6 最初のドラゴン討伐

 村でゆっくりと休息をとった僕たちは、いよいよカオスドラゴンが目撃されたという山の中へ入った。


 フェリチは山道を歩くのが初めてだ。

 いざとなったら僕が背負って登るつもりだったが、フェリチは自分に強化魔法を掛けつつ、一生懸命ついてくる。

「無理してないか?」

「平気です!」

 フェリチの体調も考えて、二時間おきには休憩を入れ、日が暮れる前に野営地を確保しながら進んだ。


 そうやって山の中を歩いて三日目、嗅いだことのない悪臭が鼻をついた。


「うわっ……」

 余りの臭いに思わず声をあげてしまう。普段の魔物の臭いには慣れているのに、この臭いだけは我慢出来ないほどきつい。

「あっ、あれでしょうか?」

 フェリチが指差す方向に、紫色の壁が見える。

 よくよく見れば、壁はびっしりと鱗に覆われていた。

 普通の山に鱗の壁なんてものは存在しない。間違いなくドラゴンだろう。

 他に魔物の臭いはしない。強烈な臭いのもとはあの鱗から漂っている。

 しかし、カオスドラゴンの鱗は茶褐色だと聞いている。


 あれは、まさか。


「フェリチ、結界を!」


 紫色の壁がぬめりと動いた。

 こちらに気づいたらしい。

 ぱん、と空気を叩くような音がして、周囲に結界の膜が現れる。フェリチが、いつもの何倍も強固な結界を張ってくれた。


「ディールさん、あれ……」

 フェリチが杖を力いっぱい握りしめて呟く。


「アロガンティアドラゴンじゃないですか!?」


 アロガンティアドラゴン。

 傲慢の名と紫色の鱗を持つ、特に凶悪だと言われる七匹のドラゴンのうちの一匹。

 危険度はカオスドラゴンを上回る、SSS。


「でぃ、ディールさん、逃げてください」

 フェリチが僕の前に出て、杖を紫色の壁に向けた。

「何を言ってるんだ」

「わた、私、いざという時はディールさんを優先しろと、命令されてるんです」

 初耳だ。それに今まで、フェリチはそんな素振りを見せなかった。

「誰に?」

「ぎ、ギルドと、国ですっ!」

 これはフェリチの嘘だ。

 僕にはそれが見破れるのに、フェリチはまだ僕のことをあまり理解していないようだ。

「そうか。フェリチはこれまで、命令だから僕についてきてたのか」

 わざと意地悪な言い方をしてやると、フェリチは顔を強張らせた。

「ち、違っ……そん、そんな……」

 僕はフェリチの結界から出ると、剣を抜いて紫色の壁に向かって走った。

「ディールさんっ!!」


 フェリチの叫び声はもう遠い。紫色の壁は、今や目前に迫っていた。

 はるか頭上に、巨大なドラゴンの頭がある。

 鱗と同じ紫色の瞳が、僕を捉えた。



 ドラゴンは体躯の割に、前足が小さい。

 翼で飛ぶこともあるらしいが、基本は後ろ足と尾で立っている。

 僕がドラゴンの眼の前に躍り出ると、ドラゴンは口を開けて衝撃波を放った。

 もろに浴びて、吹っ飛ばされた。

「うわっ、とと。流石に威力が凄いな」

 空中で体を捻って木に足を着け、また飛ぶ。木は僕が蹴った勢いで折れてしまった。


 魔物といっても生き物だ。首を刎ねたり、急所をつけば死ぬ。

 ドラゴンだって同じだろう。

 だから真っ先に首を狙ったのだが、単純過ぎた。


 ドラゴンの周囲を跳び回って、ドラゴンの首の可動域を調べた。

 真後ろは向けない。上下の動きも少なめ。

 これなら、付け入る隙はいくらでもある。

 何度かの跳躍の後、死角にはいったつもりだったが、背の翼が風を切って的確に僕を狙ってきた。

 左腕で受け、もう一度距離を取る。左腕は、折れてはいないが、痺れている。しばらくまともに動かないだろう。

 まだドラゴンを一度も斬りつけていない。右腕だけであの硬そうな鱗を切り裂けるだろうか。

 ……弱気なことを考えている場合じゃない。やるしかない。

 一旦地面に降りて、一瞬で呼吸を整える。

 僕に隙が出来たとでも考えたのか、ドラゴンの左後ろ足が降ってきた。

 今だ!

