第6話 本質に目を向けて
次の週の日曜日に誠の家に訪れた。奈々丘春は家の用事により都合がつかず僕一人で訪れた。
彼の家は昔ながらの日本家屋調の落ち着きのある荘厳とした雰囲気を持っており、いつも家の前でたじろいでしまう。が、今回は要件のことに傾注していたためか気にはならなかった。
インターホンを鳴らす。すると塀の戸が開き、真砂が出迎えてくれた。
少しやつれているのがうかがえる。通夜の日よりずっと老けた印象だった。
「いらっしゃい、待ってたよ」
微笑む姿は小学校の時から知っている真砂おじさんの優しい顔だった。何故だか、それが心を締め付ける。
「すみません、急に家に行きたいって連絡しておしかけちゃって」
頭を下げ、視線をおろす。
「気にしなくていいよ。昔に戻ったみたいで少し嬉しいよ」
昔、つまり小学校時代である。今になっては真に家に遊びに行くということは少なくなっていたが、小学校の時分は毎日のように訪れていた。
輝きし昔日。
塀をくぐり枯山水の庭を眺めながら家の中へと促されるがまま入る。玄関を入ると左側に中庭、すぐ横に廊下が一本通っている。靴を脱ぎ、中庭を横にして廊下を通る。突き当たりを左に向き直し、すぐ目の前の引き戸を開け入る。
そこはあの頃よく遊ばせてもらっていた居間であった。昔と変わらずソファーと長机だけがあるシンプルな空間で少しホッとした。
しかし、目の端に映った友の遺影により現実に叩きつけられた。数日が経っているにもかかわらず、やはりなれることはない。胃酸がギュルギュルと鳴りながらせり上がってくるのを辛うじて抑えた。
「コーヒー飲めるかい?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
真砂は居間を後にした。僕は真の遺影の前に正座する。遺影に映る真は春の昼の様に暖かな表情で笑っている。その時、思った。彼の時間は死んだのだと。歯痒さで奥歯を強く噛む。
何故死んでしまったんだ...。
その言葉が胸の中で浮いては沈むを、繰り返す。
遺影の写真を眺めていると左横の写真に目がいく。女の子と写っている写真だ。女の子の方は白いワンピースを着ていて透き通った白い肌が裾から見えている。横にい誠誠と手をつないでいる。
僕はその少女のことを知らない。小学生くらいの頃の写真だと思われるそれは心の中で消化はされず、留まっている。
「誰だろう、この女の子」
「その子かい?」
身体がビクッと上下に振った。
真砂がコーヒーを入れてきて背後に立っていた。ソファの前に座りなおすと、コーヒーを頂く。彼女のことについて説明してくれた。
「彼女は誠が骨折した時に、病院で出会った娘なんだ。当時はよく遊んでたんだけど、彼女引っ越しちゃってね。最近まで音信不通だったから、通夜の時来たのは少し驚いたし、なんだか嬉しいなあって思ったんだ。ほら、誠のことを覚えていてくれる人がこんなにもいるのかってね」
真砂は遠くの星を見るように目を細める。
「僕も決して誠のことは忘れません。絶対に」
僕は絶対という言葉が何だか子どもじみているような気がしてはずかしさを覚える。しかし、絶対という言葉は自分の中の宣言だと思い、納得する。
「それは頼もしいなあ」
真砂はより一層目を細めた。
「ところで、話を少し聞かせてもらってもいいですか。最近の誠の動向について」
コーヒーを一通り飲み干し、話題を切り出した。真砂は決して苦い顔はしなかった。そこに原稿でもあるかのように下を向き、音読する。
「いつも通りの生活を送っていたよ」
ただ、と言いそこで口ごもる。
「何か隠してたような素ぶりはあったのかな」
「というと?」
真砂は窓の外を見やる。その先には青々しい葉が繁っていた。
「毎月の17日になるとどこかに出かけていたんだよ。ちょっと用事があるからって」
そこで逡巡する。
「何故でしょうか?」
「それが、見当がつかないんだ」
「そうですか」
確かに少し不思議だ。隠すというまではいかなくとも、何かを行なっていたのは間違いない。
