19 王都決戦




 ドラゴンは大きくて強いだけの魔物だ。

 他の生物を見るや、喰うためでも悦楽のためでもなく、ただ命を奪う。


 救いは、ドラゴンは身体が大きいから、遠くからでも視認できること。

 推定クヒディタスドラゴンは、瞬く間に僕の頭上を通り過ぎて王都を囲む城壁を軽々と超えていった。


 僕も急いで後を追う。城壁の内部に人の気配は極僅かだ。

 ドラゴンの到来に気づいた人たちは皆、家や私財を捨てて逃げ出したのだろう。


 僕にとって嫌な思い出の多い国だが、人が傷つけられるのを嬉しくは思わないし、助かる人がひとりでも多いなら、それに越したことはない。

 ドラゴンは僕から逃げるように飛んでいく。

 ところが、ふいにその高度を落とした。

 その先には……。


「アニスさん!?」


 アニスさんとイエナとコーヴス。想像しなかった取り合わせの三人が、呆然とドラゴンを見上げている。


 ドラゴンは僕から逃げたい気持ちよりも、目の前の人間を殺したいという衝動の方が強いらしい。


 足に力を込めて地面を蹴り、数歩でアニスさんの前へ出た。

 間に合った!


「ディール君!?」

「ディール!?」

 三人が一斉に僕の名を叫ぶ。

「逃げろ!」

 アニスさんには是非とも無事に逃げていただきたいし、イエナとコーヴスには僕の邪魔をされたくない。

 だから言えることはこれしかなかった。


 ドラゴンの一撃目、大きな口をぱっくりと開けて迫ってくるのを、右手の剣と左手、右足で止める。

 衝撃で周囲の建物にヒビが入り、或いは砕けて吹き飛ぶ。

 ドラゴンの吐く息が気持ち悪い。毒を含んでいるかもしれない。

 僕の後ろにいた三人は、無事だ。

「何してるんだ、早く!」

 よく見ればアニスさんの手足には擦り傷がついている。コーヴスは疲労困憊状態で、イエナは立ったまま白目を剥いて失神していた。

 そのイエナの胸ぐらをアニスさんがつかみ上げ、頬を平手打ちした。

「っいったぁい! 何すんのよ!」

「失神してる場合!? 逃げるのよ!」

 流石アニスさん。冷静だ。

「何……きゃあああっ!?」

 イエナはアニスさんに文句を言おうとしてドラゴンを視界に入れてしまい、今度は大声で叫ぶ。本気で邪魔だ。アニスさんもうそいつ放っておいていいので早く逃げて、と心のなかで叫ぶ。

 僕に押し返されたドラゴンは、今度は空中に飛び上がり、口から灰色の炎を吐いてきた。

 次の瞬間、僕の前に半透明の壁が出現する。アニスさんの結界魔法だ。

 しかし、結界は瞬時に破壊されてしまった。

 僕は結界を見るや炎を防げないと直感し、アニスさんを抱きかかえ、他の二人の首根っこを掴んで横に飛んだ。

 そのまま瓦礫の影に入り、アニスさんを立たせ、他二人はそのへんに投げ捨てた。

「結界ありがとうございました、アニスさん。でも早く逃げてください」

「役に立たなくてごめんなさい。逃げたいのは山々なのだけど」

 アニスさんが使えない二人をちらりと見る。

「置いてっていいかしら」

 放置でいいですよと言おうとしたら、アニスさんらしからぬ提案がきた。

 いつも穏やかなアニスさんがここまで他人を無下にするのを見たことがない。この二人はアニスさんに何をしたんだ。

「はい」

「そんな、待ってくれ」

「助けなさいよ!」

 僕がアニスさんの意見を支持すると、使えない二人が揃って反対してきた。イエナに至ってはこの状況でもまだ偉そうな口をきく。

「助かりたければさっさと逃げなさい!」

 アニスさんが城門の方向を指差しながら叫ぶ。それから、何かを思い出したかのようにコーヴスに治癒魔法を掛けた。

「これでいいでしょう? さあ早く」

 アニスさんはどうにか立ち上がって駆け出した二人を見送ってから、僕に向き直った。

 そして、強化魔法と治癒魔法を掛けてくれる。久しぶりのアニスさんの魔法は懐かしくて温かい。

「手伝いたいけれど、足手まといね。気をつけて」

「アニスさんも」

 長々と話している場合ではないから、お互いに短く言いたいことをまとめて伝え合い、アニスさんは先に駆けていった二人を追うように走って行った。


 その間ドラゴンは、僕たちを見失っていたらしい。身体が大きすぎて、瓦礫の影という細かい部分はあまり見えないのかもしれない。

 意外と間抜けで助かる。


「こっちだ!」

 城壁の内部の建物は誰かの家だ、あまり壊したくない。

 既に殆どの建物がぺしゃんこになっている場所へ飛び出し、ドラゴンを挑発した。


 僕を見つけたドラゴンは、なんと背を向けて飛び立とうとした。


「逃がすかっ!」


 ここで逃げられては面倒だ。僕は思い切り飛び上がり、剣をドラゴンの尾に刺した。

「グァァウウ!!」

 尾がぶんぶんと振られる。僕は落ちないように必死にしがみつき、剣を身体の別の場所に刺し直したり、ドラゴンの鱗の隙間に指を入れてとっかかりにしながら、ドラゴンの身体をよじ登った。

