出会い③

「なんの冗談だ」


 驚いて思わず彼はしかめ面でそう返した。


 「別に冗談を言っているわけじゃない。あなたは私の配下になるのにふさわしいと思うの。だってこれほど魔王城の近くに来る実力があるんだもの」


 悪魔は当然のことだと言っているかのように無表情だった。


 「俺を配下に据える意味が分からない。お前と俺の実力には圧倒的な差がある。悪魔なら俺よりも優秀な奴はごまんといるはずだ。それが分かっているのになぜそんなことを言う」


 「ずいぶん私に懐疑的なのね。素直に私の言っていることに従えばいいのに」


 「だってお前は悪魔だからだ」


 すると悪魔は小さくため息をついて、そっか、と呟いた。ただ、悪魔の顔つきに落胆しているようすは見えなかった。どちらかというと、人間ってどうしようもないやつだなという諦めを悪魔からは感じた。


 「でもね、あなたがここで死ぬのはすごく勿体ないと私は思うの。あなたの人生を私は知らないけれど、剣技とか知力とか勇者になるために研鑽を積んで努力してきたでしょう。それを死んでしまって無にするのは虚しいと思わないかな」


 「人間に同情する意味がわからないな」


 「あなたを説得するために同情してあげてるの」


 なぜこの悪魔は自分のことをそこまで配下にしたがるのかよく分からなかった。ただ、悪魔の慰めの言葉はフィオの心に沁みた。


 思えば、これほど他人から直接的に評価された経験は少なかった。大抵勇者なのだから努力するのは当たり前だ、という考え方を押しつけられてきたし、自分でもしてきた気がする。だから自分の知らない人にこうやって褒められることが、すごく心地よかった。


 「俺の人生、俺の努力……か……」


 訥々と自分の口から言葉が漏れる。いつもの自分なら恥ずかしくて言うことをさらっと避けそうな言葉だったが、自分の意識を通り抜けて体が勝手に動いた。


 「でも悪魔にとっては些細なものだろ」


 「別に私たちの能力とあなたの能力を絶対的に比較しているわけじゃないわ。能力の問題なんて後から解決できる」


 「それでも俺を配下にするメリットがわからない」


 「その傷を負ってまで生き延びようとする根性、私たちに立ち向かおうとする勇敢さはあなたの持ち得る魅力であるはず」


 「それらを持っている人間なんていくらでもいる」


 「随分卑屈なのね。でも私の提案を拒絶することはしない。受け入れられないなら、私が何を言おうと嫌だと言うはず。あなたは私の言っていることを吟味している」


 「違う、俺は」


 「私はあなたの力を私に捧げて欲しいの。その見返りとして、私はあなたに生きる意味を与えてあげるから」


 悪魔はフィオの手を取った。そしてぐっと力を込めて腕を引っ張り、彼を立たせた。手に彼の血がべっとりとついたものの、彼女はそれをあまり気にしていないようだった。


 彼女の手は彫刻のように冷たかったが、弾力的でかつ柔らかかった。彼女の肌の感覚を通じて、彼女の存在がよりリアルに感じられた。


 一瞬、この誘いに乗ればすべて楽になれるんじゃないかという思いが脳裏をよぎる。死ぬのとは別の方法で。


 しかしながら、それと同時にフィオの心の中では葛藤があった。彼女に手を掴まれた途端、反射的に自分の人生で関わってきた人たちのことを思い出してしまったからだ。彼らの顔のイメージが、明滅するように彼の意識の中に現れてくる。悪魔の誘いに同意するということは、人類の敵になるということだ。この選択は出会ってきた人たちへの裏切りになるに違いなかった。

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