第一章「蜘蛛の糸」

第一章「蜘蛛の糸」1

 七月。

 手の届くの範囲のことで誰かを幸せにしたい。

 そう思い始めたのはいつのことだったのだろうか、と優斗ゆうとは思った。強く意識をしていたのは中学生になってからだと思う。高尚な目的があったわけでもない、ただ、そうできるのならそうしよう、という漠然と抱え込んでいた意識が強くなった、というだけだ。

 周りの相談事に乗るようになった。

 相談事といっても、たとえば喧嘩をした二人の仲裁をしたり、ちょっとした捜し物を手伝ったり、大きくてもせいぜいが逃げ出した犬の捜索のためにビラを作ったり歩き回ったりするくらいだった。

 子供同士の困り事で、大人に言いにくいことを言うための場を提供した。

 抱えきれないものは抱えない、そう自分に言い聞かせていた。実際、これは警察に言った方がいいだろうというものはそう言って、そのアドバイスだけで終わらせることもあった。

 それでも周囲の評判は上々だった。

 とりあえず何かあったら最初に聞いてみよう、という立場になった。

 悪い気はしなかった。

 いいや、はっきり言ってもよいのであれば、良い気分がした。

 傲慢にならないようにと気をつけていたし、可能な限り中立でいようと心がけていたが、心のどこかでは、何かの裁定をする、特別な権利を得た気になったような気もしていた。

 ただこれも優斗だけでやっていたわけではない。

 相談は多岐に渡るし、相談者の性別も関係なかった。

 女子には女子の方が話しやすい。

 そのためにも芹菜せりながいた。

 どちらが言い出したかはもう覚えていない。いや、自分だっただろう、と優斗は思い返す。自分の手に余るものが増えてきて、知らず知らずのうちに二人一組で行動をするようになった。

 自分たちは今、街の中心から少し離れた公園にいて、芹菜は反対側のベンチに座っている。その横には同い年くらいの女子が座っていた。顔は見たことがないから、自分の中学校の人間ではないだろう。いつの間にか、その程度まで自分たちの存在が広がっていたのだ。

 芹菜が真面目な顔でうんうんと頷いている。

 そのたびに長い髪が揺れていた。

 最近かけるようになったメガネの位置を気にしているのか、時折右手でフレームをおさえている。

 芹菜は生まれたときから近所に住んでいる。簡単にいえば幼なじみだろう。親より一緒にいることが多かったかもしれない、お互いの家を行き来することも多かった。どちらの家も親が不在がちであったことから、二人でいれば子供一人でいるより多少は安全だろうということもあったと思う。

 芹菜がチラリとこちらを見た。

 こっちに来てもよい、という合図だろう。ただ、少し困惑をしているようにも見えた。長く一緒にいればそれくらいは伝わってくる。

 ベンチから腰を上げ、ゆっくりと芹菜と女子の方へと向かう。

「それで」

 両手が二人に触れるくらいの距離まで行ったところで優斗が言う。

「それが……」

 芹菜が少し言い淀んだ。

 代わりに横にいた女子が言う。スカートを自分の手で掴んでいる。

「私の、友達が、いなくなって」

「いなくなった?」

「そう、なの」

 そう言って一度上げた顔をまた下に向ける。

「行方不明ってことみたい」

 芹菜が補足をする。

「それは、僕たちの出番じゃない」

 その女子ではなく、芹菜に言い聞かせるように優斗が言った。

「警察に言うべきだよ」

 僕たちは僕たちが関われるものにだけしか対応しない。子供が一人行方不明になったとなれば、大人たちが大騒ぎするだろうし、行方不明届けを家族が出していれば警察も動いているだろう。フィクションの警察のように、名探偵に出し抜かれるほど日本の警察は無能ではないだろうし、そもそも僕たちは名探偵でもない。

