第五章「こわれ指環」3
意識を失っている桂花以外の三人が、異様な気配に気がついて、その方向を一斉に向く。
気配は街を挟んだ向こうの山、かなりの遠方にあった。それでも背筋が震えるほどの何かを優斗でさえ感じてた。
その場所からは、青白い光の柱が立っていた。
近くにはライトアップされた電波塔があるが、それともまた違った光だった。
「あれは……、なんだ」
光柱は、天へと向かい、雲を突き抜けていた。
「あれが見えているのは、僕たち以外にはそうはいない。君はたまたまこの状況で、そういったものに引きずられているだけだ」
賀茂が優斗に助言をした。
「呪いの本体ってわけか」
一ノ瀬が呟く。
「じゃあ、あそこに芹菜が?」
「だろうね。所詮加耶君に集まっていたのはあふれ出た呪いの一部分にすぎない」
「じゃあ、はやく行かないと!」
「まあまあ、それはさておき」
「さておきって!」
賀茂が倒れている桂花を見て、それから一ノ瀬の方を向く。
「あとは、よろしく、できるかな?」
「ああ、わかったぜ」
一ノ瀬が桂花を介抱することを了承した。
「うーん、不安だけど」
「悪いようにはしない」
「良いようにもしないってわけだね」
「さてね」
賀茂の言葉に一ノ瀬がどちらとも取れる言葉で返した。
「まあ、それはそれで仕方ないか」
一人で合点してどうでもよさそうに賀茂が頷く。
「さあ、行こう」
賀茂に促されて、優斗は助手席に乗った。車は静かに一ノ瀬と桂花を置いて発進していく。
来た道を蛇行しながら小さな唸り音を上げて下っていく。
「もっと急いで!」
「わかっているさ」
急かしてみたものの、賀茂は速度を上げようとしなかった。
「運転があまり上手じゃなくて、ほら、普段は都会暮らしだから」
この期に及んで賀茂は冗談とも言えるような口ぶりで優斗の言葉をかわす。
「さっきの、彼のことだけど」
「え?」
「なんだっけ、一ノ瀬君のこと」
「ああ」
「たぶん、彼女にあることないことを吹き込むと思う」
「あることないこと?」
「たぶん、お兄さんが死んだ理由とか、今彼女はまっさらな状態だからね。たぶん、加耶君もそれをしてもらうために一ノ瀬君を呼んだんだろう。刷り込みをしてくれるだろうってね。まあ、内容はあとでわかるさ。それに」
賀茂が呼吸を止めた。
重たい空気が一瞬で車内に満ちる。
「感心したよ」
「何が?」
「君さ、当たるかどうかを気にしていたね」
賀茂は銃のことを言っているのだろう。
「そうだけど、だから?」
撃ったこともない拳銃が当たるかどうか気にするのは当たり前じゃないか、と優斗は思った。
「人間を撃つことについて、ほとんど逡巡しなかった」
「それは……」
緊急事態だった。それについて考える余裕はなかった。そう言い切ることはできる。だけど、それだけだろうか。
言葉に窮している優斗に賀茂が言う。
「別に非難しようっていうわけじゃない。君の行動は正解だ。だけど、これから先、そのせいで辛い目に遭うかもしれないね。『こちら側』よりだ。君、意外と動揺しなかったしね」
「何に?」
「魔術師の彼が死んだことさ」
「それは……」
確かに、それも賀茂の言う通りだった。
あまりに起こったことが非現実的過ぎて、実感がどこにもなかったのだ。それに彼と会ったのも一回だけ、知り合いというのですら微妙なところだ。死体を見たわけでもない。飛び降りた瞬間を見ただけなのだ。
そうだ、彼は飛び降りて、まともな人間なら助かるわけもない。
まともなら?
魔術師がまともな人間か?
