湖の竜④-1
凄まじい咆哮がフィオの耳をつんざく。目の前には、先日彼らを襲った湖水竜が佇んでいる。深緑の鱗が水で濡れて、きらびやかに輝いていた。それはまるで動物が奇抜な体色を持つことで、捕食者に警戒させるようなものに見えた。しかしそんなことは構わず、フィオは腰に携えた剣を抜き、湖水竜の目の前に突き出す。その刃もまた鱗と同じくらいに、光を浴びて輝いている。
フィオは竜に動かれる前に、先手を打つために走り始める。相手は、彼の行動に気づいたのか飛び上がって、口から巨大な火の玉を放った。フィオは素早く向きを変えステップを交わして、その攻撃を避ける。火の玉は着弾すると地面を揺らすほどの地響きと轟音を起こした。辺りに焦げた匂いが広がる。
それから彼は空中で飛んでいる湖水竜に向かって、自分自身がカエルになったかのように両足を曲げ、片手を地面に付けて跳びあがる。すると、弧を描いた形で人の能力を超え出た高さまで達し、目の前に火の玉を放った時の反動を受け止めたところの竜が現れた。跳びあがった時の地面には、彼が収まりきるほどの魔方陣が現れていた。瞬時に魔法を使って、跳躍をしたのだ。それから、翼のつけ根に剣を突き刺し、それを持つことでドラゴンの体に掴まった。湖水竜は激しい痛みのためか、体をくねらせ、震わせながら、暴れまわる。剣を握る手には強烈な力が加わり、今にも折れそうだ。すると竜は次第に高度を下げ、フィオもろとも水面に突っ込んでいった。その時、咄嗟に彼は剣を抜き、ドラゴンの体から離れて漂っていった。
◇
古い記憶が脳裏によみがえってくる……。
◇
「もうダメじゃない!独りよがりに突っ込んでいっちゃ!」
シーカは血だらけのフィオに強くそう言い、それから自分の衣服が汚れることも構いなく抱きしめた。戦闘で死にかけたし説教されたが、彼は別に悪い気分ではなかった。二人の周りには同じく血だらけのリキュアとニケがいる。そしてこの四人の円周上に人だかりができている。群衆からは安堵と崇敬と畏怖の念がこもった眼差しがあった。時刻は夜で、辺りに設置されている松明が燃え盛って、村全体を照らしている。
「フィオはよくやったよ。あそこで前に出なければ確実に私たちはおろか、村全体が全滅していたかもしれない」
ニケは素っ気ない態度で言う。彼女は明らかに顔に疲れが現れていた。
今日の敵は、牛の角がある馬の見た目をした魔物に騎乗し全身を鎧で覆った悪魔だった。そいつは手に棘のついたメイスを握っていて、スケルトンやゾンビといったアンデッドの軍団を率いていた。悪魔たちは村全体を包囲し、殲滅しようとしていた。そこにたまたま勇者一行がおり、戦いに巻き込まれたのだった。
フィオは三体いたうちの二体を倒し、それによってアンデッドを操る魔法をも解消した。その際に、アンデッドに囲まれていたところを、傷を負う可能性を度外視して突撃したことをシーカに責められているのだった。しかし、それがなければ、群れの奥にいた悪魔の一匹を殺すことはできなかったとも思う。
「大丈夫だよ。俺には神様がついているから」
フィオはなんとなく自分は神という存在が好きだなと思った。死ぬかもしれない経験をしたから信仰心が湧き出してきたという理由もあったが、現実の世界にはほとんど価値を見出さず平等に救いの可能性があるというのがいい。結局、最期私は善か悪か審判を下される。どれだけ生きている最中に他者に認められていなくても、神だけは彼らのことを見てくれているのだ。
「こんな時に皮肉を言っている場合じゃないでしょ!もうっ!」
しかし、シーカにはフィオの発言が皮肉と捉えられてしまったようだ。別に全てそのつもりで言ったわけではなかったが、ただ彼の発言を真剣に受け止める彼女の素朴さには愛しさを感じる。
「お前たち、よく村を救ってくれた。感謝は伝えても伝えきれない。褒美は一人ずつやろう。それよりもまず治療と手当が必要だな。おい!お前たち!彼らに医者を手配しろ!」
人々の群れの中から初老の男性が出てきて、村人に指示を下した。おそらくここの村長だろう。フィオはありがたいと思うと同時に、いつもよくも悪くもはぐれ者扱いする人々が緊急時に手の平を返す様を見て滑稽だと思った。
「ねえ聞いた?あいつ、「よく村を救ってくれた」って言っていたよ。ほんと笑えるよね」
同じことを思ったのか、ニケがにやにやした表情をして、フィオに向かって小声で人々を冷笑する。おいおいそれを今言うなよ、と彼は苦笑する。それを聞いていたリキュアは口を挟む。
「おい、ニケ。いくらお前が気に食わないからってそういうことを口に出すのはやめろ。ここでは恩賞を素直に受け取っておくべきだ」
ニケはそれを聞くとつまらなそうな顔をしたが、ため息をついた跡、また仏頂面のいつもの態度に戻った。
フィオはこういう戦いが終わった後の緊張が解けた時間が好きだった。こういう時は非日常と日常の境目にいるような感覚になる。傷口に空気が触れることで生まれた痛みも愛おしかったし、同じ経験をした仲間と冗談を言い合えるのがいいのだ。
絶対に口には出さなかったが、フィオにとっては一緒に旅をしている仲間が全てだった。彼を一人の人間として見て、認めてくれる人たちに彼は依存していた。社会は彼のことを勇者という異端者としてみなすだろうが、そんな表層的なところだけではなく、複合的なフィオという存在を仲間は受け入れてくれるのだ。だからこそ自己犠牲は厭うつもりはなかった。それは価値判断を他者に委ねているという点で恐ろしくもある。しかしながらそれ以上に彼の人生に意味を与えてくれる存在を無視することはできなかった。
「俺は皆を助けたかっただけだよ」
そう言って、シーカを抱きしめ返す。彼女は啜り泣き続けている。なぜ自分は「助けたかった」という言葉を口に出したのだろう、そうフィオは考える。そこには本心と皮肉的な含意の両方があった気がする。村を救ったということと、村を救うということで自己救済を叶えようとしているということだ。
◇
(続く……)
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