大槍の悪魔①
「ネブリュエとはうまくやっているの?」
白いドレスに身を包んだ蒼髪の悪魔がフィオに言う。
二人がいる部屋は巨大な書斎で、縦横に本棚が立ち並んでいる。部屋の外からイメージされる部屋の大きさからは、かけ離れている。これが魔王城の空間の歪みというやつだ。
その一角には木製の書き物机があり、そこに備えつけられた線の細い椅子にルインは腰を下ろしている。そしてフィオは彼女から見下されるように片膝を立てて、坐っていた。まさにその光景は主人と従僕の関係を表しているように思える。宝石のように冷たく透き通るルインの目が、フィオのことを捉えていた。
「はい。あれから特に何事もなく、お互いに切磋琢磨しています」
「それならよかったわ」
彼女は特に喜ぶ姿も見せず、素っ気ない様子だった。これは彼女のいつもの態度だ。不必要に感情表現を表に出さない。そういうことをするのが下品だとでも言いたいように。
現在、フィオとネブリュエは対立がなかったかのように、お互い訓練に励んでいる。というのもおそらく、フィオがネブリュエと関わることに長期的な価値を見出し、あまり深く追及しようとしないからそのような状態になっているのだろう。確かに今の二人の関係はぎこちなさや不安定さを伴っていることは間違いないが、調整してでも維持することにフィオは特に意義を見出している。そうやってひずみを埋め合わせる役回りを彼はずっと生まれてから成し遂げてきたのだ。
さて、とルインは他愛もない話に区切りをつける。
「実は人間界への侵攻を行う時と場所が決まったの」
それを聞いて、フィオはついにか、と悟った。いつか来ると言われていたことが明確にされたことに対し、彼は些か緊張を帯びた。
「侵攻自体は3か月後に予定されていて、シースール王国というところで行うそうよ。フィオは知っているかしら?」
シースール王国、と聴いて、フィオは頭の中でそこに関連する記憶を探し出す。そこは傍に海と見違えるぐらいの大河が通っており、同時に広大な森もあったはずだ。彼が勇者の任を命じられたグランデリア王国からは遠くかけ離れていて、魔王討伐の旅の途中で通った思い出があった。川を通じた貿易が発達していて、色々なものが市場にあったはずだ。しかし別にかつての仲間の故郷でも何でもなかった。
「知っていますけれども、あまり馴染みはありませんね。途中、川を通るのに船を出してもらったことが印象に残っていますが。確か、交易が盛んだったはずです。なんといっても川に隣接している国ですから。交易する国々と軍事同盟を作っていたことも記憶にあります」
「そうなのね。ティオネからもらった報告書にも交易や軍事同盟のことは書いてあったわ。なら影響力はあると推測していいのでしょう。……もっと大量の従者を従えている一級の悪魔に頼めばよかったのに、どうしてここが私たちなのかしら」
ルインは冷笑的な、諦めの漂った笑みを浮かべて、愚痴を呟く。まあ確かにそうだ。貿易が盛んで、軍事同盟がある国に私たちみたいな少数精鋭のところが任せられるのは荷が重すぎる。恐らく、他の国の方がもっとリスクがあると判断した結果、消去法で選ばれたようなものだろうが、それにしても厳しいところがある。
「だから、私もなるべくコストを抑えて征服を完了させたいと思っていて、戦略は立てているの。もしかしたら武力での殴り合いになると非常に大ごとになる可能性があるからね。例えば、王国の近親者や高名な貴族に謀反者を作るとか農民とか市民を扇動するとか……」
ルインは右のひじ掛けに腕を置いて、頬を突いた。そのアンニュイな表情が愛おしく感じた。
「基本的に権力は王侯貴族周辺にありますから、そこを握れば意外と一国の支配はできるかもしれませんよ。なにせ農民や市民は王族や貴族の生活と完全に分断されていますから、支配者が変わることにはそういった人々は大きな関心を引かないのではないと思われます。強いて言えば、私の経験から推測するに市民の中にごく少数いるブルジョアジーが影響力を王室へ行使する可能性はありますが、その心配をするよりもいかに中心を支配するかに力を入れたほうがいいでしょう。また軍事同盟に関しては同時期に悪魔が人間界全体へ侵略をするんですから、大きな心配をする必要はない気がします。侵略が長期化して、反発が拡大し、国同士が結びつく契機が増えれば別ですけれど。そうならないためにも一部の人たちには何が起きたかわからないぐらいの速度で、征服を完了させる必要があると思います。そして、人間の側にも悪魔への理解者を増やすことが大事でしょうね。論理を練って彼ら/彼女らを説得し、信念から返させてしまえば、支配の地盤が強固になり、絶対的な影響力を持たせられると思います」
「元々人間なのにそんな流暢に悪魔への侵略計画について喋ることができるなんて流石ね。頼もしいわ」
「元々人間だからこそ、弱みがわかるんですよ。それに今、私は人間ではありませんから、奴らを肯定する正当性はないですし、勇者だった頃に酷い目に遭わされた恨みもありますしね。……私は、今の私のことを大事にしてくれている存在に身を捧げたいんです」
真摯にフィオはルインへと言葉を返す。すると、ありがとう、と彼女は呟いた。
すると、再度彼女は姿勢を正し、それでね、と言う。また、話題を変えるつもりだと、フィオは思った。
「まあ、この侵略計画の話はまだ時間があるからいいのよ。それよりも、私、フィオがどれぐらい力を持ったのか、ということを知りたいの。主人が自分の従者の力量を見極めておくのは当然でしょう?何ができるかわからない自分の駒を使うのは危険すぎるものね。ということで、一週間後手合わせ願おうかしら」
フィオはそれを聞いて、目を丸くする。
「え、それって私とルイン様が剣を交えるということですか……?」
「そうだけど、なんか文句ある?」
「いえ、そんなことはありません。突然の申し出で驚いただけです」
侵略計画の話から急に持ち出された手合いの話に、フィオは内心とても動揺していた。自然な会話の延長線上にあるような態度で、極めて彼にとって重要なことが決まったように思ったからだ。というのも彼はルインの戦闘スタイルについてはよく知らなかった。ティオネやネブリュエに断片的に魔法ではなく物理攻撃で戦うことは聞いたことがあったが、自分から詳しくは訊かなかった。彼女はあまり自分のことをつまびらかにする悪魔ではなかったので、知る機会もなかったのだ。それにルインという明らかに格上の存在が自分の相手をしてくれるということへの、畏敬の気持ちが湧き上がってきて、落ち着かなかった。
「多少は歯ごたえのある試合を望むわ。ネブリュエも年々腕が鈍っていて退屈だし、ティオネは無責任に怪我させると誰が私の世話をするのって話になるからね。私だって千年前に比べたら、勢いも腕も相当落ちていると思うのに」
フィオは胸の鼓動が速くなりながらも、それが悟られないようにあたかも冷静であるように表情を作り上げる。
「ルイン様のご期待に沿えるように努力します」
「そうね。約束よ?」
ルインの言葉一つ一つが恐ろしかった。フィオの尊厳を弄ぶような発言が、大げさかもしれないが死を誘っているような、そんな気さえする。しかしながら、自分がどうして彼女に魅了されてしまうのか、彼には分からない。自分を超えた絶対的な存在からしか感じない、オーラがあるからなのだろうか。
もちろんです、とフィオは返す。
それに対して、ルインは彼に微笑を与えただけだった。
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