30 消えない炎

「う……あれ? 俺どうし……ひぇぶっ!」

 目覚めたオーラムを一発だけ殴った。全力で力を抑えたから、そんなに痛くないはずだ。

「ディールさんっ、落ち着いてくださいっ」

「大丈夫落ち着いてる。でもフェリチの顔を殴った罰だけは」

「何もディールさんが直接手を下さなくても……ああ、また気絶しちゃいましたよ」

 本当に軽く殴っただけなのに、オーラムは再び昏倒していた。

 もう数発は殴っておきたかったが、仕方なく拳を引っ込めた。


「ところで今、城を出てから何日目?」

「8日目です」

 どうやら僕は、数時間ほど気を失っていたらしい。

 その割に、オーラムがフェリチに手を出すまで時間が掛かりすぎている。

「こいつ、僕に薬盛ったあと、何してたんだ」

 僕が疑問を口にしたところへ、御者さんや宿に逗留していた兵士さん、それに宿の人達が慌てた様子でやってきた。

「ディール殿、フェリチ殿、ご無事ですか!?」

 兵士さんの手には見覚えのある酒瓶と、いかにも毒が入っていますと言わんばかりのやけに小洒落た小瓶があった。酒瓶の方は僕が飲まされたやつだ。

「これがこやつの荷物から出てまいりまして、飲まされる前で何よりでした」

 青ざめていた兵士さん達が、元気な僕たちを見て胸をなでおろしている。

「僕はまんまと引っかかりました。ご心配をおかけして……」

「引っかかったあ!?」

 安堵していた皆さんが、一斉に驚いて飛び上がった。

「これは解毒剤も間に合わないほどの猛毒ですよっ!? アブシットでは厳重に管理しているはずで……」

「猛毒!?」

 今度はフェリチまで飛び上がった。


 それもそうか。

 ドラゴン討伐を邪魔したいのなら、僕を殺すのが一番手っ取り早い。

 でも僕が気絶するだけで絶命しなかったから……フェリチに手を出すのが遅れたのかな。


「でぃでぃでぃディールさんお身体は具合はお加減は吐き気は頭痛は目眩は!?」

 フェリチが真っ青な顔になって僕に色んな治癒魔法をかけてくれる。

「自分でもどうして平気なのかわからない。酒で薄めすぎたとか? ……フェリチ、大丈夫だから魔法止めて」

 ともかく僕は無事だから、なんともないからと皆を宥めている間に、オーラムが再び目を覚ました。


 昏倒している間に縛り上げておいたから、オーラムは身動き一つとれない。

 僕のように縄をどうにかしたとしても、僕はもうオーラムから目を離さないし、油断しないから何もさせない。


 そういう気持ちでオーラムを上からじっと睨みつけていると、オーラムは徐々に気を取り直し、それから僕を忌々しげに睨みつけて、叫んだ。


「お前、人間じゃないだろっ! あの毒を飲んで生きてるなんて……化け物だっ! ……ぶぺぽっ」


 気づいたらフェリチがオーラムの顔面に、破落戸がやるような喧嘩蹴りを食らわせていた。


「フェリチっ!?」

 フェリチは更に、杖を両手で振りかぶってオーラムの顔と言わず身体と言わず、手当たり次第に連打した。

「いだだだだだ!?」

「フェリチ、止め止め! どうしたんだよ急にっ!」

 フェリチは力が弱い。蹴りも殴打も、やられる方は痛いは痛いだろうが、人間を気絶させるような威力はない。

 だから口では止めてみたものの、フェリチの気が済むまで殴らせようかとしばらく待ってみた。

「痛い痛い! やめろ、クソがっ!」

 オーラムがなにか喚いているが、フェリチは止まらない。

 結局、フェリチは杖を握った手に血が滲んでも止める気配を見せなかった。

「落ち着いてフェリチ。一体どうしたの」

 僕が杖を掴んで止めると、フェリチは杖を握りしめたまま僕の方へ崩れるように倒れ込んだ。

「ふっ、ふーっ、ふーっ……」

 全力で殴り続けていたフェリチは、息を整えるのにしばらくかかった。

 ようやく落ち着いて立ち上がって僕を見上げたフェリチの瞳には、涙が溜まっている。

「このひと、ディールさんのことを、ば、化け物なんて……失礼にも程があります!」

「そんなことで!?」

 僕自身、自分のことを人間離れしているなぁと感じている。

 だから化け物呼ばわり程度、毛ほども気にしていなかったのに。

「そんなことって……ドラゴン退治をやめろだなんて妙なこと言い続けて付きまとった挙げ句、毒まで盛っておいてこの言い草ですよ!? ディールさんが怒らない方なのは知ってましたが、いくらなんでもっ!」

