第14話 本懐
風邪の日の翌日、放課後。
ホームルームを終えるとまだ騒がしい教室を後にした。廊下を歩いていると、隣のクラスから丁度、奈々丘春が鞄を肩にかけ出てきた。奈々丘春はこちらに気づいた様子で手を上げ、声をかけてきた。
「お疲れ様。丁度同じ時間に終わったんだね」
「お疲れ。そうだね、今日は特に連絡も無かったらしいから」
「そういえば、昨日は風邪ひいてたみたいだけど、体調はもういいの?」
「うん。もう熱は引いてるし、大丈夫」
「そっか、それならよかった」
奈々丘春は下に視線を送り両手を合わせて微笑んだ。何故だか、急に背中に緊張が走り、喋ろうにも次の言葉を上手く引き出せない。何となく無言のまま歩いていると図書室に着いた。図書室を開けると夕陽に照らされる教室が静かに佇んでいる。
「蔵書の確認するの手伝い引き受けてくれてありがとう。助かったわ。私一人だとちょっときつかったからね」
「他の人は?」
「今日は他の子たちは用事とかが被っちゃって来れないみたい」
それに、と続ける。
「鳥海君のこと話したかったからね」
「確かにそうだね。他人がいたら話し難いからね」
「とりあえず、今日の点検は少ししかないから早めに終わらせましょう」
「そうだね」
図書室のカウンター上には、ハードカバーに覆われた本や雑誌、文庫本といった多種の本が無造作につみあげられており、端々で若干崩れている。
僕と奈々丘春はスクール鞄をカウンター端に置き、カウンター内側に奈々丘春、外側に僕といった対面になるように配置についた。奈々丘春は椅子に座り、それぞれの本のバーコード部分にバーコードリーダーを当て、蔵書のデータをパソコン内に入れる。
僕はみよう見真似で同じ動作を続ける。お互い、集中していたせいもあるかもしれない。無言でバーコードリーダーの入力音を聞く。当初、奈々丘春が言っていたように蔵書の点検は案外早くに終わりそうだった。
「少し、休憩しましょう」
文庫本と雑誌の山を終わりかけた時、奈々丘春は立ちながら言った。
「本の量はそこまでないけど、結構つかれるね」
「そうね。ずっと、延々と同じ作業の繰り返しだからつまらなくなる。そして、つまらないことほど疲れるものはないものね」
「なんだか聞き馴染みのある言葉だね」
「鳥海くんの受け売りだからね」
奈々丘春ははにかみながら言う。
「なるほど、だから聞き馴染みがあったんだ」
僕もつられて笑う。誠は亡くなった。だけれど、彼が残した言葉は今でも僕たちの中で生きていることを感じ、嬉しくなる。
「それじゃあ、あと少しの蔵書も点検してしまおうか」
「うん」
相槌を打ち、僕は貸し出し用カウンターに積まれている本にバーコードリーダーを当てる。
数冊のデータをパソコンに移した後に、一冊の本で手を止めた。その本の題材について興味があったというよりは、関わりが間接的にあったからだ。他意もなく、貸し出しカードの欄を一瞥する。そこには、ある二人の人物の名前が書かれていた。
片方の人物においては、この本は自らを肯定する本だから借りたのはわかった。
しかし、もう片方の人物はおおよそこの様な本を自ら進んで読むということがないように思えた。
結論を急ぐように頭が働き、ある考えを持つ。
同じ時期に借りている訳ではないが、もし、共通の意識でこの蔵書を借りたとしたら、相関図がかわるのではないか。鼓動が早くなる。
「どうしたの?汗、すごいけど」
手が止まっている僕を見かねて、声を掛ける。
「いや、何でもない。大丈夫だよ」
ここで話すには、根拠が薄すぎると感じた。それに、全てを上手くまとめられていないからだ。彼に話を聞かない限り、分からない。
「そう、それならいいのだけれど」
奈々丘春は少し、寂しそうに目を落とす。それから、僕たちは集中力を途切らせずに残りの蔵書点検を終わらせた。
「ごめんなさい。結構かかってしまった」
「大丈夫、これくらいの作業なんことないよ」
僕は蔵書を端に整頓した。
「今日は本当に手伝ってくれてありがとう」
奈々丘春はゆっくりと視線を下ろして言う。蔵書の整頓する手を止め、こちらもそれに合わせて、頭を下げる。
「それでは、早速だけれど、本題に入りましょうか」
ここでいう本題というのがもちろん誠のことであることはお互い共通の認識であった。
