第五章「こわれ指環」2
「魔術で消滅させてしまうのでは?」
「そんなことは、私にはできない。私のような出来損ないには」
「えっ」
それに対して声を上げたのは桂花だった。
「お兄様、何を言って……」
「嘘を言ってすまない」
困惑した桂花に加耶が謝った。
桂花はこの先、加耶が何らかの方法で『呪い』を消すことができる、と言われていたのだろう。それを反故にしたのだ。
「これは大切に使わせてもらう。う、うう」
加耶が両手で苦しそうに顔を押さえた。
「お兄様!」
「来ないでくれ、桂花」
近づこうとする桂花を制止する。
「つか、う?」
加耶が言った言葉を優斗は繰り返す。
『呪い』を使うというのか?
賀茂が左手で右肘を支え、右手で顎を摘まみながら、何かに気が付いたらしく加耶に言う。
「なるほど、『泳がせていた』んですね」
「言い方は悪いが、そうなる」
加耶はわずかにまぶたを下ろした。
「どういうことだよ」
賀茂と加耶の会話に優斗が割って入る。
その説明を賀茂がする。
「彼にとって、『呪い』をみんなから除去することは目的じゃない、集めることが主目的だったんだ。妹さんを使ってね」
「私ではそれはできないからな」
「そんな……、お兄様」
桂花が口を押さえる。
ようやく自分が何をしていたのかわかったのだ。
「そんなもの集めて、どうするんだ」
「この魔術師は、全部知っていたんだ。芹菜ちゃんが瑛桜から古木を受け取っていたことも、彼女が混血だということも、ね」
「なん、だって?」
「そもそも、この古木を持っていたのが月村家なのだからな」
賀茂が頷く。
「それを瑛桜に渡した?」
加耶が小さく頭を横に振った。
「いや、それは違う。蔵に張られた結界の微細な異変に気が付き、中を確認して失われているのがわかった。『現象』がどのようにして結界を抜けたのかはわからない」
「それで今回の計画を思い付いた、と」
「この街は私の庭のようなものだからな。唯一といってもいい『夜警』の主が行使できる魔術だよ。誰がそれを持っているかはすぐにわかった」
賀茂の指摘にも加耶は眉一つ動かさず、小さな声で認めた。
「どうして!」
「古木の制約を覚えているね」
賀茂が優斗の方を向き確認する。
「自分自身が手を下してはいけない」
「そうだ、だから僕たちは、芹菜ちゃんがそのルールを覆すために、混血に頼り、もう一人の自分が手を下すようにしたのだと推測した。それは彼女の中で自然と行われたものだと思った。この異常事態に、あまりにすんなりとその説を受け入れて納得してしまった。でも、それは不正確だったんだ。瑛桜はあくまで芹菜ちゃんのためだけに古木を渡した。彼は芹菜ちゃんが混血かどうかまでは気にしていなかったんだろうし、周りに撒くようなことまでは言わなかったんだ」
「なんだって?」
「あなたは、すでに芹菜ちゃんに接触していたのか」
賀茂が加耶を見た。
「そうだ。私は妹の力を借りて、彼女に接触した。そして、助言をした。試すなら、それを磨り潰して誰かに与えればいい、と」
加耶が肯定する。
「こいつ!」
「優斗君、落ち着くんだ」
加耶に向かって駆け寄ろうとする優斗を賀茂が制止する。
「これが、落ち着いていられるかよ。だって、これじゃあ、芹菜を誘導して『呪い』を広げた張本人だって言っているようなものじゃないか!」
「そうだね、その通りだ。図らずとも、一ノ瀬君と共謀関係にあったわけだ」
それを聞いて一ノ瀬が鼻を鳴らした。
「そうか、俺は、そうなるように、意図的に動かされていたのか」
一ノ瀬が視線を加耶に向ける。
「なに、君の能力ほど上手くはいかない。ただ、少しだけ、君の方向性を変えて、適切な人間に君が作った紙が渡るようにしただけだ。その紙を使ったもののうち、敏感に反応したものだけに『砂』を渡すようにした。それが最も効率的だからな」
「あんたが『呪い』を広めなければ、救われる人がいたんじゃないか!」
優斗が叫ぶ。
「救われる? いや、それは違う」
目を伏せて加耶が首を振った。
「何が違うってんだ」
「彼女たちは自分の意思で自らの願いごとを遂行した。誰も不本意な行動を強いられたわけじゃない。彼女たちは、それで自らの欲望が叶えられて、救われた」
「そんな詭弁!」
軽い気持ちで願った人がほとんどだろう。
口伝えでそのおまじないが確実だと知った人もいただろう。
できると知ってしまえば抗うことができない魅力があった。
「今となってはどうでもいいことだ」
「そうだね、あなたの言う通りだ。時を戻せないのなら、これ以上の議論の意味はないね」
「ってことは、芹菜が」
「そうなる。君自身は手を下さずに、君自身が手を下す方法があると言ったのは私だ」
加耶は否定をしない。
