第19話 あの日の事実
―誠と祐樹の回想―
初めは、誠の告白だった。
その日は、誠と出会った季節から随分と時間が経ち、紅葉が美しいと感じる季節になっていた。俺と誠は土曜日の昼下がりの学校にいた。確か、誠の手伝いか何かでやって来ていたのだろう。多分は蔵書点検の類だ。
手伝いが全て終えて、学校の特別教室棟と普通教室棟の間にわたる渡り廊下のすぐ横にあるベンチに腰を下ろしていた。地面には紅葉の赤い縦断が敷かれていることを思い出す。俺が缶コーヒーを飲もうと口に近づけた瞬間だ。
「僕は、どうも君のことが好きなみたいだ。どうしようもなくね。祐樹」
突然の友人からの言葉で驚きはしたが、友人という意味での好意だと解釈した俺は平静を保つことができた。
「そうか、そうか。そりゃあ嬉しいぜ。俺もお前のこと嫌いでは無いからな」
減らず口を軽く言ってしまったんだ。だけれど、誠の顔を見て身体が強張ったんだ。今まで見たことないほど、真剣な眼差しを向けてきたんだから。
「君に、この想いを伝えようと思って、今日手伝ってくれるよう願い出したんだ」
「だったら、成功じゃねえのか?」
自分自身が焦るのを肌で感じた。
「いや、まだ君に伝わっていなから成功じゃない」
「俺はちゃんと受け取ってるぜ」
「祐樹、君は勘違いをしている。僕が言う好きというものは決して友達の上で成り立っている感情の方ではないよ」
いつも、難しい言い回しをする誠だったが、その言葉だけは確かに理解することができた。ならば、他の好きとは一体、何なのか。それはすぐ答え合わせされた。
「僕は、藤崎祐樹を一人の男性として、恋愛的な感情で好いてる」
頭が真っ白になる。誠の言葉が耳から、脳に届くまでに途方もない時間が過ぎて、このまま精神だけ歳を取るのではないかとさえ思えた。実際そんなことはなかった。俺は、言葉を頭の中で選び、慎重に口に出した。
「お前は、お前のセクシュアリティは、ゲイなのか?」
その言葉を発した自分が、どこか期待していたことが甚だ嫌になった。
「そうさ。僕は、世に言ういわゆるゲイと呼ばれるタイプの人間だ」
急な友人のカミングアウトで驚き、また、チャンスなのではないかと思った。今、誠は自分の多分一番と言っていいほどの秘密を教えてくれた。ということは、俺が、俺についての秘密を明かしてもおかしくないのでないか。秘密を明かしてもいい相手が出来て、なおかつ、それを自然に言える状況。正に、千載一遇のチャンス。誠がそうなら、俺を認めてくれるかもしれない。これまで、他人に期待するような人間ではなかった。だけれど、今は期待をしてしまう。期待したっていいだろう?なあ神様よ。
「そうだったのか。実は、俺もお前と同じで、ゲイなんだ」
「やっぱりそうだったんだね」
「知ってたのかよ」
「いや、知らなかったよ。でも、なんとなくそうなんじゃないのかなって思っててさ」
「なんだそりゃ、意味わかんねえよ」
「僕も」
俺と誠は一斉に吹き出した。なんだ。案外、抱えてきた物はたった一言で解決される時もあるんだな。
「それで、僕に対して返答はないのかい?」
「ここで、俺も好きとか言ったらなんだか都合が良すぎじゃねえか?」
「良すぎてもいいんだよ。人生そんなもんなんだって」
「そうか?」
「そうだよ」
「それに、俺とお前は確かにゲイという点で共通はしてるが、だからと言って俺がお前を恋愛的にすぐ好きになるということは難しいだろう」
「と言うことは、つまり、これからじっくりと見定めて、ちゃんと好きになってくれる可能性も残っている訳だ」
誠に逃げ腰になっていたが、恋愛というものは短いも良し長いも良しということに考えつく。
「まあ、可能性の話ならな」
そう言う自分自身が、何故だか満更でもないことに気づき戸惑う。今思えば、当時の戸惑いは恋の始まりだったのかも知れないなと臭いセリフを今なら吐ける。
「一縷の可能性でも、僕は手放したりはしないから、覚悟するといい。君の好意を絶対僕に向かせみせるから」
誠の本当の笑顔を初めて見た気がした。
「ああ、覚悟しておくよ」
俺も誠につられて顔が緩み、目を細めていた。
「僕を好きになる前に死なないでよ。僕も生き続けるからさ」
誠の表情は読み取れなかったが、冗談混じりに言ったのだろう。
「死なねえよ」
紅葉の葉が静かな風に煽られ、赤く染まった葉を俺たちの前で可憐に踊り、地面に倒れていった。それから、俺たちが、お互いがお互いを気の許せる仲になるのは遅くなかった。友情と恋慕の二律背反の関係が、ずっと続いたら良いのに、または、続いていくのだろうなという期待というよりは確信が俺にはあった。他人を信じてもいいのかもしれないと思った。
しかし、気持ちが宙に浮きそうな程、浮ついていた矢先、ある出来事が起きてしまい、俺は他人や俺自身を信じられなくなった。
冬が終わる月の日。1年生の三学期。日課になっていた放課後の図書館通い。その日もいつもと同様に、図書館の前までやってきた。
肩にかけている鞄の中身に視線を落とすと、そこには誠に借りていた文庫本があった。推理小説ではあったが、人が惨殺されたり、人間同士のドロドロの関係性が書いていたりはしなかったので、とても軽く読めるものだった。
シリーズ物ということらしいので、誠に続きを借りると共に感想などを話したいと思っていた。本がこれほど、面白いものであるということに気づかせてくれた誠には感謝しかない。
