7 騎士団長の憂鬱




「はい、ええ……承知しました。ではこちらでの対応が済み次第、また連絡します」

 王宮にある騎士団長室で、容姿と体躯の整った長身の男が、遠距離通話魔道具を置いて、大きくため息をついた。

 男の年齢は三十九歳。後ろを長く伸ばしているハニーブロンドを無造作に一つに纏めている。

 男は深い藍色の瞳を物憂げに伏せた。

「団長、如何しました」

 部屋にはもうひとり、容姿と体躯の整った男がいた。こちらは短い赤髪に焦げ茶色の瞳で、騎士ではなく文官らしい格好をしている。

「……ディールだ」

「ディールって、またディールですか」

「ああ、またディールだ」

「今度はどうしたんですか」

 団長と呼ばれた男――リオ・ラソーソスは、端正な顔をくちゃくちゃの泣き顔にして、机に突っ伏し、両手で机をばしばしと叩いた。

 騎士団のトップに立つ男の全力両手ばしばしである。机の上の書類が容赦なく辺りに舞い散り、ペン立てや紅茶の残っていたカップが机から転げ落ちて割れたり欠けたりした。


「もおおおおおう! どうしてあの子ばっかり大変な目に遭うんだよおおおお!」


 リオは特殊な状況に置かれているディールに同情し、一方的に親心のような感情を持っていた。

 騎士団預かりとなったディールを積極的に庇い、悪意を持つものは排除し、ディールに冒険者をやらせるという話になった時は最後まで反対していた。

 だが表面上はそんな素振りを全く見せなかったので、ディールはリオの親心に全く気づいていない。

 知るのは、こうして騎士団長室でディールを思うあまり感情を爆発させるのを目撃し続けている、騎士団長補佐のアディ・ユーティアーのみである。


 おいおいと泣くリオを、アディは「またか」と憐れむような目で見守った。


「俺を見守ってないで、ブーモ・モデンゾを呼んでこいっ! あいつだ!」

「ああ、伯爵家の嫡男っていうだけで一級騎士に居座ってた奴ですか。いつかやらかすと思ってたんですよねー。実力ないのに態度悪かったし、他の騎士たちもせいせいするでしょう」

「いや、やっぱり呼ばなくていい! 顔も見たくない! 懲戒免職通知を書いてやるから、突きつけて騎士団寮から叩き出せ!」

「相手伯爵っすから、後々面倒ですよ」

「構わん! 伯爵よりもディールだ! まったく、なんて不憫なんだディールよ……」

 騎士団長は椅子にへたり込んで、まためそめそと泣き出した。



 ディールの予想通り、ディールがカオスドラゴン討伐と見せかけてアロガンティアドラゴンの相手をする羽目になったのは、一部貴族からのやっかみであった。

 騎士団に所属していたディールに嫌がらせをした連中は、騎士団長が残らず叩き出したが、騎士団員は毎年新しく入ってくる。

 基本的に伯爵以上の貴族の令息しか入団を許されない高貴な場所に、男爵令息がいたというだけで一方的な嫌悪感を抱き、更にその男爵令息如きが何らかの特殊スキルがあるとかで国から庇護されているのが気に食わないと考える貴族が一定数存在するのだ。

 既に騎士団にいないディールだが、冒険者への魔物討伐依頼は騎士団が発行することもある。

 この度、騎士団長リオの怒りを買ったブーモという一級騎士は、立場と実家の力を利用して、凶悪な七匹のドラゴンのうちの一匹の居場所を突き止め、ドラゴンはカオスドラゴンだと偽り、ディールが仕事を請けるように手を回したのだ。

 間に何人も関係者を挟むことで、討伐依頼の虚偽が露見しても自身に咎が回ってこないようにという細工をしたつもりだったが、魔物討伐という命がけの仕事の依頼で、依頼者その他の身元が不明になることなどない。

 今回もまたひとつの伯爵家が、ディールを排除しようと試みて失敗し、取り潰しになる。



 王宮騎士団でひとりの伯爵令息が手荒くつまみ出されるおよそ二ヶ月ほど前、王宮兵団に入団希望者がやってきていた。

「両親のことは気の毒だったな。今まではなんの仕事を?」

「畑仕事を」

「その割には随分鍛え上がっているが?」

「もっ、元々兵士に憧れていて、鍛えてました」

「なるほど。……ま、いいだろう。採用だ」

「ありがとうございます!」

 兵団の第三兵団長室では大柄な男が面接を通った。

 ベスペと名乗る男は「田舎の農村出身で、先日両親が魔物に殺された。仇を取りたい」と自らの半生を語った。

 身内を魔物に殺され仇をとるというのなら冒険者になるのが一番簡単なはずなのだが、ベスペは「両親を殺したのは高危険度の魔物で、自分の年齢で冒険者から始めてもその危険度の魔物を倒しに行くのは難しい。ならばより多くの人のために前線に立つ兵になりたい」などと言い訳をした。


