22 力の変化
◇
セレはエメラの町のはずれで、転移装置の設置作業をしていた。
作業といっても、非力なセレは指示を出すだけで、実際に文字通り装置を設置したのは、一緒に来た騎士や兵士、それに町に常駐する予定の作業員が数名だ。
町外れの岩盤が埋まっている場所を選び、掘削機で穴を開けて装置をネジで取り付け、ネジの周辺には特殊な金属を溶かして流し、冷やし固める。
盗難防止の意味もあるが、岩は土に比べて魔力を帯びやすいという性質があるので、それによって装置使用者の魔力消費を少しでも抑えようという狙いもある。
セレは設置手順や使用する道具等を現場で細かく解説した上で、予め作成しておいた
説明書は、文字が読めないものにも伝えやすくするために、分かりやすい絵入りのものだ。
もう何度か同じことを続ければ、今後はセレがいなくとも装置を設置できるようになるだろう。
そうして作業をしている間に、ふとセレの姿が消えていることに気づいた者がいた。
「セレブロム様、これで……あれ? セレブロム様は?」
作業はほぼ完了しており、あとはセレが最終確認をする手筈だった。
最初に気づいた者が他の者にも声をかけ、あたりを探したが、セレはすでにその場から消えていた。
◇
「近くの町の者に聞き込みをしたり、周辺の森の捜索もしております。私はひとまずここへ確認しにきたという次第です」
転移装置の設置箇所から宿までは、ちょっと距離がある。
日頃から「体力には自信がないのー」と宣うセレが、ひとりで、徒歩でここまで帰ってくるとは考え難い。
だから、騎士さんたちも真っ先にここを探そうとはしなかったのだ。
「僕も探します」
「私も」
僕が立ち上がると、フェリチも立ち上がった。
「フェリチはここにいて。もしかしたらセレが帰ってくるかもしれないし」
「でも……わかりました」
フェリチは反論しかけたが、引っ込めてくれた。
「助かります。一旦、作業現場までお越し願えますか? 他の者がどこを探しているか、情報共有していますので」
僕は騎士さんについて、作業現場まで走った。
現場では焚き火の周りに数人が集まり、手に紙を持って何やら書き込んでいた。
「ディール殿が捜索を手伝ってくださるそうだ」
騎士さんが声をかけると、その場にいた人の視線が僕に集まった。
「これは心強い」
「お願いします」
挨拶もそこそこに、まだ探していない場所を教えてもらった。
「セレブロム様がおひとりで歩いていけそうな場所は一通り探しました。今は、見落としがないかどうかの確認をしつつ、範囲を広げている段階です」
皆さんが持っていた紙は、周辺の地図だった。現場を中心にした三重の円が十六分割され、現場近くの地点には✕の印がついている。
「ディール様はこのあたりをお願いできますか? 馬はあちらの……」
「馬はいいです。馬より速く走れるので」
「へっ?」
「今は細かいことを説明している場合じゃないでしょう。大丈夫です。行ってきます」
呆気にとられている騎士さん達をあとにして、僕は地図上で指示された方へ向かって走り出した。
数分走っただけで、森の奥深くまで到達できた。
「セレー!!」
大声を出してセレに呼びかける。
少し前までだったら、たとえ人探しでも町の外で大声なんて出すものじゃなかった。魔物に、ここに人間がいますよと教えているようなものだから。
今は魔物はいないらしいし、そもそも僕には近寄ってこない。
猛獣と言われている熊や狼なんかは、わざわざ大声を出すような人間には近寄らない。
どちらにしろ、僕のとこへ来ても特に問題ないし。
それよりセレだ。
「セレー! セーレー! セレブロムぅー!!」
自分の意志でどこかへ行ったのならまだいい。人拐いに遭っていたら、セレの身が危ない。
魔物が近寄ってこない、近くにいても臭いでわかる。
そんな僕の力は、人探しに対して何の役にも立たない。
「セレーっ!!」
叫びながら探し回り、気づけば森を抜けようかというところまできていた。
拐われたとしても、こんなところまではこないだろう。
もしかしたら、もう別の場所で見つかっているかもしれない。
でも、もし、まだ見つかっていなかったら……。
