第21話 悪い予感

残り時間は、およそ八時間。

二十三時まで、何も起きないでくれ。

願いながら、俺はトライクを駆っている。

タンデムシートから、ニニカが声を掛けてきた。


「見て。ヴォーランデルの方」


ボリュームがあっても、耳障りじゃない声。

希有な声音だと思う。

言われた通りに、振り返ってみた。


高台には、壁に囲まれた市街。

その周縁には、三倍ほどの面積を持つスラム街。

そして、広がる荒野。

……他に見えるのは?

街へ出入りする車両。

同じく、何組かの徒歩で進む人の集団。

なるほど。

あのうちのいくつかが、コンラートさんの仲間たちなんだ。

確かに、特別に目立ったりはしていない。

ニニカの見立ては、正しかった。


「お前の言ったとおりだ。今までと変わらない。自然な光景だ」

「少しは、安心できた?」

「……気がかりを、減らしてくれたのか?」


戸惑った。

何で、俺を気遣ってくるんだ?

報酬は、言い値で支払うと伝えている。

目的は何だ?

単に優しいのか?

それとも、他人をこれくらい気遣うのが、普通の人なのか?

分からない。

俺には、心の機微を感じ取る能力がないからだ。

人付き合いを疎かにしてきたせいだ。

初めて、今までの振る舞いに、後悔を覚えそうになる。


トライクを疾走させ続けて、不毛の荒野を駆け抜けた。

荒野と廃棄場を隔てる崖を駆け登り、駆け下る。


堆積するゴミと、崖の間だったはずだ。

似たような風景ばかりで、判然としない。

ゴミが移動している? いや、増えているのか?

廃棄場の縁に沿って、トライクを走らせているが、一向に穴が見えてこない。

どこだ?