「いいや、それはないと思う」
考えを先読みされた。
「魔術師は、大体にして、身体自体は普通の人間並みだからね、あの高さから落ちて無事ではいられないと思うよ。確信はないけど、妹さんにはできた空を飛べる魔術は彼には使えそうにない」
「そう」
「それに、あれだけの『呪い』を受けていたんだ。結局、身体が持ちこたえられなくて崩壊していただろう」
賀茂と少しずつ話をして、遅まきながらようやく状況が飲み込めてきた。
「こう言っちゃなんだけど、あんまり良くないよ、そういう育ち方」
「そういうって」
「僕と似たような道は歩かない方がいい。だから、こういうのには慣れない方がいいんだ。色々と麻痺してしまうからね。でも、まあ、今はそれがありがたいね。取り乱すよりはよほどいい」
賀茂は優斗に言っているようで、自分自身に言っているようでもあった。
「ダッシュボードを開けてくれないかな」
少し経って、山から下りて街並みが見え始めた頃、賀茂が言った。
「ああ」
賀茂に言われて、目の前のダッシュボードを開ける。そこには布に包まれた何かがあった。
「まず、一つ。それを君に貸そう。何、爆発したりなんかはしない」
優斗がその包みを慎重にめくる。
「これって、ナイフ?」
食事用のナイフか、手術用のメスか、拳二つ分くらいの細身のナイフがあった。ナイフは持ち手まで銀色で、びっしりと曲線的な紋様が描かれている。
「そう、ヨーロッパにある色んなモノを狩っている集団、『使節』と呼ばれている、そこで使われている武器だ。ミスリルナイフ。もちろん普通のナイフとしても使えるけど、たとえ相手が『化け物』でも、一定の効果が出るように作られている」
「どうして?」
「護身用」
賀茂が即答した。
「護身用って」
「君がまた芹菜ちゃんに襲われたときのためにさ」
さらりと賀茂が言う。
「それじゃ、まるで芹菜が『化け物』みたいじゃないか!」
「それは失礼。でも申し訳ないけど、それが事実だね」
「……そんな」
「これから僕らは彼女の元へと向かう。恐らく、彼女の血は臨界点に達しようとしている。前にも言ったように、そうなったモノは二度と元には戻らない。もしそうなったとき、僕は手加減をするつもりはないし、君もそうだ」
「でも」
「でももだっても今はなしだ。今は最悪を想定しておいた方がいい。これは、君への『覚悟』の問いかけでもある。彼女が自らの血に飲まれて助からないようなら、僕でも君でも、介錯をしなければいけない。それとも何かな、君はそのとき、耳を塞いで目を閉じて、僕にすべてを任せるつもりかな?」
矢継ぎ早に言われて、返す言葉も見失ってしまう。
もしも、芹菜が、人ではないモノになってしまっているのなら。
それを止めるのは、自分の役目なのか?
「僕には、そんな」
賀茂の持っているようなあちら側の知識は何もない。格闘も、見た限りでは賀茂の方が上だろう。それに、おそらくいくつかの修羅場を経験している。これから起こりそうなこともわかるのだろう。
「まあ、二の次の次、最終手段、そういうことになってしまったら、の話程度で考えていてくれればいい。予想しておくのとおかないのじゃ、全然違うからね」
だから『覚悟』の話なのか。
「はっきり言っておくけど、僕は手加減はしない。君と同タイプのナイフもまだ持っている。というか、手加減はできない。勝機は五分だね。五分で命を捨てようとする人間なんて普通いないよ。それでも行ってあげるんだから、それだけは感謝してほしい」
「……わかった」
「いいね、じゃあ、次は、ナイフの横の箱を開けてみて」
ダッシュボードの隅にあった小箱を手に取って開ける。
「これは、指環?」
「そう。『こわれ指環』という道具」
指環は誰もがイメージするような、宝石が一つ嵌められている金色の指環だ。ただ違うのは、その宝石が嵌め込まれているはずの場所に、何も嵌め込まれていないことだった。だから『こわれ指環』なのか。
「どの指でもいい。嵌められるところに嵌めておくといい」
指環の大きさを確かめて、万が一右手でナイフを持つときのために、左手の小指にそれを嵌める。
「何の効果がある?」
「魔術とか、異種による精神的な攻撃とか、そういうものを防ぐことができる。ああ、そうだ、一ノ瀬君の、あれ、『ミスディレクション』だっけな、そういうのも防ぐ。僕の眼鏡と一緒だね」
賀茂は自分で命名したくせに、すでに興味を失っているらしい。
「といっても、眼鏡と違って効果は一時的なものだから、そんなに期待しない方がいい。君は魔術が見えないわけだから、できれば避けろといっても仕方ないんだけど。まあ、お守りだね」
「うん」
助手席のガラス越しに月の光で指環を見てみる。どこか、寂しい輝きをしていた。
「作戦会議をしよう」
大きな歩道橋の下の交差点を過ぎたところで、賀茂が言った。
「無策で行くわけじゃない。まず、第一ルート。芹菜ちゃんがまだ正気を保っていた場合。君が芹菜ちゃんの気を引く。その隙に背後から僕がペンダントで殴る」
賀茂が首からぶら下げているものを見せる。青い宝石が光った。
「ああ、あの、前に使った」
失踪していた女子生徒の頭を手で絡めたそのペンダントでなでていた。
「そう、正式名称は『忘れな草の露』というんだ。魔に憑かれてしまった者を正気に戻すことができる」
錯乱していた彼女を落ち着かせるのに使ったのだろう。
「第一ルートはこれで終わり。めでたしめでたし」
「確率は?」
