16 国立研究所所長セレブロム




「こちらへ来たということは、決着がついたということですね」

「はい。良い形で決着しました」

 ルルムとその知人である眼鏡をかけた男は、同時ににんまりと笑みを浮かべた。



 ディールが預けた金を率先して貸し出したのは、他でもない教会の聖職者の方だ。

 アニスに聖女の手ほどきをした聖職者は既に引退しており、つい最近教会の責任者に就いた聖職者は前任者の信頼を引き継ぐに足らない人物だった。

 ディールには「貴族たちが無利子、無期限で無理やり借りていった」と伝えていたが、全くの嘘である。

 実際には妥当な利子と期限付きで貸し出し、収入を己の懐へ入れるつもりだった。


 誤算は、噂が噂を呼んで予想以上に貴族が金借りに押し寄せたことと、ディールが国外追放処分を受けたこと。

 ちょうど現金が手元にないところへディールが返却を迫ったため、嘘に嘘を重ねたのであった。


 ルルムの知人は、所謂税理士と弁護士と探偵を組み合わせたような仕事をしている人物だ。

 まず聖職者に接触、説得して嘘を暴き、貸出先の一覧を手に入れた。

 貴族の方は、ディール憎しで必要もないのに金を借りたのと、普通に金に困って借りたのとが半々で、どちらにも「英雄の金を横領するのは重罪である」と事実で脅し、早期に利子付きで返済するとの約束を取り付けた。