不安と、自分の無力さへの苛立ちで、心がざわつく。
「っく、こんなときに」
久しぶりに右眼が、じくりと痛んだ。
手をやると、右眼の周りだけ血管が浮き上がっているような感触がする。
魔物に反応しないのであれば、これは僕の感情に反応しているのだろう。
……そんなことはどうでもいい。
「どうせなら、今こそ役に立てよ……」
世界は徐々に魔物がいなくなりつつある。
まだ凶悪な七匹のドラゴンのうち五匹残っているが、見つかり次第僕が倒せばいいだけの話だ。
そうして魔物が完全に消えたら、右眼の意味もなくなる。
右眼に宿ったドラゴンの魔力とやらも、無用の長物だ。
有るなら役に立て、役に立たないなら要らない。
右眼を呪うようなことばかり考えていたら、痛みが一際酷くなり、燃えたかと思うほど熱くなった。
「ぐ、あああああっ……!」
痛みをこらえきれずに叫んだ挙げ句、どうやらそのまま気を失ったらしい。
気づいたら地面の上に寝そべっていた。
寝てる場合か。
セレを探さなくては。
急いで立ち上がって……異変に気づく。
眼の痛みや熱は引いていて、手を当てても血管が浮いている様子はなかった。
それ以上に妙だ。
やたらと色々な音が聞こえる。
森は静かで、風でそよぐ草や木の葉の擦れる音や虫の声くらいしか聞こえなかったのに、その音のすべてが耳元で鳴っているかのように騒がしい。
視界も変だ。足元の地面の土の粒が一つ一つよく見える。遠くを眺めると、森の向こうにある町の様子まで見えてしまう。
「なんだ、何が起きた? ……っていうか、色々と鬱陶しいな」
思わず呟くと、聴覚と視力はぱっと元通りになった。
静かになり、視覚情報もちょうどよくなる。
自分の身に起きたことより、今はセレだ。
僕の足なら一旦町へ戻っても時間はかからない。
もしかしたら、別の人が保護していてくれているかもしれない。
僕は急いで町へと戻った。
「ディールさんっ! セレさん見つかりましたよ!」
転移装置の設置場所へ戻ると、僕をいち早く見つけたフェリチが両手を振りながら叫んだ。
「本当!? よかった……」
しかしフェリチの表情がなんだか晴れない。
「セレは、無事なの?」
「それが……無事は無事なんですが、様子が変で」
セレは消えたときと同じように、唐突に、何事もなかったかのように帰ってきたらしい。
騎士さんたちや、治癒魔法のために呼ばれたフェリチが「どこへ行っていたのか」「何をしていたのか」と尋ねても、「よくわからない」「おぼえてない」とふんわりしたことしか答えないそうだ。
「セレ」
焚き火のそばに置かれた敷物の上で膝を抱えて座っているセレに声をかける。
セレは頭を重たそうに持ち上げて僕を見上げた。
「んー、ディール、どうしたのー?」
確かに様子が変だ。
口調はいつものセレだが、目が虚ろで、身体に力が入っていない。
「治癒魔法は?」
後ろにいるフェリチに尋ねると、フェリチは困ったように首を傾げた。
「何度も強めに。でも、これ以上変化がなくて」
フェリチの強めの治癒魔法を何度も掛けられてこの状態ならば、無傷ではあるのだろう。
「ねー。ねむいー。もう寝ていいー?」
その場にいるみんなが心配しているというのに、セレはある意味いつもの調子で眠気を訴えた。
「一旦眠れば、様子も落ち着くかもしれません」
フェリチがセレを休ませようと提案すると、みんな同意した。
深夜。
宿の一室で眠っていた僕は、隣のフェリチの部屋の物音で目を覚ました。
この宿は高級宿で、隣室の物音が聞こえるような安普請ではない。
フェリチが用事で起きたような音ではなかった。
その証拠に、フェリチの寝息が聞こえ……僕の聴覚、やっぱりおかしい。
ともあれ、物音の正体が気になる。
飛び起きて部屋を出て、フェリチの部屋の扉をこつこつと叩く。
どうも扉が少し開いていたらしく、それだけで扉がゆっくりと開いてしまった。
僕が見たのは、眠っているフェリチの顔に向かってナイフを振りかざした、寝巻き姿のセレだった。
「何してるっ!」
僕はセレのことを友人だと思っているし、セレも僕のことを友人だと思っていると思いたい。
