第六章「銀河鉄道のチケット」
第六章「銀河鉄道のチケット」1
「まいったな」
時刻は夜十時過ぎ。
北海道の南西に位置する、地方都市。
街の外れにある標高の高くない山の、その中腹にある神社に彼はいた。神社にいるには似つかわしくないスーツを着て、丁寧にネクタイまでしていた。黒縁の眼鏡を直したあと、整えられているのか適当なのかもわからない髪を掻く。街で見かければ新入社員に見えなくもない。安穏とした表情は、言葉とは裏腹に緊張を感じさせなかった。
神社だから遊具があるわけでもない、本殿と社務所のほかは、座れるベンチと、今諸事情で水がとめどなく出っぱなしの蛇口と、あとはただの砂利の敷き詰められた広場があるだけだった。
そこに彼は、独りで立っていた。
生きているものの中では、である。
「本当は逃げたいんだけど」
ちらりと、左を見る。
水道近くの地面に折り重なった二つの人影。
男の子の上に、女の子が覆いかぶさるように倒れている。
彼らはもう呼吸をしていない。
心臓だって、動いていない。
保証できるだけの根拠が彼にはあった。
「中学生相手に大見栄切っちゃったし、そういうわけにもいかないよね」
溜息でもつきそうな顔で、正面に向き直す。
二十メートルは先にある何か。
自身がほのかに発光しているのか、照明がない隙間のエリアにも関わらず、それを見ることができた。それが彼にしか見えなかったものだとしても、ここには彼しかいないのだから、確かめようはなかった。
姿形は、少女にも見えた。
パーカーとスカートを着て、所在なさげに揺れている。
比喩ではなく、地面から足を離して、完全に浮いた状態で揺れている。
それは生き物でもなかった。
彼によるところの、『現象』だ。
それが、彼の目には少女に見えたのは、単に、心臓を貫かれて倒れている女の子の姿をコピーしているからだった。
まだそれは、敵意を発してはいない。そもそも、敵意や殺意はそれには必要ないのかもしれない。今や『現象』に成り上がってしまったそれは、存在するだけで異例なのだ。
「じゃあ、まあ、仕方ない」
眼鏡を外して、ベンチにそっと置く。
その上で、コンタクトレンズを外した。
ケースに入れるわけにもいかないので、眼鏡と同じくベンチに置く。
「やるしかないか」
彼は、諦めた。
本来の彼の瞳の色である、青白い瞳を数度瞬かせる。カラーコンタクトを外したから、何かが変わるわけでもない。運動能力が格段に上昇するとか、超能力が使えるとか、そういうものもない。それでも、彼は、フィルターを通したくなかった。
「今日は下駄も履かせてないのに」
彼はスーツの右ポケットから黒い革手袋を取り出し両手に嵌めた。素手の方が感覚が掴みやすいが、今は両手とも焦げてしまっているので、防御力を優先させることにした。
彼にとって、こういう機会も一度や二度ではない。
それに首を突っ込まざるをえないのも、彼の仕事のうちだ。
「さて、すぐに使えるのはこれくらいかな」
内ポケットから、小さな箱を取り出す。
中身をぞんざいに取り出し、空箱を脇にあったゴミ箱に投げ捨てる。
夜間照明の下で、二つのものがきらきらと輝いた。
「『蜘蛛の糸』に『佐助の針』か。」
傍目に見れば、ソーイングセットから出したようにしか思えない針と糸だ。
その針に手慣れた手つきで糸を通す。
「針は一本、糸は二十メートル。これは結構ぎりぎりかな」
糸の先端を、右人差し指に緩く結ぶ。きつく縛っても意味はない。たとえ一回りさせただけであっても、この糸が離れることはない。
そして、針から五十センチくらいのところを摘み、縦に回す。遠心力のため、糸が張り詰められたところで、針は円運動をする。その辺の針と糸がそうするように。
「こんなもんかな」
ぴたりと、おざなりに彼が手を止める。
しばらく力が残っている間、針は回転を続けようとして、そしてすぐに重力に引かれてだらりと垂れ下がる。
普通ならば。
しかし、彼から伸びた針はそうならなかった。
彼の手の位置よりも高く、浮遊したままだ。
するすると残りの糸からも手を離す。糸の大部分が地面についてしまっているとしても、やはり、変わらず針はその高さをキープしていた。
「ノーミスは、無理だろうな」
彼は、意図を持って、針を動かす。そうであれと意識した位置に、針はわずかに遅れて移動する。動作は悪くない。
左手にはメスのような持ち手まで銀色に輝くナイフが握られている。月に照らされて、ナイフにびっしり刻まれている複雑な曲線の紋様が光った。
「これもあと一本か」
できれば離れたまま、決着をつけたい、それが彼の本心だった。
何とかすると先ほどは言ってみたけれど、口調のほどに難易度が低いわけではない。
なにせ、今回のケース、ほぼ生身に近い彼にとって、両手以外であれに触れれば、それだけで大ダメージを受けてしまう可能性もある。相手も肉体を持っていれば、それはそれでやりようがあった。殴られればもちろん痛いが、場合によっては骨も折れるだろうけど、彼も、物理的な痛みには慣れているし、避け方も承知している。
ただし今回ばかりは、そうもいかない。
「根こそぎ持っていくタイプだよね、たぶん」
生き物ではないものが攻撃するのは、生き物ではない部分。
「これだけで済めばいいけど、最終手段を使わないといけないかも」
頼りなく、細い糸を伸ばす。
最悪逃げてもいいし、とも彼は思った。
「かしこみかしこみ」
彼は呟きながら、軽く、いつもの浮ついた足取りで歩く。
こちらは地面に足をつけて。
「残念だけど、ゲームは終わり。おとなしく、捕まってください」
それに向かって、うやうやしく、一礼する。
そう、彼の相手は、これから彼が挑もうとしているのは、他でもない。
神様だ。
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