湖の竜⑤

「よく頑張ったね」


 ティオネがフィオに声をかける。その声音はドライで冷たい響きではなく、ウェットで温かい響きがあった。彼は木陰に座り込んで荒い呼吸を繰り返していたが、そう言われて彼女の方に目を向ける。ティオネはにこやかな表情をしていた。彼女は中腰で、彼の目線に合わせてくれているようだった。


 この光景を見てフィオは昔、姉に世話をされた時の記憶を思い出す。もう何処に行ったかもわからない、恐らく二度と会うことのない姉。しかし彼の記憶の中では生きていて、温かみを未だに思い返すことができる。


 「何じっと見てるの」


 不自然に見つめ合ったせいか、ティオネにそう言われてしまう。彼女の温かみに浴していたい。その気持ちが彼女の顔に視線を吸いつけるのだ。


 「いや、その……昔いた姉のことを思い出して、それでぼんやりしてた」


 「えぇー、そうなのー?」


 彼女は眉を下げて困り顔をしながらも、口角は上げたままで柔らかい表情を続けている。野性的な性欲ではない、温かい感情が彼の心を満たす。しかし、突然ティオネに対して「姉のことを思い出す」と言ったことが恥ずかしくなり、途端に目を背ける。


 「恥ずかしがるなよー」


 そう言って、ティオネはフィオの肩を叩く。彼は想像以上に力が強かったので「痛いからやめてくれよ」と咄嗟に呟いた。と同時に、ティオネは妙に今日は機嫌がいいな、と思う。


 「いやーでも私が言ったことをちゃんとやってくれるなんて、嬉しいね。湖水竜くらい倒せない奴を認めたくないと思っていたのも事実だけど、心配なところもあったからよかったよ。私、ずっとフィオの戦闘を見ていたんだけど、なかなかアクロバティックなことをやるんだね。竜の背中に飛び乗るとかあれやる意味ないでしょ。だって剣士は普通空中で相手の攻撃防げないし。もしかして見られる前提で戦ってた?もしかしてあれがネブリュエに対する挑発とか?」


 「あの時は自信があっただけだよ」


 流石だねー、とティオネは楽しそうな声で言った。


 「おい」


 すると重く鈍い声が道の向こう側から聞こえてくる。筋骨隆々の図体、深い紫の体色、背中に背負った巨大な斧。ネブリュエだ。彼は厳めしい顔をして、フィオたちがいる方向へ向かってくる。褒めに来たのかケチをつけに来たのか。後者であればうんざりするだけだし、前者だとしても皮肉と受け取ってしまうだろう。何を言われるかはもう期待していなかった。ネブリュエは近づいてきてフィオとティオネを見下ろす。まるで巨樹に手足がついているみたいだった。


 「お前の戦いを見させてもらった。確かに腕はあると認めよう」


 「そうか」


 「ただ、お前は戦いにおいてブレが多い。あまりに猪突猛進すぎるきらいがある。極端に言えば、死にたがっているような戦い方だ」


 それはそうだ。なぜならば勇者は死すべき運命にあるからだ。生存率は非常に低く、しかも生きて帰っても臆病者と言われるのが筋だ。だから昔から死ぬ可能性を度外視した戦い方をしてきた。悪魔になってもその時の戦い方が沁みついていて、そこから抜け出すことができていない。


 「俺は、そういう戦い方をして生きてきたんだよ」


 フィオは顔を上げることなく一言呟く。


 「次から俺のところへ直接来い。もっとマシなやり方ができるように訓練してやろう」


 「元人間でもいいのかよ。ネブリュエにとっては俺みたいな奴は胡散臭いんじゃなかったのか」


 「実力があるなら話は別だ」


 そんな形で手の平返しするのかよ、とフィオは一瞬むすっとしたが、ここでまた対立してもしょうがないと思い、それを収める。自分もネブリュエも、ルイン様の配下であるわけだし、精神的に余裕があるのならば仲間同士の不要な諍いは避けるべきだ。ティオネも二人のやり取りを見てか、安心している様子だった。


 「もう、全く。とりあえず協力してくれるみたいでよかったけど、これから喧嘩するのとかはやめてよね」


 はあ、とティオネはため息をつく。とにかく今日は魔王城に戻りましょう、フィオは明らかに疲労困憊だろうし、私ももう疲れた、と彼女は言って、一足先に戻っていく。フィオとネブリュエもその後を追っていった。

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