図書室の戸を引くため、手を伸ばした瞬間、図書室内から話声が聞こえてきた。図書室はいつも静寂が保たれているから、少し戸惑った。いや、正確には静寂ではないこともある。俺と誠が会話をする時だ。図書室内に誰もいないかを確かめて、会話をする。耳を室内の方に近づけて、誰と誰が会話をしているのかを確かめる。聞こえてきた声の片方は誠だった。そして、もう一方の声は女の子の声だった。聞いたことのある声だった。誰だ?この声。これまでの交友関係を遡り、答えに辿りついた。
この声は、確か、奈々丘春か。
奈々丘春とは以前誠の古くからの友人であるということで、少し紹介をしてくれた。なんだ、それならビクビクしなくても普通入れるな。戸に再び手を掛ける時、中の会話がある部分だけ明瞭に聞こえた。
「それでも、私、好きなの・・・」
「君の気持ちは僕からしても嬉しいよ。ただ、難しい部分もあるね」
「付き合うことは、叶わないのかな」
「いや、まだ可能性はあるとも思うよ。無理と決めるのはまだ早い」
「そう、それなら良いのだけれど、そういえば、何故そこまで難しいの?」
「秘密があるんだよ。とても繊細なね」
「そっか。私認められるように頑張るね」
「僕も君のことは好きだから、成功することを祈っているよ」
そのあとも会話は続いていたようだったが、何も聞こえなくなっていた。深海に沈む船のように、音のない世界に落ちていく。その日から、図書室に近づかなくなり、春休みとも被ったということもあって誠とも連絡を取らなくなった。誠から連絡が来てはいたが、何とか退けていた。退けている内に、裏切られた悔しさと、本当の恋になっていた気持ちが終わった喪失感と、なにより、好きと伝えられたなかった自分の不甲斐なさだった。
全てが信じられなくなった俺は、けじめをつけてこの世か去ろうと思った。これほど生きづらい世界とはおさらばだ。そして、春休みが終わる日に、誠に携帯電話からメッセージを送った。
「春休みが明けた日の放課後、屋上に来てくれないか」
決別の春は、もう少しだ。
春休みが明けた日の放課後。屋上からは校庭に咲き乱れている桜がのぞめた。ガチャン。音がなった方を向くと、誠が扉を開けて屋上に足を踏み入れている姿があった。誠は扉のドアノブから手を離した。
「やあ、久しぶりだね。祐樹」
「ああ」
「久しぶりの再会にして気分がおちこんでいるね。それでまた、今日はどうして、こんな所に呼んだのかな?」
「一つ。一つだけ聞けせて欲しいことがある」
「なんだ、お尋ねごとか。一体なんだい?」
誠は俺との会話を、いつものように飄々とまるでスキップでも踏むように進めていく。誠は校庭側のフェンスに近づき、桜を遠く見つめる。
「それは」
俺は、拳に力を入れていることに気づき、緩める。夕陽が屋上にスポットライトを当てる。音は背景に、色はぼやけ、境界線を失い、額縁の無い抽象画になっていた。現実が乖離したことが感覚的に伝わった。
「お前は嘘をついているのか?」
これで、もし、そうならば、俺は今日で命を断つ。裏切られたことについての悲しみからするのかと言われれば、当たらずとも遠からずではあるが、核心は、違う。核心は、真の理解者がこの世に居なくなってしまうことだ。人は理解されたい生き物である。それが大勢なら特に心地よいものだろう。ならば、反対に理解者がこの世から誰一人としておらず、世界がその人を受け止めてくれなければ、一体、誰と一緒に泣けば良いのか。わかったつもりで、本当は何もわかろうとしていない世界が遠い星のように感じる。俺は、ただ人を愛したいだけなのに。
誠の答えをじっと待つ。時間さえも進む方向が分からず、止まっているかのようだった。
「確かに、僕は嘘をついている」
「やっぱり、そうか」
「ごめんね」
「いや、ようやくこのモヤモヤともおさらばできる。よかったよ」
俺は、フェンスに近づき、誠の横にたち、笑顔を作る。二人の日々が音を立てて泡沫に消えていく。肩までの高さの錆び付いたフェンスを飛び越えて、僅かしない足場に足を下ろし立つ。フェンスを挟んで対面する。
「誠。お前と出会えて本当に良かったよ。ありがとな」
身体を空中に任せて、飛び降りようとした瞬間、フェンスを誠が飛び越えて、両手で俺の腕を掴み、屋上の方に力一杯に振った。
その時、誠は反動で屋上の外側に落ちて行こうとしているのが見え、フェンスにぶつかりながらも手を伸ばした。誠は手を伸ばす間もなく、空中から消えて行った。
何故か落ちる瞬間、笑っていたように見えた。俺はフェンスから屋上の地面に転がり落ちた。肘が擦り剥き、膝もゴツンと鈍い音がした。痛みに顔を顰めた。ゴチャッと肉がまな板に思いっきり投げつけらたような音がした。フェンスの方を見ても、誠の姿はどこにもなかった。身体が体温が引いていくのを感じた。恐る恐る、屋上から下方を見やる。フェンスに触れた手がガタガタと震え、身体へと伝染してくる。そこには、先ほどまで会話をしていた誠が、血に沈んでいる姿があった。
俺は、その場から逃げた。いや、責任から逃げたのだ。春の日の甚い思い出。
―誠と祐樹の回想了―
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