大槍の悪魔④

 「あれ大丈夫なのかな。死ぬんじゃないの?」


 観客席に座ってぼんやり聞いていたティオネは隣にいたネブリュエに聞いた。


 「いくらルイン様の攻撃を防いでいるとはいえ、足はよろよろだし、目が活き活きしてないよ。それに時々攻撃を直に食らって、もう服は真っ赤だしね」


 「まだひよっこのあいつがルイン様と戦えばこうなることは、すでにわかりきっていた。だって俺とですら、あいつはいつもボロボロだ。ルイン様なんて相手にならない」


 「最初から負け試合を組まされていたんだ。ルイン様も意地悪だなあ。これでフィオが「壊れ」ちゃったらどうするんだろう」


 「しかしあいつのいいところは、ゾンビみたいに頑丈なところだ」

 「そうなの?」


 「そうだ。なぜならあいつは他人から認められるために無理をするからだ」

 「はあ。とことん奴隷根性なんだね」


 ティオネにとっては二人の試合は退屈なものだった。一方が蹂躙し、もう一方が打ちのめされるスペクタクルはドラマを一切感じなかったからだ。ネブリュエがフィオに期待を持っていたこともよく分からなかった。


 「湖水竜の時は見ていて面白かったんだけどなあ。これじゃあいじめを見させられているようで気分が悪い」


 「お前は道徳家だな」


 「そうじゃないよ。そういう趣味がないってだけ。そんな人を物みたいにしてどうするの。闘技するっていうのはお互いの生命とプライドをかけてするものであって、その時に見られる生のほとばしりというか何というか、そういう生きることへの本気さがあって初めて魅力的になると感じるんじゃないのかな」


 「それならこれから見れるんじゃないか」


 「まあさっきルイン様のアキレス腱を切ろうとしたのはなかなか姑息でよかったけどね。でも見てよほら。もう動きがあんな鈍くなってるし、全身傷だらけじゃない。これじゃあ勝てる見込みが全くないよ」


 「お前が飽き性なだけだろう。現実にお前のわがままがそのまま通る事はほとんどないぞ」


 するとティオネは急に立ち上がって、ネブリュエのことを睨めつける。

 「ネブリュエにわがままとか言われたくないんだけど!?あなただって前に私の言うことを全然聞いてくれなかったじゃない!」


 ティオネの声は四人の悪魔しかいない闘技場の空間に響き渡る。それがどうやら決闘をしていた二人にも聞こえていたようで、一瞬ティオネとルインの目が合う瞬間があった。その時、ティオネは立った時の二倍ぐらいのスピードで席に座り、両手で顔を覆った。「なんで私って、こんな……」と彼女は呟いた。ネブリュエはそんな彼女に声をかけることもなく、試合の動向をじっと見つめていた。


                   ◇


 一瞬ルインが目を離したのを見逃さなかったフィオは彼女の腹めがけて剣を突き入れた。その攻撃は槍で防がれて通ることはなかったけれども、彼女は衝撃に耐えかねて一歩下がった。そして改めて距離をとった。ルインにフィオの一撃が功を奏したのはこれが初めてだった。


 しかしルインがよそ見したことにフィオは屈辱を感じた。彼女が相手のことを全集中を向けるほどものではない考えていると分かったこと、そしてそんな彼女に対して自分は何の手立ても打てていないこと、その二重の屈辱感が彼を襲った。


 (ルイン様にとって俺は取るに足りない存在なのだ。それに対して俺自身は苛立ちを感じている。自分自身の負けず嫌いの性がこの状況に耐えられなくなっているのだ。しかしここで感情に身を任せてしまってはいけない。余計に相手に隙を与えるだけだ)


 フィオは今にも倒れそうな気分だった。全身に傷口ができ、血が滴っている。服は赤く染まっている。呼吸は荒く、そのせいか胸の奥が引き締まっているような感覚があった。


 「そんな体から血を流して……。まるでアンデッドと戦っているみたいだわ」


 ルインはそう言って、白い鎧を揺らしながらフィオの方へと近寄ってくる。彼は彼女を見逃さないように目を大きく見開いて、鞘を力強く握る。しかし普通に歩いてくる彼女に彼は何も対応しなかった。その体力がないというより、剣を振るう、うまいタイミングが見当たらないという感じだった。そして彼女は彼の目の前に立って、何か企んでいる印象を感じる笑みを作り、鞘を掴んでいる彼の両手に触れる。