「芹菜が、血に負けたらどうするつもりだったんだ!」
「何、多少の被害は出るかもしれないが、いずれ神楽辺りが処分をしにくるだろう。私の目的にしてみれば、大したことではない」
「優斗君、わかったかい。魔術師というのは、こういう人間のことを言うんだよ」
賀茂が優斗に言う。
「お前!」
「優斗君! 待って!」
駆け出そうとする優斗を賀茂が止めようと手を出すが、それをすり抜けて加耶に詰め寄ろうとする。
「な、に?」
すぐに足に違和感を覚えた。
足の裏が、地面に接着剤で張り付いたように動かない。上半身は動くが、足がどうしても動こうとしない。
「なにをした!」
「私はあまり優秀な魔術師ではなくてね」
淡々と加耶が言う。
「『影縫い』だ」
「『魔方陣』か」
加耶の言葉に賀茂が反応する。
「ああ。しばらく、君たちにはそこにいてもらいたい」
どうやら優斗だけではなく、一ノ瀬も賀茂もその場に張り付いて動けないようだった。
「地面にあらかじめ陣を敷いておく魔術形式だ。暗いから見えなかった。まあ明るくても人間の視力では見えないんだけど」
悔しそうに賀茂が言った。
「まんまと術中に嵌まった、というわけだね。こんな初歩魔術に引っかかるなんて」
一ノ瀬が苛立った様子で賀茂に言う。
「おいおい、これでどうするんだ?」
「僕は線を切って逃げ出すことはできなくもないけど、君たちはもう少しそのままでいてほしい。無理矢理足を動かさない方がいい」
優斗が加耶に問いただす。
「お前は、それで何をするつもりだ?」
「それはもうわかっているだろう?」
加耶が静かに言った。
「わかっているって」
「それは……」
賀茂が代わりに言う。
「なるほど、そういうことか」
一ノ瀬も加耶の思惑に気が付いたようだ。
「そうだとして、あなたは何を願う?」
「願う?」
賀茂の加耶に対する質問に優斗が返した。
「お兄様……、もしかして」
胸元から透明な手のひら大のビニール袋に入ったものを取り出す。
「それは、『砂』か」
優斗も見た、古木を磨り潰した粉だ。
それは、願いごとを叶えるという。
「効果は確認している」
今このときのために、加耶は古木の粉だけで効果があるかどうかを芹菜を通して実験していたのだ。芹菜が願いを叶えるためではなく、自分が叶えるために。
「こうするんだ」
加耶は袋の先端をちぎって、その『砂』を一気に飲み込んだ。
「お兄様! やめて!」
桂花が叫んだ。
彼女には影縫いの効果は及んでいないらしい。
「すまない、桂花。私にはこうするしかなかった。これが千載一遇のチャンスなんだ」
「願いごとをする気なのか」
優斗の言葉に加耶は軽く頷いた。
「ああ」
「だから、『呪い』を、集めていた?」
「そうだ」
「優斗君、彼は『呪い』に執行をさせるつもりだ。芹菜ちゃんが血に執行させようとしていたようにね」
「でも、それって」
賀茂は何も言わなかった。
『呪い』の集合体は間違いなく加耶本人に牙を剥くだろう。ということは、加耶は自分自身を犠牲にして、願いごとを叶えようとしているのだ。
願いを叶えるための代償。
この世でもっとも大切にしているものの死、あるいは完全な破壊。
それを、自分に指定したのだ。
一ノ瀬が吐き捨てるように言う。
「自殺してまで、叶えたいものがあるってのかよ」
「ああ」
「なんだよそれ」
「月村家はもう終わりにしたい。魔術師の家系として、閉じるということだ」
四人に聞こえるように、はっきりと加耶が口にする。
「……お兄様、どういうことなの?」
「桂花、そういうことだ。もう魔術師は終わりだ」
「わけがわからないわお兄様、魔術師は、やめるものじゃない」
桂花が首を振って答える。
「そうだ、魔術師は家に縛られ、才能であり、咎であり、業である。やめることは許されない。一度踏み入れたものは、泥の沼から抜け出すことは許されない」
「そうよ、だから、私は」
桂花が胸に手を当て、頭を振る。それに合わせて細い髪が揺れた。
「お兄様といるために、魔術を、家のために」
「お前は優秀な魔術師だ。だからこそ、いずれ暗い道で、日の当たらない世界で、一生を過ごすことになるだろう」
「それでも! それでも! 私はお兄様と一緒なら!」
大きな声で張り上げる桂花に対して、加耶は静かで、なだめるように言う。
「すべて、統世五見の神楽には話はつけてある。そういうことなら、と了承ももらっている。廃れた組織だが、それでも道理を通す必要があった。あとの世話もそれとなくしてくれるだろう」
「お兄様!」
「もう時間がないようだ」
加耶が自身の右手を見る。黒い『呪い』で満ちた右手はバラバラと砂になってしまったかのように崩れ始めている。
「お兄様! そんな、そんな」
