第7話 アルエナ通り

いくらピンハネされるんだろうか?

タチの悪そうな男から、少年に目を向けた。

明らかに、怯えている。

男が現れる前とは、雰囲気がまるで変わっていた。

快活さは、欠片も見当たらない。

これが、彼の日常なのだ。

俺にしてやれることなど、知れている。


「助かった。約束のチップだ」

「一万五千ギット……? 五千ギット、多いけど?」

「よくやってくれた礼だ」

「二時間後は、十四時十分だから。それまでには戻ってきて。遅れると、延滞料を取られるから」

「お前は、この辺りにいるのか?」

「声は、誰に掛けてもいいから。もう行くね」

「最後に、もう一つだけ。近くに、飯を食えるところはあるか?」

「一番近いのは、アルエナ通り。誰でも知っているから訊いてみて。それと、もう一つ。エフサ地区だけには、近寄らない方がいいから」


そう言い残して、肩を落とした少年が走り去っていった。

少年の駆け寄っていく先にいる男が、エンガインをじっと見つめている。

何が気になるんだ……?

型は古いが、骨董的な価値があるわけじゃない。

こちらが見ていることに、気づいたのだろう。

背を向けると、立ち去っていく。


「ここに停めて、本当に大丈夫なんだろうな……?」


急に、不安になってきた。

だが、街に入るためには、今はここに停める以外の選択肢がない。

それに、既に二時間分の利用料を支払った。

高くはないが、無駄にするのは勿体ない。

いくら考えたところで、答えが出るものではない。

行こう。

これだけの数が、停められているんだ。

きっと、大丈夫だろう。

まあ、何かあれば、ここには五十体もエマシンが停まっているんだ。


(どれか、一体くらいは何とか……)


首を振って、打ち消した。

良くない強硬手段を、思いつきそうになったからだ。

エマシン溜りとされる木枠の向こうへ、視線を彷徨わせる。

見渡す限りに、粗末な家屋が、密集していた。

建材には、ありとあらゆるものが使われている。

木っ端、端布、瓦礫、金属片など、とりとめがない。

好き勝手に、家屋を建てているのだろう。

雑然としている。

区画整備などは、全くされていない。

家屋の隙間が、道として機能しているようだ。

辺り一帯が、絵に描いたような無秩序である。

まさに、典型的なスラム街だ。


(どの惑星でも、どんな街でも、変わらないものだな……)


幾つかの通りに、人の出入りが集中していた。

現在時刻は、十二時を少し過ぎている。

昼食を求める人出なのだろう。

客層は、殆どが成人男性だ。一様に肉体労働系だと分かる風体をしている。

時折、少年の姿も目に付いた。使い走りなのだろう。

行き交う人々と、混迷を極める家並みを眺めていると、一際、人通りの多い通りが目に付いた。

近寄ると、煙に混じって、苦い匂いが漂ってくる。

何の匂いとは言えない。

あらゆる食材の焦げを混ぜたような、煤けた匂いだ。


(食材の善し悪しや鮮度なんかはお構いなしに、火を通せば売り物にしているんだろう)


幼少期の失敗体験が、頭をよぎった。

魚介類には、手を出さないようにしよう。

過去の経験が警鐘を鳴らしてきたので、そう心に決める。

通りは、かなり賑わっているようだ。

喧噪が、ここまで伝わってくる。

通りから出てくる人は、皆、足早だ。

人の良さそうな二十代くらいの男の前に立ち塞がる。


「すまない。少し教えてくれ。この通りの名前は、アルエナか?」

「……そうだけど」

「物盗りじゃない。身構えるな」

「悪いけど。急ぐから」


引き留める間もなく、立ち去っていった。

追いかけようとしたが、上手に人の流れに紛れていく。

多分、彼なりの特技なのだろう。

……くそっ、そんなに人相が悪いのか?

違うな。多分、腹が減っているせいだ。

気を取り直して、二メートルにも満たない道幅の狭い通りを覗き込む。

ぞっとするほどの人混みだ。

見えるだけで、ざっと四、五十人は居るだろうか?

