第11話 藤崎祐樹

 藤崎祐樹。高校2年生。元野球部。中学高校と活発な青春時代を送る。

 しかし、高校1年の夏に肩を壊して、野球生命を途絶える。どこにでもいる悲劇のヒーロー。いたって普通な野球少年である。

 そんな彼は高校1年生の頃に鳥海誠と出会った。誠は、藤崎祐樹が既に壊れていたことを見抜いていた。見抜ける誠もまた、壊れていた。

 誠が死んだと同時に引きこもりになる。いや、誠が死んだ後に引きこもりになったのだ。彼と誠の出会いの話をしよう。


―回想―


 夏の日差しがギラギラと人を傷つけてしまうほど、その日は暑かった。

 藤崎祐樹は退部届けを顧問に渡し、渡り廊下をカツカツと歩いていた。

 渡り廊下、校舎の反対側のグラウンドからの音が聞こえてくる。夏休みということもあって、屋外の部活の活動している音がする。その中にはもちろん、野球部もあった。カキーンという快音は遠く離れたここまで聞こえて来る。部活動をしていた時は心地よい響きだったその音も、今では耳障りな雑音になった、ということはまるでなかった。

 怪我をした左肩をなでる。これまで酷使してきた肩は、役目を終えたようにだらりと下がっている。これまで野球にのめり込んできたことは一度もなかった。自分が野球を人よりほんの少し得意としていた理由だけと、忘れたい過去を滅却するために没頭するものとして野球をあてがっていただけだった。

 そう、そこには青春なんというというものは存在しなかったのだ。

 渡り廊下の横に設置されている自動販売機にお金を入れる。取り出し口からペットボトルを拾い上げ、口につける。冷やされずきたお茶が喉を通る。身体が内側から冷やされている感覚が感じる。

 夏の雲はもくもくと静かに成長を遂げている。喉が乾いてたこともあり、ペットボトルのお茶はすぐに消えていった。空になり、自動販売機横のゴミ箱に入れる。

 ふと、課題であった本を思い出し、図書室まで足を運ばせた。

 夏休みの図書室は伽藍としている。カウンターの正面にある経済コーナーの前に立ち、課題に即しているだろう適当な本を何本か見繕う。


 「へぇ、難しい本読むんだね」


 身体が声に反射して、硬直して弛緩する。横には、同じクラスメイトの鳥海誠が顎に手を当て自分の手元を覗き込んできていた。


 「びっくりした。なんだよ、おい、急に話しかけんなよ」


 藤崎祐樹はぶっきらぼうに答える。同じクラスメイトではあるが、一度も話したことない相手だった、警戒をする。


 「ああ、ごめん、ごめん。君があまりにも難しい本をすいすいと取っていたから、つい、気になってね」

 「俺が難しい本を読んで、何かおかしいか?」


 偏見に当てられたかと思い、少し憤る。


 「いや、おかしい訳ではないんだ」


 鳥海誠は慌てる様子もなく、手をひらひらさせる。


 「僕は本を読むことが好きなんだ。それで、君が個人的に、僕的に面白い本をいそいそと本棚からとっていたから、とても興味が湧いて、君に話しかけてしまったんだ」

 「こんなモン個人的に読むもんじゃねえよ。ただの課題だ」

 「なんだ、そうだったんだ。それは残念」


 手を顔の横にひらひらとする。鳥海誠は怪訝な顔を浮かべる。


 「何の課題だい?」

 「何の課題って、現代社会の奴だよ。レポート」


 鳥海誠は手を顎に当てて考え込む仕草をして、チラッとこちらを見る。


 「それって、レポートじゃなくて、プリントじゃなかったかな」

 「えっ」


 意表をつかれ、声がうわずる。急いで肩に掛けていたスポーツ用鞄のジッパーを開けて確認した。そこには課題一覧表がくしゃくしゃになって入っていた。表の上から二つ目の欄には、現代社会の課題について書かれている。そこには、「現代社会 プリント集」と書かれていた。


 「まじかよ、レポートじゃねえのかよ」


 図書館に来たことがあまりにも無意味なことになり、落胆の表情になった。


 「誰からレポート課題があるって言われたの?」

 「弓原、俺が丁度課題について話があった時、休んでて、そのあと個別に課題のことを聞いた時レポートって言ってた」

 「現代社会の担当教諭だね、だとしたら間違うはずもないけど、実際に君はこうやって勘違いを起こしている。どうしてだろう?」

 「どうしてって、そりゃあ弓原のミスだろ」


 藤崎祐樹は興味なさげに切り捨て言った。


 「でも、課題について、なおさら、レポートとプリント集をどう間違えるんだろう?」

 「そんなの知らねえよ。レポート課題をこれから出そうと思ってて間違えて言ったんじゃねえのか」


 適当に答える。


 「うん、それは一理あるかもしれない。だけど、未来の課題をわざわざ間違えるものかな」

 「知らねえよ」

 「こうじゃないかな、例えば他のクラスの課題にレポートがあったから、伝える時に間違えた、とか」


 藤崎祐樹は否定することを逡巡した。


 「君は、自分のクラスを言ってなかったんじゃないかな、だから伝達がバグを起こした」

 「言われてみれば、言って無かったかもしれない」

 「それに」


 と鳥海誠は肩に掛けていたスクール鞄のジッパーを開け、中の分厚いファイルを取り出した。多分課題入れか何かだろう。ファイルを開け、パラパラとめくり指を止めた。ファイルから一枚の紙を取り出した。紙には別のクラスの課題表が書かれている。