 なんてことを言いながら、フェリチは涙をぽろぽろとこぼす。

「確かに、よく考えたら酷い……のかな?」

 フェリチの頭を撫でながら僕がぽつりと呟くと、フェリチの暴走に呆気にとられていた御者さんたちが我に返った。

「酷いですね。第三者である私からみてもそう思います」

「大体、さんざん迷惑をかけておいて、第一声がこれですよ。反省の色なし、同情の余地なしです」

「これでお嬢さんや英雄様が罪に問われるのなら、法がおかしいです」

 御者さん、兵士さん、宿の人の意見だ。

 いくら相手が殺人未遂を犯した罪人とて、一方的に暴力をふるえば罪になる。しかし宿の人の意見に皆、同意だとばかりに頷いてしまっている。

 フェリチに至っては我が意を得たりと泣き止み、少し元気になりさえした。


「フェリチ、回復薬飲んで」

「えっ?」

「手」

「あっ、は、はい……」

 手の擦り傷のことをちくりと言ったら、しょんぼりしてしまったが、こればかりは譲れない。



 結局、オーラムは拘束されたまま兵士さんが預かり、馬車の到着を待ってアブシットへ強制送還ということになった。

「あの人、一体何だったんですか?」

 城や道中で何度も聞く機会を逃していた質問を兵士さんに向けると、兵士さんは少し困ったような顔をしつつ、「ディール様は知る権利がありますよね」と前置きしてから、話してくれた。


「彼はアブシットの元王族、オープロカム・モント・アブシットです」

「元?」

 僕とフェリチとセレの間では「王族か、それに近しい身分の高い人」という予想を立てていて、だいたい合っていたことになる。

「はい。素行不良……は、もうご覧の通りなのですが、あれが過ぎて王族から除名されました。とはいえ、陛下の従兄弟であることは揺るがぬ事実ですので、市井に放り出すのも難しく、城で飼い殺しているのです」

 王族は血で継ぐものだから、たとえ除名しても血を継いでいるというだけで政治利用されたりするらしい。

「彼がドラゴン退治中止に固執する理由は何ですか?」

「陛下への逆恨みです」

「逆恨み……」

「元々、王位継承権一位だったのです。しかし、あれですから。王位を継ぐ前に除名となり、代わって王になったのが今の陛下です。陛下は国王としての教育や執務に真面目に取り組み、自らの手で王位を掴みました。一方、彼は自業自得で今の状況になったというのに、逆恨みで陛下の邪魔をしておりまして……」

 アブシット国王が多忙なのは、オーラムの尻拭いや後始末をしているせいもあるそうだ。

「ともあれ、ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした。謝罪については国の方から改めて」

 一瞬断ろうかと口を開きかけたが、踏みとどまった。

 僕だけのことにしても殺されかけたわけだし、何より、フェリチの顔を殴った罪は許せない。

「わかりました」




 僕とフェリチは予定より二日早く、ドラゴンが棲むとされている山へたどり着いた。

 オーラムは最後に僕を数時間昏倒させただけで、ドラゴン退治の旅に対して妨害らしい妨害はできなかったことになる。

「……とっとと倒して帰ろう」

「ご無理なさらない範囲でお願いします」

 まだドラゴンの尾も見ていないのに、妙に疲れが溜まっている。

 フェリチも同様のようで、僕の提案に素直に乗ってきた。

「不思議と効かなかったとはいえ、毒を盛られているのですから、少しでも不調があったらすぐ言ってくださいね」

「うん」


 魔物に、ましてやドラゴン相手にこんなことを言うのはお門違いなのは重々承知の上であえて僕の感想を言わせてもらえば、このときのドラゴンは最高に空気を読んでくれていた。