 ベスペとは、ディールが元いたパーティで、ディールを追い出した張本人、コーヴスの偽名である。

 冒険者の時に使っていた拠点の家賃が払えなくなり追い出されて、仕事のあてのなかったコーヴスは、名と出自を偽って、どうにか王宮兵団の面接に漕ぎ着けた。

 王宮兵団は騎士団と違い、身分や出自をあまり気にしない。

 捨て駒、使い捨てといった使われ方の多い人材であるから、常に人手不足なのだ。


 命の軽い場所ではあるが、衣食住は保証され、給料も良い。

 早速兵舎に入舎し、勤続年数で先輩にあたる他の兵たちからあれこれと教わった。


「腕っぷしは問題ないな。本当に元農民か?」

「鍛えてましたから」

「ははは、頼もしい」

 近くにイエナさえいなければ、人当たりの良いまともな人間であるコーヴスは、短期間で他の兵たちと打ち解けた。


 王宮兵団で過ごしはじめて二ヶ月ほど経った頃、騎士団経由で信じがたい話が聞こえてきた。


「あの黒眼こくがんがアロガンティアドラゴンを倒したらしいぞ」


 あの黒眼――ディールは元々碧眼だが、変化する方の色で呼ばれていた。

 そしてそれは、「あの黒眼」という言い方を初めて耳にしたコーヴスにも、正確に伝わった。

 が、あえて知らぬふりをして周りの兵に尋ねた。

「あの黒眼って誰のことですか?」

「知らないのか。元男爵令息で、時々瞳の色が黒くなるってんで国と冒険者ギルドから手厚く庇護されてる奴がいるんだ。そいつだよ」

 間違いなかった。ディールのことだ。

「へえ、庇護されてるだけあって強いんですね」

 内心の動揺を隠しつつ、コーヴスは更に話を続けた。

「アロガンティアドラゴンを倒すほど強いなんて知らなかったさ。ただ目の色が変わる特殊な人間だってことしか聞いてねぇし。あと噂じゃ、聖女の力を借りずに倒した魔物を消せるらしいからな。それが七匹を倒すほどの実力者なら、今後ますます重用されるだろうな」

