第四章「サラサーテの盤」3

「どうやって入ればいいんだ」

「なんだ、君、合鍵とか持ってないの?」

「持っているわけないだろ」

「なんだ、そうなのか」

 翌日になり、二人はごくごく一般的な二階建ての一軒家の前に立っていた。平地から少し山側に向かって上ったところにある。もう少し歩くと百段を超える長い階段があって、その先には街では一番大きな神社がある。

「ところで、あれはなんなの?」

 二人は賀茂の車に乗って芹菜の家の前まで来ていた。

「あれって?」

「後ろにあったケース」

 優斗が車の方を指さす。

「ああ、あれね。ちょっとした荷物だよ」

 車の後部座席には大きなトランクケースが置かれていた。昨日までには車になかったものである。

「何かの道具?」

「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」

「なんだよそれ」

「そうだとしたら、秘密兵器かな。まあ、大したものじゃないよ」

 賀茂が追及から逃げるように言ったので優斗はそれ以上は言わなかった。

「それで、入ったことはある?」

「そりゃ、昔はあるけど、最近は」

「じゃあ、芹菜ちゃんの部屋もわかる?」

「部屋は、二階のあそこ、だったと思う」

 優斗が二階の一角を指した。それに合わせて賀茂も見上げる。白いカーテンがかかっている部屋がある。

「二階か、じゃあ、ちょっと厳しいな」

「厳しいって?」

「一応確認するけど、ご両親は今いないんだよね?」

「そのはず」

 芹菜の家は父親が常に長期出張に行っているような会社員だ。優斗も滅多に会ったことがない。一週間程前に芹菜から一ヶ月以上の出張に行っていると聞いているからいる可能性はほとんどない。

 母親は、最近は家を空けることが多いということは知っている。前は快活そうな人のように見えたが、あまり街でも会うことはなくなった。どうやら都会に何度も行っているらしい。その理由を芹菜は話そうとしなかった。

「それじゃあ、仕方ないか」

 賀茂が優斗の前に立って、玄関のドアに触れる。少し屈んで、鍵穴に何かを差し込んでいる。そうすること一分くらい経っただろうか、玄関のノブに手をかけた。

「はい、今のうちに」

 ガチャリと重い音がして、ノブが下に移動する。

「え、開けたのか?」

「そう、大きな声で言わないように」

 指を唇に当てて、静かに、のジェスチャーをする。

「それは、なんていう道具なんだ?」

「道具? ああ、これはただのピッキングだよ。特別な道具じゃなくて、泥棒とかがやるのと同じ。仕事上、閉ざされた蔵とか金庫を開けることがあるからね、そういうとき用の技術」

 賀茂が扱う不思議な道具の類ではないらしい。

「それ、犯罪じゃ」

「まあ、そういうことになるね。道具で開けてもダメだと思うけど」

「それはそうか」

「誰かが来ても困るから、はやくはやく」

 中に入るように賀茂が急かす。

 賀茂が開けているドアの奥へ、優斗が一歩踏み入れた。

「じゃあ、行ってらっしゃい」

「え、ついてこないのか?」

「これは君の問題だから、君が確認すべきなんだよ。なんでも大人任せにしない」

「……なんだよそれ」

 そう言ってみたものの、勝手に鍵を開けて不法侵入をやろうというのだ、なんだか自分が行くべきな気もしたので、優斗はそれを受け入れることにした。

「それじゃ、誰か来ないか見張っているから」

「それはそれで怪しいんじゃ」

 住宅が密集していない地区ではあるが、人通りがゼロなわけでもない。スーツの男が玄関前に立っていたのであれば、近隣の住民なら怪しんで声をかけないとも限らない。

「その点は、大丈夫。そういう道具はある」

 賀茂が内ポケットから黒いペラペラの紙を取り出した。紙は手のひらに乗るサイズで、黒いプラスチックでできているようで、バウムクーヘンを四等分したような扇形をしていた。

「これは『サラサーテの盤の欠片』。所有者の存在を曖昧にする効果がある」

「そうは見えないけど」

 持っている状態といない状態で違いがあるようには見えなかった。変わらず賀茂が立っているだけだ。

「君は先に僕を認知しているからね、そういうときには効果を発揮しない。道行く人は、確かに僕を見るけど、それは極めて空気のように記憶に残らなくなる。君と初めて会ったときだって、持っていたよ」

「だから急に現れたように見えたのか」

 最初に賀茂と出会ったとき、どこからともなく出てきたように思ったのはあのとき賀茂がこの道具を使っていたからだったのか。

「そうそう。だからここは心配しないでさっさと何かないか探しておいで」

「わかった」

 手を振る賀茂を背にして、芹菜の家の中に入る。

 誰もいないと確信はしているが、優斗は玄関できちんと靴を脱ぎ、忍び足で歩き出した。

 まず廊下があって、左手にあるのがリビングだったはず。一応、誰もいないことを確認したくて、リビングのドアを開けた。

 リビングにも気配がなくて安堵する。

 左側にはダイニングテーブルとキッチンがあり、右手にソファとテレビがあった。

 リビングを見渡して、少し違和感を覚えた。昔来たときよりも、雑然とした雰囲気があった。確か、芹菜の母親が整理整頓が得意で、それが芹菜にも移っていたほどだったはず。片付けされていない細々としたものがリビングに散乱していて、空間をぶち壊すかのように、ところどころに得体の知れないものが置かれているのを見つけた。

「なんだ?」

 思わず声を出してしまった。

 リビングの四隅に、一メートルほどの塔のようなものが置かれていた。なんとも言えない顔が段々に重ねられていて、小学校のグラウンドにあったトーテムポールの縮小版、という感じがする。アジアのどこかの土産品だろうか。ただ、四隅にあることを考えると、ただお土産でもらったのを捨てられずに置いている、という感じではない。だとすると、あまり趣味が良くないな、と優斗は思った。