 足をギリギリで躱し、今までの動きで把握したドラゴンの視界と可動域の外へ跳躍し、思い切り剣を振る。

 鱗の硬さを確認するだけのつもりで首を狙った。

 巨岩を斬ったような手応えは、意外なほどすぐに終わった。


 地面に着地し、もう一度剣を構えたところで、背後に巨大なものが落ちる音がした。

「……んん?」

 落ちていたのは、紫色のドラゴンの首だった。

「え、倒せた? 意外と……」

 ドラゴンの死骸がすべて消えるまで、僕はその場に立ち尽くした。




 両目をぎゅっと閉じ、杖に縋るようにしてへたり込んでいるフェリチの頭を、手でぽんと叩く。

 フェリチは反応しない。

 二度、三度とぽんぽん叩いたが、全く気づかない。よっぽど怖かったらしい。

 怖がらせすぎてしまったか。

「フェリチ、終わったよ。アロガンティアドラゴンは倒した」

 声を掛け、さらにしばらくして、ようやくフェリチが顔を上げた。

「……ふえっ? でぃ、ディールさん!?」

「左腕を怪我したんだ。治癒魔法頼めないかな」

 翼に打たれた左腕の袖を捲ると、紫色の痣になっていた。地味に痛い。

「は、はい……って、ディールさん、怪我は、それだけで」

「うん」

 フェリチは「治癒魔法」と聞いた時点でもう僕の全身に向かって温かい魔力を注いでくれていた。

 怪我は、自覚していなかった疲れも含めて、あっという間に綺麗に流れ去る。

「フェリチ、もう治って……うおっ!?」

 フェリチが僕に抱きついてきた。胸元にフェリチの頭がごつんとぶつかり、腰のあたりに腕を回される。

「うわあああん!」

「どうして泣くの!?」

「も、もう駄目がど……ディールざんが、じ、死んじゃうっ……おもっ……ぶわああああああん!!」

 辺りに魔物の臭いは無いが、こんなところで大声で騒ぐものじゃない。

「落ち着いて、フェリチ。僕は無事だから、もう大丈夫だから」

 フェリチはがっつり僕に抱きついているが、僕の方からはどうしたらいいかわからない。

 背中とかさすってやるべきだろうか。肩に手を回してもいいのか。そもそもこの状況、フェリチはなんとも思わないのか。

「ご、ごべんなざい、わたし、ごわぐで、に、にげなぎゃっでおもっで……う、うぞを、づきまじだ」

 フェリチは恐怖から解放された安堵だけで泣いているのではなかった。

「解ってたよ。それはともかく、フェリチ、ここ魔物がいるかもしれないから、大声は良くない。落ち着いて、ね?」

 言い聞かせていたら泣き声は小さくなったものの、僕から離れてくれない。

 覚悟を決めて、フェリチを抱きしめ返した。

「僕は生きてる。死んだりしない。死にたいとも思ってない。あのくらいの魔物、僕ひとりで簡単に倒せるんだ」

「……ぶえぇ?」

 泣きすぎて言葉が言葉にならない様子だが、フェリチはようやく顔を上げてくれた。


「そもそも僕がカオスドラゴン討伐を命じられた経緯を話してなかったね」

 凶悪な七匹のドラゴンのうちの一匹、グーラドラゴンを倒した英雄相手に、練習試合で勝ったこと。

 その結果、パーティ強制所属縛りを免除されペア活動を認められたこと。

 フェリチと組んでからはフェリチの様子見で低危険度の討伐ばかり請けていたこと。


「凶悪な七匹って、世間で言われてるほど凶悪じゃなかった」

 ドラゴンがいた山だからか、他の動物が全くいない。更に、それを倒した人間に近づく魔物もいない。

 遠くから薄く臭う程度で、僕が動くと遠ざかっていく。

「凶悪ですよ! わ、私は本気で、し、し、死を覚悟してっ!」

 せっかく落ち着いたフェリチの瞳にまた涙が溜まる。勘弁してくれ。

 ところが僕を見上げたフェリチは、瞬時に涙を引っ込めた。

「ディールさん、眼が」

 そうだった。

 懐から布の包みを取り出して鏡を出し、自分の目を確認する。

「うわっ!?」

 いつも「黒くなる」ときは虹彩の部分が真っ黒になるだけなのだが、今は白目の部分まで黒く染まっている。

 右眼だけ、人間じゃないみたいだ。

「なんだこれ……。魔物の強さに比例して黒くなるのか?」

「お痛みはないのですか? お体に不調は?」

「ないよ。なんともない。でも我ながら不気味だな、これ。引くまで村に入るのやめておくか……あ、そうだ」

 僕は鞄を漁って、包帯を取り出した。

 最近は怪我をしてもフェリチがすぐに治してくれるから、全く出番のなかった包帯には、糸くず等のゴミが絡みついていた。適当に払い落とす。

「ドラゴンいなくなったし、誰か山に入ってくるかもしれないからな。……これでよし」

 頭と右眼の辺りに、包帯を適当に巻いた。

「視界、見えづらくないですか?」

「問題ないよ」

 包帯は目の荒い布なので、瞼を開けておけばうっすらと見える。視界は普段より悪いが、距離感が掴めないということもない。

 では何故普段から眼帯等をしないかと言うと、黒くなる時間のほうが圧倒的に短いので、常時眼帯や包帯を付けている方が「どうした?」と訊かれる頻度が高くなってしまうからだ。

