第19話 手遅れ

病院の待合室。

居るのは、俺たち三人だけ。

まだ、夕方前である。

患者が一人も居ないのは、何故だ。


「診療時間が、過ぎているのか?」

「違う」


長椅子の間を、足早に男が通り抜けていった。

奥にある扉をノックする。


「先生。さっき話した奴を連れてきた。通していいか?」

「どうぞ。お願いします。あなたも一緒に入ってください」


男性の声だ。

声音は和らげ。

口調は、ややゆっくり。

総じて、聞き取りやすい。

人に説明することに慣れた話し方だ。


ノブを引いた男が、室内へ入っていく。

扉は開け放したままだ。

辺りに漂う、薬品の匂いが強まる。

近づいて、部屋の中を覗き込んだ。


雑然とした部屋だ。

至る所に、物が積み上がっている。

机と椅子、ガラス棚があるところから、おそらくは診察室なのだろう。

室内に居るのは、先ほどの男だけだ。

おかしい。

声はしたんだ。

コンラートさんは、どこにいる?


天井から、白いカーテン吊られていた。

部屋を間仕切っている。

向こう側に、いるのか?

不意に、あちら側からカーテンが開かれてきた。

姿を現したのは、長身の男だ。

百九十五センチは、あるんじゃないか?

痩せた身体に纏うのは、くたびれた白衣だ。

線の細い印象の顔に、フレームの細い眼鏡を掛けている。

頬がこけて、血色が悪い。

医者の不養生を、地でいったような雰囲気だ。

歩き方に違和感がある。

脚が、少し悪いようだ。

僅かに、右足を庇うような歩き方で近づいてくる。


「ようこそ。コンラート・ライスターです。よく、おいで下さいました」

「ビュッサー社のイリス・ハインです。カペル社に旅行を依頼した代表の方で間違いないですね? クオン番号を確認させて下さい」

「どうぞ。ご確認下さい」


左手首に嵌めたクオン・バングルをみせてきた。

細い金属の表面に、三十二桁の光る文字が表れている。


クオン番号だ。

重複せず、不変であり、偽造は出来ない。

装着者の生態情報を元に、割り振られた番号だと信じられている。

かつては、個人を識別する唯一の手段だった。

だが、今ではその役割は、ディンの情報端末に取って代われている。

現在でも常用しているのは、俺たちのような立場の人間だけだ。


さて、確認は終わった。

情報端末に表示した番号と、一致している。

間違いなく、コンラートさん本人だ。


「結構です。確認が取れました」

「それは、いいのですが……」


疑念。

いや、何かに戸惑っているようだ。

俺に、不審なところがあるのか?

話しかけようとして、眼鏡の奥を窺った。

俺を見ていない。

後ろ?

室内に入ってきた、ニニカを見ている。


「そちらが、カペル社の方なのでしょうか……?」

「違います。彼女には、ここまでの道案内を頼みました。案件には参加しません」

「こちらの人数は、それなりに多いのではと思っていました。しかし、今いらっしゃっているのは、イリスさんだけ。お一人です。他の方は、後で来られるのでしょうか? いきなりで、すみませんが、この後の段取りについて、ご説明を下さいませんか?」


言い辛い。

痛いほど、必死な気持ちが伝わってくるからだ。

依頼のために、おそらく全財産を投げ打っているはずだ。

生半可な覚悟では、なかっただろう。

それほどまでして、ここから出て行きたいんだ。

俺の言葉が、その望みを断ち切る。

言い淀みたくなってきた。

だが、誤魔化すことも、先延ばしにすることも出来ない。

状況は、好転する兆しがなかったからだ。

それどころか時間が過ぎるごとに、確実に悪化していく。

はっきりと、告げなくてはならない。


「今回の案件は、キャンセルして下さい」

「……はい?」


コンラートさんが、目を丸くした。

表情を、引きつらせている。

ここまで案内をしてくれた男、それに後ろにいるニニカも息を飲んだようだ。

室内が、静けさに包まれる。


「コンラートさんの方から、依頼の取り消しをして下さい。そう言いました」

「冗談でしょう? 止めて下さい。我々の生活、将来が掛かっているんです」

「この案件は、明らかに準備不足です。このまま進めても上手くはいきません。確実に失敗します」

「……確認させて下さい。今のお話はイリスさん個人の見解ですか? それともカペル社からの正式な提案ですか?」


射るよう眼差しが、俺を見据えてきた。

どうする……?

後者だと言えば、きっと諦めてくれるだろう。

嘘を吐くか?


