第13話 悪魔

 藤崎祐樹の家に行った次の日、僕は風邪をひいてしまい学校を休むはめになった。

 父が学校に連絡してくれたので、ベッドから動かずに済んだことは感謝でしかない。学校に行く前の妹が部屋の戸からひょっこりと顔を出して、「お兄ちゃん、今日はゆっくり休んでね」と声を掛けてくれた。

 父と妹が家から出ていき、家には静寂が訪れた。沈黙が耳に痛いくらいだ。コンクリートが固まっていくように瞼が重く固く閉じられていく。午前中は泥のように眠りについた。昼になり、目が覚めた。

 お腹が空き、妹がお粥を作り置きしてくれたことを思い出して、一階の台所まで降りた。お粥をレンジで温め、テーブルに座り咀嚼した。程よい塩分で、とても食べやすかった。あいつ、料理作るの上手くなったんだなあ。妹に感心して、感謝しながらお粥を食べきった。食器を軽く洗い、乾燥機の中に入れてスイッチを十分のところでセットする。

 リビングのソファーに身体を預けて、テレビの電源を入れる。

 すると、悪魔のような面を被って踊っている民俗が映し出されている。ドキュメンタリーで海外の文化についての内容らしかった。悪魔のような面を被った人は奇妙なダンスをする。ナレーターが、人の内面を写していると説明している。

 僕は、画面に映し出されている悪魔の踊りをぼうっと眺めている。映し出されている悪魔はこちらを見て、右に左にカラカラとお面を鳴らして近づいてくる。

 悪魔の臭いがかおってくる。干したての毛布と野生動物の鼻をつく刺激臭が混ざり、煮詰められたような匂い。顔を顰める。すると、画面から目を一瞬離しているうちに、悪魔は消えていた。



 ふあっ。

 背後に布がはばたく大きな音がした。

 背中に何かがいる。

 確信できたのは背後から、声がしたからだ。

 声というより、乾いた笑い声だった。 

 

 「かっか」


 ゆっくりと、顔、それから次に身体がついていき、後ろへと視線を向けた。向けた瞬間、僕は声を失い、額から冷や汗が出てくることをじっくりと感じた。

 時間がゆっくりと長く立っているような気がした後、また、ゆっくりと唾を喉の奥に流す。目がその存在から離すことができないでいた。

 離してしまったら、無かったことにしてしまったら、一生後悔してしまうかも知れないと感じたからだ。

 根拠は、特になかった。

 現れた存在は異様の様相をしている。

 体躯は日本人の女性の平均的な身体つきをしている。顔には、先程見ていた悪魔の面が覆っている。赤色と黒色がところどころにちりばめられている鬼のような面であった。服装はまたもや珍妙で、男性の喪服のようなものを着ている。

 全身を観察した後に、ようやくというか、またもやこの異様な世界に感覚が落とされた。身体は、果たして震えだしてきた。もちろん、この震えが風邪から来るものではないことを僕は知っている。

 すると、悪魔の面の女はゆったりとした口調で声は発してきた。

 

 「貴様、貴様は何故、否定する?」

 

 その言葉の意図を図り始める僕だったが、思考の前に気づいた。声を聞いたことがある。この声を僕は聞いたことがあるのだ。

 でも、どこでだ。これだけ異様な姿をしている人を忘れるわけがない。

 どこだ。どこでた。そこで、ある答えに辿りつく。

 僕は、こいつと会ったことはない。けれど、話したことがあった。いや、一方的な問いかけを答えただけだったが。そう、奴だ。学校の体育館で膝の中に顔を埋めていたあの時。鳥海誠の家を後にしたあの時。『本質ではなく、今何が問題なのか』その言葉を投げかけた声だ。忌々しくも何処か懐かしみを憶える声だった。


 「お、お前は、頭の中に語りかけてきたやつ、なのか?」


 おかしな質問であることは重々承知ではあるが、恐る恐る問いかける。

 つい、今し方、悪魔の面をしている女の質問を遮る行為ではあったが、面の女は気にも止めている様子がないように感じた。表情は見えないのに、だ。まるで、面の表情がそうであるらしいかったからだ。かっかと乾いた笑い声を響かせた後に、うなずく面の女。