 「剣がぶるぶる震えているじゃない。もっとちゃんと握らないと。……こう見ると、あなたと出会った時を思い出すわ」


 フィオは今じゃない今じゃないと剣を振るうのを遅らせていた結果、こうやって彼女が至近距離にいるのを許してしまった。


 彼女は彼を中心にしてその周りをゆっくりとぐるぐる歩く。槍の先端と石でできた地面が擦れる音が響いたり、止んだりする。


 ルインにとってもフィオが何もしてこないのは不思議に思えた。


 「ねえ、どうしてそんなに自分を追い詰めるの?私のことを見つめていても何も起きないのに。もしかして痛めつけられたいの?」


 フィオが何も言わないでいると、ルインは眉を下げてわかりやすく困ったことがわかる表情をする。そしてしばらくすると次は顔をいからせて、足の甲に槍を突き刺した。フィオは短い雄叫びをまた上げる。


 すると彼はルインの前腕を掴んだ。彼女は驚いて槍から手を離して引っ込めようとするが、好機を逃すまいとフィオは二人の腕で鎖を作るような気概でそれを押さえる。


 「ルイン様。あなたは僕なんかよりお強い方だ。だから絶対に自分からあなたを捕まえることはできない。しかしあなたから近寄ってくるなら話は別です」


 「わざと攻撃を受けて、チャンスを掴もうなんてすごく変態的なことをするのね」


 ルインは軽妙な口調で余裕さを演出しようとするも、掴まれた手を振りほどこうとするがゆえに、声が所々で力んでいた。対してフィオも両手で彼女の力に抵抗する。言うなれば、紐の巻かれた自分の体重より重たい巨岩が、空中に頬りだされて落ちそうになっているのを引っ張っている、というような感覚だった。だからこそ腰につけていた剣が抜けなかった。


 「でも、甘いわ」


 すると次の瞬間フィオの腹を槍が貫いていた。鋭い痛みに耐えかねて思わず、掴んでいた両手を離してしまう。既に傷だらけの体だが、それでも思わず地面に座り込んで腹を押さえる。空気に触れた時の痛みで顔が歪む。


 「この槍、実は魔法でできているの。物質にしか見えないでしょ。でもこのように思い通りに持ち手を変えることもできる」


 ルインの槍はさっきまでフィオの足の甲に刺さっていたにも関わらず、今はそこから消えて彼の血の手形がついてない方の手で握られている。


 そしてゆっくりとルインはフィオに近づいてきて、彼の目線に合わせるようにしてしゃがんだ。対して彼は痛む腹を覗くように頭を下げていると、彼女は指で下顎を上げて無理やり二人の目を合わせる。涙目の彼に対して、鋭い閃光のような視線を注ぐ。


 「あなたのやり方はあまりにも無謀すぎるけど、まあ悪くないわ。格上の相手に正攻法で戦うなんて愚かにも程があるからね。おっと、近づいてきた私に同じようなことをしても無駄だわ。私もそれを分かって近寄ってきているのだから。まあ今の様子だと、そんなことはできないみたいだけれど」


 フィオはルインの発言の言い返す気力もなく、ただ痛みに喘いでいる。集中がかき乱されて、耳を傾けることもできていなかった。


 「勝負はこんなところかしら。まああなたに根性があるということはわかったわ。ここで終わることもできるけど、なんなら「とどめを刺してほしい」?大丈夫1週間起き上がれないぐらいで済むから」


 しかしフィオは片膝をつきながら、よろめきつつ立ち上がって、ルインに剣を向ける。彼女はその時の彼の目つきを見て、胸が高鳴った。そこにあったのは勇者が悪魔を殺す時の目だった。人類の使命を背負ったものが、自分の命を賭けに出す時に出す凄まじいエネルギーを彼から感じた。敵を峻別し、殺意を注ぐ時の容赦ない眼差しに、ルインは「すごくいいわ……」と声を漏らす。


 フィオはルインに向かって走り出す。そして相手を威圧し、切り裂く勢いで剣を振り下ろす。実際に彼の能力が高くなっているかはわからない。しかしルインが彼に押されているのは確かで、感嘆の笑みを浮かべながら彼の攻撃を受け止める。その度に一歩一歩下がっていく。


