第2話 問答
翌日は緊急の全校集会が行われ、体育館で校長がことの顛末を淡々と述べる。男子生徒が屋上から、飛び降りた、と。
その日、僕がどのように帰ったのかはあまり覚えていない。とにかく、記憶に鮮明に呼び起こされるのは、黒く鮮やかな血を口から垂らす、鳥海誠の姿だけである。人が亡くなったことをニュースで見ていた時は、何処かで遠い世界のように感じていたが、実際それを見てしまうと、ああ、現実なんだと思い、身体に重しが乗せられる。逃れられない現実なのだと。この感覚を僕は覚えている。
平凡な世界に嫌気を持った僕への罰なのだろうか。
『お前は劇的を望んだのだろう』
頭の中で何者かが囁く。
体育館で体育座りをして集会に参加する生徒。僕の前にいる生徒も他の生徒同様眼前の校長を見る。しかし、僕は下を見続ける。頭の中の何者かは明瞭な声となり、また、語りかける。
『お前は劇的という願いを持ってはいるが、あくまで自分が悪い方向に向かわず、周囲に酷なことが起こりそれを助けられたら面白いだろうなぁと考えている。だが、お前ごときが救える酷とはとても矮小なものだ。この、ヒーロー気取りの偽物が』
人が何もないところでコケたのを見て笑ったような乾いた声をあげる。
『その範疇を飛び越え、親友が死ぬという結末はお前の劇的をあっという間に蹴り飛ばしていった。お前はありありとめいめいに、自らの小ささを知ったのだ。儂に言わせてみればお前は友への悲しみより、自分の小ささに驚かされ悔しくてたまらない。何者にもなれない、何もできない自分自身にな』
いや違う。僕は頭の相手に反論する。何もできないのは、とっくの昔から知っていた。確かに、友達としてあいつに、何かできたのではないかという悔しさは残る。けれど、自分本位でものごと全てを捉えてはいない。それだけは断言できる。僕は、彼が亡くなったことが本当に、悲しかったんだ。
体育座りのなか腕に顔を埋め身体の力が一瞬強張り、抜けていく。肩からは力が降りていった。
『そうか、それならばお前の劇的とは一体何なのかを、また、友がなくならなければならないほどの理由を突き止め、友の供養をするのだ。そして、自分の小ささを知るとよい。自分の小ささを知ればお前はようやく・・・』
「これで、臨時の集会を終わりにします」
最後の方では、集会の終わりの号令とかぶり聞こえなかった。あまりにも自分勝手な声は一体何だったのだろう。幻聴か。はたまた白昼夢か。まぁ、どちらにせよどうでも良いことだ。どうでも良いと心の中で言ってみたものの詰まる。自分の弱さを知らない。突き詰められた言葉を嚥下しようとも上手く飲み込めれない。腰を上げ、体育館を後にした。春は続いていく。
奈々丘春は憂鬱を顔全体に表していた。お昼のお弁当が自分の嫌いな白身魚のフライだったからではない。また、読み終えた小説の内容が夢オチという酷い落ちだったからでもさらさらない。
昨日のことである。
実体を持ったそれは確かに、奈々丘春の正面を落ちていったのである。今、ぶつかっていたら自分もひとたまりもなかったなと冷静に考えられる。怖かった。手に水分がじんわりと出てくる。
友達である鳥海誠が落ちた。
誰かが亡くなった時は、直近の思い出よりも、遥か遠い過去の靄がかかった記憶を明確に、そして、悲しげに思い出させてしまう。
小学生の時に五年生で同じクラスになったことがある。決して目立っていた児童かというと、それは当てはまらなかった。かといって、影の薄い印象もなかった。小学生の頃から、大人びた言葉使いで独特な雰囲気を醸し出していた彼。
初めて話しをしたのはいつだろう。思いを頭の中でめぐらしてみる。
−回想−
ウサギ小屋の前で奈々丘春は泣き崩れていた。目の前には、ウサギの亡骸が沈黙のまま横たわっていた。
「どうしたんだい?」
見上げると鳥海誠が柔和な顔でこちらを見ていた。前髪が少し目の当たりを覆っている。
「ウサギさん。死んじゃったの。昨日まで生きていたのに」
喉の奥で言葉が引っかかりながら言った。
「そうなんだ。それは、辛いね」
鳥海誠は遥か先、他国の紛争を見ているような、俯瞰した遠い目をしていた。空気は少しひんやりと寂しさを帯びている。周りのヒグラシが鳴り続ける。
一拍程間を空けて、鳥海誠は口を開いた。
「今日も生きていて欲しかった。とてもエゴ的、なのかも知れないけれど。」
「エゴって、何?」
聞き覚えの無い単語に純粋に反応する私。
「人は相手のためだと建前をふりかざす。じつのところ、自分の利益だけを主張したり、根拠もなしに考えにうぬぼれたりしているだけなんだ。こうであるのが当たり前でそれが本当に良いことであると思い込んでいるに過ぎないんだ。それがエゴだよ」
歌を口ずさむように滑らかな口調で説明した。
「よくわからないよ。難しすぎて。」
「そうだね。僕も父の請け合いだから、実際の意味はニュアンス程度でふんわりした部分しか掴めていないんだ。この説明だって、父が言った言葉を僕の口で言っただけなんだ。言葉の意味はシンプルなはずなのに、世の中の人たちは難しくするのが好きすぎて複雑怪奇だ」
その言葉でさえ難しいと感じる。
優しい顔を向けた鳥海誠は、自分だけが周りから見えない透明人間のような孤独的な目をしている。
「ただ、言葉は複雑をいいことに嘘を描けるけれど、感情はどこまでも純粋なものだ」
深呼吸とともに、間が空く。
「このうさぎにとって、死がよいものだったのか、はたまた、その反対だったのか、僕は知らない。だけれども、今日もいつもの元気な姿で、膝にのぼってきて、あの柔らかな体を撫でてたかったなあ」
そう言った彼の頬には雫が垂れていた。
その時思ったんだ。ああ、この人はとても純粋で繊細な人と。
茹だるような夏の日の思い出。
−回想了−
その先は記憶に靄がかかっているように思い出せない。でも、私たちはそのあと友達になったのだ。中学校は別々になったけれど。あの時から少し不思議な人だったなあ。
白身魚のフライを苦々しく口に運ぶ。やっぱりまずい。
人が亡くなった後でも、世界という日常は廻っていく。どれだけ大きな津波が来てもいつかは鎮まっていくのと同様に。
周囲の人間を見ても、いたって何も変わらない。まぁ、当たり前か。自分とは関係ないもんね。奈々丘春は何故かそれをとても悲しく思った。まるで別の世界の話みたい。
もう一度魚を口に運ぶ。うん、このまずさも変わらない。何時もの昼下がり。
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