 「そうだ。わしこそが貴様の心の内に呼びかけるものであり、真実を知るものである」


 声色は人を馬鹿して、見下している雰囲気を漂わせる。僕は、現実を疑った。こんなことが本当に起こり得るのだろうか。

 これまで僕は、まるで世界はこうであると決め付けても、それは、僕自身の世界であって、他者の世界とは異なるのかもしれないという考えを持っていた。

 しかしながら、今眼前に見えるモノ・事柄の全てがフィクションのようにしか感じれない。違う。フィクションのように感じたいだけであって、それはそこにいる。  

 確実に、心臓を動かし、息をして、感情を持ち、生きているのだ。

 僕は声が震えないようにと震える身体を止めるべく、力を身体の隅々に入れる。


 「何故、今、僕の前に現れたんだ。君はどこからやってきた」

 「ふむ」


 顎に、細かく言えば面の顎部分を右手で触り、宙を見て答えを探している。


 「現れた。いや、現れることが出来たのは貴様がわしをある意味で認識したからだと言っておこう。どこから来たかについては、どこからでもいいだろう、別に問題はない」


 面の女は自身が満足のいくような回答をして、僕に分かりやすく伝える気はなかった。


 「ところで、何故学校を休んでいる?」

 「風邪を引いたから休んでいる」

 「貴様のことではない」


 やれやれというように、両手を上げ、顔を横に降る仕草をした。僕は普段あまり短期ではないが、何故だか今無性に苛ついている。何故だろう。


 「じゃあ誰のことなんだ」

 「決まっておるだろう。奴だよ。野球引きこもり少年の藤崎祐樹だ」

 「祐樹のことをなんで、お前が知ってるんだよ」


 面の女はピタッと身体の動きを止めた。そして、乾いた笑い声をまた上げる。


 「かっか。貴様はわしを何者だと思っておるのだ」


 面の女から問われ、困惑する。僕はこいつのことは知らない。いや、知らないではなく認めていないのかもしれない。その存在について。だから、何者なのかを判断することはかなわない。さらには、祐樹についてもそれは同じことなのかもしれない。

 鳥海誠の死というどうしようもない出来事が起こり、身体と精神が追いついていなかった。最近になり、ようやく整理がつき周囲のことを見ることができだしたんだ。ようやく、祐樹が引きこもりという状況であることを確認することができたのだ。知ることができたのだ。だから、祐樹が引きこもりである理由は、まだ、こうである確証は分からない。分からないが多分、誠が関わっている。言葉を選び、答える。


 「わからない。お前のこともましてや祐樹のことでさえ僕は知らないでいる」

 「ほう」

 「でも、祐樹が今引きこもりになった理由は誠が関係しているのではないかとは思っている」

 「確証はあるのか」

 「証言、状況の証拠をかき集めて、つぎはぎにした結果そうなったとしか言いようがない」

 「なるほどな」


 面の女は顎に手を当て、考え込むような仕草をする。ゆっくりと吟味した後、答える。


 「では、鳥海誠は自殺ではなく、殺された可能性もあると思っているのか?」

 「それは」

 

 僕は、ジレンマを覚えた。友達が自殺した事実は事実のままである可能性。友達が友達を殺したのかもしれない可能性。板挟みで潰れて、消えてしまいそうだった。


 「どうなんだ?」


 奥歯を噛みしめ、汗が額から垂れる。視点は空中を泳ぎ、泳ぎきったところが面の女が被っている面の両目部分に開けられている二つの穴だった。吸い込まれそうになり、慌てて、視線を下に逃した。


 「貴様は、何か勘違いを起こしているのではないか。昔から貴様はそういう所があり、また、そういう部分も貴様の一部なのだろう。そういう所というのは、物事を白の面、黒の面の二つしか存在を許さず、曖昧なグラデーションの側面は無いものとしてしまう。大丈夫だ。心配するな。それらは、貴様に当てはまるが、貴様以外にも当てはまってしまうものなのだ」