「……前者です。カペル社、弊社、そしておそらく他の協力会社は、話を進めるつもりでいます」

「良かった。それでは、前向きに話を進めましょう」


嘘を吐く必要はない。

当然、ここまでのやりとりだけで判断するのは、早計だとは思う。

だが、おそらくコンラートさんは、用心深い性格だ。

事実を知れば、きっと依頼を取り下げてくれる。

そう信じて、誠実に話す。


「最初に、事情をお話しします。聞き終えた後で、考えが変われば、遠慮せずに言って下さい」

「変わることは、ないと思います。お話し下さい」

「現時点で、確定していることをお伝えします。皆さんを乗せる貨物船は、ヴォーランデルへ向けて出発しました。本日二十三時に到着する見込みです。警護は、俺一人です」

「……それだけですか?」

「はい。他は、全て未定です」

「貨物船には、全員が乗れるんですよね? 手配されているのは、何隻なんですか?」

「不明です。どこに着陸するのか、……出来るのかも決められていません」

「警護は他の方が、時間までに合流されるんですよね? エマシンは……? まさか、生身のイリスさんだけではありませんよね?」

「増員の手配は、しているそうです。ただし、見込みはありません。なので現時点で、警護に当たるエマシンは、俺の乗る一体だけです」

「そんな……」

「分かれば教えて下さい。この街に常駐するディンのエマシンは、何体くらいですか?」

「はっきりとはしませんが……。多分二十体前後かと」

「決定事項は、お伝えしました。この後、どうするのか。もう一度考え直してみて下さい」


コンラートさんの顔面は蒼白だ。

呆然とした目で、俺を見ている。


嘘は吐かなかった。

これ以上は、伝えてやれることはない。

後は、考えを翻してくれるのを待つだけだ。


室内が、静まりかえっている。

振動音が、静寂を破った。

机の上で、情報端末が震えている。

条件反射なのだろう。

考え事をした様子のまま、コンラートさんが手にした情報端末を耳に当てた。

驚いた様子で、慌てて少し耳を離す。

相当に、大きい声で話されてきているらしい。


「どうされました? ……え? 何ですか? もう一度ゆっくりとお願いします。……どうして知っているんですか? ……違います。隠すつもりなんてありません。私も、数分前に聞いたばかりの話なんです。……え!? いや、待って下さい。この話は……」


耳から離した情報端末を、困惑した表情で見つめた。

通話は、切れているのだろう。


「どうされました?」

「……少し、お待ち下さい」


情報端末を机に置いた。

道案内をしてくれた男を、コンラートさんが見る。


「マルシオさん。ご存じでしたら、教えて下さい。どうして皆さんが、この話をもう知っているんですか?」

「……知らなかったんだ。こんな事情だったなんて」

「皆さん、もう旅支度を始めていました。住処を引き払ったり、家財道具を処分したり。なけなしのお金で、旅に必要な物を買ったりしているそうです」

「止めてくる」

「すっかり元通りになるのなら。止めてきて下さい」

「……」


マルシオが俯いて、黙り込んだ。

コンラートさんが微笑を浮かべている。


「キャンセルは、出来なくなりました」

「まだ、そんなに時間は経っていないはずです。間に合いませんか?」

「皆さん、ギリギリの生活をしていました。権利や財産は、数えるほども持っていません。手放すのは簡単なんです」

「今、止めても元の生活には戻れない。それどころか、更に酷い生活に落ちる。そういうことですか?」


コンラートさんは静かに頷いた。

悲壮を通り越して、諦めの表情を浮かべている。


「どうして、こんなことに……」

「嘆いていても仕方ありません。話を先へ進めます。取り急ぎ、最新の状況を確認しなければなりません。ディン以外に、使えるキャリアはありませんか?」

「すみません。街の外へ繋がるキャリアは私の端末では。マルシオさんは、どうですか?」


マルシオが情報端末を差し出してきた。

型式は古い。

受け取って、画面を見る。


「リィック!? 間違いない。本物だ。何故、ここから繋がる?」

「早く使ってくれ。繋いでいる時間だけ金が掛かる」


なるほど。

光通信ユニットを使った商売と言っていたのは、これだったのか。

納得しながら、パスワード認証でゼルエンのネットワークへログインした。

見慣れた、俺の画面レイアウトに表示が切り替わる。

メッセージアプリを立ち上げて、ニコラスを呼び出した。

スピーカーモードをオンにする。

鳴り続けていた呼び出し音が、室内に響いた。

程なくして、音声のみでの通信が確立した。

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