 ひと月ほど掛けてディールの金のほぼ全てと利子を回収したところで、今度は聖職者をディールの代理で訴えた。

 聖職者は失職して教会から追放、貴族たちの中で頑なに金を返そうとしなかった者たちは、軒並み取り潰しとなった。


「――というわけです」

「完全勝利ですね」

「金の方はどうしましょうか」

「この国には銀行がありますから、そこへ預けておきましょうと、ディール様には話してあります」

「わかりました。では手配しておきます」

「ありがとうございました。手数料は前に話したとおりに」

「はい、既に受け取っております」

 眼鏡の男が懐を人差し指と中指でぽんぽんと叩く。ここに大金がある、というジェスチャーだ。


 眼鏡の男を見送ったルルムは、厨房へ入り汲んだ水をごくごくと飲んだ。

「はあ、肩の荷が下りました」

 ルルムはスルカス国王命令によりディールの動向を見守り、最大限手助けする任を与えられていた。

 国王は第二王子が強引な手段でディールを追い出すとまでは予想しきれなかったが、何か不利益なことをしでかすだろうと先手を打っていたのだ。

 もしディールが国外追放にならなくとも、ルルムは侍女を装ってディールに近づき、侍女あるいは補佐役を買って出るつもりであった。

 ディールが追放処分を受けた時に無理矢理ついてきたのは、国王命令があったからである。

 しかし、今は――。



「あの国の第二王子なんかより、よほど品格のある方ですね、ディール様は」

 ある日の昼下がり、フェリチと二人きりでお茶と菓子を楽しんでいたルルムがそう言うと、フェリチは紅茶の入ったカップを口に運ぶ手を止め、うんうんと頷いた。

「そ、そうなんです。御本人は『貴族であることは捨てた』なんて仰いますが、正装された時は第二王子殿下より……」

 そこまで言って、フェリチは顔を赤らめて下を向いた。

 フェリチの初々しい反応に、ルルムは思わず笑みを浮かべる。

「ええ、本当に。スルカス国王陛下はディール様に伯爵以上の爵位を与えたがっていたのですよ」

「はっ、初耳です」

「他の貴族たちから数の暴力で却下されてしまいましたもの。ディール様もご存知ありません」

「そんなこと、私が聞いてもいいのですか?」

 フェリチの当然の疑問に、ルルムは「はい」と答えた。

「もう私達はあの国と縁を切りましたからね。ああ、でもディール様には内緒にしておいてください。貴族がお嫌いなようですから」

「あんなことされて好きになる方がおかしいですよ!」


 女性二人の小さなお茶会は、お喋りが尽きなかった。







「国立研究所のセレブロム所長がディール様にお会いして話がしたいとのことです。城までご足労願えませんか」

「わかりました」

 魔溶液のことが聞きたいし、研究所はフェリチがお世話になった場所でもある。

 一度行ってみたいと思っていたところだ。

 僕が快諾すると、使者さんは「では早速」と僕たちを促した。


 例の全く揺れない馬車で久しぶりの城へ到着し、そのまま城の敷地内にある建物へと案内される。


「所長、お連れしました」

 建物の内部は薬品の臭いが立ち込めているのに、嫌な気分はしない。

 つるつるとした床は丁寧に磨かれ、部屋中に置かれた何らかの装置はどれも、新品のように綺麗だ。


 所長、と呼ばれて振り返ったのは……もじゃもじゃとしたピンク色の髪の毛で右眼を覆った、ひょろりとした体型の女性だ。

 研究所所長というからてっきり男性だと思いこんでいた自分を恥じた。


「ああー、どうもー。所長のセレブロムですー。英雄様、ディール様? はじめましてー」

 間延びした口調で、長すぎる白衣の袖をぷらぷらと振りながらこちらへ近づいてきた。

 僕の数歩前でピタリと止まって披露してくれたカーテシーは、言動に見合わないほど様になっていた。

「ディールでいいですよ、セレブロムさん」

「ディール。じゃあ私もセレでいいよー。よろしくねー」

 失礼ながら、魔溶液や高性能の魔道具、その他この国の高い生活水準を支える発明を多くやり遂げてきた人物には見えない。

「フェリちゃんも一緒だったのー」

「はい、お久しぶりです、セレさん」

「うんうんー、相変わらずかわいいねぇー」

 セレはフェリチに抱きつき顔に頬を擦り寄せた。フェリチが嫌がらないから、仲がいいらしい。

 セレの前髪が揺れて、隠れていた右眼の部分がちらりと見える。肌に近い色の眼帯をしていた。怪我でもしているのだろうか。

「じゃあ早速お話しよっかー。こっち来てー。そこ座ってー」


 研究所は巨大な一部屋が仕切り壁で区切られていて、僕たちは部屋の隅の一角に案内された。

「いきなりで悪いんだけどー、眼を調べさせてくれないかなー?」

 セレが座るなり切り出してきて、僕は久しぶりに自分の右眼を意識した。

 最近は黒くなっていない。

「ええと……」

「ああ、あのー、あれ。痛いことはしないよー。フェリちゃんにやったのと同じく、非接触型検査機を当てるだけだからー。どうしても嫌なら無理強いしないしー、検査中に痛いとか不快とか感じたら速攻やめるからー」

 僕がフェリチを見ると、フェリチはこくりと頷いた。

「私も検査を受けましたが、不調になったことはありません」

 人間の魔力は脳と心臓にあると考えられている。もしスルカス国でフェリチを検査しようとしたら、最悪頭を輪切りにされるか心臓を取り出しているところだろう。その場合、当然フェリチの命はない。

