9 不思議な鉱物

 酔い止めがよく効いたお陰で、フェリチは王都までの乗合馬車で酷く酔うことはなかった。

 多少は酔ってしまったので、王都について最初にしたのは宿を取りフェリチを寝かせることだったが。


「すみません……」

 弱々しい声で謝るフェリチに、僕は首を横に振る。

「仕方ないよ。どうせ今日はもう休もうと思ってたところだし。ゆっくり治して」

「ありがとうございます」

 足首の捻挫とバジリスクの毒で倒れたときのように、つきっきりの看病は必要なさそうだ。

 フェリチのすぐ近く、手を伸ばせば届く距離に飲み物を置いて、僕は自分の部屋へ引っ込んだ。


 王都への道すがらも、魔物とかち合うことはなかった。臭いさえ感じなかった。

 乗合馬車は、冒険者は魔物に遭遇したら討伐または追い返すことを条件に、少々安く乗せてもらえる。

 魔物が出ないのは何よりだが、若干居心地が悪かった。


 ドラゴンを討伐してから、魔物を一匹も討伐していない。

 かすかに臭いがしても、次の瞬間には消えてしまう。

 僕がドラゴンを討伐したことが、魔物の間に広まっていたりして。

 ……人間じゃあるまいし、魔物が要危険人物の情報共有なんてしないだろう。

 どうでもいいことを考えながら寝支度を済ませ、もう一度フェリチの部屋へ行った。

 そっと扉を開けてみると、フェリチはすうすうと寝息を立てていた。

 乗り物酔いよりも眠気が勝ったのだろう。酔いが軽く済んでよかった。

 僕は安心して自分の部屋に戻り、自分も眠りについた。



 王都は広い。

 通りの幅も、店の数も、拠点のある町の数倍はある。

 宿のご主人に評判の良い武器屋の場所を尋ね、フェリチと二人でそこへ向かった。


「おや、英雄様ですか。うーん、貴方に合うような武器はうちには……」

 店内に入るとすぐに店員さんから話しかけられ、やんわり拒否されてしまった。

 この勲章、本当は人よけの呪いとか掛かってるんじゃないだろうな。

「そうですか。参ったなぁ……」

 僕が本気で困っていると、別の老齢の店員さんが寄ってきた。

「どうしたんだい」

「こちらのお客様、英雄様なんです」

「ああ、それでしたら、こちらへどうぞ」


 あとで知ったところによると、最初に話しかけてきたのは入ったばかりの新人店員で、後から話しかけてきたのが店長さん且つ鍛冶職人さんだった。

 新人さんは僕を英雄と見るや「うちに置いてある武器が釣り合うわけ無い」と勝手に判断したそうで「後で指導しておきます」と店長さんに謝られた。

「新人が知らないのも無理はないのでどうかご容赦を。これは武器屋の主にだけ伝わってる話でして」


 店長さんが教えてくれたのは、特殊な鉱物の話だった。


「王都から北へ、馬で十日の距離にある山の中腹に、イグノチウムという鉱物があります。この鉱物、必要な人間の前にしか現れないという噂で……。私も何人かの英雄様に勧めてきましたが、手に取れたのはほんのひとりかふたりです。ちょっと遠いですが、この店の最上級の業物でも貴方には合いますまい。もし鉱物を持ってきていただけたら、この価格で加工いたします。お試しになられては如何でしょう」