僅かな窪みが、目に留まった。

トライクを停めると、走って行って、中を覗き込む。

半身がゴミに埋もれた白い巨体。

エンガインだ。


「置いてから、たった数時間だ。こんなにゴミを被るものか?」

「洗い場を借りたいなら、バジーニさんに頼んでみるけど」

「大丈夫だ。ブロムを展開して吹き飛ばせば済むことだ」


俺が行かないことを告げたからだろう。

ニニカが、トライクの前部シートへ跨がった。


「バジーニさんに、お礼を言いに行ってくる。その後で向かうから、広場に着くのは多分、十分後くらいだと思う」

「ディン以外の情報端末は、持っているか?」

「ううん。持ってない」

「少し待っていろ。俺の予備を貸してやる」


思念伝達を使って、エンガインを穴から這い出せた。

下半身が、汚液に塗れていた。

目を覆いたくなるような光景だ。

差し出させた右手に載って、エンガインの操縦房から、情報端末を取ってきた。

利用権限をメッセージアプリだけに限定して、ユーザー登録画面を立ち上げる。


「クオン番号を表示させたバングルを、カメラの上にかざしてくれ」

「これでいいの?」

「大丈夫だ。メッセージアプリは使えるようにしてある。連絡先に一件だけ登録しているのが、俺のIDだ」


引き渡してやった情報端末のロックを、ニニカが外した。

使えるようになったはずなのに、画面をじっと見つめたり、指先を押しつけたりする。

何かに、納得がいかないようだ。

困惑したような顔をして、俺を見てくる。


「他の生体認証は、どうやって登録するの?」

「使える生体認証は、クオン番号だけに限定してある」

「どうして? 面倒じゃない?」

「面倒だが仕方ない。他の生体認証は、技術的に偽造が可能だ。使うわけにはいかない」

「聞いたことはあるけど。本当に、そんなことが起きるの?」

「事例はある。近いところだと、三年前だ。ギレスのメーカーが作った情報端末が根こそぎ、やられている」

「知らなかった」

「当然だ。すぐに隠蔽される。事実を知った上で調べても、痕跡を見つけるのは難しい」

「クオン番号が、偽造されたことはないの?」

「ない。クオンは、遺産技術が生み出している。エマシン、ソルボルト、コクーン、リングなんかと同じだ。現在の技術が及ぶようなものじゃない」

「そういうことって、どうやって知ったの?」

「基本的なことは、エマシンの操縦資格を取るときに使った教材からだ。後は仕事を通して、少しずつ知った」

「資格のレベルは?」

「301、304。二つとも、最上級の資格だ。この年だと、経験年数を十年だと伝えても信用されない。説明の手間を省くために取ってある」

「301は基礎。304は確か……、格闘と射撃?」

「そうだ。もしかして、エマシンの操縦資格を持っているのか?」

「ううん。フロウギアの資格を取ったときに、見たことがあったから。それで名前だけ覚えていたみたい」

「レベルは?」

「プラチナ。だけど取っただけ。実務経験はなし」

「プラチナだと? 最上級まで取って、使わないのは何故だ?」

「使い道がなくなったから。親の仕事を手伝うつもりだったんだけど」


寂しげな微笑みだ。

余計なことを、言わせてしまった。

この話題は、掘り下げない方がいい。


「俺は、エマシンに乗って待機する。コンラートさんたちの受け入れは頼んだ。何かあれば連絡してくれ」

「そうする。貨物船のことで、何か分かったことがあれば教えて」

「分かった。すぐに伝えよう」

「トライクを反転させるから。もっと離れて?」


何をするつもりだ?

意図が読めないが、言葉に従う。

後ずさって、エンガインのくるぶしに背を預ける。


トライクを傾けると、ニニカがアクセルを一気に開いた。

勢いよく滑り出した後輪が、地面に弧を描く。

百八十度のアクセルターンだ。

反転を終えたトライクが、颯爽と走り去っていく。


驚いた。

ハンドル裁き、アクセルワーク共に迷いがない。

考えてみれば、当たり前だ。

あのトライクは、ニニカの物だ。

操縦には、慣れていたんだ。

俺が操縦していたのは、余計だったんじゃないか?

土煙を上げて疾駆していくトライクを見送りながら、そんなことを思った。


エンガインへ搭乗した。

間もなく、空が夕焼けに変わる。

日が暮れて暗くなると、廃棄場の至るところで、強い照明がたかれた。

バジーニ老人の言葉通りだ。

陰影が強くなり、風景から受ける印象が変わった。


時刻が、二十一時を過ぎる。

それまでの間に、何度かニニカ、マルシオと連絡を取り合っていた。

密航者たちの移動は、滞りなく進んでいるらしい。

十数分前に聞いた限りだと、九割の移動が済んでいるようだ。


事は、順調に進んでいる。

このまま、上手くいけばいい。

心の底から、そう願う。

情報端末が応答を求めてくる。

不吉な名前が表示されていた。

応答を許可すると、ニコラスが喋り始める。


「状況が、好転しました」

「良い悪いは、俺が判断する。起きたことを事実ベースで話せ」

「増員の確保が出来ました」

「本当か? 何体だ? いつ、ここまで辿り着ける?」

「三体です。見込み時刻は、少々お待ち下さい。……おそらく一時間前後かと」

「どうやって、見つけ出したんだ?」

「先方から、連絡がありました」

「……どんな奴からだ? 変な奴を掴んだんじゃないだろうな?」

「先の作戦に参加していた、ヴァレリー社の三名です」

「近くに落ちていたのか。エマシンの状態は?」

「分かりません」

「確認して、後で知らせろ。損傷具合と装備を訊くんだ」

「分かりました」

「あの素人くさい奴が、よく連絡して……」


そこまで口に出して、ふと気づいた。

すうっと、背筋が冷えていく。

悪い予感だ。


「……念のため訊く。そいつらの使った接続元のキャリアは、どこだった?」

「分かりません」

「確認したのか?」

「いいえ」

「だったら、分かりませんは間違いだ。確認していませんが正しい。二度と言い間違えるな」

「はい」

「確認しろ。今すぐにだ」

「少々、お待ち下さい」


操縦房の内壁に映る、時刻表示を見つめた。

秒の進みを、長く感じる。

どれだけ願っても無駄だ。

予感が外れることはない。

分かっていながら、待つしかないのだ。

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