 「そうよ。勇者フィオ。私を怖がらせるほどのエネルギーを私にぶつけるの。理性のリミットを外すのよ。私を斬り殺すつもりで、私があなたの住んでいた街を攻め滅ぼした悪魔だと思って、ありったけの憎悪を込めて剣を振るうのよ!」


 一方のフィオは自分の今の状況が頭の中では飲み込めていなかった。ルインがどうして興奮しているのかうまく掴めていなかったし、自分が苛烈に剣を振り回せているのもよくわからなかった。ただ、彼女に一矢報いたいという気持ちが彼をそうさせているのではないかと思っていた。かつて勇者だった頃も、追い詰められた際に無駄死にするのだけは嫌だと思って、なんとか相手に痛手を負わせようとしていた。その時の感覚が今の自分に戻ってきたのかもしれない。


 彼個人は勇者時代から悪魔に対する特別な強い軽蔑の感情を持っていたわけではなかった。そういう感情に駆動されて戦っていたのではなく、あくまで敵は敵なのでありそれ以上でもそれ以下でもないというドライな考えで勇者としての暮らしを送っていた。だからこそ、ルインがフィオに悪魔に対する殺意を見いだしているのは不思議に思えた。


 「私もあなたのことを殺したくてうずうずしてきた。私はそんなに人間や勇者に対して強い抵抗感を持っているつもりではなかったけど、あなたを見ていると悪魔としてのプライドが湧いて出てくるの。仲間のシンボルになってる角を見ても、奥深くであなたのことを人間だと認知してしまう」


 ルインの攻撃も激しさを増してきた。興奮状態に達しているのか、全身をほとばしる感情の流れに身を委ねて、槍を振り回している。そこには輪舞のような優雅さは持ち合わせていない。ちょっと前より戦い方が雑になっているようにも思える。しかし彼女はどこからそれを楽しんでいるようにも見えた。フィオは彼女の槍を剣で受け止めたり、躱したりして攻撃をしのぎながら、荒っぽい戦い方から生まれる隙を縫うように自分を反撃を繰り出していった。無論、この時にも力量差ははっきり表れるようで、フィオの方は躱しきれない攻撃を体で受けてはいた。しかし、彼の捨て身の戦い方ではそれが勢いを止めることはなかった。


 ある時、ルインの持っていた大槍がフィオを吹き飛ばすつもりで薙ぎ払われた際に、力がうまく入っていなかったのかそれを彼が綺麗に弾いてしまった。彼女はのけぞり、その一瞬、彼の攻撃に対して無防備になった。彼女の顔には明らかに「しくじった」とその時書かれていた。フィオはその瞬間を見逃すはずもなく、剣を振るった。


 「……!」


 ルインは槍を持っていなかった左手を前に出し、その掌に横断する赤い線が走った。彼の刃が彼女に初めて届いたのだ。そこからは赤い雫が滴り落ち、彼女は手を振るってそれを落とした。彼女は興奮状態から覚めたのか、突如落ち着いた様子になった。彼もまたそこで体力の限界が達したのか、剣を手から落として、両手を膝につきながら荒い呼吸を繰り返した。


 「いいじゃない」


 ルインは簡素にそう一言述べると、フィオを足で思い切り突き飛ばして、倒れた彼の腹に槍をぶっ刺した。彼は喉が詰まった時のような断末魔を上げたが、体に力が入らず、びくびく震えることしかできなかった。それは釣った魚にナイフで「締める」時のようなものだった。いくら悪魔とはいえ、彼の生命は限界に近くなっていたことが明らかにわかった。彼の瞼は半分閉じかけていた。


 それを見て、ルインははっと我に返った様子でフィオに近づいて座り込み、彼を抱き寄せた。


 「ごめんなさい、フィオ。ついやり過ぎてしまったわ。それに戦っている最中にあなたにあんな酷いことを言ってしまった。興奮していたとしても、そんなことを言うべきじゃなかった。聞こえているかは分からないけど、本当にごめんなさい」


 ルインはフィオの頬に接吻した。その時の柔らかい感触に彼は絶頂するような満足感を覚えて、このまま死んでもいいと思えた。そこで彼は目を閉じた。


 遠くから足音が聞こえてきた。たぶんティオネとネブリュエだろう。それを聞いて、彼の意識はぷつんと切れた。

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ヤミオチ・エクリプス 御伽草子 @sekitoba_2989

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