第16話 白い髪
辺りは、一面が荒野だ。
赤茶けた平野に、土埃が低く舞っている。
廃棄場から、目的地であるヴォーランデルまでの間は、この景色が変わらない。
俺はトライクに跨がり、アクセルを最大まで開けている。
不整地の上だ。
もちろん、三つの動輪が激しく振動している。
身体のバランスと荷重を使って抑え付けなければ、いつ転倒してもおかしくはなかった。
それほどの猛スピードで、トライクに荒野を疾走させ続けていた。
時折、タンデムシートのニニカが、耳元で進行方向を伝えてくる。
風切り音が強いので、それなりのボリュームだ。
なのに、全く不快さを感じない。
相当に、質のいい声音なのだろう。
おそらく最短ルートで、ヴォーランデルまで駆け抜けられた。
指示が的確だったおかげだろう。
都市外縁から周囲およそ三キロメートルには、広大なスラム街が広がっている。
人口は、およそ五十万人だ。
残された時間は、およそ八時間弱である。
それまでに、全てのタスクを完了しなければならない。
これから取り組むのが、まだ一つ目のタスクだ。
時間を取られ過ぎるわけにはいかない。
スラム街まで、三百メートルほどに近づいている。
「コンラートという男を捜す。エフサ地区へ入るには、どの辺りから街へ入ればいい?」
「……エフサ地区なんだ」
「もしかして、詳しくないのか?」
「立ち入ったことはないけど。大体の場所は分かる。指さす方を見て。三階建ての青い建物が見えるでしょう。その横にある道から行けるはず」
「エフサ地区というのは、曰くのある場所なのか?」
「所謂、最貧困層の人たちが集まる地区。近寄ったり立ち入ったりしないのが、暗黙のルールになっている」
「クヴァントが住んでいる。そうだな?」
「聞いた限りだと」
スラム街の住民にさえ、忌まれる地区。
住んでいるのは、間違いなくクヴァントだ。
心が塞ぐ。
ここはディンの勢力下だ。
ナイン・ノード・クラスタの中でも、特に酷い扱いを受ける。
社会的信用が得られないからだ。
真っ当な職に就くことが叶わず、収入が安定しない。
職が得られなければ、衣食住もままならない。
そのため必然的に、世間の底辺に押しやられる。
そうして出来上がるのが、スラム街の最底辺だ。
ストレスを抱えていない、スラム街の住人はいない。
捌け口にされるのは、押しやられたクヴァントの集まる地区だ。
歓楽街になれば、まだましである。
多くの場合は、犯罪の温床に成り果てるからだ。
案件を発注してきた、千五百十一人を想う。
逃げ出したくなるのは、当然のことだ。
耳元で、ニニカが声を掛けてくる。
「曲がらないの? すぐ、そこなんだけど?」
しまった。
二十メートルもない。
すぐ先が、青い建物の角だ。
急いで、トライクを減速する。
体重を掛けて、トライクを右へ倒す。
角を曲がりきると、三メートルほどの道幅の道が続いていた。
トライクを、更に減速して進ませる。
「この道を、進むのでいいのか?」
「多分。もう少し、このまま進んでみて」
ニニカが、右側へ身を乗り出した。
前を見るためだろう。
人を避けながら、減速させたトライクを進ませた。
それなりに広い道幅が続く。
次第に、過ぎゆく建物の壁から、色が失われていった。
時折、トライクが強く振動する。
舗装の剥がれたところが、増えているからだ。
後ろで、自信のない声でニニカが呟く。
「大分、近づいたはずなんだけど……」
「何か、目印になるものはないのか?」
「目印じゃないけど。坂を下るって、聞いたことがある」
「下り坂か」
辺りを見回した。
これだと思う通りへ向けて、トライクを走らせる。
角を曲がった。
狭い。
続いている通りの左右が石壁ではなく、ただの衝立だ。
錆びた金属板が重なり合っている。
真っ直ぐに立っていないので、道幅が一定ではない。
幅は、あっても二メートル程度だ。
アクセルを閉じて、トライクを停める。
「これ以上は、トライクでは通れそうにない。歩いて行こう」
「少し待って」
「チェーン錠か。そんなものは、しても無駄だ」
「でも……」
「新品のトライクで弁済する。後で、相場を教えてくれ」
薄暗く細い通りに、足を踏み入れた。
徐々に、坂を下っている。
じめっとした湿度が強くなってきた。
地面から舗装はなくなり、土がむき出しである。
色が黒い。湿っているからだ。
後ろから、衣擦れの音がした。
前を広げた日除けマントを、ニニカがバサバサと動かしている。
「すごい湿度」
絵になる。
マントの裾を翻して、ただ歩いているだけなのに。
トップスは、襟の付いた品の良いブラウス。
胸が大きいと太って見えるらしいが、全くそんな風には見えない。
くびれた腰が、際だって細いからだろう。
フレアのキュロットスカートはミニ丈で、白い素足がすらりと伸びている。
……まただ。
凝視していることに気づいて、前を向いた。
少し先で、道が二手に分かれている。
「どっちに進むか」
「分からない。任せてもいい?」
意識を集中した。
足音か?