 山に入ってすぐ、僕の嗅覚が例の嫌な匂いを捉え、匂いを辿ってすぐにドラゴンの巨体を発見できたのだ。

「青い鱗……インヴィディアドラゴンですね」

 嫉妬の名を冠するドラゴンは、僕やフェリチが視界に入っても、頭を持ち上げた姿勢のまま微動だにせず、遠くを眺めている。

 心ここにあらずというか、覚悟を決めているというか。

「……」

 僕は頭を振って、自分の考えを頭から追い出した。

 ドラゴンに人間みたいな心情が、あるはずない。

「ディールさん?」

 フェリチが心配そうに僕を見上げている。

 僕が妙な挙動をしたせいだ。

「なんでもない。下がってて」

 僕は剣を抜いて堂々とドラゴンに近づき、剣を振りかぶって跳躍し、そのままの勢いでインヴィディアドラゴンの首を落とした。


 インヴィディアドラゴンは鳴き声一つ上げずに、絶命した。


「ディールさんがドラゴンを倒すのを見ると、ドラゴンってそんなに強くないのかなって錯覚してしまいますね」

 無傷の僕に治癒魔法をふわりと掛けてくれたフェリチが、そんなことを言い出す。

 実際、相手が無抵抗すぎて簡単だったのは事実だ。

「普通はドラゴンの硬い鱗を一刀両断なんて無理な話ですよね、失言でした」

「剣が良いから」

「その剣を軽々使いこなせるのもディールさんくらいです。それに、首までひとっ飛びするのも無理です」

 僕達はインヴィディアドラゴンの死体が消滅していくのを見ながら、他愛のない話をしていた。

「そうだ、目はどうなってる?」

「はい、黒くなってます。でも右眼だけですね。お顔の他の部分はなんともありません」

 右眼のあたりに手をひたりと当てる。フェリチの言う通り、今回は肌に硬い血管が浮いたりはしていないようだ。痛みもない。

 そうして雑談すること暫し、異常に気づいた。

「……なかなか消えませんね」

「長いよな。ちょっと様子を見てくる」

 僕達はインヴィディアドラゴンの死体から少し離れた場所に立っていたのだが、僕だけが数歩死体に近づいた。

 ドラゴンは、僕が切り落とした頭と首のそれぞれの断面からさらさらと塵と化しているが、よくよく観察すると、その速度があまりにも遅い。

 死体の周りをぐるりと見回ってから、フェリチの元へ戻った。

「どうでした?」

「遅すぎる、消えるまでかなり時間がかかりそう、有毒気体はおそらく出ていない、ってことしかわからなかった」

「では野営の支度をしましょうか」

「そのほうがよさそうだ」


 簡易テントを設置し、フェリチが作ってくれたご飯を食べ終え、交代で寝ようという段になっても、ドラゴンはようやく頭が半分消滅しただけだった。

 胴の方は、長い首の四分の一も消えていない。

「参ったな、この調子じゃ数日かかる」

 野営の準備は数日分しか持ってきていない。

「明日の朝、麓の人たちに連絡をいれるか……」

 焚き火を枝でつつきながら、独りごちた。



 果たしてドラゴンは朝を迎えても消滅しきっていなかった。

 ただ、予想よりは早く消えている。

 朝になってもせいぜい頭が消えているだけかと思いきや、胴の半分まで消滅していた。

「念の為連絡は入れるよ」

 通信用の魔道具を取り出して、麓の兵士さんに事の次第を伝えると、兵士さんのうち数人が追加の物資を持ってきてくれることになった。


「お疲れ様です、ディール殿。……うわでっか! これで半分消えたってことは、これの倍はあったんですよね!?」

 はじめてドラゴンを目の当たりにしたらしい兵士さんが、到着するなり声を上げる。

 そうか、ドラゴンって他の人から見たら大きいんだな。

 もう魔物なんてドラゴン以外しばらく見ていないから、感覚が麻痺していた。

「このあたりに首があったんですよ」

 フェリチが、ドラゴンの首が落ちた場所に立って兵士さんに伝えると、兵士さんもフェリチと同じ場所に立った。

「うっわあ……。他の七匹のドラゴンよりも大きかったですか? それで消えるのが遅いとか?」

「大きさは他のとそう変わらなかったような……。消えるのが遅い理由だけ、よくわかりません」

「ははあ、ディール殿がそう仰るということは、これは明らかな異常事態というわけですね」

 兵士さん達と会話している最中にも、ドラゴンの消滅速度は上がり、兵士さんたちが帰る頃には後ろ足と尾だけになっていた。

「物資、どうしましょうか」

 兵士さんたちに消滅速度上昇を伝えると、物資の持ち帰りを提案してくれた。

「このあとまた速度が落ちる可能性も捨てきれないので、置いていってください」


 結局、インヴィディアドラゴンの死体はこの日の夕方には完全消滅したが、異常ずくめのドラゴンだったので、念の為、物資の残りが半分を切るまで山に留まった。

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