大槍の悪魔②
「それでお前は、ルイン様と戦うことになったのか」
ネブリュエは遠く、地平線の方へ向いたままそう言った。彼は真っ直ぐ立っていて、少し後ろに胡坐をかいて座っているフィオには、まるで巨大な鉄の棒が突き刺さっているように見えた。傍にある樹木にはネブリュエが愛用している彼の図体ぐらいある斧が立てかけられていた。
「突然決まったんだ」
体中にかいた汗が空気に触れて冷たく感じる。フィオのお仕着せはボロボロになっていて、至る所に破れができ、皮膚が露出し、血で赤い染みができている。フィオはそんな今の状態に些か満足感を抱いた。戦いの後の、この爽快さが、昔の記憶を思い出させる。あの時は必死で敵を殺した。
「今のお前なら少なからず試合にはなるのかもしれないな」
「本当に俺は成長しているのかよ」
フィオは、普段の業務内容に加えてネブリュエと特訓をしているわけだが、何度本気で立ち向かっても傷一つつけられた試しがない。大抵の攻撃は堅牢な斧に防がれ、うまく隙を突いた際も俊敏な動きによって躱される。そして大抵ネブリュエの重たい一撃が、たとえ防御の姿勢をとっていた時でさえ、大きいダメージを与える。「前世」で勇者をやっていたフィオにとって、それはプライドを挫くものであったし、無力感を与えるものでもあった。
ただネブリュエは基本的に無口で冷たい奴だったが、思ったよりも露骨にフィオに対して差別意識を出すことはなく、戦い方を丁寧に教えてくれているので、強い反発を感じているわけではなかった。
「幾分マシにはなっている。俺の隙を突く機会も多くなったし、攻撃を躱せるようになっている。それに頭をつかって試行錯誤していることも伺える。ただ、まだまだ実力差が大きいというだけだ」
「そうか……」
ネブリュエがそう言うならそうなのだろう。
それにしても悪魔になってから、いかに人間時代の自分が矮小な力しか持っていなかったか、そしてそんな自分が認められる人間界がどれほどくだらないのか、ということを実感させられる。そこには優越感と共に郷愁に似た寂しさがあった。どれほど人間としても力を持っていたとしても、肉体的な力も魔術の体系も世界に関する知識も悪魔に敵わないのだ。彼が悪魔になって分かったのはそういうことだった。しかし恐らくその能力の高さゆえに、今回のように人間の力量を看過してしまっていたのだ、ということも推察できた。
「突然訊いて申し訳ないんだけど、なんでネブリュエは人間が嫌いなんだ?」
フィオはネブリュエにそう問いを投げた。この疑問がずっと二人の関係からは付いて離れなかった。幾度となく訊こうと思って、訊かなかったことだった。しかしそれを何とか霧散したかった。言いたい時に言うしかない、そう考えて思い切って口から出した。それでも彼は口から言葉が出終わると、途端に後悔の念を抱いた。この問いがまた亀裂を広げてしまったらどうしようと思った。
しかしネブリュエは感情が前のめりに現れることもなく、淡々と言葉を紡いだ。
「それは俺たちにとって人間が敵だからだ。少なくない悪魔にとって人間というのは、自分たちと異質な存在であって、別のものだ。そしてそういう奴らが勝手に敵愾心を持って、何度も侵略を仕掛けてくる。それでどうして相手のことを好きになれるだろうか」
「でも、ルイン様やティオネは人間のガワを被っているじゃないか。そこには反発を感じなかったのか」
そうだ。彼女らはどう考えても人間の姿を模倣している。しかしネブリュエは彼女らの配下だ。そのことをどう感じていたのか。
ネブリュエはフィオの方を向いて、話し始める。
「そうだな。お前が感じる疑問はもっともだろう。しかし、俺はその二者のことを知っているが、奴らは元々「純悪魔」なのだ。つまり人や魔物を悪魔に転生させる術式を使うことなく生まれた悪魔だ。その点ではお前とは違う。いわゆる「転生体」ではない。それがまず大きな理由だ。だからこそ俺はルイン様とティオネのことを悪魔だと認めている。また、これはルイン様の話になるが、彼女は俺よりも長寿の悪魔だ。一級に属したのも早かったらしい。だから、俺は彼女を尊敬する積極的な理由がある。ただ当然、俺は奴らが人間の真似をしているのはよくわからないし、正直言って好ましくないとさえ思っている。そしてルイン様が転生魔法に手を出したのもな」