リズムが速くて、妙に軽い。
「子供が駆けてくるみたいだ。聞いてみよう」
分かれ道の右側から、子供たちが走り出てきた。
四、五歳くらいに見える。
五人とも、男の子のようだ。
半袖シャツと短パンを身につけている。
相当に着古したものらしい。
色あせて、生地が傷みきっている。
一人は、靴を履いていない。
通りの真ん中に立って、彼らの行く手に立ち塞がる。
「ちょっとだけ、いいか?」
先頭の子供が、びたっと足を止めた。
手を横へ広げて、後ろの四人を庇う。
俺を見たまま、後ずさりを始めた。
責任感と、警戒心が強いらしい。
しゃがんで、袖をまくった左手を前へ出す。
クオン・バングルが、よく見えるように。
仲間を置いて、一人だけ近づいてくる。
さすが、この地区に住む子供だ。
察しがいい。
「……何か用?」
「大丈夫だ。何もしない。少し話を聞かせてくれ」
左腕を差し出してきた。
クオン・バングルを嵌めている。
「いくら欲しいんだ?」
「聞きたいのは、何?」
「コンラート・ライスターは、知っているか? 五十歳くらいの男だ」
「……知らない」
「じゃあ、別の質問だ。この時間で、大人が集まっている場所を、教えてくれないか? なるべく多くの人が居る場所がいい」
「それなら教える。値段は、ええと……、千ギット」
「ずいぶんと、欲張るじゃないか?」
「値引きは、しないから」
「分かった。千ギットだ。数字は読めるよな?」
近づいてきて、俺のクオン・バングルを見つめた。
表面に[1000]が表示されている。
振り返って、仲間へ向けて手招きをした。
四人が、ばっと駆け寄ってくる。
俺の左手首に、視線が集まった。
後から来た子供の一人が頷く。
「うん。これ千だ」
「間違いないか?」
「だって、ゼロが三つだから。間違いないって」
「信じるぞ」
やりとりを終えた子供たち。
俺から少し離れて、五人でごしょごしょと会話を始める。
こちらへ伝える内容を、話し合っているようだ。
頷き合うと、ギットを払ってやった子供が一人で近づいてくる。
「最初は、奥に見えている角を右に曲がって。その後は、三つの分かれ道があるから、真ん中。次は、突き当たりを右。そうしたら、飲んでいる人が、たくさん居るところ。そこには店が何軒かある。迷わなければ三、四分で着くはず」
「その通りのことは、何て呼んでいる?」
「名前なんかない。でも酒屋には、トンティラっていう名前がついてる」
「説明が上手だな。感心した」
「別に。普通だけど」
「頭の良い、お前を見込んで、もう一つ頼みたい。もちろん報酬は支払う」
「いいけど。何?」
「後ろの道を進んだ先に、トライクを一台、停めてきた。盗まれないように、見ていてくれないか? このお姉ちゃんの大事なものなんだ。頼めないか?」
「それくらいなら。いいよ」
「報酬は、全額を前払いする。腕を出せ」
「え!? 一万ギット? いいの?」
「身体を張る必要はない。怪我をしそうだと思ったら、必ず逃げるんだ。いいな?」
「それでいいの……?」
「頼んだぞ」
戸惑う子供の頭を撫でた。
洗われていないせいでベタついて、ごわごわとしている。
懐かしい手触りだ。
(強く生きてくれ)
心の内で声を掛けてから、手を離した。
後ろから、ニニカの呟きが聞こえてくる。
「白い髪……」
去って行く子供たちの髪を見つめていた。
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