入る隙間が見当たらない。

ただ、すえた匂いの中に、香辛料の香りが、はっきりと漂い始めている。

煙たさの中には、微かだが、確実に肉の香ばしさが感じられた。

思わず、唾を飲む。

空っぽの胃袋を、強く意識した。

意を決して、通りに足を踏み入れた。

両肩が、人とぶつかり合うが、構わず通りを進む。

しばらく進むと、通りの左右に店舗が並び始めた。

どの店先にも、人が群がっている。

所々の軒先には、極小の飲食スペースがあり、そこからは人が溢れ出ていた。

あらゆる種類の食べ物の匂いが、混ざり合って渦巻いている。

どこでもいい。

とにかく店先にたどり着きたい。

人を避けて歩くのを、もどかしく感じる。

すれ違った男が齧りつく、炙った肉に目を奪われた。

鶏の腿肉である。

皮がこんがりと焼けていて、香辛料が振られていた。

囓り取られた白い肉の断面から、透き通った油が染み出している。


「それは、どこで買えるんだ?」

「そこだ。赤い暖簾が見えるか? あの店だ」

「旨いよな?」

「もちろん。この辺りでは、一番だ」


満面の笑みである。

口の周りを脂で濡らした男が頷いてみせてきた。

頭を下げると、一直線に店へ向かう。

肩がぶつかり合ったが、構っている余裕はない。

店先の焼き台には、大量の腿肉が、ずらりと並んでいる。

滴った脂が、炭火に落ちて、爆ぜていた。

炭の匂いに混ざった、鶏の香ばしさが溜まらない。

煙の向こうにいる四十代くらいの女性が、首に掛けた手ぬぐいで汗を拭っている。

焼き台にずらりと並ぶ腿肉を、生唾を飲みながら吟味した。

きつね色に焼けた、鶏皮に脂が染み出した肉厚の一本に目を付ける。


「一本、もらえるか? これがいいんだが」

「あいよ。ディン以外なら、キャリアを教えてくれるかい?」


真剣な眼差しは、焼き台から離れない。

間違いのない店のようだ。

是非とも、ここの鶏肉に齧りつきたい。


「すまない。電子ギットは使えないんだ。クオン・バングルだと駄目か?」

「……旅人だね?」

「そうだ。手間を掛ける代わりに、纏めて買おう。それでどうだ?」

「好きにすればいいよ」

「三本もらえるか。いくらだ?」

「千二百ギットだよ」


煩わしそうにアームバングルを嵌めると、左腕を差し出してきた。

代金を支払うと、こんがりと焼けた鶏腿肉を紙袋に入れていく。


「俺が旅人じゃなかったら、どうしたんだ?」

「……はいよ。ローストチキン三本」

「この街でも、クヴァントは見下されているんだな」

「他と一緒さ。毎度あり」


受け取った紙袋が、手のひらに熱のある重みと柔らかさを伝えてきた。

もう、一刻も待てない。

店先を離れて、すぐに紙袋を開いた。

スパイシーな香りが、鼻腔を通って脳天に染みる。

堪らず、銀紙で包まれた骨を掴んだ。

皮目がパリッと焼けて、脂で艶めく厚みのある鶏肉である。

思い切り、齧りつく。

じゅわっと肉汁が溢れ出てきた。

口いっぱいに含んだ、弾力のある柔らかい身を咀嚼する。

しっとりとした鶏肉から旨みのある肉汁が、これでもかと染み出た。

皮の香ばしさと、ハーブの匂いが鼻から抜ける。


(ああ……、旨いっ)


肉の塊が、次々と食道を通り胃を満たしていった。

身体が熱を取り戻していくのを、はっきりと感じる。

気がつくと、手にしているのは白い骨だけだった。

紙袋の中から、もう一本を取りだす。

今度は味わうことを意識した。

二本の骨をゴミ箱に捨てると、更に二本を追加購入してバックパックに仕舞う。


(まだ、食えるな)


半日ぶり以上の食事だったからだろうか。腹を満たしたはずなのに、更に強く飢餓感を感じていた。


(とりあえず通りの端まで、店を覗きながら歩いてみよう)


当座の空腹を満たせたおかげで、店先の料理を吟味する余裕が生まれていた。

行きつ戻りつをしながら厳選した、柑橘類を搾った生ジュース、ざく切りのフライドポテトを食しながら歩く。

そろそろ、しっかりとした食事で腹を満たして終わりにしたい。

そう考えていると、軒先の椅子に空きを見つけたので、急いで陣取る。

給仕の少年に頼んで持ってきて貰った、空心菜やキクラゲの野菜炒めと水餃子にシンプルな焼き飯を合わせて堪能した。

すっかり腹が満ちると、気持ちが落ち着いていることに気づく。

クオン・バングルに、時刻を表示させる。

間もなく、十三時だ。

そろそろ昼時は終わる。

そう気づいて通りを見渡すと、人通りが減っていた。

最初の頃の半分くらいのように見える。

まだ一時間は、余裕があった。

街を見て回ろうか?

……いや、やっぱり戻ろう。

土地勘のない場所で、トラブルに巻き込まれたら敵わない。

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