「グアアァウウ! ガァウ!」

 ドラゴンは叫びながら、必死で全身を震わせる。

 ドラゴンの身体の可動域は、アロガンティアドラゴンで確認済みだ。器用に動ける仕組みをしていない。

 震えても余り動かない箇所を選んで登り続け、首元まで迫った。

 すぐに前足が飛んできたが、剣をひと振りして斬り落とす。

「アッガァアアアア!!」

 こいつもこいつで煩いな。さっさと終わらせよう。


 首に足の力だけで跨り、剣を両手で持って、思い切り縦に突き刺し、横に払った。


 前のときは普通の剣だったから巨岩を斬る感触がしたが、今回はイグノチウムで出来た特注の剣だ。

 あまりに手応えがないので斬れたのか不安になったが、ドラゴンの首が半分ぶらんとズレた。

 もう一度、今度は切れ目に剣を入れて、反対側の横方向へ払う。


 喉ごと切れたはずなのに、ドラゴンは国中に響き渡るような絶叫を上げて、地面へ落ち、消えていった。


「……っう、流石に、痛いな」

 かなり高いところから飛び降りる羽目になったので、両足がじりじりと痛む。一応動くから、折れてはいないらしい。

 足の痛みと戦いながら身体を起こそうとして、今度は別の痛みにその場でうずくまってしまった。

「う、ぐうう!?」

 右眼を鷲掴みにされたような違和感と、無数の針で刺されたような痛み。

 思わず右手を当てると、恐ろしく冷たい液体が眼から溢れ出て、頬を伝って地面に落ちた。左眼で確認すると、真っ黒な液体だ。

「一体、何だ、これ……」

 液体を小瓶か何かに入れてセレに渡せば調べ尽くしてくれるかな、などと、どうでもいいことを考えて気をそらす努力をする。

 その甲斐あってか、痛みは徐々に引いてきた。違和感も同時になくなっていく。


 完全に痛みと違和感が引いてホッとしたのもつかの間、僕の前に、気を失っているアニスさんの首に剣を添えたコーヴスと、得意げな顔をしたイエナが現れた。



「よう、ディール。ドラゴン退治おつかれさん。ひとつ相談があるんだ。その手柄、俺たちに寄越せ」

 僕の頭がおかしくなったのだろうか。眼から正体不明の黒い液体が出るくらいだもんな。きっと僕がおかしいに違いない。


 どうしてコーヴスは、アニスさんを人質に、僕にドラゴン討伐の手柄を寄越せなんて言えるんだ?


「あんたのせいでこっちは散々貧乏クジ引いたのよ。ドラゴン討伐の手柄があれば、冒険者に復帰できる。確かドラゴン自体の討伐も大金になるのよね?」

 もしかして、僕が大金を得たという噂を流したのは、イエナか?