「行く場所とかは話してましたか?」
「特にこれといってないね」
「そうですか」
詰問のようになってしまい少し反省する。これで八方塞がりになった。何かないか。彼が残した痕跡は。すると彼が小学生の時に仲の良かった女の子を思い出す。初めは思いつきで話してみた。
「あの女の子とは会っていなかったんですか?」
「会っていなかったような、いや、一度だけ誠が話していたな。この前香織ちゃんと会ったよって」
あの女の子は香織というのか。いや、今は関係ないことだ。
「どうしてそんなこと聞くんだい?」
真砂は訝しむというよりは興味本位で聞いたような感じで言葉を投げかけた。
「すみません。特に他意はないです、けど」
一息間を開ける。
「気になってしまったんです。自分の知らない誠の関係が」
「そうかい…」
微笑む真砂は興味津々の子どもをあやす先生のようだ。
「そういえば、香織ちゃんが君と春ちゃんについて何か聞きたそうにはしていたなあ。もし良ければ私に紹介してほしいと」
「本当ですか!」
体を乗り出して真砂の前に顔を近づける。
「ああ」
少し引き気味に言う。
「彼女の居場所を教えようか?」
「是非!」
何故かその時、解決の糸口を掴んだのかのようだ。
鳥海家を後にして、帰路に立つ。誠の家に行き、ひとつ分かったことがある。
彼は、《あのこと》を話さずに死んでしまったのか。
駅まで伸びたまっすぐの道を見て思い出す。彼が横にいたぬくもり、声、呼応する僕の声。
日は目の前から暖かく僕を照らす。春の暖かさというものは、柔らかなタオルをまとっているような気持ちにさせられる。
懐かしい気持ちは春の一息に消された。
『お前はまだ本質を理解していない、この出来事が複雑怪奇ということをな。』
赤く染められた歩道を行く足が強張り止まった。後ろから急に声をかけられたかのようだった。
振り向くが、そこには赤信号に足止めをくらっているタクシー運転手のなまじ苛ついた顔しかなかった。瞬間、頭の後ろ側が痛み偏頭痛のようなものに襲われた。
ここ最近疲労が溜まっていたのかと思い、前に少し屈む。どのような声をしているかは分からないが、はっきりとした音で頭の中に言葉が浮かぶ。
しかし、それらの言葉は自分自身から発せられたものとは違い、明らかな別の意思を帯びている。頭の中に別の誰かの声が重なるような気持ちの悪い感触だ。そして、ようやく音から言葉になって聞こえてきた。
『鳥海誠という男は一体何を思い命を散らしたのかをお前は考えるだろう。しかし、それは本質ではない。いや、そもそも本質とはその本人でさえ辿り着き思いついたものでもない。本質とは空間に存在し、また、存在し得ない概念なのだ。人間は常に本質はこれだという風に決めつけ安堵するが、儂から言わせれば、それはただの台本に踊らされる役者のようなものだ。お前が本当に見つけなければならないもの何だ。今一度考えろ。さすれば、自ずと未来が見えてくる』
イメージが霧散していくように頭から離れていった。よくわからないその声の主は、何を伝えたいのか。
お前は誰なんだ。そう僕は問いただすが、まるで返事がない。いや、僕自身なのかもしれない。最近疲れていたこともあったからと、納得しようとするが、そこで一つ引っかかる。
本質は概念。
ならば、今から何を考えていけばいいのだろうか。風が頬を優しく撫でると、陽はもうくれていた。単なる幻聴であるそれは頭にこびりついている。瞬間肩がぶつかりよろめきそうになる。あたりを見渡すと日曜日ではあるが帰りのラッシュらしく、多くの人が歩いてくる。振り返り、駅までの一本の道を歩く。人の間の縫いかわし、足早に道を抜けた。額から汗が滲みでて、まつげの隙間から目に入る。少しの痛みを伴ったが、それすら気にせずひたすら走った。背後から道が崩れていくかのように焦る僕を僕は嗤った。そして、駅の改札の前で息を整え、唾を飲み込み、いつも通りの日常に戻っていった。
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