「二日前からで、警察にはもう言っていて」

 不安そうな声で女子が言った。友達が一人いなくなるなんて滅多にあることじゃない、そういう顔をするのも当然だ。警察に言っているのも間違いではない。

「でも」

「藁にもすがる思いで?」

 優斗が彼女に聞く。

 こくん、と頷いた。

「警察以上のことはできないと思うけど」

 こういうときははっきりと言っておいた方がいいだろう。大人たちが把握できないようなところにいることを、僕たち子供が見つけることができるとでもいうのだろうか。

「わかってるんだけど」

「ね、さっきの話」

 芹菜が彼女に言葉を促した。

「うん、ううん、ええと」

「何?」

「私たち、最近新しい遊びをするようになって」

「へえ、どんな?」

 彼女がカバンから四つ折りされた紙を取り出した。丁寧に折られているそれは、広げてみるとA4の大きさで、普段使うノートよりは厚い紙だった。

 優斗が紙を受け取る。

 その紙をみて、優斗は一瞬ぎょっとする。

 紙にはひらがなが整列していた。印刷したような、というよりも子供が自由帳に書いたような文字で書かれていた。ただ、文字の大きさは統一されているようだった。おそらく五十音が書かれているだろう、ということだけがわかる。おそらく、というのが、一般的なあかさたなの並びではなかったからだ。いろは順でもない。規則がありそうで、完全なランダムにも見える。

 その紙を持っていると、胃の中がムカムカしてくる。その紙から発生される負の印象が口から鼻から吸い込んでいるかのようだった。

「これは?」

 芹菜がそれをのぞき込んで言う。

「こっくりさんみたい」

「ああ、『こっくりさん』ね」

 昔からある降霊術とか、そういうものの類いだ。ひらがなが書かれた紙の上に十円玉を置いて参加者が指を置き、質問をすると勝手にコインが動いて答えを教えてくれる、というものだ。

「うん、そうなの、こっくりさんみたいな」

 文字の配列があさかたなでないだけで、見た目は確かにこっくりさんだ。

「それで、これが?」

「最近、これが流行っていて、彼女もやっていて」

「それだけ?」

「……うん。でも彼女は、結構熱中していて、あんまり、周りもそういうのやらなくなったんだけど、彼女は他にやってくれる人を探していたみたい」

「どうしてだろう?」

「彼女は、『呪われていたから』っていうのがみんなの認識で、彼女もなんか毎日疲れているみたいな感じで」

「『呪い』?」

「うん、なんか、この紙の指示に従わなかったからって、呪われてしまったんだって。どういう呪いかは知らないし、知っている人も誰もいなかった」

「お帰りください、みたいのは?」

 こっくりさんだったら、最後に「おかえりください」みたいな問いかけをして「はい」になるまで続けるらしい。やったことはないけれど、知識としてそういうものらしいというのは聞いている。

「うん、その、こっくりさんと同じ、ちゃんと終わりに「はい」になれば終わりだ」

「君がやったとき、「はい」以外になったことは?」

「ううん、なかった。だって、どうせ誰かが動かしているんだろうと思っていたから、みんなが飽きれば終わるんだろうって」

「そう」

「それで、彼女がいなくなったとき、学校の机の中にこれが入ったままで」

「それは警察には?」

 彼女は首を横に振る。

「だって、意味ないと思ったし」

 まあ、それはそうだろう。

 行方不明になった少女がこっくりさんみたいなオカルトの紙を持っていた、それだけだ。

「芹菜はどう思う?」

「優斗と同じだと思う。私たちが何かできることはないと思う」

 優斗は全くの同意見だった。

「これ、一人でできるもの?」

 相談をしてきた少女に聞く。

「ううん、二人以上じゃないと、でも四人までって私は聞いていた」

「なるほど。ところで、これはなんて呼ばれていたの? こっくりさん、みたいな名前が付いていたの?」

 彼女が言いにくそうに口を少し締めてから言った。

「『神様』、私たちはただ『神様』って言っていた」

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