「本題と言っても、私自身何を話せば手掛かりになるのかわかってないのが正直な所なの。私が呼んだのに他力本願になるけれど、手掛かりになることについてあなたの意見を聞かせて欲しい」
「僕は、あの手紙がどうしても気に掛かるんだ」
「手紙?」
奈々丘は逡巡する表情で、空を見る。思い出したと同時に手を叩く。
「あっ、鳥海君が小学生の頃に書いたあの手紙のこと?」
「そう、悪魔の話の手紙」
「でも、あれいまいち、要旨が掴めないという感じだったよね」
「多分、あれは未完成な物なんじゃないかな」
「手紙が問いを中心に置かれて書かれているから?」
「それもあるけど、手紙って、読まれないとその効果を発揮しないだろ?今回僕らは誠の手紙を読むという行為で既に半分以上は手紙の効果を出している」
「半分以上ということは、手紙の本来の効果はまだ全てではない?」
僕は首肯する。
「手紙の本当の効果が発揮する時、手紙が手紙たる所以を見つける時は読んだ人がその手紙を解釈して、理解して、それに読み手の言葉を重ねる時だ。つまり、手紙を読み、返信することでようやく手紙の本文、書き手の本懐がなされると思うんだ」
「私たちは手紙のお返しを考える必要があるってこと?」
「多分、それが誠の本懐なんじゃないかな」
「なるほどね、手紙は返される為にある、か。うん、なんだか納得。それに、私その発想とても素敵だと思うわ」
髪を頬から耳にかける仕草は絵になる。見惚れている自分に驚きを隠せない。
「ありがとう。それじゃあ、お手紙の返信の前段階、手紙の解釈、問いの答えを見つけに行こうか」
僕は手紙を鞄から取り出して、カウンターテーブルの上に広げる。もう一度内容に目を落とす。何か、何かないか。見落としている部分。もしくは、答えになることはなんだ。文字の上に目を滑らせて思考する。奈々丘春が声を出す。
「本当に望む物を残酷に告白させるの部分は、何で残酷な物になってしまうのかな?望む物は他者から見たら滑稽だったり、醜悪なものになったりする時は有るけれど、本人にとって望みは残酷ではない気がするんだけれど」
「確かに言われてみれば、本人の望みは本人にとって残酷だったら余りにも矛盾しているように思える」
僕と奈々丘春はお互い沈黙になり、思考を深める。奈々丘春は、図書室の窓際のカーテンの先の空を見て呟く。
「これって、もしかしたら、自分自身が望んでいることは事実だけど、だれにも認められない物で、いつしかそれが自分の中でも認めてはいけないものに変わってしまった。だから、望みを残酷と捉えて、悲しんでるのかな」
「悲しみか・・・」
誠は、自分の望みを悲しんでいたのか。わからない。が、彼が僕に教えてくれたあのことは彼の人生では残酷に働いてしまっていたのかもしれない。今になっては聞けぬことだが。
「私もニュアンスは違うけれど、望みをもって悲しくなったことがある。望みがどうしても手に入らない残酷さでね」
奈々丘春は目を細め、眉根をひそめ困り顔になる。
「君にもそんなことがあるなんて」
「私だって一人の人間よ?あるわよ、そんなことくらい」
少しむすっ、とした表情を作る奈々丘春は融通のきかない子どもを嗜める大人の雰囲気を漂わせる。少し脱線してしまうかもしれないと思ったが、興味本位で聞いてしまった。
「ちなみに、その望みは一体どういう物なんだい?」
「それは」
奈々丘春の白い顔が先ほど以上に赤く染まっていくのがわかった。ああ、これは聞いてはいけなかった。もちろん相手の羞恥についての罪悪感もそうだが、なにより、自分の傷をえぐることだと分かったからだ。
「ちょっとだけ、昔の話をしてもいい?」
―回想―
あの日は、暑く目眩で倒れそうな日だった。肌を焼く太陽恨めしく思ったことを今でも覚えている。鳥海君の紹介である男の子に私は会いに図書館まで向かっていた。初めは、鳥海君の友達ということだっただけ興味を持っていた。鳥海君は決して人付き合いが良くない訳ではなかった。だけど、特定の友達を持つことが少ない少年だった。そして、彼自身の考え方は独特で、とても面白いと感じていた。
まるで、推理小説とお話しをしているみたいな心持ちだった。そんな彼と友達、いわばそりが合う仲である人がいるということだけで、面白い話ができる相手が増えるのではないかという期待があった。