 イグノチウムなんて初めて聞く。

 必要な人の前にしか現れないなんて、伝説じみているし、信じて良いものかどうか。

 でも他にあてもないし、店長さんが提示した加工額は金貨十枚と妥当だ。よくわからない鉱石を加工してくれるのだから、破格ですらある。

 当面仕事しなくても生活には困らないし、試してみるのもいいかもしれない。


「お話ありがとうございます。もし手に入ったら、加工お願いします」


 店長さんにお礼を言って、店を出た。


「どうしようか」

「是非行きましょう」

「馬で往復二十日だよ」

「頑張ります!」

 フェリチは乗馬もあまり得意じゃないから、練習ついでに行くのもいいか。

「じゃあ、支度しよう。ギルドに連絡もいれておかないとね」

「はい」


 宿へ帰る途中で王都の冒険者ギルドへ寄って事情を説明すると、ギルドの馬を貸してもらえることになった。冒険者ギルドの馬は魔物にも怯えない勇敢な馬だから助かる。

 更に旅に必要な荷物を買い足し、入念に準備をしていたら、あっという間に一日は終わる。

「往復二十日の旅は初めてです」

「僕もだよ。騎士団でも片道七日が最長だったかな」

 夜は、長旅への不安と緊張と少々の興奮で、なかなか寝付けなかった。



 フェリチは自分が操る馬では、乗り物酔いにならなかった。

「どう動くか全部わかりますから、平気です」

 だそうだ。

 馬も賢くて、よく言うことを聞いてくれる。

 旅は極めて順調に進んだ。


 そして、またしても魔物が全く出なかった。


「不思議ですね」

 五日目の野営で、フェリチが念のための結界を張っている間にぽつりと呟いた。

「魔物のこと?」

「はい。アロガンティアドラゴンを倒してから、一度も遭遇してませんよね」

「同じこと考えてたよ」

 焚き火に枯れ枝を放り投げながら、反射的に返す。

「あの、失礼なことを聞いてしまうのですが」

 結界を張り終えたフェリチが僕の隣に座り、僕を見上げた。

「その眼のせい、ということはありませんか」

 僕は自分の右眼に手を当てた。最近、黒くなっていない。

「うーん。検証のしようもないからなぁ。あと、眼のことは僕も色々と知りたいから、気になることがあったら遠慮せずに言って欲しい。嫌なら嫌って言うから」

 フェリチ以外にこんなことを言うつもりはない。

 これまでの僕は自分の眼に関して、考察に消極的で嫌悪まで感じていた。

 しかしフェリチは僕の眼を気味悪がらずに正面から見た上で、体調を案じてくれたり、積極的に肯定してきてくれた。

 だから僕も、眼に関してもう少し前向きに考えるようになった。

「わかりました。差し当たって、最近は全然、黒くなりませんね」

「みたいだね。魔物倒して無いときでも黒くなってたのに」

「ディールさんの魔力を調べてもいいですか?」

「魔力? 僕持ってないよ」

 魔力というのは、持っていない人は全く持っていない。

 あと女性のほうが持っている確率が高い。

「ディールさんからは確かに魔力を感じないのですが、黒くなった時に魔力のようなものを感じた気がしたのです」

「本当!?」

「その時は気の所為かもと思ったのと、あまり眼を調べたがるのも不躾かと」

「気を遣ってくれたのか、ありがとう。調べてくれて構わないよ」

「では失礼して。眼は閉じてください」

 フェリチは膝立ちになり、僕の右眼に手をかざした。

「……え、これ……」

 片眼だけ閉じるのも妙なので両眼とも閉じているから、フェリチの声だけが聞こえる。明らかに困惑している。

「何かわかった?」

「その……アロガンティアドラゴンと似た……いえ、全く同じ魔力に感じます……」

「なっ!?」

 思わず眼を開けると、既に手を引いたフェリチが心配そうな顔をしていた。

「本当に、お身体に不調はないですか?」

「全く無い。それどころか最近、力が強くなってるような気がして、調子が良いんだ」

「なら良いのですが。ディールさん、簡単な魔法をお教えしますから、やってみませんか?」

「やってみる」

 フェリチに教わったのは、初歩的な治癒魔法だ。

 ナイフで左手の人差し指を軽く切り、そこへ言われたとおりに意識を集中させる。

 ……何も起きなかった。魔力のようなものを感じることもない。

「できそうにないな」

「では、ディールさんに魔力が宿ったわけではないようですね」

 指先の切り傷はフェリチがすぐに治してくれた。

「でも私が少し調べただけで、アロガンティアドラゴンと同じ魔力を感じ取れたのですから、魔物が寄ってこないのは――」

「眼のせいか。どうして眼にだけ魔力があるのかはわからないけど、魔物が寄ってこない理由はわかった。すごいな、フェリチ」

「魔力を調べれば誰でもわかりますよ」

「フェリチ以外の人に調べられるのは嫌だな」

「なっ、何故ですか」

「眼を調べさせてくれって奴は何人もいたよ。でもみんな、僕の眼を抉るのが目的だったからね」

「抉っ!? そ、そんなことしたら……」

「痛くしない、絶対元に戻すとも言われたけど、信じられないし」

