第2話 アフナ・ピラー

無重力だ。

俺の搭乗するエンガインは、宇宙空間を漂っている。


眼下に見えるのは、第五惑星バルテルの雄大な姿だ。

渦巻く白い雲と大地の起伏までが、くっきりと見渡せる。

ナイン・ノード・クラスタに属する、五番目に開発と結節がされた惑星だ。


ナイン・ノード・クラスタには、九つの惑星が存在していた。

驚くことに、全ての惑星で、五つのことが共通する。


直径。

自転周期。

重力の大きさ。

大気組成。

衛星の数。


誰もが、疑問に思う。

これだけのことが共通する惑星が、近傍に存在するのか?


当然、存在するわけがない。

九つの惑星は、天文学的にはお互いを観測できないほど、距離を隔てて存在している。

では、なぜ行き来が出来るのか?


可能にしているのは、月軌道上に浮かぶ構造物リングだ。

外見は、直径千キロメートルを超える円環。

輪の内側を通り抜けることで、瞬時に別の場所へと移動できる。

遺産技術が生み出した、物理的な距離を無視できる移動手段だ。


リングは、惑星間を繋ぐ流通の要だ。

例えるなら、大動脈である。

これだけでは、全身に血流を行き渡らせることは出来ない。

もう一段階、細かい血管が必要なる。

それに当たるのが、軌道エレベーターである。


今、俺が向かおうとしているのは、惑星バルテルの軌道エレベーターだ。

名前は、アフナ・ピラー。

全長は、約十万キロメートル。

バルテルの赤道付近から、漆黒の宇宙へ真っ直ぐに伸びる長大な糸のように見えている。


(もう、距離は十分に取っただろう)


後ろを確認した。

ケーニンガーは、どこだ?

……あった。

既に、十センチ程度の大きさにしか見えなくなっていた。

だが、実際の大きさは、百メートルを超える。


(よし、十分に離れた)


これだけ離れていれば、スライトの余波が届くことはない。

視線を、前方へ向ける。

アフナ・ピラーを、正確に正面へ捉えた。


(行くぞ!)


フットペダルを踏み込んだ

スライトが作動する。

発生させた強烈な衝撃波が、途轍もない速度で、エンガインを加速させる。


(……身体が重い。だが)


操縦房の有り難みを実感する瞬間だ。

衝撃を数万分の一まで、緩和してくれる。

もし、この機能が備わっていなければ?

考えるだけでも、恐ろしい。


(気配が近づいてくる。どこだ?)


視線を左側へ向けた。

目視は出来ない。

だが、エマシンが張るブロムの気配を感じる。

六つが、密集しているようだ。


気配が消えたり現れたりを、断続的に繰り返す。

六体は、スライトを連続して作動させていた。

おそらく、俺に近づいてくるためだろう。


「ニコラスの奴、素人を六体も寄越しやがったな……」


思わず、毒づく。

足元から届く惑星の輝きに混じって、漆黒の中から、六つの微光が近づいてくる。

いずれのエマシンも、体表は銀色で、均一の外観をしていた。

第五世代の最後期に作られた、最も普及したタイプのエマシンである。


(……そんなことは、どうでもいい)


問題は、その動きだ。

六体のエマシンは、動きにまとまりがない。

こちらと並進するために、スライトの作動を繰り返している。

目に余る操縦技術だ。拙すぎる。

余計なことをと思いつつ、声を掛けてしまう。


「実戦では、そんな操縦はするな」

「なんです? いきなり」


説明が必要なのか?

