第20話 理解のその先に

 「そして、今に至るっていうことだ」


 祐樹は足元に送った視線を上げて、僕と春を見やる。祐樹の表情は落ち着いている様にも、諦めている様にも見えた。僕は彼が勘違いを犯しているのではないかと思った。それは、奈々丘春と誠の関係である。話しを聞く中で二人の会話が出てきたが、祐樹は、それがお互いがお互いに好意を向けている相手に対して伝えた言葉という様に捉えている。しかし、それには第三者がいるのだ。


 誠と春の会話にも出てきた「成功する」というのは誠と春の話ではない。

 確信を持って言える。何故なら、その第三者、つまり、春の想い人は自分で言うのもむず痒いが、僕なのだから。僕、荒瀬夏彦なのだから。


 「あなた、何か勘違いしてない?」


 口を開こうとした時、春が既に言葉を発していた。


 「私は、鳥海君のことはまあ、友人として好きではあるけれど、男性として好きとかは一切なかったわ」


 春は、竹を縦に割る様にバッサリと言った。


 「嘘だ。ありえない。だったら、あの図書館での会話は一体何だって言うんだ」


 祐樹は狼狽を隠そうともしなかった。


 「鳥海君に相談してたの。好きな人がいるけれどどうすれば良いのかって」

 「そんなこと信じれるか」

 「そう?それなら信じなくてもいいけれど」


 春はまたもやバッサリと断ち切る。


 「聞きたいのだけれど、貴方は鳥海君に一度でも聞いたのかしら?奈々丘春と一体どんな関係なのかを」

 「怖くて、聴けるわけがないだろう」

 「それってさ、つまり、自分は信じていたのに裏切られたかもしれないと思ったから?」

 「ああ、そうだ」


 春は少し苛立ちの表情を見せていた。何故彼女が怒っているのかは大体検討がついた。


 「そう。それならさ、一体、君の本意と鳥海君はどこにいるんだろうね」

 「どういうことだ」

 「まず初めに、あなたは鳥海誠のことを本当に好いていたのか聞かせてもらえる?」

 「俺は、誠を」

 

 祐樹は空を見上げて、遙か遠いアンドロメダを見ている様だった。これまでのことを思い出しているみたいだ。先程まで捲し立ててきた春に対して、多少の困惑と憤りが苦悶の表情とおり混ざっていたが、今は、意表を突かれたということもあってか、思い出を追うことに必死なのか、瞳は真っ直ぐに歪められていた口は緩められていた。

 祐樹の頬に一筋の光が見えた。空を見上げる彼の顔には涙雨が降っていた。


 「好きに、決まってるだろう。誠が死んだ今でもずっと好きだ。それは絶対変わらない。変わらないんだ」

 「それがあなたの本心?」

 「ああ、これが俺の本心だ」

 「あるじゃない。あなたの本意。鳥海君を誰よりも愛していること。誰よりも愛しているのなら、あなたは誰よりも鳥海君の理解者なの。でも、あなたは今回鳥海君を見失った。それはどうして?」

 「それは、俺がこれまでの人生で一度、セクシュアリティについて騙されたことがあるからだ。中学二年生の頃、好きな人ができた。そして、抑えられず告白して相手の男からはOKをもらった。だけど、次の日からクラス中に噂になっていた。あいつはゲイだから近づかない方がいいと。告白を了承したのも嘘だったことを知ったのはその後だった。だから、今回誠のことを信じていたのにも関わらず、俺は目を背けてしまった」

 「あなたがこれまでの人生で何が起きたのかは心中を察するわ。それの影響であなたは、信じる勇気が無くなり、あなたは鳥海真を好きである自身の気持ちを蔑ろにしてしまった」

 「何でもお見通しなんだな」


 祐樹は嘲笑する。


 「次に聞きたいことなんだけど、あなたは鳥海君に対して自分が裏切ってしまったと思う?」

 「それは、ある。いや、本当は裏切られたという気持ちと同等かそれ以上に、誠を裏切ってしまったと思っている」

 「それはどうして?」

 「俺が死のうとしたからだ」

 「そうね。死んであなたが居なくなれば、誠君に対して答えを言わないことになるのだから、裏切りになるのかもしれない。けれど、私の見解を言うと裏切りの部分はもっと離れている」

 「じゃあ、一体俺は何処で、何を裏切ったんだよ!」


 祐樹は叫び、嘆き、言った。


 「それは、自分が裏切られたのか心配になった心を鳥海君にぶつけなかったことが、鳥海君に対しての裏切りになったのよ」

 「そんなこと言える訳ないだろ」

 「それなら、鳥海君があなたを好きだと言ったことは本気だと思っていないの?」

 