「純悪魔」と「転生体」。耳慣れぬ言葉を聞いて、頭の中が混乱する。前者がつまり生物の出産過程に近いものを追って生まれた個体で、後者はフィオ自身が体験した魔法によって生成された悪魔だと理解する。過程の違いを省き、結果だけを見ると、いわば人間同士でまぐわって生まれた人間と悪魔と人間の間で生まれた子みたいなものなのだろう。それゆえ、人間が悪魔との子を嫌うようにネブリュエが「転生体」を嫌う。
そして、彼は人間の姿に執着するルインとティオネにいまいち納得していない。それは純粋さを追い求めるネブリュエからすると冒瀆行為に近いからだ。また同じような理由で彼が受けた転生魔法に対しても否定的であるみたいだ。
「なんでルインとティオネは人間に近い姿になっているんだ?」
「知らない。それは二人に訊いてくれ」
そうなのか、と、とりあえず彼に応えておく。下手にネブリュエの感情を刺激して、関係が壊れるようなことはしたくない。ティオネが言うように、人間と悪魔が憎しみを向け合うよりも高次な問題が二人を結び付けているのだから。
「俺の感覚はこう言えば、お前にも伝わるはずだ。それは今のお前の姿を仲間が見たらどう思うか、ということと極めて近い」
突然ネブリュエが投げかけた問いは、一瞬フィオの心を激しく揺さぶった。
「恐らくかつての仲間はお前と出会った時に、衝撃を受けるだろう。仲間にとって今のお前の姿は、ほとんどかつての勇者フィオであるが、頭部から生えた二つの角だけが悪魔の象徴として奇妙に映る。そこで「私たちが知っていたフィオという男」の像と現実のお前とが、頭の中でぶつかり合う。すなわちかつての勇者一行にとってお前は期待外れなことに人間としての純粋さを欠いた存在として現れるはずだ。俺が人間の姿を模倣する悪魔や「転生体」に感じる違和感はそのようなものだ。俺は以前お前に会った後、そういうことを考えた。それは残酷な使命を課せられていることを意味する。そこで、その姿を受け入れなければならないお前に、俺は見直した」
フィオは自分のことをネブリュエが認めた理由が一部分かってすっきりした気持ちになりながら、彼の言っていることに対して嫌悪感を抱いた。
「やめろよ、そんなこと起きるはずないだろ。俺の以前の仲間はもう関係ないんだよ」
「そうだといいのだがな」
フィオの頭の中で猛烈に記憶の断片が行き交い、不安を催す。シーカ、リキュア、ニケ。あいつらはもう俺の生きていく道には関わることがないはずだ。しかし、万一出会うとしたら、その時、何を思い、感じるのだろう。そういう可能性について考えを巡らせる度に、胸が苦しくなった。奴らは、フィオにとって特権的な位置を占めている人間たちだった。
いやそれでも、こんなことは考えても無駄だ。これからフィオがどういう生き方を歩むのか、そのことを一生懸命考えてもそれほど有意義なものではない。だって彼の行く先は耐えず偶然性に晒されているのだから。そうフィオは思い直した。
「そんなこと、考えても意味ないんだよ。どうせなるようにしかならないんだ」
彼の言葉に対してネブリュエは何も応えなかった。一瞬、二人の会話に空白が流れる。そしてその後、「今日はもう帰るぞ」とネブリュエは言い、帰りの道をたどっていった。フィオはその後を何か引っかかりを覚えているというような表情をして、彼に付いて行った。
(今はルイン様との試合のことだけ考えていればいいんだ。昔の仲間のことなんてどうでもいい。それは過去の話だ。そんなことは少なくとも後から考えればよく、今そのことで思いつめるのは自分にとって毒だ。今はルイン様のことだけ考えればいいんだ!)
フィオは頭の中から過去の記憶を追い出そうとするが、それをする度により一層昔のことを意識してしまう。そのことによって、ぼんやりとした様子で帰路についた。ある意味で彼は呪われてしまっているのだった。
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