「はは、すごい人もいたもんですね」

 コーヴスは大いに困惑した。

 ディールをパーティに入れたのはギルドの命令で、逆らえなかった。

 冒険者の割に身体が小さく、少なくともコーヴスの前では中堅に片足を突っ込んだ程度の実力しかなかった。

 イエナに唆されてディールをパーティから追い出した途端、何もかもうまくいかなくなった。

 冒険者として順調、ベテランの域に近づいていたのに、一転して王宮兵団の下級兵士になり、先輩たちにペコペコする日々。


 ディールにはもはや恨みしかないが、同時に拙いことになったと気づいた。


 ディールが国とギルドに重用されるのであれば、騎士団や兵団と関わることもあるだろう。

 もしその時に自分を見られたら、元冒険者であることがバレて、最悪兵団を首になってしまう。

 コーヴスは兵団にいながら常に冒険者ギルドやディールの動向に注意して過ごすという、更に落ち着かない生活を強いられる羽目になった。


 時折ディールのことを思い出しては胸に不安を抱えて過ごしていたある日、コーヴスはふと、イエナのことを思い出した。

 ディールを追い出す主原因になった聖女で、いつの間にか姿を消していたが、これまで何故か気に留めていなかった。

 あの女はどうしたのだろう。

 そもそもあの女がディールを追い出そうと躍起にならなければ、こんなことにならずに済んだのだ。

 自意識過剰で気位の高いあの女のことだ、市井にとどまらず、あの美貌でどこかの貴族に取り入っているかもしれない。

 コーヴスは兵団での仕事の傍ら、手の空いた時間になんとなくイエナを探しはじめた。

 そして割と簡単に居場所を突き止めた。

 意外なことに、教会に戻り三級聖女として働いている。

 しかも教会は、コーヴスが所属する兵団と同じ国の近くの町にある。

 コーヴスは休日に、わざわざイエナのところへ出掛けていった。


「なんなのよ。もうあんたたちとは関係ないでしょ」

 イエナは「面会だ」と言われ、誰か高貴な人物が自分を引き受けにきたのだと思い込み、いそいそと精一杯めかし込んでコーヴスの前に現れた。

 相手がコーヴスと知るや、あっさりと本性をあらわにしたが。

 コーヴスの方は、あのイエナがくすんで皺だらけのローブに身を包み、野草の汁で雑に爪を染めているのを見て驚いた。

 いくら金を使いすぎだと言っても服と化粧品は妥協しなかったのに。

「お前はディールの話を聞いていないのか」

「ディール? あの屑がどうしたのよ」

「馬鹿っ、屑なんて言うな! あいつは今や英雄だぞ」

「はあ!?」

 教会には、黒眼のことやアロガンティアドラゴンの話は入ってきていなかった。

 教会の役割は信仰を必要とする民に教えを説き、貧窮する人々に施し、魔滅魔法を使う聖女を必要なところへ派遣することである。

 それ以外の情報には疎く、また積極的に見聞きしようとしないのだ。


「う、嘘。あいつそんなに……あんたのほうが強かったんじゃないの」

「いつもあいつは一人で魔物討伐から消滅までやってたからな、強さをよく見てたわけじゃないんだ。俺より強かったかもしれない。今は事実そうだろう」

 コーヴスでは凶悪な七匹のドラゴンはおろか、危険度Bの中型ドラゴンすら相手にできない。

 しかも、ディールは単独でアロガンティアドラゴンを倒したという噂まである。

 噂に誇張が含まれていたとしても、中型以上のドラゴンを倒したことは確実だろう。


「あいつっ……私を騙してたのね」

 流石にそれはないだろう、という言葉を、コーヴスはギリギリで飲み込んだ。

「ああ、そうだな」

 更に、イエナの戯言を肯定してやった。

「許さないわ。……手を考えておくから、あんたの連絡先を教えなさい」

「わかった」

 コーヴスがここへ来た目的は、ほぼ達成された。

 兵団所属の下級兵士よりは、三級とはいえ聖女であるイエナのほうが、何かとやりやすいだろう。

 コーヴスとイエナ、方向性は若干異なるが、ディールを逆恨みしているという共通点がある。

 ふたりとも、ディールに一泡吹かせなければ、この先に光が無いとまで思い込んでいるのだ。







 出発の予定が二日遅れた。


 僕がアロガンティアドラゴンを倒したという話は、声を掛けてきた青年のせいで村中に知れ渡ってしまい、半ば強引に引き止められ、一晩中宴に参加させられた。

 フェリチは飲み慣れない酒のせいで宿酔いになり、半日ほどベッドから起きられなかった。

 僕は酒に弱くはないが、大勢の人から感謝や激励の言葉をかけられ、対応に追われた。

 人の相手は、魔物討伐より疲れる。大勢ならば尚更だ。


「いや、まさかこんな引き止めるつもりなかったんですよ。本当に申し訳ない。冒険者ギルドに『ディールさんは俺たちに付き合ったせいで遅れた』って謝っておきましたから」

 ことの発端になった青年が手を打ってくれたので、ギルドへの説明は簡単に済んだのが救いだ。

「こんなに被害が出る前に、冒険者ギルドに討伐依頼を出さなかったのですか」

 僕はずっと考えていた疑問をぶつけた。

 アロガンティアドラゴンは「お山のドラゴン」と呼ばれ、長年この村の懸案事項だったらしい。

「山に入って近づかなければ襲われることはないので、軽視されてましたね。俺たちは山の幸がないと食うに困ると訴えても『食料ならば他所で買え』って返されて……」

「ギルドが、そんなことを?」

「いえ、ギルドへ話をする前にここらを治めてる領主様に通さないといけませんで」

 領主ということは、貴族か。

 領民をなんだと思っているのか。

 思わず拳を握りしめると、青年が慌てた。

「あ、もう大丈夫ですよ。なんか息子が騎士団でやらかしたとかで、来月から別の領主様の領地になるんです。隣の領地の伯爵様なんですが、とてもいい人なんですよ」

「どうせ貴族ですよ」

 僕は自分が貴族出身なことを棚に上げた。

 過去を消せるなら、実家が男爵家であることを消したい。

「前から『隣とはいえ他人の領地だから手を出せず、申し訳ない』ってこっそり言ってくれてたんです。領主……ここの元領主様は、よくわからないけど同じ伯爵でも王宮と太いつながりがあって、隣の領主様は強く出られなかったそうなんですよ」

「そうまで仰るなら安心ですね」

「ええ。でも、一番はドラゴンを倒してくれたディールさんのお陰です。本当に、ありがとうございました」

 青年は僕が村を発つまでの間に、数え切れないほど「ありがとう」と言ってくれた。

 この二日で僕はおそらく、一生分のお礼を貰っただろう。

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