 つまり、と言って続ける。


 「貴様は、死の原因が鳥海か藤崎のどちらか以外ありえないと思っている所だ。しかし、残念それだけじゃないぞ」

 「それだけじゃないってどういうことだ」

 「かっか、貴様の前にこうやって現れたのは奇跡に近いからな、特別にそれだけは教えてやろう」


 面の女は息を吸い込む。そして、吐き出す。


 「鳥海が死んだのは一つの事実だ。しかし、それを単純に誰か一人の原因で収束させるのは、第三者の勝手な都合である。張本人はそんな都合など知ったことではない。本当にして欲しいことは、あの日何があったのかを頭の中で限りなく近く再現して、見極めて欲しいのだよ。死の意味ではなく、死の周囲にある白でも黒でもつけることのできない部分を共感してほしいのだ。あの日の自分を見つけて欲しいのだよ」


 面の女は、息をゆっくりと吸う。ニカっと表情が笑ったように見えた。


 「まあ、見つけて欲しいという部分に関しては憶測だがな」

 「それは、どうやったら見つけることができる?何をすれば見つけ出せれるんだ」

 「知らん」


 あっけらかんと面の女は言う。


 「大丈夫、お前はわしを見つけられたのだ。答えに近いづいている」

 「その根拠が分からない。お前は一体何者なんだよ」

 「まあ、何者でも自由に思ってくれたら良いが、強いて言うならば」

 「言うなら?」

 「悪魔ということにしとけば良いだろう。わしという存在にかなり近いからな」


 じゃあ、一体全体何者なんだよ。お前は、と暗礁に乗り上げ何もできないもどかしさとどこを目指せば良いか分からない気持ちでいっぱいになった。

 しかし、悪魔という言葉はどこかで聞いたことがあるように思えた。どこだ。一体どこで僕はその存在を意識した。ふと、ある物を思い出し、自然と口にしていた。


 「手紙の悪魔」


 その言葉を聞くや否や面の女、あらため、悪魔は不快な笑顔を面の下に浮かべているようだった。実際は、面はちっとも変わっていなかった。


 「かっか、重要なことを思い出せれたのならば、それで良い、それで良いのだ。さらばだ」


 言葉を発したのち、目の前は暗転して、映画のエンドロールを終えた館内のように心地よい気持ちになった。

 瞼に力が少しずつ入ってくる。瞼をゆっくりと開ける。見知った天井。僕の部屋だった。知らず知らずのうちに、部屋に戻って休んでいたのだろうか。起き上がり、ベッドに腰をかける。まだ、頭が少しぼやけている。

 参考書や本が置かれている勉強机の上で、携帯電話が着信メールの合図である無機質な音を鳴らす。立ち上がり、携帯上のメールアイコンをタッチする。内容が表示される。そこには、奈々丘春から図書館の蔵書を点検するのを手伝ってくれないかという旨と、点検がてら誠の手がかりがないかお互いもう一度話し合わないかという内容であった。僕は奈々丘宛てに了解、明日の放課後集まろうと送った。


 「お兄ちゃんただいまー」


 妹が帰ってきたようだ。思い出すは、白昼夢の悪魔。あいつとの話はうすら覚えで明確に思い出せない。しかしながら、面の悪魔が重要なことを思い出せれたと言っていたことだけは覚えていた。

 重要なこと。

 それは鳥海誠が過去に書いていたという手紙の内容。手紙と悪魔の繋がり。なあ、誠。お前は今何を考え、何に気付かせたいんだ。

 虚空に語りかけても残るは、残響と羞恥しかない。夕日に照らされる部屋はいつも居る自分の部屋なのに、見知らないビルの隙間の様に窮屈に感じた。扉が軽快にノックされる。ガチャリと扉が開くと妹と目が合う。


 「お兄ちゃん元気なったみたいでよかった。ご飯今から作るから待っててね」


 妹は用件を話すとバタバタと階段を降りっていった。やれやれ騒がしい奴だ。部屋の窓を開けて換気する。部屋からは近くの小川が見える。桜が葉桜になりかけだった。部屋に入る空気は暖かく、肌を撫でていった。

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