桂花にも加耶が何を願うかわかってしまったのだろう。
その決心が変わりそうにないことも。
後ろにいる三人はその行き先を見守ることしかできなかった。
「桜よ、この機会をくれたことに感謝をする。これが私の望んでいたことだ」
加耶は空を見上げて、月を見ている。
「魔術師は、どうしても、嘘つきで利己的な生き物なんだ」
加耶は、視線を優斗に移し言った。
「迷惑をかけて、済まない」
それが芹菜のことなのか、優斗は聞くことができなかった。
「お兄様、お兄様」
桂花が加耶ににじり寄って、その頬に両手で触れる。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
どこかで自分でもそれを望んでいたのか、桂花は何度も加耶に謝り続けた。
「何も、謝ることはない。これは、私が決めたことだ」
「でも、でも。ああ、愛しているわ、お兄様」
「ありがとう、私もだ」
二人がじっと見つめ合っている。
「おい、賀茂とやら、なんとかならないのか!」
一ノ瀬が叫んだ。
「いいや、もう、ダメだ」
賀茂が頭を左右に振る。
「それに、彼の決意を尊重したい」
「そうかよ」
一ノ瀬が不満そうに返した。
「君は、なんとかしたいのか?」
「そういうわけじゃない。知り合いが死ぬのが目覚めが悪いってだけだ」
「優斗君、君はどう思う?」
賀茂がいきなり優斗に水を向ける。
「わからない。でも、自殺は、間違っている気がする」
優斗が絞り出せる言葉はそれだけだった。
「世の中には色々な優先順位があるさ」
「でも……。彼女なら、なんとかできるんじゃ」
うろたえている桂花を優斗は見る。
「どうだろう。このまま彼が死ぬのは確定しているからね。せめて彼の願いは叶えてあげるべきだと思っているのかもしれない」
加耶が右手を挙げた。
「桜の呪いよ、私の願いだ。妹、桂花から、魔術に関するすべての能力と記憶を未来永劫消し去ってくれ」
加耶が宣言をした。
すぐには何も起こらなかった。
掲げた手が光ったり、どこかで大きな音がすることもなかった。
ただ、誰も声を上げることなく、静寂が流れるだけだった。
「ウッ」
一瞬、加耶がうめき声を上げた。
それを見て、賀茂がつぶやく。
「マズいな、先に暴走する。仕方ない」
賀茂が胸から何かを取りだそうとしたが、加耶から黒い筋が伸びて賀茂のその手を弾いた。弾かれた塊が優斗の前に転がる。
「優斗君、それを!」
反射的に優斗は膝を屈め、その金属を拾う。
「これは、銃……?」
テレビで見るような小型の拳銃で、たぶん前に賀茂が芹菜に向けたものだろう。
「彼に、撃ってくれ」
「そんな」
「彼の終わりは、もう決まっている。ただ彼の動きを止めるだけだ」
「撃ったことなんてない」
当たり前だが、優斗は銃なんて撃ったことがない。エアガンだって記憶にない。それを見越したのか、賀茂が言った。
「大丈夫、それは『狙う意思』さえあれば当たる。ただ引き金を引けばいい。そういう道具だ」
それを聞いた一ノ瀬が優斗に叫ぶ。
「早くしろ! 無駄に全滅するぞ!」
「でも……」
迷う優斗に、加耶が言う。
「私からも、頼む、私は私の意思で終わりたい」
加耶の身体からは止めどなく黒い液体が漏れ出ている。
「……わかった」
優斗が加耶に狙いを定める。カチャカチャと銃が鳴り、自分の手が震えているのを優斗は感じていた。
ただ加耶に当たるように、願いを込める。
「ごめん」
優斗が引き金を引いた。
反動とともにタンっと軽い音がした。
「ありがとう」
加耶はのけぞる様子もなく、優斗にかろうじて聞こえる大きさで礼を言った。漏れ出ていた液体が加耶の身体に戻っていく。自己修復をしようとしているのかもしれない。
「あ、ああ」
桂花がか細い声でうめき声を上げる。
「ああ、あああああ」
桂花が頭を両手で抱えた。
加耶はその頭を崩れかかった手で撫でる。
「せめて、真っ当な、人間として、当たり前のように、幸せに生きてくれ」
頭から手を離し、背中に手を回して抱きしめた。加耶の両手はすでにボロボロと零れていっている。
「お兄様、お兄様……」
「ああ、桂花、大切な妹。けれども私自身の次に大切な妹よ」
加耶が割れそうな頭を抱えている桂花の耳元で囁く。
「どうか、幸せに」
加耶が桂花から離れた。
じりじりと、しかし確実に加耶が後ずさりしていく。
その後ろには、高い崖があるだけだ。
崖の切っ先まで下がった加耶は、三人を一度だけ見る。
「桂花をよろしく頼む」
そのまま、加耶は後ろへ、桂花を見つめ、崖の下へと落ちていった。
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