第10話 ニニカ・ライアー
エンガインの足元。
一人の若い女性が、見上げてきている。
すれ違うだけでも、しばらくは心に残り続ける。
そのレベルの可愛い顔だ。
なので、言い切れる。
会ったことはない。
身体の様子で分かるのは、身長くらいだ。
百六十センチくらいだろうか?
その他は、見て取れない。
オリーブ色の日除けマントで、隠されているからだ。
オーバーサイズで、実用一辺倒の作り。飾り気がない。
だが、とても似合っている。
何故、そう感じるのか?
女性の醸し出す可憐さが、圧倒的だからだ。
無骨な衣装は、その引き立て役としての機能を果たしている。
ファッションには疎いので、詳しいことは分からないが。
多分、普通は、あんな風に着こなせないんだろう。
(モデルか、何かなのだろうか……?)
……いや、いつまで見惚れている?
話しかけてみよう。
エンガインの外部音声を使って、声を掛ける。
「何の用だ?」
「困っているんじゃない? 手伝えると思うけど」
「唐突だな? 何者なんだ?」
「ニニカ・ライアー。何でも屋……、みたいなものかな? この辺りのことなら、詳しい方だと思う」
「どうやって、ここに辿り着いたんだ?」
「話しているのが、聞こえたから」
エマシンの残骸へ視線を向けた。
先刻、エンガインに屠らせた二体である。
「飯の種になると踏んだのか?」
「そんなところ」
「いくらで雇われる?」
「内容次第。ねえ? 上を向きっぱなしだと疲れるんだけど。降りてきて、顔を見せてくれない?」
「分かった。少し待ってくれ」
エンガインを膝立ちにさせた。
右手に運ばせて、地面へ降り立つ。
視線の高さが合うと、顔の作りが、よりはっきりと分かる。
気後れを感じるほどの美人だ。
少し驚いた表情をして、俺を見てきている。
「ずいぶんと若いんだ? エマシン乗りになって、何年なの?」
「そんなことを知って、どうする?」
「ここの三体と、向こうの一体。一人で、やったんだよね?」
「他に、居るように見えるか?」
「……もう少し、普通に話してくれない? 私、あなたの敵じゃないんだけど?」
「……? どこか変だったのか?」
小さく頷かれていた。
何かを納得……いや、気にしないことを決めたような雰囲気である。
何だ?
俺の態度は、この惑星の普通とは、どこか違うのか……?
「うん。大体、分かったから。もう気にしないで」
気を取り直しやがったな?
明るい声で話しかけてきた。
勘に障る。
一体、何がおかしかったんだ……?
説明が、足りなかったのか?
「エマシン乗りになって、十一年だ。年齢は二十一歳」
「ありがとう。それで、今は何に困っているの?」
距離を詰めてくると、下から覗き込んできた。
思わず仰け反る。
親しげに微笑む、可愛い顔が近すぎたからだ。
「エマシンを隠せる場所を知っていれば、教えて欲しい」
何を素直に喋っているんだ?
自分でも驚いていた。
女性への免疫のなさが、調子を狂わせている。
情けないが、……まあ、いい。
分っていれば、次からは気をつけられるだろう
「道案内と先方への交渉を含めて、五万ギット。手付金は半額。それでもいい?」
「どのくらいの時間で着くんだ?」
「トライクで、四十分くらい」
「分かった。クオン・バングルは、持っているか?」
「ちょっと待って。今、着けるから。……はい。お願い」
「二万五千ギット。送ったぞ。確認してくれ」
「確かに。じゃあ、後ろから付いてきてくる?」
「時間がもったいない。エマシンで運ぶ。いいな?」
思念伝達を、エンガインに送った。
十メートル以内にある無人のエマシンは、外部から操作できる。
ゆっくりと、巨大な手を近づけさせた。
「良くないから! その左手、下げてくれない!?」
「大丈夫だ。落としたことはない」
安心させてやろう。
エンガインの左手を遠ざけて、指を一本ずつ動かしてみせた。
手品師には劣るだろうが、滑らかで複雑な指使いである。
「そういうことじゃないんだけど? トライクは、その器用なエマシンの手で運んで。私は操縦房に乗せてくれる?」
「分かった。手を貸せ」
操縦房に乗るのか?
まあ、本人が言うんだから、いいのだろう。
……いいはずだ。多分。
エンガインの右手を開いた。
先に載って、手を差し伸べてやる。
触れてくるのは、白い指だ。
艶やかで細い。
恐る恐る、そっと掴む。
強く掴むと、壊しそうな気がしたからだ。
そのせいで、全然、安定感を与えられていない。
少し躊躇ったが、背中へ腕を回してやった。
……嫌がっている、素振りはないな?
