第3話 遭遇
終礼の鐘が鳴った。
放課後のホームルームが終わると、鞄の中に教科書を入れ立ち上がって、教室を出る。ふと、僕は彼が命を落とした場所に足を向けている。無意識に、だ。一度人間は考えなしに歩き続けるとどこへ向かうのか気になったことがあった。
なるほど、人は忘れ去りたくないところに向かうのだな。
そのことに気づいた僕は走っていた。廊下にいる同輩の間を足早に抜けていく。途中、誰かの肩にぶつかってしまった。「ごめん!」軽く会釈してその場を過ぎ去った。感情が身体から溢れてくるの抑えるのに必死になった。身体を流れる血が熱くなるのを感じ、そして、また走る。階段の踊り場に足を滑らせそうになるが何とか耐え、駆け下りる。夕日が照らす一階の廊下を抜け、下駄箱の前に立つ。肩で息をする。息を荒げる肺が静かになるのを少し待つ。静まり、自分の下駄箱に上履きをガサツにいれ下足を出す。乱暴な出し方をした靴は見事に方向がめちゃくちゃになり、予想通り履くのが大変になった。諦め踵を踏んだ状態で両扉が開かれた昇降口を抜け出す。
彼がなくなってしまった場所は玄関の前、園芸部が育てる花たちが咲き乱れる場所の横である。そこは、何もない無機質なアスファルトだけがあるだけだ。そこに呆然と立ちすくしていると周りからは奇々とした目を向けられる。だが、そんなことは、今はどうでもいい。血がついていたそこは、彼が飛び落ちる前の時よりずっと綺麗にされていた。本当に何もない。彼がそこにいた事実、声、温もりそれ以外の全ても。逡巡する。いつか、このアスファルトの様に僕も綺麗に忘れていくのだろうか。想像すると、何故か頬に涙が伝う。いや、僕は忘れない。忘れてはならないことであり、忘れることのできないことだ。頭を振り、涙を手のこうで拭う。
ふと、鳥海誠の言葉を思い出した。
「物は綺麗に失くせる。しかし、悲しいことに記憶は脳にこびりついて離れてくれはしない。嗚呼、悲しいことだ」
と残念ながらと加えて言う鳥海誠の声は笑っていた。そして、ようやく本心を露わにしたかのように彼はにんまりと笑い続きを言う。
「まあ、記憶は忘れさせてくれない分、永遠を語らせてくれるけどね」
君と過ごした記憶は永遠だ。それは、愛おしい事実。これからを共に語れない君は、過去を語れる存在のまま確かにここにいる。誰にも否定はさせない。あの声にも。奥歯を強く噛む。強く拳を握る。身体に檄をいれた。そこで、ようやく自分の世界に入っていたことに気づく。
横に髪をなびかせている女子がいた。いつから居たかは分からない。ポニーテールの女子は腕を組み怒っている様でもあり、泣いている様でもある表情で立っていた。
少し驚く。
「あなたは何故ここに?」
訝しむ声は頭の中で反芻する。
春風の上の雲はたなびく。
廊下を人が歩く姿は、どこか統制された景色の様に見えて、少しおかしい。奈々丘春はそんなことを思いながら、歩く。今日一日は精神的に疲弊しきっているため、早く帰りたいと思い足が早くなる。瞬間、後ろから自分の肩に誰かの肩がぶつかる。何事かと思い後ろを振り向くと顔の見えない男子生徒がごめん、という一言を軽い会釈と済ませ、横を颯爽と走っていった。起こったことがあまりにも一瞬のことだったため、怒る気力も出なかった。奈々丘春は帰宅部のため部活に見向きもせず、一目散に家に帰る。普段ならば。何故か今日は違っていた。足は彼が亡くなった場所を向き進む。興味本位という軽い言葉で片付けられる感情ではないことは確かな様で、まっすぐ道を行く。慌ただしい人混みを抜け、少し早歩きになる足を制し、階段を降りきる。心臓の鼓動は太鼓を大きく打ち鳴らした様になっている。肩は小刻みに上下する。ポニーテールの髪を揺らし、昇降口へと向かう。靴を履き替えて玄関をでると、彼がたっていた。
「あなたは何故ここに?」
二人の間に優しい風が通り過ぎる。
「友達を弔いに来たんだ」
声は震えてないが悲しみは伝わる雰囲気であった。
「ここにはもう何もないのに?」
突き放す言い方になってしまったと思い、奈々丘春は顔を俯ける。そして、その言葉は自分にも言っている様なものであった。ホント、何もないのになんできたのかしら、私。