 祐樹は言葉に詰まり、拳を握り締めていた。


 「あれは本気だったと思う。根拠とかは特にないが」


 祐樹は顔を横に背ける。


 「それなら、あなたのことを好きだった鳥海君はあなたの最大の理解者になる。つまり、あなたは理解してくれる相手に自分の心を打ち明けなかったことが理解者である鳥海君に対しての裏切りなの。だって、理解してくれる相手以外の人に悩みなんて言っても何もならないでしょ?」


 春の表情から苛立ちは消え去っていて、一生懸命さだけが残っている。雨はもう止んだようだ。


 「誠は、俺の本当の理解者だった」


 祐樹は、自分のことを認めることができたのかはわからない。誠に対しての想いがどのような変化を遂げたのかもわからない。けれど、一つだけ分かっていることがある。

 藤崎祐樹の青春はようやく静かに終わりを迎えることができたのだ。


 「藤崎君、これまで偉そうに講釈を垂れてしまったけれど、今回の一件であなたを惑わせたのは他ならない私であることは変わりない。誠君が死んでしまう未来になったのは私にも責任がある。それについては、本当に本当に申し訳ないと思う。ごめんなさい」


 春はやはりと言ってしまって良いのか分からないが、清々しく頭を下げた。春の両手はスカートの横を握りしめて、震えていた。春は余りにも正しく真っ直ぐに生きてきた人間であるから、人一倍に責任感とそして、何より深い罪悪感に囚われてしまうのだろう。


 「奈々丘のせいじゃないさ。俺が怠っただけだったんだ。そう、怠っただけ。確認を。それに、奈々丘、あんたはあんたの想いが本気だからこそ行動して、誠に打ち明けたんだろ?俺にはできなかったことだ。すごい、かっけーよ。だから、頭をどうか上げてくれないか」


 春は頭を勢いよく上げ、祐樹の方を濡れた目で見た。長い髪が乱れる。風が吹く。暖かい春の風ではない、湿気を帯びた風だった。

 僕は二人の会話から、あることの答えがこのことなのではないかと思った。

 悪魔は勇気、信念、そして、もう一つは。


 「理解を示すことだったんだ」


 僕は頭にした文字が口に思わず出ていたことに驚く。


 「どうしたの夏彦君?」

 「春、あれだよ。手紙に書かれていた悪魔の欠けている要素があったろう?」

 「あっ」

 春も気づいたみたいだ。


 「おいおい。二人して一体何の話をしているんだ」

 「ああ、祐樹にはまだ見せていらなかったね」


 僕はカバンの中の教材をかき分け、ファイルに入った手紙を取り出し、祐樹の前に出す。


 「誠の遺書だよ。この中身軽くでいいから読んでくれないか」


 祐樹は訝しそうにまた、驚きの表情も交えながら手紙を手に取り、四つ折りのそれを開き目を落とす。読み終わると、頭をひとかきした。


 「何となく言いたいことは分かった。そして、お前たちが一体何で盛り上がったのかもな。悪魔の要素ってやつが誠的には何か足りていなくて、それが夏彦曰く理解なんじゃないかってことだな」

 「理解が早くて助かるよ」

 「誠と居れば、いやでもあいつの言葉の言い回しはなれるからな。それで、何で悪魔とやらの要素が理解になるんだよ」

 「それはね。悪魔についてまず、勇気と信念が書かれているけれど、それは言ってしまえば自分の中での変化を象徴しているんだ。でも、人は勇気を出したこと、信念を持って行動したことに対価を欲するんだ」

 「対価って、見返りのことか」

 「そう」

 「なら物とかなのか」

 「いや、形のあるものじゃない。それは、誰でも出来るし、誰もが簡単には行えないことだ」

 「夏彦君、焦らさないで」

 「わかった、わかった、ごめんよ。それでは言うね。それは理解することだよ」 

 「理解?」


 春と祐樹が同じ瞬間に問い合わせる。


 「そう、理解。理解ってやつは、相手のことをしっかりと見てあげて、時に許して、時に批評して、でも決して偏見を持たないことだ。つまり、勇気を出して行った際や、信念をもって行動した際には、誰かしらがその勇気や信念を持った人の行動に理解を示してあげることが大切なんだ」

 「なんだか、勝手過ぎないか悪魔だから仕方ないことなのだろうけれど、勝手に出した勇気と信念を理解するって」

 「いや、勝手ではないんだ。悪魔が引き出す勇気や信念というものは、その人自身の本能的部分のことを指すと思う。だから、本能が勝手に行動することはない。何故そんな風に考えるかと言うと、この手紙をそもそも書いた誠が誠自身のある本能について書きたかったのだから」

 「それって一体」

 「祐樹、君も知ってることだよ。それは、誠自身が持つ性の方向性、セクシュアリティのこと。つまり、ゲイであることを他者に伝える勇気、行動にだす信念、そして、それを受け止めてくれる理解者が揃えば、本当の意味で誠の悩みがきえさることができたんだ。しかし、世界は余りにも窮屈で、誠の本心を言っても周囲から奇異の目見られたり、誰かを傷つけてしまったりする可能性もあることに幼いながら誠は気づいていた。そこで、誠はあたかも自分の本能は悪いことだと思ってしまい、そのことを解放することは悪魔に唆されるのと同義だと捉えた。以上のことが混ざりに混ざって、この手紙が出来たんだ」