ため息が出る。

同じエマシン乗りのよしみだ。

注意するべきことを、簡潔に告げてやる。


「スライトを作動させた後、三、四秒はブロム強度が、ゼロになる。ブロムを張っていなければ、ブラスト砲は防げない。直撃すればエマシンは、跡形もなく蒸発する」

「そんなことは、言われなくても分かっています」

「行動が伴わなければ、意味がない。改善しろ」

「侮らないでください。ブラスト砲に射貫かれるようなヘマはしません」


思い込みが激しい奴のようだ。

こいつの認識を改めさせることは、俺の仕事ではない。

素性の確認を進めることにする。


「ニコラスが寄越した増援。お前たちだな? 全員が揃っているのか?」

「ヴァレリー社からは私、ライツを含めてミル、ニルスの三名で全員です」


六体のうち、先頭に位置する三体のエマシンが右手を挙げてみせた。

それぞれがブラスト砲を右手に構えていた。

背中には白兵戦用武器を懸架している。

大剣、戦槌、長槍のようだ。

後ろに続く三体のエマシンが、先行に倣う。

順番に、右手を挙げてみせてくる。


「ロトロ社はカスパル、マリーケの二名です」

「ボッチィ社のリンツ。弊社から参加するのは、私一名です」


行儀のいい奴らだ。

何で、エマシン乗りなんかをやっている?


「ホラント社のイリスだ。六名とも、俺の指揮下に入ってもらう。……とは言っても、お前たちの技量では、連携した作戦は出来そうにもない。先行するのは俺だけだ。お前たちは、各自で勝手に防戦でもしていてくれ。相手から距離をとって、ブロムを張り続けていればいい。そうすれば少なくともブラスト砲に、やられる不名誉は避けられる」

「我々には、前へ出るなと?」

「そうだ。お前たちが無駄死にすると、俺の指揮能力が疑われる」

「我々も、戦果を挙げる必要があります」


説明はしてやったんだ。

理解ぐらいはしてくれ。

本当に頼む。

……いや。出来ない奴に、何を期待しても無駄だ。

切り捨てるより他ない。


「その程度の腕な上に、ブロム強度が二千にも満たない。はっきり言ってカモだ。間違いなく一太刀で討ち取られる。止めておけ」

「いいえ。止めません。それで、相手の数は? 何体なんですか?」

「三十体は、超えないそうだ」

「三十体!? 聞いていません!!」

「そうか。生き残ったのなら、次からはビュッサー絡みの仕事は受けないことだ」

「増援は!?」

「ここにいるだけだ。俺はアフナ・ピラーへ仕掛ける。この宙域で、これから三十分。二時まで生き残ること。それが案件の内容だ」

「無茶です!!」


いちいち、勘に障るな。

そんなことは、お前に言われるまでもないんだ。

もういい。

構っているだけ、時間を無駄にする。


「言われなくても分かっている。お前たちは、スライトを多用するな。先行する」

「待ってくださいっ!!」

「じゃあ、お前が代わりに行ってくれるのか?」

「……ッ」

「だったら引き留めるな。もう一度だけ繰り返す。スライトを多用するな。白兵戦は避けろ。自分の身は自分で守れ」


通信の音量を最低限まで絞った。

これ以上、素人の泣き言に付き合っている場合じゃないからだ。


(……こんな奴らが、たった六体だと?)


数を揃えられない上に、送ってきたのは足手まといばかり。

脳裏に浮かぶニコラスに、虫唾が走った。

いや、今は奴の無能を呪っている暇はない。


(恨み言は、もういい)


そんなことを考えていたら、死ぬ。

エマシンの戦闘は、一瞬のミスが命取りになるからだ。


(やれるだけは、やってやる)


意識を集中した。

瞬時に、感覚が研ぎ澄まされる。

余計な情報を、意識から削ぎ落としたからだ。


再び、スライトを作動させる。

発生した衝撃波が、エンガインを再加速させた。

瞬時に、六体のエマシンが粒のように小さくなった。


正面に見えている糸が、急激に太さを増していく。

一本ではない。

五十本以上が集まった束だ。

幾何学的に等間隔を開けて、円状に並んでいる。


それぞれの糸の表面には、動くものがあった。

敷かれた軌道を伝って、無数のコンテナが地上と宇宙の間を行き来している。

リングと並ぶ、流通を支える根幹の一つだ。


(絶対に、傷つけられない)