「確かに、此処にはアスファルトの地面しかない。けれど、彼はこの場所で死んだんだ。それに間違いはないよ」
悲しみを無理矢理心に押し込め、笑みを浮かべている様であった。何故だろう。とても悲しくなるのは。力を抜いてしまえばきっと私、泣いてしまう。
「そうね、、、」
声を振り絞り言う奈々丘春は我慢をする子供の様だった。
「彼の友人なんだ、でも彼のことを理解しきれているかと言われれば、わらかないことの方が多い、そんな僕だったから彼の悩みを見つけられなかった。友達なのに、、」
拳を握りしめて悔しさの悲しみをあらわにする。
「もしかしたら、止められることができたのかも知れないけれど、何もできなかった。そこから、僕自身が彼を見殺しにしてしまった、そう思えてしまい、死にたくなる。飛躍しすぎかもしれないが、世界の狡猾と呼ばれるものには、僕も含まれるのかもしれない」
「それは違う」
私は男の子の言葉を遮る。
「彼が彼自身のために死んだことを誰かのせいにするのは、死者への冒涜だと思う。まるでそこには彼の意思がないみたいじゃない」
まっすぐに目を向ける。
「それはそれで、とても悲しいなあ」
彼は、悲しみの滲む顔は涙を隠さない。
「初対面の女の子の前で泣くとか、結構恥ずかしいな」
彼は、赤面し、学ランの袖で顔を拭いはにかみながら笑う。
「初対面じゃないよ」
空は少しずつ赤くなり、そのまま地平線へと逃げ込んで行く。二人を照らす光は暖かく、そして、この世に二人だけにスポットライトが当たっていると錯覚させる。お互いがお互いの目を見る。
−回想−
昔の話。今とは違い、小学校の頃の僕は世間一般から言われるとかく賢い子供であった。(小学生というものは全員が哲学者なのかもしれない)世界のありとあらゆるものに興味を示し、追求していた。
その時の僕は何でも出来る気がしていた。
小学校六年生の夏休み、自由研究と称して僕は図書館にやってきていた。冷房の効いた部屋はとても心地よく、本を読むには最適だと思った。
図書館のカウンターの横にあるパソコンを使い、「恐竜図鑑」を探した。特に、恐竜が好きであるとか、何万年前の過去に思いをはせたいとかでは決してなく、単なる興味本位だ。しいて言うならば、水族館の光景が目に焼き付いたからかもしれない。
「恐竜図鑑」のある棚に足を運ぶとそこには多種多様な「恐竜図鑑」がそこに置かれていた。何が良いのか分からず四苦八苦していると、この本がいいよと横から本を差し出す手があった。振り向くとショートカットの女の子がたっていた。
「これ、オススメだよ」
ニコッと笑う女の子はどこか気品を持っていた。一歩、距離を詰めてペコリと腰を曲げてスカートの裾をつかみ、丁寧に挨拶する。
「こんにちは、私隣のクラスの奈々丘春」
「こ、こんにちは」
いきなりのことで少し吃る。あなたの名前は鳥海くんから聞いているわと僕の挨拶をさえぎる。少しの間があり、咳を一つした後奈々丘春は口を開く。
「あなた、面白い人なんでしょ?鳥海くんから聞いたわ」
抽象的な問いを興味津々の潤んだ瞳で僕を見ながら、身体を少し上下に弾ませながら彼女は言った。そこで、思考がやっと追いついて、この奈々丘春という少女は鳥海の知り合いということがわかった。しかし、頭をひねる。僕は人から面白いと言われるようなことはしてきていない。
「僕は面白い人間じゃないよ?」
至って普通だとも付け加えた。決してこの言葉にネガティヴな感情はこもっていなかった。しかし、彼女は僕が言ったことに反応せずあたりをキョロキョロと目を動かせていた。
「ここだと、自由にお喋りできないし、外の公園行こうか」
彼女はまたもや唐突に言った。今日はついていないなあ。外は雲が少し置かれているだけで、日差しを遠ざける程のものでなく、暑さをおびていた。肌にあたる風は瞬間的に汗を冷やす。公園のブランコに僕とその女の子は隣同士で座る。ブランコはなんだか空に腰を掛けているようで不思議な感じがした。話を始めようとしても会話の糸口が見当たらず足元を見やる。落し物を探すように目を泳がせているとようやく女の子が口を開く。
