湖の竜②
ネブリュエ、ティオネ、フィオの三人は森の奥深くへと進んでいく。湖に打ち寄せるさざ波の音は次第に遠ざかっていき、名も知れない野鳥や獣の声がどこからともなく聞こえてくる。森は三人に対して歓迎も敵対もせずに、ただ行く末を見守っていた。
三人は互いに顔を合わせない。前のネブリュエと後ろのフィオの間にティオネが挟まるようにして、一列になって歩いていた。その間には張り詰めた空気があり、お互いに関わろうとしなかった。一番快活なティオネですら、気まずさを感じ取っているのか真顔で何も言わずにネブリュエの後をついていった。
こんな状態で、僕たちは協力しあうことができるのか? フィオの心の中には不安が立ち込める。そして凄まじい後悔が襲う。あの時自分が口答えしなければ、ただ暴力に屈していればよかったんだ。そうすれば僕は見下され、虐げられる存在として、集団の中で役割を果たせたかもしれない。しかしそれは本当にそうなのか。ティオネがいたなら咄嗟に自分を庇ってしまうのではないか。そして結局対立は免れなかったのではないか。いやいや、それは彼女に期待しすぎだ。彼女は業務上自分に対して優しく接してくれているだけだ。
フィオの頭の中では、まるで水泡のように考えが浮かんでは消えていく。その中で不安という大きな渦に飲み込まれていく。周りの景色は彼の意識の中で周縁に置かれていく。
「おい、着いたぞ」
ネブリュエのしわがれた声が、後ろの二人にはっと前を向かせる。そこには貧相なテントがあった。そのテントの膜は動物の皮でできているようで、巨大な骨(それこそドラゴンの骨なのかもしれない)でできた骨組みに乗っかっている。また、地面は平らに均されており、作業しやすい場所になっていた。三人は真ん中に篝火の跡がうかがえる小さい広場に集まる。
「ここで一体何をするつもりなんだ」
フィオは問う。
「いやネブリュエがフィオに力をつけて欲しいと思ってね。以前ルイン様に言われたと剣術の腕を磨いてほしいと言われたでしょ。それで一番いい練習相手を考えたら、ネブリュエの存在がまず頭に浮かんだんだよ。だって、私たちの仲間なんだし、丁度物理的な力を使って戦うタイプだから。私はどちらかというと魔法の方が得意だし、ルイン様では役不足だろうし、他の悪魔に頼むのは厄介なことが起こりそうだし……」
ティオネは二人に目配せするが、それに対してフィオは目線を横に逸らす。自分で自分がやっていることをダサいなと思いつつ、ネブリュエを直視してしまうと馬鹿馬鹿しい気分になりそうだった。
「それにネブリュエも腕がなまってるでしょ。だってずっと森の中で引きこもっていたんだから。力がついたらフィオもいい訓練相手になるんじゃないかな」
ティオネは二人の間を取り持っている。表情はお互いを刺激しないためなのか、にこやかだ。それを見てなんか、悪いことをしているな、罪悪感に似た思いが湧き上がってくる。でも、ネブリュエと今すぐ分かり合うのは嫌だ。
彼女の言葉の後、沈黙が続く。ネブリュエも特にそのことに対して何も言わない。フィオも言い訳がましい内側の声を聞くことに専念している。そこで彼女は一つため息をつく。それには彼女の苛立ちがこもっていた。
「君たちさあ、いつまでそんな子供っぽいことやるわけ? 魔王様から私たちに伝達があって、近い内に実際に侵略をすることになってんの。だからお互い協力しなきゃいけないでしょ。それなのに、君たちは自分の事ばっかり考えて、私の身にもなってみてよ。私は色んな仕事押しつけられて、ただでさえ苛立っているのに、これ以上面倒事を増やさないでよ」
今まで抑えていた不満が溢れて、口からとめどなく出てきたようだった。
フィオはそれを聞いてびくっと体を震わせる。温厚な悪魔だと思っていたからつい、ティオネの怒りに敏感に反応してしまった。彼女は顔をしかめて、二人の方を横目で見る。彼は我に返ったように、考えるの止めて、ネブリュエの方へと向いた。ネブリュエはそ知らぬ表情で、どこか遠くを眺めているようだった。
「俺は、できる限り協力するよ……」
消え入りそうな声でフィオは言う。ネブリュエに弱々しいところを見せることに対する羞恥心とティオネに迷惑をかけたくないという責務の感覚の狭間で出た言葉だった。
「そうだな」
そのように呟く、ネブリュエには諦めの情念が滲み出ている。これ以上ティオネと言い争っても無駄ということか。
彼女はまたため息を吐く。今度は一安心した様子だったが、どこかどうしようもなさを感じるものでもあった。
「さっきは暴言を吐いて申し訳ない。ネブリュエを刺激するようなことを言ってしまったのは後悔しているよ」
先に暴言を言ったのはネブリュエなのになぜ自分から謝らなければならないのだ、という煮えたぎるような思いになんとか蓋をして、フィオは謝罪の言葉を口にする。
それに対してネブリュエは「俺と稽古をしたいのならそれ相応の実力をつけることだ」と言って、フィオとティオネに背を向けて去っていった。むかつきで眩暈を起こし、気絶しそうだった。人間で勇者だったからといった不当に差別された上で、この台詞か。自分は彼とやっていくのは本当に無理かもしれないな。フィオはこういった思いを抱えながらも、ティオネに怒りが伝わらないようになんとか表出しないようにする。握り拳に強い力を加え、深々と深呼吸をする。そして口も堅く閉ざし、汚い発言が飛び出さないようにする。功を奏したのか、急激に高まった怒りのボルテージは瞬間的な衝動を抑えた後は、引いていった。ティオネは呆然とした表情でネブリュエのことを見ている。
「まあ実力不足なのは、事実だしどうにかするよ」
フィオはティオネへと思ってもないことを言う。しかしどうしようもないことをどうにかするしかないのだ。その先がどんな結末であろうとも。
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