請求されるのは、天文学的な賠償金だ。

ホラントは元よりビュッサーであっても、一発で消し飛ぶ。

購うためには、ビュッサー規模の大企業を数百は潰さなければならない。

もちろん、請求先が判明した場合に限るが。


(見えてきた。静止衛星軌道のステーションだ)


一万を超える大小の港を有していた。

今も、数百から千隻ほどの貨物船が往来している。

これらも、一隻たりとも傷つけるわけにはいかない。

賠償金はもちろんだが、それ以前に人命の問題だ。

ブラスト砲の放つ重粒子の飛沫でさえ、貨物船を轟沈させかねない。


(焦るな。慎重に……)


エンガインに構えさせたブラスト砲を、ステーションへ向けさせた。

それだけの動作をしただけなのに、肝が冷える。

緊張感が半端ない。

ブラスト砲のトリガーに、エンガインの指先を慎重に掛けさせる。

感覚と動作を、俺の指先にシンクロさせた。

冷えた堅い引き金を、人差し指の第一関節に感じる。


(狙いを付けろ……)


火器管制システムの伝えてくる情報を凝視する。

一瞬たりとも、見逃さない。

砲口を向けるのは、ステーションから離れた場所。

狙いを付けるのは、離発着を続ける貨物船の行き来の少ない宙域。

息を殺して、一瞬を待つ。


(……今だっ!)


刹那、閃光が闇を染めた。

砲口から迸った熱線が、暗闇へまっすぐに伸びていく。

射線上に赤い塵が散った。デブリが融けたのだろう。


(どうだ? 他には……?)


それ以上の爆発光は、上がらない。

よし。

上手くいった。

引き金を引き終えた指先から、シンクロを解除する。


体中から、汗が噴き出ていた。

不快感はあったが、構っている暇はない。

無傷のアフナ・ピラー周辺に、幾つもの微光が煌めいていたからだ。


いずれも、俊敏な動きである。

貨物船の反射光とは、明らかに違った。

常駐するエマシンが、緊急発進をしてきたに違いない。


迫り来るブロムの気配は、五つである。

一斉に、気配が消える。

数秒後に、再び感じとれた気配は、数キロメートル先から伝わってきた。


(スライトを無駄遣いしない。それなりの手練れだな。それが五体。やれるか……?)


ブラスト砲は、もう役に立たない。

訓練されたエマシン乗りは、ブロムを張ったままにするからだ。

ブラスト砲を、腰部マウントポイントへ懸架させる。


(白兵戦の準備を始める)


左腕には、七メートルに及ぶ細長い盾を構えていた。

裏には、刀の柄が並んでいる。

空いた右手で、一つを掴み取り、背面に留めているフィンブレードの刀身に接続させた。

軽く一振りして、下段に構えさせる。

刃渡り五メートルの白刃が、水に濡れたような輝きを放つ。


唐突に、閃光が瞬いた。

異なる場所から、目を見張る速度で光線が迫ってくる。

五発のプラズマ化した荷電粒子弾だ。

音速を超えている。


(見くびるなよ?)


五発が、エンガインに直撃した。

衝撃も損傷も、一切ない。

絶対障壁ブロムを展開しているからだ。


(まあ、これはブラフだ。俺もよく使う。さて、どこから来るんだ?)


急激に、肌が泡だった。

相手エマシンのブロムが触れてきた感触だ。

十メートル以内に居る!

反射的に、フィンブレードを真後ろへ振り払わせた。

強烈な衝撃が、切っ先から伝わってくる。


(手応えが堅い。斬撃を弾き返しただけだ)


情報ターミナルに、目を走らせる。

相手エマシンのブロム強度は[1750]だ。

対して、エンガインは[5209]である。


(腕の割に、ブロム強度が低い)


彼我の差から、切り結ぶ間、相手はブロムを消失した。

エンガインは、損傷軽減率三十四パーセントの恩恵を受ける。

まともに食らわなければ、深刻な損傷は負わずに済むだろう。

だが、同情している余裕などない。

数の上での、不利は続いているからだ。

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