「ごめんね、急に話しかけちゃって、でも、すごく興味があったから」
はにかむ彼女の横顔は小学生の幼さと少しの大人っぽさがまじっており、瞳は初めて宝石を見たかのようにキラキラしていた。少し赤くなった白い肌、青のキャンバス、夏風は二人の間を静かに通る。
「君が思っているほど、僕は魅力を持っていない、残念ながらね」
今度は自虐的に自分を嘲笑するように言った。
「人の魅力を決めるのは確かに自分なのかもしれないけれど、判断するのは他人だと思う、そして、私はあなたを魅力のある人間と言い張る。これでもだめかしら?」
眉を少し八の字に下げ笑い言う彼女の姿はどこか儚げさを帯びていた。
「じゃあ、僕のどの部分が面白いって誠は言ってたの?」
「考え方、言い方を変えると感性かな」
「感性?」
「うん、感性」
彼女は足をぶらぶらさせて、思いっきり地面をけり、ブランコを漕ぎ始めた。
「あなたの感性は鳥海君曰く、鳥のように俯瞰してまた物事を感情的に見ることできるって」
「それのどこが面白いのさ」
「私、外ばかり見る人より、内側を見れる人って素敵だなと思って、それに、単純な言い方より複雑な言い方の方が意味は分からなくとも、何だかこっちまで賢くなったようで面白いなとおもったのよ」
「そういうものかなあ」
しかし、考えてみれば思い当たることが沢山ある。その場面は限って、鳥海誠と話している時だった。彼の一言一言は難しく聞こえるが、頭が痛くなるのでなく、心地よく聞こえる。
「一理あるかもしれない」
「でしょ」
夏の日差しは迷いなく僕たちの方に向かって熱波を送る。彼女と僕はそれから、今の社会について難しく考えてみたり、今日の晩御飯は何が良かったり、と軸のない雑多な会話をした。彼女が話すことはとても刺激的でずっと頷いていた。彼女も僕の話を真剣な眼差しで聞いてくれて、とても心地良かった。夏のある日の出来事であった。
−回想了−
横広の川の土手を歩きながら、奈々丘春と僕は歩いている。昔、彼女と出会っていたことを思い出した。
「君と話すのがとても久しぶりに感じるよ」
「やっと、思い出してくれた?まあ、私も今さっきまで忘れてたんだけど」
「君はなんだか変わらないね」
「あなたも昔と変わらない雰囲気」
人は数年という単位では単純に変わらない。変わるのはいつも、周りと見方。ふと、そんなことが頭に浮かぶ。
時間としては一瞬だっただろう。
少し間が空く。
「受け入れないといけないのかな」
彼は、つぶやく。
「今すぐにじゃなくてもいいと思う。」
少年が河原いっぱいに届く声でバットを振り、快音を鳴らす。
「人って、起きたことから、物理的な時間を置くことでしか客観的に見れないと思うの、心の波を平らにするのは容易いことじゃない。貴方も。私も」
「そっか、それなら今だけは悲しむことも神様は許してくれるだろうね」
僕という人間は決して熱心な有神論者ではない。しかし、いつか誠が言っていた。
「誰かが見ているっていう抽象さより、僕は神様が見ているっていう方が、心に余裕をもって自分を戒められる気がするなあ。ああ、神さまが見てるから悪いことはしちゃいけないなあって」
この言葉と今の場面で確かな繋がりがあるのかは微妙である。だけれども、そのことを思い出したのだ。
「神様も、誰も咎めることなんてないにもないよ。感情は、唯一人間が許された自由なんだ」
彼女の方を少し向いた。
―瞬間―
世界から音が失われた。
夕日が前方から照らすその顔、濡れた瞳から、我慢していた感情が一雫頬に伝う。凛とした彼女の表情とあい重なり、より、悲しみという感情が僕の頭の中に、そして、僕の目に具体化される。
次の瞬間、僕も涙していた。お互いの涙により大きな余波になり、堰き止めていた感情が瞳から溢れ出す。一滴、また一滴。感情は自由であり、止めることはできない。
声を上げることはなかったがようやく、現実に感情が追いついたのだ。春空の夕日、二人歩く。彼女彼ら日常はこの日をもって、緩やかに壊されたのである。まだ、夏は来ない。
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