図書館に着く。初対面の相手とどう話をすれば良いか考えていた私だった。けれど、その男の子が図鑑を探してたみたいだからつい、「これ、オススメだよ」と急に声を掛けてしまった。失敗したなあとあの時は感じてしまったけど、勢いでそのあとお喋りしないって誘えたことは本当に良かったと思う。
それから、月日は経っていき、私はあることに気づいた。興味から魅力に変わっていって、いつしか、私の心の中にある感情が住みついていた。
その感情は、簡単な言葉で言ってしまいたくないほど繊細だ。けれど、それ以外の言葉もあまり見つからないから渋々その言葉で妥協する。
好意という言葉だ。
しかし、そんな好意という小さな芽は、中学に上がり彼との関係が疎遠になってしまい、薄れていった。そのまま薄れてしまえば、苦しまず、忘れてたのかな。高校1年生になってその男の子に再会したの。
入学式、彼は欠伸を噛み殺しながら、隣にいた鳥海君と話していた。それまで、身を潜めていた好意が姿を出すのが分かった。彼とはクラスが違うこともあって交流はほとんど無かった。
けれども、ある人と私は再会した。それは、私が興味を持った初めての人、鳥海誠君だった。お互い図書委員ということで初めての顔合わせの後に鳥海君が話しかけてくれた。
「久しぶりだね、名前が上がった時はまさかと思ったけど、やっぱり君だったんだね。僕のこと覚えてる?」
あの頃と何ら変わらない笑顔で私に話かけてくれた。
「久しぶり、覚えてる。鮮明にね」
「そんなに僕は凄まじかったのかな」
「良い意味でね」
笑顔で私も返す。それから、お互いの近況だったり、これまで何を見てきたのか、思い出などについて話したりした。そして、気を緩めてしまい、私は私の心の内に潜む好意について話しをしていた。昔からの友人であり、なにより、鳥海君は私の想い人との共通の友人ということもあり、自分の行為が成就に繋がるかもしれない、そういった淡い感情が背中を押した。鳥海君は、私の言葉に耳を傾けてくれた。
「それじゃあ、二人の縁を結んでしまうキューピッドになろうかな」
彼は優しく告げると私の恋の応援をしてくれるようになった。彼の作戦では、1年生の時から行動しようというものだったのだけれど、私は一歩を踏み出せずにずるずる引き延ばしてしまったの。
それでも彼は「恋をしたら相手が遥か遠くにいるように思えてしまい、手がそこまでたどり着けないことが起こる。これは正常な恋の症状だと思うから、安心していいんだよ」と優しく諭してくれた。
私は、私の気持ちを誰かと共有できたから、今でもきっと心を保てているんだと思う。そして、鳥海君と作戦を考えていく中で、彼の秘密を教えてもらった。
私が、彼に「好きな人とかいるの?」と何となく聞いてしまったこときかっけだった。最初は、苦笑いを浮かべて答えようとはしなかった。しかし、少し考え込みついに口を開いた。「好きな人はいないんだ」悲しみや憂いを帯びた表情を今でも思い出す。
「好き人というよりも、実は、僕は・・・」
今思えば、あの時、彼が、彼の秘密を教えてくれたことは、彼の心が崩れないための防衛策であり、それまで秘密にしてきたものが心の内に留めることが無理になったのだと気付ける。
「奈々丘さんにこの話をするのは、君を信頼しているということもあるけど、やっぱり、最後は自分のためになるんだと思う。僕の秘密を君に言ってしまったら、君も僕の秘密を背負うことになる。本当にごめんね」
「ううん、大丈夫。ここまで、私のぐずぐずな恋に付き合ってくれてるんだから、私にも鳥海君の気持ちを少しでも良いから背負わせてよ」
「君はいつだって、優しく強い女性だ」
鳥海君は笑っていた。太陽を見るように目を細めて。だけど、泣いてたのかもしれない。その後に、私の好きな人も鳥海君の秘密を知っているということもあり、鳥海君に失礼かもしれないけれど、秘密の共有者と勝手に思って、すこしだけ、その人に近づけたと思った。鳥海君が生前こんなことを言っていた。
「もし、僕が君の恋を応援できない状況になっても、君の望みは決して無いものにして良いものではないんだ。だから、君は君に正直に生きて、自分の望み、本懐を遂げて欲しい」