 まあ、そんなことはもうどうでもいいか。

 それにしても貧乏クジとはどういう意味だろう。

 僕はイエナとコーヴスの望み通り、パーティから出て行ったというのに。


「おい、何か言えよ。さっさと手柄を寄越すと約束しないと、このクソ聖女の首、刎ね飛ばすぞ!」

 コーヴスが得意げに囀ってるのが聞こえる。


 二人の声が遠く感じる。


 頭が痛い。



 右眼の辺りが、酷く痛い。







 話はディールがクヒディタスドラゴンを討伐する少し前に遡る。

「ねえ、コーヴス。私いいこと思いついちゃった」

 語尾にハートマークを付けんばかりの甘い声で、並走して逃げるコーヴスにイエナが囁いた。

 イエナは無自覚に誘惑魔法を垂れ流している。コーヴスのように、少しでも下心のある人間にはとびきりよく効くのだ。

「いいことって何だ?」

「ディールがドラゴン倒したら、手柄貰っちゃわない?」

「そんなこと、どうやって」

「あの女を使うのよ」

 イエナが視線で示したのは、後ろから着いてくるように走る、アニスだ。

「仲いいんでしょ、あの二人」

「……ああ、そうだな。なるほど、流石イエナは賢いな」

 コーヴスが正常な判断を失った頃、ずずん、と地響きがした。

 後ろを振り返ると、ドラゴンの巨体が影も形もない。

 おそらく、ディールはもうドラゴンを倒したのだろう。

 後ろのアニスは立ち止まり、ディールがいるであろう方向を見つめて立ち尽くしている。


 コーヴスはその背後にそっと近づき、手刀でアニスの意識を奪った。







「死にたくなかったら、アニスさんを離せ」

 また右眼が痛い気がしたが、痛みではなく、体温以上に熱くなっていた。

 手で触れると、眼の周囲の血管でも浮いているのか、肌がゴツゴツする。

「ひっ……!?」

 右眼から手をのけた僕を見て、イエナが喉の奥に悲鳴を絡ませた。

 また白目の部分も黒くなっているのか。

 それ以上の変化が起きている気がする。

 が、今はそんなこと、どうでもいい。


 コーヴスとイエナのあまりの言い分、要求とその手段に、怒りがおさまらない。


 僕が憎いなら、僕に言えばいい。僕だけを攻撃すればいい。

 どうしてアニスさんを巻き込む?

 アニスさんはお前なんかに、治癒魔法を掛けてくれたじゃないか。


「な、何を言ってるんだ! こいつの命が惜しく……」


 悪党ってのはどうしてこう、台詞が長いのだろう。

 喋ってる暇があるなら、あまりに突拍子もない事態に茫然自失としていた僕をどうにかすればよかったのに。


 もう、何もかも遅い。


 剣を抜く、移動する、コーヴスの首の皮を一枚だけ切り裂いてやる。

 僕の一連の動作に、コーヴスたちは全くついてこれていなかった。


「あと一度だけ言うぞ。死にたくなかったらアニスさんを離せ」

「ぎゃっ!?」

 コーヴスの首に刃をもう少しだけ食い込ませる。

 悲鳴を上げたコーヴスは剣を取り落とし、アニスさんも離した。

 アニスさんは気絶したままだ。そのまま、支えるように抱きかかえる。

 眼に魔力があるというなら、魔法も使えたらいいのに。この場でアニスさんを治療できないことが悔しい。


「何よっ! あんたは簡単にドラゴン倒せるんでしょう!? だったら一匹くらい譲ってくれたっていいじゃない!」

 空気を読まないイエナが叫ぶ。

 こいつ、もしかして冒険者カードの仕組みのこと、理解していないんじゃないか?

 たとえ僕が「はい、いいですよ。ドラゴン討伐の手柄をお譲りします」と言ったとしても、冒険者カードの経験値履歴を見れば、誰がいつ倒したか、一目瞭然だ。

 すぐばれる嘘のために人の命を弄ぶなんて、愚かにも程がある。


 僕がイエナを睨むと、イエナはまた喉の奥でヒッと言って、コーヴスの後ろに隠れた。

 そのコーヴスは、僕が付けた傷に手を当てて、青ざめている。


「コーヴス、イエナに冒険者カードの仕組みをちゃんと、いちから、詳しく、丁寧に、教えてやって」

「ひっ! は、はいっ!」

 コーヴスは、アニスさんを人質にして僕を脅そうとしていたのとは別人のように、素直に承諾してくれた。

「イエナ、お前は……コーヴスの言うことが理解できるまで、外を出歩かないほうがいい」

「な、何……」

「お前もう黙れ! ああくそっ! どうしてコイツの言う事聞いちまったんだっ!」

 コーヴスが正気に戻った。首から血を流しながら、両手で頭を掻きむしっている。

 これまでも正気だったかもしれないが、異常な思考は一旦手放した様子だ。

「二度と僕やアニスさんの前に現れるなよ」

 僕はそれだけ言い残して、その場を後にした。



 アニスさんを横抱きにしたまま、瓦礫と化した町中を、冒険者ギルドがあった場所目指して歩いた。

 ドラゴンとの戦いでなるべく被害を抑えようとはしたのだが、あの巨体が空から落ちてしまっては、建物なんてひとたまりもない。

 幸いなことに、冒険者ギルドの建物は無事だった。


「ん、うう……あら、ここは……」

 ギルド内部の簡易ベッドにアニスさんを寝かせると、アニスさんは自力で意識を取り戻した。

「どこか痛くはないですか?」

「ディール君……。どっ、ドラゴンは!?」

「もう倒しましたよ」

「よかった……っ!?」

 アニスさんが僕の顔を改めて見て、固まった。

「どうしまし……あっ」

 自分の眼のことを忘れていた。

「すみません、すぐ隠しますね」

 腰の物入れから包帯を取り出して頭にまこうとしたら、アニスさんに止められた。

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