「そうだね、五パーセントくらいかな」
「そうか……」
賀茂の見立てではほとんどあり得ない、ということだ。
「それは彼女が君を襲ったことでおおよそ予想がつく。僕の推理が確かなら、自我を混血の血に明け渡してしまったことがある以上はこのルートになるとは考えにくい」
「わかった」
「第二ルート、彼女の正気が失われ、その上で、まだ彼女しかいない場合」
「彼女しかいない?」
「次で説明する。その場合、ちょっとばかり厳しい戦闘になるだろう。とにかく彼女が疲れ果てて動けなくなるまで防戦をする。異形といえ生物であることは変わりない。防戦するだけなら、僕は大丈夫だろう。君はとばっちりで攻撃を受けないようにひたすら構えて逃げていればいい。それで、十分に疲れたところで、同じくペンダントで殴る。正気に戻れるかどうかは、どうだろうな、ペンダントを破壊するつもりでいけばなんとかなるだろう、と思う。この場合の確率は、十パーセント」
第一ルートよりは高いが、それでもあまり考えられない確率だ。
「ああ、でも彼女の壊れていく『時計』は進んでいるから、今後の生活に気をつける必要は出てくるだろうね」
異種の血を引く者が逃れられない、人でなくなるまで進み続ける時計だ。
「最後の第三ルート、彼女の正気が失われ、彼女ではないものが顕現している場合。たぶん、さっきの光を見る限り、この可能性が一番高い。『呪い』の集合体が一つの具体化された『現象』になっている状態。この場合は、芹菜ちゃんの命の保証はもうできない。『呪い』の顕現は彼女の命を依り代にして行われる。もっと血が濃ければ耐えられるかもしれないけど、芹菜ちゃんじゃどれだけ持つかわからない」
「それなら……」
一体どうすればいいのか。
「いっそのこと、現象と彼女を切り離す。現象については、まあ、僕がなんとかしよう。彼女という供給源を失った現象なら、勝つ見込みはある。奥の手がある」
「芹菜はどうなるんだ」
「どうなるんだろうね」
賀茂が即答した。
「おい」
「何度も言って申し訳ないんだけど、暴走した混血はもう元には戻らないんだ。それが大前提で、こういう依り代型が、現象と切り離された結果どういう状態になるのか、僕は知らないんだ。本来異種や混血は守備範囲じゃないしね。意識を失うだけなのか、死体になってしまうのか、あるいはゾンビみたいになってしまうか、出たところ勝負なんだよね」
「なんだそれ。芹菜を助けられるかどうかもわからないってことか」
「そうだけど、あまり期待はしない方がいいかな。期待は行為を曖昧にして、結果的に最良から遠くなってしまうからね」
「ペンダントは?」
「一時的な魔には使えるけど、彼女のように血が所以だとどうかなあ、まあ、試してみる価値はあるかも」
「それが、八十五パーセント……」
「いいや、八十四パーセント」
「残り一パーセントは」
「奇跡に期待しよう」
茶化すでもなく、真剣な声で賀茂が言った。
そこで無言になった。
ダッシュボードから写真がふわりと落ちて、優斗の膝に乗った。
「この写真は?」
「それは、僕の恋人」
緩いウェーブのかかった焦げ茶色の髪に、無表情を極めた人形のような凍った顔つきをしている女性が写っていた。美人といえば美人だろうに、無表情のせいで影がどこまでも薄くなっているように見えた。
「彼女がいるのか」
「そうだよ、だから僕だってできることなら死にたくないんだ」
彼女のことを思い出しているのか、賀茂は少しだけ頬を緩めてハンドルを右手でコツコツと叩いた。
「逃げればいいじゃないか」
「それを言われるとそうなんだけど、まあ、乗りかかった船だね。箱船かタイタニックか泥船かはわからないし、それに僕だって『呪い』の本体が手に入るならほしい」
「そういうことか」
「大人は実利を重んじるからね」
賀茂が嘯いているのはわかっていた。
「もし僕が先に倒れるようなことがあれば、それを使ってくれ」
ダッシュボードの上の文庫本を賀茂が視線で指した。
「本?」
賀茂が読んでいた宮沢賢治の本だ。
「いや、そこには挟まっているもの」
「栞?」
「そう」
本の真ん中付近を開く。物語は銀河鉄道の夜で、たくさんの人が賛美歌を歌うシーンだ。ここは優斗も読んだ覚えがあった。船の事故だったか。
そこに栞が挟まっていた。
栞が無地で、やや黄ばんでいるものの、固めの紙でできている感触があった。大きさはA4の紙を横に三つ折りにしたくらい。映画館の前売りチケットほどの大きさだ。
「そこを破る」
そこ、がわかったのは紙の端に切り取り線があったからだ。映画館のチケットを思う浮かんだのはこの線があったからだ。
「これは、もしもの場合。特に第三ルートで、呪いが芹菜ちゃんから分離していたときの場合。チケットを破って、すぐさま短い方を相手にねじ込んでくれ。うまくいけばそれで終わる。これが奥の手だ」
「そうするとどうなる?」
「おっと、説明している暇はない。これ自体は僕が持っているよ。君が呪いに触るのは緊急事態、なるべくなら僕が使うから」
車が駐車場に着いた。
そこは芹菜が神様と会った、つまり瑛桜に古木をもらった神社だろう。階段を上らなくても、車なら反対側に回ることで車で行くことができる。
賀茂の見立てではこの辺りで光ったらしい。
「それじゃ、作戦開始だ」
賀茂と優斗がそれぞれドアを開ける。
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