 「おい、待てよ。それじゃあ、あいつは、誠は、俺よりもずっと前から性自認について悩んでたのかよ」

 「多分、そうなる」

 「そんなのきつすぎる。世界にとって自分が少数派で、存在を否定されやすい立場に小さい頃から気づくなんて・・・あんまりだろ」


 祐樹は抑えることなく涙を流す。雄たけびのように声を上げる。

 嗚咽が少し鳴る。春は手を口にそえて、悲痛に目をふせぐ。僕は、計り知れない苦痛を受けた子供時代の誠を想起する。

 そう、この遺書は後世に残して、余韻に浸るものではなかったのだ。幼き日の誠が出したSOS信号だったのだ。

 僕は間違ってないよね、と。僕たちは理解して、認めることができた。

 彼、鳥海誠の本懐を。

 

 嗚咽が鳴り止む。赤くなった目元を思いっきり拭い、祐樹は真っ直ぐ向き直す。


 「一つ聞きたいんだけど」


 春が右手を上げる。


 「なんだい?」

 「遺書ってことは、つまりは誠いつかは死のうと思ってたってことでしょ?いつ死ぬつもりだったのかなって」

 「多分だけれど、この遺書の内容が遂行されたら、死ぬつもりだったんだと思う」

 「それって、つまり」

 「ああ、誠は自分の信頼できる人たちに勇気と信念を実行できて、自分のことを伝えられた。そして、深い理解を示してくれる同士に出会えた。死の覚悟ができた」

 「おい、その同士って・・・」


 祐樹の声が震える。


 「そう、祐樹、君のことだよ」

 「でも、俺はあいつのことを理解できずにいたのに」

 「私、分かるかもしれない」

 「どういうことだよ」

 「鳥海君があなたを好きになった時点で、鳥海君は人生で初めてあなたという理解者が欲しくなったのよ。今さっきも言ったけど、愛することは理解することなのだから」

 「ということは、俺がもしあいつのことを好きだと伝えたとしてもあいつは、誠は」

 「推測だが、死を選んだのかもしれない。彼自身、多分だがこの遺書同様少なくとも自分の性の方向性に心がすり減るほど悩んでいたのかもしれないから。君に好きと言ってもらえることで、誠は自分自身の人生をようやく肯定できる。しかし、遺書のことを踏まえたら、悪魔に唆されて世界からよろしくないと思われた自身の本能が出てきたのではないかとという考えがあった。その考えが次第に強くなり、この世から命を経つという考えに至ったのかもしれない。つまり、誰かに肯定してもらい、自分は世界から批判されても味方がいたのだという事実を残して安心して、死にたかったんじゃないかな」

 「どっち道死ぬつもりだったのかよ。そんなのってねえよ」


 祐樹は地面を震わせるほど、叫んだ。乾いた叫び声だった。

 

 「俺は、あいつに好きって言って、これからもずっと、ずっと、生きてほしかったんだ」


 祐樹は、絞り出す声は徐々に小さく、弱々しくなった。


 「なあ、世界ってやつどうしてこうも、少数派の奴らを認めてくれないんだよ。それがなけりゃあ、誠は俺は悩まなかったのによ!」


 夕暮れに染まる空を睨みつけ、祐樹は叫ぶ。僕は一呼吸置いて、音を文字に変える。


 「誰かに認められたい理解されたいそれは自然なことで当たり前のことだ。そして、人は一人で生きていくけれど、独りでは決して生きていけない。世界の人全てに認めて欲しいという気持ちは確かにある。それは紛れもない事実だ。けれど、僕にも君にも違う価値観があるように、一人一人の価値観は違い認めることが難しいのかもしれない。それなら、誠は何を求めていたのか。きっと、それは、知って欲しかったんだと思う。こんな人間も世界の片隅にはいるんだということを知って欲しかったんだ」


 僕は驚いていた。自身が言おうとした内容ではあったが、まるで、僕の言葉ではないようだった。誰かに口を勝手に動かされている、そんな不思議な気持ちだった。

 祐樹と春は、先ほどまでの憎悪やら哀愁やらは身を潜め、ただ視線をフェンスの向こうにやっていた。誠が落ちたフェンスの方へと。


 「俺たちは誠をちゃんと知ってやれたのかな」

 「きっと、ううん、絶対に大丈夫」

 「僕たちが、誠を忘れない限り、きっと」


 校庭に一本だけ先遅れていた葉桜も乱れ舞い、最後に向かう。いや、次の季節にバトンを託すように静かに眠りにつくのだろう。

 春の終わりを告げる。

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