかった。

 顔を上げて真っ直ぐに神様を見据える。

 無表情の神様は、たじろぐ様子も驚く様子もない。

 両足に力を入れて、全身を前に飛ばす気持ちで

 口にくわえた紙の端を右手で掴み、強引に切り取る。

 神様はまだ腕を振れていない。

 頭が神様にぶつかりそうになるが、賀茂の指示通り、神様に頭が触れないように、右手を突き出す。

「頼む!」

 紙をくわえつつも思わず声に出す。

 頼む。

 お願いだ。

 助けてほしい。

 うまくいってほしい。

 でも、誰に願えばいい?

 最初に浮かんだ言葉を全否定する。

 神様。

「お前なんかに、祈るかよおおおお!」

 そのまま右手で半券を神様の左胸に押し込んだ。

 ぐにゅり、という嫌な感触があった。

 生温かい粘性の高い神様の身体に手が沈み込んでいく。

 貫通するほど腕がめり込んでいったが、どこまで吸い込まれていくようだった。

 このままだと取り込まれる。

 何をされているのかわかっていないのか、神様は人形のように首を下に曲げて優斗を見た。

 芹菜の顔をした神様が優斗を見下ろす。

「あ、あああああ」

 神様の口から声にならない音が漏れた。

 左手を広げて、優斗の頭を掴もうとする。

 優斗は勢いが前につきすぎて、すぐに後ろに力を入れて離脱することができない。

「おおおおおおおおお」

 神様が妙な声で叫びだした。

「ぐわっ」

 粗い粒子が神様の全身から溢れ出た。その粒子を浴びた優斗が、爆風のような煽りを受けて後ろに吹き飛んだ。

 地面にゴロゴロと転がり、全身を打ち据えた。

 感触がなくなっている左腕以外のすべてが痛むが、どうやら死んではいないらしい。

「がはっ」

 景色が歪んで、頭の内部がねじ切れるような痛みで優斗は思わずその場に嘔吐してしまう。頭に粒子を浴びたせいなのか、賀茂の眼鏡のせいなのかはわからない。

 顔を起こし、神様を見る。

 神様は鼓膜を破きそうな大きな声で叫び続けている。

 身体に入った異物を取り除こうと右手を胸の中に入れて、ナイフのときと同じように内部をかき回している。

「はあ、はあ、で、どうなるんだよ」

 これからどうなるのか、優斗は賀茂から聞かされていない。

 ただ、切り札だということだけを知っている。

 神様から距離を取ろうと地面に手をつけたとき、不意にガサリと触れたものがあった。吐瀉物の中に口にくわえていた栞の半券があったのだ。それをまだかろうじて動く右手で掴んで後ずさりをする。

 神様はもだえているが、身体から半券を見つけてしまったらまた引き抜かれてしまうかもしれない。そうしたら、もうどうしていいかわからない。

 そのときだった。

 右手の中でぼんやりと光るものがあった。掴んでいた栞の片割れが発光しているのだ。光は暗い青色で、ところどころ赤や白の点で光るところもあった。

 これは。

 神様に注意を向けるのも忘れて、優斗はその光る紙を見る。

 その紙は、まるで夜空の星座を映しているかのようだった。

「う、ぐぐぐぐぐ」

 神様が苦しそうなうめき声を上げたのに気が付き、そちらに目を向ける。

 ぐちゃぐちゃに胴体をかき回しているが、半券を捕まえることはできないらしい。

「うううう」

 そのうち神様が膝をついて、下を見ながらか細い声で声を漏らす。優斗にはそれが泣いているように聞こえた。

 哀れな声だ、と思う心を打ち消す。

 このまま、消滅してくれればいい。

 優斗がそう願ってすぐ、神様の声が止まった。

 何が起こるのか、優斗は待つしかない。

 音がなくなり静寂に包まれた。

 力なく両腕を垂らして下を向いていた神様が、ゆっくりと立ち上がった。

 神様は優斗の方を向き、確かに笑った。

 ここで、終わりだ。

 与えられたナイフもどこかに行ってしまった。賀茂のところまで行けば、ナイフを取ることができるだろうか。その時間もありそうにない。

 神様が、右手を肩の高さまで上げて、優斗に向けた。

 また胸を貫かれると覚悟したが、目を瞑るわけにはいかなかった。

 ゆったりとした動作で神様が腕を振ろうとしたところで、動きをピタリと止めた。

 神様はどこか呆けたような表情を見せて、空を見上げた。

 それにつられて優斗も空を見る。

 霧はすでに晴れていて、夜空には星と月が見えた。

 シュンシュン、シュンシュンと遠くで音が聞こえた。

 カタカタ、ガタガタという音もする。

 どちらも、遠くの空からだ。

 次第にその音は大きくなる。

 音の方向から豆粒ほどの大きさの何かが現れ、どんどん近づいてくる。

「は、はは」

 そしてやってきたものを見て優斗は笑うしかなかった。

 幻覚かどうかはもはや優斗にはわからない。

 自分がこの最後に幻として見てしまったものかもしれないとさえ思った。

 空の彼方からやってきたのは蒸気機関車だ。

 街にある科学館に同じようなのが置かれているのを見たことがある。それが、空からガタガタと音を鳴らしてやってくる。

 先頭に繋げられて、後ろには車両のようなものが上下に揺れながらついてきている。こんな光景をどこかのアニメで見たような気がする。

 栞を挟んでいた本を思い出す。

 宮沢賢治の銀河鉄道の夜だ。

 ということは、あれは銀河鉄道なのか。

 神様も蒸気機関車に見とれて優斗に攻撃するのを忘れてしまっているようだった。

 ついにそれは地面に到着した。

 神様の背後に一両目が並んだ。

「あ、ああ」

 何かしらの危険を察知したのか、神様が声を出して、まるで人間がそうするかのように、前に、優斗の方に駆けようとした。

 乗車口が開く。

「た、す」

 神様が助けを求める。

 しかし、もう遅かった。

 乗車口から無数の黒い手が伸びてきて、神様に絡みつく。神様はそれを振り払おうともがくが、振り払っても振り払っても新しい手が出てきて全身を掴んでいく。

 その手たちに引っ張られて、ずずず、と神様は乗車口へと引きずられていく。

 優斗が手が伸びている乗車口を見ると、そこには一つの大きな目がじっとこちらを見ていた。お前も乗せようかと聞いてきているみたいで、思わず首を横に振る。

「ゆ、う、と」

 乗車口に投げ入れられそうになっている神様が、優斗に懇願をする。

 もう一度、奥の大きな目を見る。

「……行ってくれ」

 優斗のその声を聞いたのか、目はゆっくりと一度瞬きをした。

 完全に神様を乗車口の中に放り込むと列車のドアがスライドして閉まった。

 そして、そのまま機関車は浮き、上空へと音を鳴らしながら去っていった。

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