友人に優劣をつけるのは良くないが、もしセレとフェリチのどちらかしか助けられないとなったら、僕は間違いなくフェリチを選ぶ。
その大事なフェリチが、危ない。
セレは僕の声に構わず、ナイフをそのまま振り下ろしたが、その下にもうフェリチはいない。
僕がフェリチに飛びつき、抱きかかえて部屋の奥へ引いた。
セレの動きが遅かったから、このくらいの動作は余裕ではあるけど……いつも以上に身体が軽い。
「なっ、なんですか!?」
僕の声で起きてはいたが、状況がつかめないフェリチが混乱している。
セレはというと、フェリチが寝ていたベッドにナイフを突き刺した姿勢のまま、動きが止まっている。
ナイフが月光に煌めいて、フェリチが息を呑んだ。
「せ、セレさん? 一体……」
「どういうつもりだ、セレ」
セレの首が、かくかくと動き、顔がこちらへ向く。
いつもの肌色の眼帯をしていないので、窪んだ右眼がはっきりと見える。
左眼は開いていたが、僕たちを見ているようには見えなかった。
しばしの沈黙の後、静寂を破ったのはセレだ。
「間違えた」
「どういう意味……セレっ!?」
一体何を間違えたら寝ている人をナイフで刺そうとするのか。
聞き質す前に、セレの身体がぐらりと傾いで、その場に倒れてしまった。
「物音が聞こえたんですか?」
「うん。なんだか急に聴覚がおかしくなって……あと視力も」
セレをフェリチが寝ていたベッドに寝かせ、フェリチにことのあらましを話した。
「ともかく、ありがとうございました。助かりました」
フェリチが丁寧に頭を下げる。その間に僕は、セレが持っていたナイフを拾い上げてよくよく眺めてみた。
「結果論だけど、これなら僕が気が付かなくても平気だったかも」
「え? ……これ……」
セレが持っていたナイフは、子供がごっこ遊びに使うような、偽物のナイフだった。
強度もなく、僕が指で刃の部分を押すと、簡単にべこりと凹む。
とはいえ、本物に似せて尖っている。
眼や喉を正確に突かれたら、怪我で済まない可能性はある。
「本当に、どうしてしまったんでしょう、セレさん」
「さっぱりわからないな」
僕たちはそのまま、眠らずに過ごした。
陽が昇ってしばらくしてから、セレはようやく目覚めた。
「えー!? わた、私がフェリちゃんを!? 嘘、そんな……ふぇ、フェリちゃん怪我は!? は? え? このナイフ? 確かに私のだけど、鞄に入れっぱなしだったはず……。あの、前に子供たちに、魔物についての講義するときに、小道具で持ってって……。昨日? ……ん? あれ? 装置の設置って今日じゃないの?」
セレは昨日の記憶を失くしていた。
「本当に覚えてないのか?」
「うん……あの、研究室に戻れば嘘発見器があるから、使ってもらって構わないよ。ごめん、フェリちゃん……」
セレは真面目な喋り方をして、フェリチに謝った。
「私は無事ですから、もういいですよ。ディールさんも、セレさんを責めないでください」
「ディールごめんね。しばらくフェリちゃんのこと我慢するから……」
僕はいつの間にか、セレを怖い顔で睨みつけていたらしい。
フェリチにこっそりと指摘されたので、僕はセレに背を向けて顔を両手でごしごしと揉んだ。
「覚えてないなら仕方ない。思い出したら全部話してくれ」
「もちろん。何なら記憶を吸い出す装置でも開発するよ」
「それは何か怖いからやめてくれ」
セレが
帰りは、セレだけ転移装置を使って先に帰ることになった。
元々は別の誰かが装置の試運転を兼ねてその役目を果たすはずだったが、セレが「私がやる」と手を挙げたのだ。
「先に研究所で自分のこと調べとくー。帰ってきたら、研究所寄ってー。もしくはこっちから遣いを出すよー」
フェリチをナイフで襲ったという事実が余程堪えたらしく、セレにいつもの元気がない。
「セレさん、私、本当にもう気にしてませんから」
「フェリちゃん優しすぎー。ディールー、もし私がまたやらかしたら、斬っていいからねー」
「わかった」
僕が真面目に強めに頷くと、フェリチが「やめてくださいっ」と悲鳴のような声を上げた。
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