散歩②

 「それにしてもあれほどフィオが動揺するとは思わなかったわ。昔の仲間に対する思い入れは相当強いみたいね。……聞いてるの?」


 ああはい、と気を取り戻して咄嗟にフィオは答える。


 ルインとフィオは要塞跡を離れ、再び森の中を、砂利の音を立てながら歩いていた。このルートはルインが行きとは違った道で帰る時のルートだった。


 フィオの内面には興奮と不安がまるで泡のように湧出していた。抱きしめられた時のルインの感触と、出来る限り考えないようにしていた記憶に捉われたことで、彼の視野は急激に狭まっていた。ルインの声も薄っすらとしか届かず、自分から発せられる言葉もどこか他人事のような感覚があった。


 「あなたは私のお喋りに付き合わなければならない義務がある。それで今はすごくあなたと喋りたい気分なの。だから私の言うことにちゃんと応える必要がある」


 ルインは横並びになったフィオの方へ顔を向ける。彼の苦悶した表情を見ても特別な反応を示すわけではなかった。どちらかというとわがままに彼の返答を待っているようだった。


 すると何かを思いついたのか彼女は眉を上げた。


 「あ、そうだわ。フィオの昔のことを私に聞かせてよ。それあなたの気持ちも晴れるし、私のお喋りしたいという欲望も解消されるわ」


 しかし瞬間的に彼は「いや、それは……」という言葉がついて出てくる。悪魔である彼女に向って勇者の頃の話をするということに異様な抵抗感を覚えた。それでもルインは「聞かせて」と子供が物をせがむように、彼に言う。


 「私は別にフィオに説教するつもりなんてさらさらないわ。あなたの昔話に激情を感じるほど狭量な悪魔ではないのよ。……あっ、あそこにいい感じの大きさの岩があるわ。あそこに座って、フィオの話を聞かせてもらいましょう」


 そう言ってルインは、フィオの気持ちを斟酌することもなく一足先に岩の方へ向かっていく。彼は彼女に嫌々ながらついていった。


 二人は先ほど、要塞跡の崩れた壁にいた時と同じように座った。背中には幹が太く、背の高い木がそびえ立っていて、その木陰がルインとフィオに被さっていた。


 「ねえ、あなたはどんな勇者だったの?」


 彼は重い口を開けて、自分の恥部をこれから話さなければならないという覚悟で言葉を紡ぎ始めた。


 「普通の勇者ですよ。何千何万人も勇者というのは生み出されてきたんです、そんな特別なところなんてありませんよ」


 そう、自分は普通の勇者だった。歴史的に見ればありふれた勇者の一人だったのだ。彼は剣を用いて戦う青年の男だった。それが人より少し技巧に優れていたり、家族が政治的にプッシュしたりしたことで自分が選ばれたというだけだった。確かに同時代的に見れば才能があった人間だったのかもしれない。しかしながら同時代的に天才だと言われた軍師や雄弁家、剣士や魔法使いといった人々が通時的な歴史の流れの中では些末な一粒な砂のようなものであると同じように、フィオも取るに足らない勇者の一人だったにすぎなかった。


 「待って。政治的にフィオのことをプッシュしたということは、あなたは貴族の家系か何かだったということかしら」


 「私の親は大商人だったんです。私の祖父は海外との貿易で富を蓄積して一世一代の大金持ちになった。父親もその財産と仕事を受け継いで商人として活躍していて、その財力を使って貴族やある時は王家の親族まで、コネクションがあったということです。私は彼らの生んだ子供の、三男でした」


 フィオには兄弟がいた。上に二人、下に一人。


 長男は親の仕事を継ぐために生まれたようなものだった。家庭教師や講師が専属でつけられて、勉強や修養に青年期を捧げた。フィオが旅立つ前には実際に商人として働いており、それは今も続いているのだろう。彼は真面目で熱意があって、指導者として抜群の才を持っていたと思う。慕う人々も多かった。


 次女は品格を持った女性として母親に厳格に育てられていた。将来は下級貴族の嫁になることを目的にして、礼儀作法や女性らしい嗜みを教えられた。彼女は15歳の時に結婚して、親の志望通りのところへと嫁いでいった。彼女は私が小さい時からよく世話をしてくれたので、思い出深かった。


 四男は生まれて数年後、病気にかかって死んだ。


 フィオは三男として生まれたが、親はどちらかというと上二人にかかりきりで、あまり相手にしてもらわなかった。ならどうして私を生んだのかと問い詰めたかったが、親以外の人たち、例えば家の使用人だったり長男の家庭教師だったり傭兵だったりに好意を持って受け入れられたので、日々の生活に不満を持つことは少なかった。その中で彼は剣術が人並み以上にできるということがわかり、剣士として育てられることとなったのだった。


 「それで私は兄が受ける以上の技術を習得する時間を与えられたということです。その結果として私は15歳の時に、兄に剣術の指導していた先生や父親の知り合いの傭兵などに見てもらって一人前の冒険者になることが許されました」


 フィオは、あまり知られたくない過去を言葉で発するという恥辱のせいで、体が興奮しきっていた。おそらくルインは、それを聞いて特段何も思っていないのだろうが、どうしても自分が彼女に認められるかどうかを意識してしまっていた。


 「それで勇者になったのはどういう経緯だったの?」


 「私が勇者として認められたのは20歳の時です。それまでの冒険者としての功績を認められた私は、グランデリア王国で仲間とともに勇者として認定されました」


 「グランデリア王国……、1000年前に大国が分裂してできた国だったかしら。最近の情勢のことはよくわからないけど。どうしてフィオはそこで認定されたの?」


 「勇者を選ぶ国は年ごと変わるんです。クジで選んで、選ばれた国を抜いて、またクジで選んで……。最終的に全ての国が選ばれたらリセットする。これをずっと繰り返しています。それで権限が平等に貰えるようにして、国同士の紛争の種が生まれないようにしているのでしょう」


 今はそんなシステムになっているのね、とルインは呟いた。それから、宗教権力が全国の冒険者から公募しようとしたこともあったし、好き勝手に勇者を各国で乱立させてどれが正統の勇者なのかわからないということになったこともあったはずだわ、と彼女もまた昔話をした。


 「ところであなたの仲間はどんな人たちだったの?それについても詳しく聞かせてほしいわ」


 「今日はこのぐらいにして、また次の機会にしませんか」


 「ダメ。私はあなたの主人なのよ。あなたは私の命令を聞くことが一番大事なの。今日はフィオの話をじっくり聞くと決めたんだから、その通りにするのよ」


 ルインは立ち上がろうとしたフィオの腕を強く引っ張り、彼の目に向かって睨めつける。フィオは観念して、また話し始めるのだった。

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