「当然ですよ! なんて恐ろしい」

「全くだ。でもフェリチは魔力を視るだけで、最近の異常の原因まで突き止めたんだ。すごいよ」

「こんなことでよければいつでもお手伝いします。魔物も寄ってきませんし、もう寝ましょう」

「うん」

 向こうを向いて毛布を被ったフェリチの耳が赤い気がしたが、焚き火の照り返しのせいだろう。



 こうして移動中や野営中に魔物が寄ってこないのは便利だが、今後困ると気づいたのは、件の山に到着したときだった。

「魔物討伐の仕事を請けても、魔物が僕から逃げてしまうんじゃ、もう仕事できないのでは」

 金貨二千枚あれば一生食うには困らないが、生活の上で予想外の出費や、重い病気の治療費が掛かることだってある。

 仕事ができるのならば、するに越したことはない。

「護衛専用になるというのはどうでしょう」

「でも僕、魔物討伐を義務付けられてるから」

「それは事情を話せば……」

「信じてもらえるかな。ま、追々考えよう。今はイグノチウムだ」


 山を少し登ってすぐ、人が数人は余裕で通れるほどの洞穴を見つけた。

「とりあえず入って……ディールさん?」


 このあとから暫くの間のことを、全く憶えていない。

 僕はフェリチが何度呼んでも全く気に留めず、洞穴に吸い込まれるように入っていったそうだ。


「ディールさん、どうなさったんですか?」

 フェリチはどんどん先へ進む僕に必死についてきた。

 普段の僕は意識して小柄なフェリチと歩幅を合わせている。

 しかしこのときのフェリチは、走らないと僕についてこれなかったらしい。


 洞穴は思ったより深く、三十分ほど歩いたところで僕はようやく足を止めた。

「ここか」

 僕は壁に向かってそう呟き、拳を構えた。

「ディールさんっ!?」

 僕の拳は硬い岩肌を易々と砕き、出来た穴に手を突っ込んで暫く探るような仕草をした後、自分の腕と同じくらいの大きさの、黒く輝く鉱石を取り出した。

「危険なことをなさらないでください! 手はご無事ですかっ!?」

 フェリチが僕の手を心配しても、僕は取り出した鉱石をじっと眺めていた。



「え、これ僕が掘り出したの?」

 気がついたら手に黒い鉱石を握りしめていた。

 何故か血塗れになっていた拳は、フェリチが治してくれた。

「憶えていらっしゃらないのですか?」

 僕は腕を組んで首を捻った。

「……山に登って、洞穴を見つけて……そこから記憶がない」

「これ、イグノチウムなのでしょうか。必要な人の前にしか現れないというのは……」

「そういうことかなぁ」

 記憶が無いから、確信が持てない。もっとイグノチウムの特徴を聞いておけばよかった。

「もうちょっと山を探索して、特に何もなければこれを持って帰ろう」

「はい」


 半日ほど山を彷徨ったが、めぼしいものは見つけられなかった。




「おお、これは間違いなくイグノチウムです。では約束通り加工いたしましょう。手と腕の大きさと、筋力を調べさせてもらえますかな」

 十日掛けて王都へ戻り、例の武器屋へ鉱石を持っていくと、店長さんは目を輝かせて鉱石を引き受けてくれた。

 手と腕の大きさを測り、筋力の測定には重たい鉱石をどれだけ持てるかで調べた。

 ……その場にあった鉱石を全て片手で軽々と持ち上げてしまったものだから、細かいことは分からずじまいだったが。

「いやはや、英雄様は凄まじいですね。出来上がりは三日後になります」

「わかりました。宜しくお願いします」


「冒険者ギルドに寄っていくよ」

「私も行きます」

 旅の疲れを癒やしてもらうため、フェリチは宿へと言うつもりだったのに、先を越された。

「無理してない?」

「してません。ずっと馬上でしたから、疲れてないです」

 フェリチは無理をしている時、唇を尖らせる癖があることを先日発見した。今は尖らせていないから、これは本当だ。

「じゃあ一緒に行こうか。例の、魔物が寄ってこない件を話しに行くだけなんだけどね」


 王都の冒険者ギルドのギルド長は、壮年の男性だ。

 冒険者時代は特に高危険度の魔物を討伐したという実績はないが、人望が厚く、冒険者引退時に他の冒険者からギルド長に推薦されたのだとか。

「眼の話は聞いておりますが、そのような効果があるとは……申し訳ないが、試させていただいても?」

「構いませんよ」

 フェリチの説は信じたいが、僕自身半信半疑だ。

 試せるものなら試したい。

「でしたら、この仕事を。危険度Bの魔物が王都の近くで巣を作っておるのです。仕事の達成条件は魔物討伐ですが、巣が完成する前に魔物を遠くへ追いやれるのならば結構。ただし、見届人を着けます」

 久しぶりにフェリチ以外とパーティを組むことになってしまった。

 すごく嫌だが仕方ない。

「三日待ってもらえますか。新しい剣を鍛えてもらっているのです」

「わかりました。では三日後にまたお越しください」

 次の仕事が決まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る