「あれも、そうか」

 リビングの端の上に神棚があり、そこにもさっきのトーテムポールを更に小さくしたようなものが置かれていた。そちらには、白い紙がベタベタと貼り付けられている。

 異質な空気を感じつつも、リビングから離れる。

 右手にある階段を上る。折り返しの階段を上って、三つのドアが現れる。その突き当たりの部屋が芹菜の部屋だった。

 部屋に名前の書かれたプレートがあるわけではないが、記憶がそうだと言っている。外から見た位置とも合う。

 気が進まないまま、優斗はドアを開けた。

「ごめん」

 一応、いない芹菜に向けて謝る。

 六畳ほどの部屋の中は、リビングと異なり、きちんと整理されていた。学習机とベッドとクローゼットがあり、木製のもの以外は色も青と白で統一されている。机の上には教科書や参考書が整列している。記憶にある部屋とまったく同じだった。

「ここもか」

 ただ、やはり部屋の四隅にはあのトーテムポールが置かれていた。この調子なら、他の部屋にも置かれていてもおかしくない。

「さて」

 芹菜の両親が帰ってくる可能性はゼロではない。芹菜が戻ってくるかもしれないが、そうなればそうなったで、芹菜には怒られるだろうが、問題が解決したともいえるのでそこは恐れていない。

 賀茂には彼女自身のことを探るように、と言われていたが、何をしていいか、少しの間悩む。

 いないといっても、まさかクローゼットをあら探しするわけにはいかない。

「と、なると」

 優斗は真っ直ぐ机に向かう。

 右側の引き出しを開ける。少しだけ鍵がかかっていることを期待していたが、あっけなく開いた。底の浅い引き出しには一冊のノートがあった。日記帳だ。

 悪いことをしている気持ちはあった。ただ、今もうそれを言っても仕方ないだろう。罪悪感への抵抗でなるべく薄目でページをめくる。日記には、起床時間、日中にあったこと、就寝時間が簡潔に書かれていた。とりとめもないメモのようで、感情的なことは書かれていないようだった。

 ページを進めて、直近の日記を読む。

 一週間ほど前で日記は止まっていた。

 几帳面な文字が並んでいる。

「お父さんは今日も帰ってこなかった。お母さんもいつものところで行っている。今日もまた一人きりだった。どうすれば三人一緒にいられるのだろう。このままバラバラになってしまうのだろうか。一人きりでいるのはもう慣れている。慣れているから私は我慢できる。私が我慢すればそれで幸せなのだろうか。私はもういいから、お父さんとお母さんが幸せになってほしい。それとも今もう幸せなのだろうか。そうとだけは思いたくない。こんなことが、幸せなわけがない」

 ここで文字が一旦途切れる。

 次の行に滲んだ文字がある。

「神様、お願いです、お母さんとお父さんを助けてください」

 ページをめくる。

 白紙のページの中央に一言。

「いつもの神社で神様に会いました。お父さんとお母さんを助けてくれるみたいです」

 日記の最後のページにはそう書かれていた。


 優斗は重々しい気持ちで芹菜の家から出て、玄関の辺りを見渡した。

 賀茂の姿は見えない。

『サラサーテの盤』と呼ばれる道具のせいかはわからなかった。近くに止めてある彼の車に戻ってみると、賀茂は運転席で倒れていた。コツコツと窓をノックする。それに反応して、彼が目を開けた。

 優斗が助手席側に回り、ドアを開ける。

「ああ、優斗君、終わったのかい?」

 賀茂が狭い車内で伸びをした。

「……寝ていたのかよ」

「ああ、まあ、やることがなかったからね。ちょっとした仮眠を取らせてもらった」

「はあ」

 賀茂は眼鏡の位置を直す。

「それで、成果はあったのかい?」

「ああ、たぶん」

「深刻そうだね、まあ、ドライブをしながら話を聞こうじゃないか」

 そう言って、賀茂はエンジンをかけた。

 車は街の先端にある、街を結ぶ橋のたもとまで来た。

 夕暮れが近づいている。

「少し風に当たろう」

 道すがら、優斗は日記の中身を話していた。

 すべてを話し終わるまで賀茂は何も言わず、相づちすら打たなかった。真っ直ぐ前を見てハンドルを操作していただけだ。

 橋の下にある広い駐車場に着くのと同時に話に区切りがついた。

 エンジンを切って、賀茂はただ一言、

「ふうん」

 とだけ言った。

「それだけかよ」

「いや、まあ、それだけではないよ。ところで、アイスクリームでも食べる?」

「え?」

「奢ってあげるよ」

 優斗の返答も聞かず、賀茂は併設された道の駅に行き、勝手にアイスクリームを買ってきて優斗に渡した。返すのもおかしいので、優斗は受け取って食べ始める。

「そっちは?」

 自分の分を買って来なかった賀茂に聞く。

「いや、今はいい。食欲はない」

「僕だってあるわけじゃない」

「まあ、甘味は大事だよ」

「それで」

「うん?」

「専門家だろ」

「はは、そうだね。感想としては、そうか、やはり、だね」

 顎に手を当てて、賀茂が頷く。

「やはり、ってなんだよ」

「まあ、そんな気は薄々していたんだよね」

「何か知っているのか? その、芹菜が持っているものとか、それを渡したやつのこととか」

 山高帽子を被る、芹菜に木の枝らしきものを渡した人物だ。

「うーん、そうだな」

 賀茂が橋の向こう側を眺めた。

「これは、こいつは、僕の知り合いだよ。僕の捜し物と言ってもいい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る