「あ、でもこれだと、フェリチが治癒魔法を使う魔力もないって誤解されちゃうか」

「そんなことは気にしませんよ」

「うーん、でも、その……ありがとう、フェリチ」

「ど、どうしたんですか改まって」


 最初に僕の眼が黒くなるのを見たのは、母だ。

 見間違いだと思い込むまでの間、気味悪がって僕の世話を放棄した時期があった。

 次に、父。

 速攻で医者に見せてくれたりはしたが、やはり気味悪がって僕の世話を母と押し付けあっていた。

 僕の瞳のことが国に伝わり、家にお金が入ることになってからは、一応面倒は見てくれたが、お金が僕のために使われることは殆どなかった。

 その後も、気味悪がられたり「調べさせろ」と詰め寄られたり、珍獣扱いは受けてきたが、心配されたことは一度もなかった。

 アニスさんですら、僕の瞳が黒くなったのを見た時は「わっ……」と声を上げて身体を引いたのだ。


 フェリチは、僕自身も初めての現象を見たというのに、ただ僕の体調を気遣ってくれた。


 国やギルドに命令されて僕の傍にいるのかもしれない。

 でも、もうそれでもいい。


「いつも助かってる。眼のことも、気味悪がらずにいてくれて」


 僕は素直に、心からの謝辞を送った。今のところ、そのくらいしかできない。

 フェリチは両目をぱちぱちと瞬かせて、ふふふと笑った。

「当然じゃないですか」

 僕はその「当然」を、これまで受けられなかったんだよ。

「それよりも、先程嘘を吐いたことを改めて……」

 フェリチが僕に向かって頭を下げようとする。

「いいってば。さっきも言ったけど解ってたし、僕を心配してくれたんでしょ? 責める理由はないし、謝る必要もないよ」

「……ディールさんがそこまで仰るのなら」

 フェリチはなんとか納得してくれた。



 瞳は一晩寝たら元に戻っていたので、包帯を外した。フェリチ以外の誰にも見られずに済んでよかった。

 また三日かけて麓の村まで降り、村役場で遠距離通信魔道具を借りて冒険者ギルドに連絡を入れた。


『カオスドラゴンはいなくて、推定アロガンティアドラゴンがいた!?』

 通信機の向こうの声が大きい。あのギルド長、静かで落ち着いた人だと思ってたのに、こんな大声も出すんだ。

「経験値が三万増えたので、七匹のドラゴンには違いないかと。体色からアロガンティアと判断しました」

『そんなことはいいのです! カオスドラゴンと聞いていたから君の派遣要請を承諾したというのに、これは大問題ですよ』

 ギルド長がこんな言い方をするということは、僕を疎んじてる貴族とかがこの案件を持ってきたのかな。

 家は取り潰され、父は投獄、母は行方不明、僕は命の危険と隣り合わせの冒険者になったというのに、まだ何かが気に食わない連中がいるらしい。

『……経験値三万増えたって、まさか、倒したのですか?』

「はい」

『はいいいいいいいい!?』

 声が大きいってば。思わず通信機から耳を離した。

『と、ともかく戻ってきてください。詳しい話はそれから……いえ、こちらでの話はだいたい済ませておきます。どうか帰り道もお気をつけて』

「はい、失礼します。……フェリチ、もう通信切れたよ」

 隣りにいたフェリチが両手で両耳を塞いでいたので、通信機を置いて手を振って合図した。

「はあ……あのギルド長、あんな声も出されるのですね」

 僕と同じ感想を抱いていた。

「僕も吃驚したよ。さて、他に用事はないし、食事したら休もうか。明日の朝早めに発とう」

「はい」

「なあ、冒険者さん」

 その場を立ち去ろうとした僕たちに、見知らぬ青年が声をかけてきた。

「何でしょう」

「立ち聞きしちまって悪い。あんたいま、ドラゴンを倒したとか何とか言ってなかったか?」

 僕とフェリチは顔を見合わせた。

 魔物討伐は、たとえ相手が凶悪な七匹だろうと、ただの仕事だ。普段通りの仕事をしたことを他人に喧伝するなんて格好悪い。

「仕事について連絡してただけですので。では」

「まっ、待ってくれ! 俺は、お山のドラゴンにふた親を殺されたんだ。仇をとってくれた礼だけ言わせてくれ、ありがとう!」

 青年の声が大きくて、村役場にいた人たちに騒ぎが伝播した。

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