余り力を入れすぎないようにして、抱き留めてやった。
……柔らかい。
そして、細身で軽やかだ。
「エマシンの手を動かす。いいな?」
「いいけど。……何を見ているの?」
小さな頭が、後ろを向く。
俺が遠くを見ていたからだ。
何を見ているわけでもない。
間近にある美しい顔と、視線を合わせられないだけだ。
エンガインの掌を、緩やかに上昇させ始めた。
ふわっと、心地よい香りが漂ってくる。
「どうかしたの? 身体が強ばったみたいだけど」
「何でもない。キョロキョロしないでくれ。危ないから、掴まっていろ」
「……ごめん。これでいい?」
シャツの胸元を、両手で摘まんできた。
見上げてくる碧い瞳と、視線が重なる。
長い睫に縁取られた綺麗な形をした目だ。
美しい曲線の眉、すっきりとした鼻梁、ふっくらとした唇、柔らかそうな頬、間近にある顔のパーツを眺めていく。
思わず息を飲んで、また目を逸らした。
「何? やっぱり、何か気になるの……?」
「いや。そんなんじゃない。降りよう。足元に気をつけてくれ」
エンガインの首元に降り立ってから、手を引いてやった。
開いたハッチから、操縦房へ飛び込む。
液体が満ちているのに、抵抗も浮力も感じない。
シートに座って見上げると、覗き込んでくるニニカと目が合った。
戸惑っているように見える。
「そこ、降りて大丈夫なの? 床が見えないんだけど」
「外が透けて見えているだけだ。床も内壁もある」
もしかして、知らなかったのか?
面倒だが、実演してみせるのが一番早い。
操縦席から降りて、床の上に立ってみせた。
「椅子へ戻ってくれる? 今、立ってくれたところに、降りてみるから」
「どこに降りても大丈夫だ。こうやって歩いて回れる。内壁だって、触れているのが分かるだろう?」
内壁に触れながら、操縦房を一回りして、操縦席に着いた。
床から二メートルの高さにある、操縦房の出入り口から、ニニカが姿を消す。
エンジニアブーツを履いた右足が、降ろされてきた。
つま先を伸ばして、恐る恐る差し入れている。
見かねて、ブーツの底へ右手を添えてやった。
「操縦席の肘掛けを踏ませてやる。それまで支えてやるから、体重を預けてこい」
「いいの? 靴底、ゴツゴツして堅いでしょう? 手、痛いと思うけど?」
「気にするな。それよりも、早くしろ」
「ありがとう。お願い」
軽い。
体重を伝えてきたようだが、大した重さは感じない。
厚い靴底の踵を支えて、ゆっくりと降ろし始める。
臑より上は、素足だった。
手を下ろしていくにつれて、徐々に降りてくる。
すっきりと引き締まった、ふくらはぎ。
淡く筋の浮かぶ、透明感のある膝裏。
肉感的で、柔らかそうな太もも。
それにしても、長い脚だな?
ひらっとした薄い布地が、太ももの根元を隠す。
覗き込みそうになって、はっとした。
慌てて、視線を下へ向ける。
支えている手を、震わせてしまった。
ニニカが焦った声を出す。
「何? どうかしたの?」
「今、肘掛けの上に、足を降ろしてやった。スペースはあるから、左足も降ろしてこい」
体幹が強いらしい。
肘掛けの上で、両足を揃えると、その上でしゃがんだ。
右足を伸ばしていくと、つま先で床の具合を確かめている。
接地感があったのだろう。
左足も降ろすと、見えない床の上に立った。
透明の床を、指先で確かめてから手のひらで撫でる。
次いで、腕を伸ばして、内壁の位置を確かめている。
「本当。見えないだけで、床と壁は、ちゃんとある」
「エマシンを立たせる。こっちへ来て、座ってくれ」
シートへ深く腰掛けて、内股を開いてみせた。
無心。
何が触れてきても、気にしない。
そう決めて、待つ。
だが、近づいてくる様子がない。
不審な表情が、俺を見つめている。
何だ?
操縦房へ乗せろと言い出したのは、自分からだろう?
「……そこへ座るの?」
「歩き出したら、立ってはいられない」
「試してみてもいい? 運動神経は、いい方なの」
「気が済むようにすればいい。手を貸せ。掴んでいてやる」
安全の確保は必要だ。
ニニカの細腕を、右手でしっかりと掴む。
フットペダルを、静かに踏み込んだ。
エンガインが、一歩を踏み出す。
掴んだ細腕から、大きな揺れが伝わってきた。
「……きゃっ!? 待って!? こんなに!?」
分かったようだな。
エンガインの歩みを止める。
一連の動作中、俺の座るシートは全く揺れていない。
「操縦房の内壁は、球形をしている。この椅子の土台は、内壁をなぞるように移動して、水平を保つ。座ってくれ」
「……背中、預ける感じでいい?」
「好きにしていい。楽にしてくれ」
目を伏せたニニカが、背を向けてきた。
恥ずかしそうな表情をされると、こっちだって困るんだ。
日除けマントを入念に、身体に巻き付けている。
カーキ色の布に包まれた腰が下ろされてきた。
限界まで内股を開いてやる。
……が、限度があった。
どうやったって、柔らかな弾力が、内股に触れてくる。
思わず、天井を仰ぎ見た。
すぐに理解する。
完全に意識を背けるのは、不可能だと。
逆に、何か一点に注意を向けるべきだ。
温もり。
……よし。何とかなりそうだ。
軽い背中を預けてくると、何度か小さく身じろぎをしてきた。
肩口で切り揃えられた金髪が揺れる。
優しい香りが、ふわりと広がった。
「……ねえ? 息してる? 身体、固まってるみたいだけど?」
ニニカが顔だけで、振り返ってきた。
心配は、しなくていい。
だから、とにかく、じっとしていてくれ。
浅い呼吸を繰り返しながら、そう強く願った。
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