 「これ、別のクラスの友達が君同様に休んでしまって、同じクラスには仲の良い友人がいないからかわりに先生にもらって来てくれないかと言われて、先生から貰っていたものなんだ」


 そこには、「現代社会 レポート」と書かれていた。なるほど、クラスの名前をはっきりと言わなければ確かに勘違いして、弓原も伝えてしまうなと心の中で藤崎祐樹は少なからず反省した。


 「6クラスあって課題を交互に分けていたようだ。課題の面倒さは同じくらいだけれど生徒の中には不満をもった人もいたらしい。確かに、分けることで不平等感は少なからずあるだろうね。まあ、答え合わせとしては正解って所かな」

 「らしいな、今からプリント集を弓原に貰ってくるのも面倒だな」


 藤崎祐樹は深くため息を吐く。

 「ところで君は今から予定はあるのかい?」

 「別に予定なんかねえよ、強いて言うならプリントの束貰いに行くくらいかね」  

 「なるほど、そのあと手伝ってもらいたいことがあるのだけれどいいかな」

 「そんな義理はない」

 「課題の訂正をしてあげた」

 

 少し沈黙。


 「今回限りだぞ」


 ぶっきらぼうに答える。


 「ありがとう、助かったよ」


 その時ようやく、鳥海誠の顔をしっかりと見たのかもしれない。髪は耳に少しかかっており、目鼻がはっきりとしており、鼻筋はすうと通っている。手足が長く少しアンバランスな感じもするがそれすらも魅力に感じるようだった。


 「それと、君って言い方はやめてくれ。なんだかむず痒くてしかたない」


 鳥海誠の容姿に見惚れていた自分を隠すように、早口に言った。


 「そうか、それならなんと呼べばいい?」

 「祐樹でいい」

 「じゃあ祐樹くん」

 「くんはなくていい」

 「そっか、それじゃあ祐樹後でよろしくね」


 タオルのように柔らかい笑顔をこちらに向けた。その後、プリント集を教師から受け取り鳥海の手伝いを行った。鳥海は図書委員に所属しており、その日は蔵書の点検日であった。当時、他の委員たちは各々予定が入っていたため、鳥海一人で本の海を整理することになっていた。そこで、俺、藤崎祐樹は点検に加勢したのだ。点検中、鳥海は俺に多くのことを聞いてきた。それは、質問とも、相談とも、会話とも言い難い曖昧な言葉の交わし合いだった。今になって、あの時のことを振り返ろうと思っても具体的によみがえることなかった。ただ、あの時、あの場所で、鳥海という一人の人間に出会えたことは、かけがえのないものになったと今では言える。

 点検の手伝いが終わっても、交流は続いた。そもそも、元来俺は人付き合いが苦手ということはなく、誰とでも筒がなく話すことはできた。

 しかし、中学時代のとある思い出が原因か分からないが、高校に入ってからは自ら率先的に誰かと仲良くなろうと思ってはいなかった。鳥海は、独特の空気感を帯びており、また、話していて性格こそまるで違うが、居心地のよさを感じて、友達になったのだ。

 その後、鳥海の友人について紹介もしてくれて、早くもその男とも仲良くなった。  

 今では輝かしい昔日である。全ての過去は、遠い、遠い、遥か彼方へと追いやられた。もう、この世に、鳥海誠はいない。もう、見えないのだ。引きこもり、陰鬱の気持ちを吐き出せず、飲み込み、また、吐き気が浮かび上がる日々だ。

 しかし、そんな俺にも、やはりと言っていいのか、転機は訪れる。物理的に訪れた。

 今日、奈々丘春たちがやってきたのだと母が部屋の扉越しに告げてきたのだ。最近では、めっぽう話さなくなっていた母だったが、今日の母はいつもの弱々しい声が消え失せていることを感じた。穏やかに母は、奈々丘春が言っていたことを話す。

 最後に、母は、「納得が行くまで悩んでも誰もあなたを咎めることはしない。だから、安心して悩みなさい。私はここにいるから」と言い残し、一階へと降りていった。

 その言葉で、心に降りかかる雨が終わりを告げた。勝手に一人で独りだと考えこんで、周囲から咎められていたと勘違いしていた。奈々丘春の言葉を思い出す。

 「戦っている本人と同様で、周りの私たちも諦めないか・・・」

 どうやら、周囲は俺を諦めてくれないらしい。それが、とても、嬉しかったのだ。  

 奈々丘春と彼はきっと、鳥海誠の真相を知りここに来たのだろう。彼らは、それだけ、鳥海誠を大切にも思っているのだろう。俺は、あの日の真相を話す義務と責任と贖罪があることを知っている。一方、そのことは誰しもに理解される内容ではないことを知っていた。だから、悩み、悔やみ、心を閉じ込めたのだ。

 だが、もしかしたら、鳥海誠の友人であり、俺の大切な友人でもある彼らなら、真相の核心に気付いてくれるのではないか。俺の罪を正面から目を離すことなく、真っ直ぐに受け止めてくれるのでないか。


 「もう、戦いはおしまいにしよう」


 終わりの鐘はもうすぐに鳴るだろう。俺が鳥海を殺したことを伝えて、罪を受け止める。決心、春の夜だ。

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