 非接触型検査機というものに興味が湧いたし、何より自分の眼のことはもっと知りたい。

「やってください」

 許可を出すと、セレはにまぁと笑った。ちょっと不安になる笑顔だが、すぐに杞憂だったと判明した。

「ありがとぉー。すぐ済むからねー。……はい、終わりー」

「え、もう? 魔道具は?」

「あそこにあるやつー」

 セレが袖で示すのは、僕たちから三メートルは離れた場所にある壁際の、白くて縦に細長い箱だ。

「あんな遠くから?」

「そー。高性能でしょ、えへへー」

 セレが照れたように笑う。あれもセレの発明品なのだろう。

 そこへ、屋敷へ使いにやってきた人が、細長く白い紙をセレに手渡した。

「あ、結果でたねー。ええっとー。……んんんー?」

 セレは白い紙を上から下まで何度も見て、それから僕を見た。

「ちょっと他の検査もしていいー? ディールの身体が心配になってきたー」

「身体? どこも不調はないですよ」

 検査はいつの間にか終わっていたし、痛みや不快は感じなかった。

「そういうんじゃないのー。いいー?」

「はい、どうぞ」

 また四角い箱で検査かと思いきや、今度は別の一角へ移動するよう指示された。

 今度は黒っぽい立方体の前に数分ほど立たされた。

「……ううん、やっぱりー。でも……どこも不調ないのよねー? うーん、不思議」

 セレが首をひねる。

「あの、どういう」

「ごめんごめん、ちゃんと説明するよー。ディール、身体の中にドラゴンみたいな高濃度魔力の魔物を取り込んでるみたいー」

「ああ、アロガンティアドラゴンかな」

「驚かないのー?」

「以前フェリチに言われたのと、なんとなくそうじゃないかって気がしてたので」

「フェリちゃん、知ってたのー!?」

「はい。すみません、言うの忘れてて……」

「いやーこっちもわざわざそんなこと尋ねないしー、フェリちゃんがディールのことをぺらぺら喋る子じゃないの知ってるしー」


 僕が人間の許容量を上回る魔力を右眼のみに閉じ込めているのは、現時点では説明がつかないとか。


情報データは貰ったから、あとは調べておくよー。っとと、こっちばっかり調べさせてもらってるねー。何かできることがあったらやるよー」

 今度はこちらが質問する番だった。

「眼のこと、なにか分かったら教えてもらうことは出来ますか?」

「当然ー。本人に通知するよー」

「あと、魔溶液ってどうやって作ったのか聞いても?」

 それまで、僕の眼の話をしているときでも崩さなかったへにゃりとした顔が、一瞬だけふっと真顔になった。

「気になるよねぇ」

 セレはまたへにゃりとした顔に戻り、おもむろに右眼を隠すように垂れている前髪を右手でのけて、眼帯を外した。


 閉じられた瞼は落ちくぼんでいて、その中に眼球が無いということは明らかだった。


「実はねぇー、私も眼の色変わるヒトだったんだぁー」

 僕たちが絶句していると、セレはささっと眼帯を付け直して再び前髪を下ろした。


「ディールは真っ黒になるんだっけー? 私はねー、この橙色から暗めの灰色になるのー。効果は、見つめた魔物が傷つくってだけー。ディールの『黒眼』みたいにー、完全に消すとかはなかったのー」

「眼は、まさか」

「これはねー、自分で取り出してって頼んだのー。色んな人に反対されたけどー、私の親も魔物に殺されてるからー。自分で研究したかったのー」


 セレは取り出した眼の仕組みや成分等を自分で解析、研究し、魔溶液を作る手がかりとした。


「そこまで……」

「えへへ、驚かせちゃったなぁー。でもねー、ちゃんと打算はあるんだよー」

 セレは白衣の袖をぴらぴらと振った。

「打算?」

「魔溶液のお陰でこうして研究所を好きにさせて貰えてー、君たちのことを安全に調べられるようになったしー。眼もそのうち自分で創って治すつもりー」

「眼を創る!?」

「そこに存在するんだからー、創ることもできるんじゃないかなーって思うんだー」

 セレは途轍もなく強い人だ。


 後は世間話をしていたら、他の白衣の人が「所長、そろそろ……」とセレを呼びに来た。

 所長をやっているくらいだから、忙しいのだろう。

「時間みたいー。質問あれだけでいいのー? こっちは思わぬ収穫得られたからー、もっと頼っていいよぉー」

「じゃあ、何かあったら相談しにきていい?」

「勿論ー。何もなくても遊びにおいでー」

 僕たちは再び馬車で家まで送ってもらった。


 家に戻ると、ルルムさんのお客さんは既に帰っていて、教会に預けたお金の件の顛末を聞いた。

「戻ってくるんですね、その後の処理も助かります。ありがとうございました」

「お役に立てて何よりです」

 正直、この生活がずっと続くなら大金は必要なさそうだが、いつ誰の気が変わって放り出されるかはわからないから、お金はあるに越したことはない。




 研究所へ行った日から十日後、再び城から使者さんがやってきた。

 研究所で何かわかったのだろうかと思いきや、研究所ではなく皇帝陛下からの呼び出しだ。


「英雄様にしかお願いできない仕事の算段がつきました。今ここでご説明しますので、その後でお受けしていただけるか否かのお返事をお願いします」


 僕にしか出来ない仕事というのは、七匹の凶悪なドラゴン退治のことだった。

 魔溶液のお陰で魔物が減り、冒険者が激減したこの国では、冒険者をかき集めてもドラゴンには敵わない。

 人里に被害が及ぶようならば騎士団を派遣するか国外から冒険者を募るかするところだそうだ。

 しかし、今この国には僕がいる。

 七匹の凶悪なドラゴン達は大体同じくらいの強さらしいから、今回も倒せるだろう。

「お引き受けします」

「ありがとうございます! ですが、どうかご自分の身を第一にお考えくださいね」

 使者さんはドラゴンの居場所と物資、現地までの移動の段取りを残して城へ戻っていった。

 出発日は僕が決めていいそうだ。


「私も行きます、ディールさん」

「俺も行こう。野営の不寝番くらいならできる」

 フェリチとリオさんを止められる気がしなかったので、二人のことは必ず守ろうと誓って同行してもらうことにした。

「屋敷は私がお守りしております。どうかお気をつけて」


 使者さんがやってきた二日後のよく晴れた日に、僕たちはドラゴン討伐へ出掛けた。

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