私は、今鳥海誠君のことを考えなければならない。だけど、彼が残した言葉も忘れてはいけない。アンビバレントに苛まれた。そして、私は、私の望みを言う決意を固めた。
―回想了―
話し終えた奈々丘春の表情は、ジャンヌ・ダルクさながら、決意を表していた。
だめだ。
言ってはいけない。
その次の言葉を言ってしまっても、僕は、何もできない。
何もできないんだ。
ああ、自分が嫌になる。
この場から逃げ出して、遠くの干渉されない世界に行きたい。
口もとが固まり、脂汗が額から滲む。願いは叶うわけもなく、奈々丘春は告げる。
「私の望み、それは、あなたのことが好きであるということを告白することよ。荒瀬夏彦君」
まっすぐに射抜く眼光は僕の視線を別の所に逃がすことを許さなかった。他人からの好意。それは誰しもが喜ぶことなのかもしれない。ましてや、奈々丘春ほどの美しさと気品、愛嬌を兼ね備えている美少女から告白されれば、心は揺らぐのが常なのだろう。しかし、僕の心はその好意を目の当たりにして、少しの動きを見せるが、止まる。
「とても嬉しいよ。うん。ありがとう。だけど・・・」
言いよどむが、意を決して言う。
「僕は、昔あることがあって、僕という人間は他人の好意というものがわからないんだ。君の言葉は本心だと頭では分かっているよ。それでも、それに対する答えを僕が出した時、きっと、受け入れても、断っても心が入らないのが分かってしまうんだ」
僕は、僕が持っている、荒瀬夏彦が持っている欠陥を口にした。人を傷つけてしまうこの欠陥は、誰にも理解されない。自分自身でさえ理解できていないのだから。本当に僕のことを好きな人がいるのかと煩悶する。
「君は僕を好きと言ってくれたが、僕はそのことを真正面から受け止めきれない荒瀬夏彦が嫌いだ。本当にごめん」
下を覗き込むように頭を下げる。それ以外の言葉が見つからなかった。奈々丘春からしたら、告白を了承したとも、拒絶したとも言いがたい、なんともあやふやな回答に困惑するのが当たり前だ。
僕は、彼女を困らせたくはない。それが本心でも、僕自身どうにもできないのがもどかしくて、もどかしくて。謝罪の言葉から数秒の沈黙があり、顔を奈々丘の方に向けてみる。奈々丘春は泣いていた。絶句する。
「君は、まだ君を許すことができていないんだね。それは、とても辛いね」
僕は驚きを隠せないでいた。奈々丘春という一人の少女は理由が曖昧なまま告白をはぐらかされたにも関わらず、夏彦のことを思って涙を流していたのだ。
僕の頬にも、一筋の滴がこぼれていたことに気づいた。
これまで、愛情を渇望しても手は届かず、いつしか忘れた感情。そして、他人の好意がわからない、何より、信じ難い。そんな僕でも、僕を許して良いのだろうか。愛を放棄して、見ぬふりをして、他人を、僕を傷つけてしまったことを許しても良いのだろうか。また、愛を求めても良いのだろうか。
「僕を許したら、もっと他人を傷つけてしまうかもしれない。勝手に他人に、理想を押し付けてしまうかもしれない。求めた結果何も残らないかもしれない。それでも、良いのかな?」
「大丈夫、人は独りでは生きれないし、傷つけ合う生き物だから。それに、傷つけ合った後は、仲直りして、一層相手のことを知ることのできる生き物だと思う。理想を押し付ける?それで結構。真に他人に理想を求めることのできる人は他人の現実を見てあげることができる人。そして、結果が何も残らなくても私がいる。あなたの隣で、一緒に座って泣いてあげる」
春は、涙で濡らした顔を思いっきり笑顔にして、言った。僕は、春の言葉を聞いて、僕の中の何かをそっと抱き抱える。
その感情は、いつしか見えなくなっていたもの。拒絶していたもの。恐れていたもの。だけど、今になって気づいた。それが決して僕が思っていた怖く冷たいものではないことを。
彼女が僕を好きでいてくれたように、僕が小学生の頃から、彼女を好きになった気持ちが許されたのだ。
『好き同士これから人生楽しんでいけば良いのだ。かっか。楽しかったぞ、中々。もう、お前は大丈夫なようだな」
声が聞こえたような気がした。そして、その声が誰かに似ていたことを思い出す。ふと、昔の記憶が蘇る。
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