18 スルカス国の危機



 スルカス国では、人里が魔物に襲われるという事態が頻発していた。

 時期としては、ディールがウィリディスへ到着した頃からである。


 魔物は他の生き物の強さに敏感だ。

 スルカス国がこれまで聖女に頼り切り、魔物を無限湧きさせていても概ね無事だったのは、ディールや他の特殊スキル持ちが少しずつでも魔物の死骸を消して湧きを潰していた効果と、アロガンティアドラゴン討伐以降はディール自身が魔物を遠くへ追いやっていたためである。


 魔物側にしてみれば、ディールという脅威が遠ざかったので、人を襲いやすくなった。


 魔物が活性化したので、人間側も冒険者や兵団、騎士団を次々と送り込んだ。

 特に兵団は、専ら危険な場所へ斥候として頻繁に派遣された。


 偽名ベスペを名乗り兵団に入ったコーヴスも、あちこちへ派遣されては魔物と対峙し、なんとか生き延びていた。


「今日はアレルがやられたか」

「カーンは治癒魔法が間に合わなくて、もう歩けないらしい」

「嫌だ、死にたくない」


 兵団の行く先々では、命を落とした兵士たちの簡単な墓が毎日のように建てられ、皆が悲嘆に暮れていた。


「どうしてこんなことになっちまったんだ」


 誰かの嘆きが、コーヴスの耳にこびりついた。


 兵団に入ったからには、自分の命が軽いことを覚悟していた。

 でもそれは、もっと強大な魔物の前へ捨て駒として派遣された場合を想定していた。

 冒険者をやっていた時ならば雑魚扱いしていた魔物でさえも、数が多ければ討伐は容易でなくなるし、兵士はそういう場所へこそ積極的に前へ出される。


 ギリギリの日常を過ごしていたある日、事態が更に深刻化する事態が起きた。


 兵団専属の聖女が、何の前触れもなしに、死んだ。


 前日まで魔滅魔法を使い、元貴族らしく傲慢に振る舞っていた聖女が、その日の朝なかなか起きてこないのを訝しんだ兵士が部屋へ行くと、もう冷たくなっていたのである。


 すぐに死因を調べたものの、外傷は見当たらず、スルカスの医療技術では解明出来なかったため、原因不明の突然死として処理された。


 それから、聖女が次々に死亡、あるいは突然廃人になり魔滅魔法が使えなくなるということが立て続けに起きた。

 聖女が減ると、これまで通りのペースで魔物を討伐する訳にはいかない。

 魔物は生かしておけば当然人を襲うが、死骸がもたらす害も同じくらい大きいのだ。


 更に悪いことに、聖女達は「死にたくない」と魔滅魔法を使いたがらなくなった。

 亡くなった聖女の死因は相変わらず不明だが、毎日のように魔滅魔法を使っていたという共通点がある。

 兵団にいた聖女たちは魔物の処理を拒み、中には逃げ出すものもいた。


 押し寄せる魔物に、処理されない死骸。

 スルカス王国史上最悪の事態に追い打ちをかける出来事もやってきた。


 それが、ディールの接近を察知して住処から逃げ出した、クヒディタスドラゴンの到来である。




 日に日に減っていく兵士たちの中で、コーヴスはかろうじて生き延びていた。

 しかし休みなく魔物討伐に駆り出され、すぐ隣でつい先程まで談笑していた仲間が死んでいく日々に、心身ともに疲弊しきっている。


 聖女が死にはじめてから、魔物討伐は最低限になり、死骸は街から遠く離れた場所にある谷へ投げ捨てるようになった。

 死骸運びも兵士の仕事だ。

 その日、コーヴスは死骸運びの任に就いていた。


 ウィリディスよりも色々と遅れているスルカスにも、魔物の死骸が出す有毒気体を防ぐ術はある。

 頭をすっぽりと覆う革袋の中に、気体の毒を和らげる成分を持った薬草の汁を含ませた布を入れたものだ。

 目と鼻の部分は空いているし、和らげるだけで完全には防げないから、無いよりはマシという程度の代物だが。


 革袋の内部は己の吐息でじんわりと湿り、視界が狭い。

 不快だが、革袋を取り去れば死は免れない。

 他の兵士たちと複数人で魔物の死骸を乗せた荷車を引き、ついでにかち合った魔物を討伐して、更に死骸を積み上げる。

 死骸を放り込んでいる谷からは、近づくだけで死に至るほど濃い気体が立ち上っている。

 兵士たちは、谷から離れた場所に設置した巨大な投石機を改良したものに魔物の死骸を一体ずつ乗せ、谷へ投げ入れる作業を開始した。


「おい、ありゃ何だ」


 誰かが上空を見上げて、それを指さした。

 どんよりと曇った空の一点に、雲よりも濃い灰色の何かが飛んでいる。

 何だろう、とよくよく目を凝らした頃には、その何かは兵士たちの真上にいた。


「ど、ドラゴンっ!?」


 コーヴスは冒険者時代に、何度か小型のドラゴンを討伐したことがある。

 そこそこの腕のコーヴスにとって、小型のドラゴンは敵ではない。


 だが、今上空にいるドラゴンは、小型と同じドラゴンなのかすら怪しいほど、絶望的に巨大だった。


「逃げろっ!」

 状況判断だけは誰よりも早いコーヴスの叫びで、何人かは生き延びた。

 それ以外は、ドラゴンが降りてきた風圧だけで吹っ飛ばされ、地面に全身を打ち付けた。

 数人はぴくりとも動かない。

「しっ、死骸処理はどうすんだ!?」

「そんなことより逃げろ! あんなの敵う訳ねぇ!」

 パニックに陥った兵士を叱咤し、全力で走る。

 足が一番速いのもコーヴスだった。

 悲鳴を上げる間もなく倒れていく後続の兵士たちを振り返りもせず、ひたすら走った。


 魔物から逃げる際は人里のない方向へ逃げるべきである。

 しかし、冷静に思えたコーヴスも、やはりパニックに陥っていた。


 コーヴスが逃げる先にあるのは、王都だ。







「嫌よ、他を当たって」


 王城で第二王子に取り入り、ディール追放の一端を担った聖女イエナは、一連の罪を問われて牢へ入れられても尚我儘を貫き通そうとしていた。

 イエナの耳には、聖女が次々に亡くなっているという話は届いていない。

 勘の良いイエナは、わざわざ牢に入れられた自分にまで「聖女」としての役割を果たせとやってきた兵たちに不信感を覚え、牢から出ることを拒んだ。


 しかし、囚人に拒否権は無いわけで。



 数時間後には無理矢理馬車へ乗せられ、町の近くで討伐された魔物の前へ押しやられる。

「嫌ったら嫌!」

「魔滅魔法を使うまで、ここから動くことは許さんぞ」

 兵士たちは例の革袋を被り有害気体を防いでいるが、イエナに革袋は与えられなかった。

 このまま死骸の前に居続けたら、待っているのは死だ。

 イエナは仕方なく、魔滅魔法を使って死骸を消した。

「もう良いでしょう? 仕事したのだから、このまま――」

「次は東だ」

 牢から出してくれと懇願するより先に、次の仕事先を告げられた。


 これだけ町に近い場所に魔物の死骸を放置せざるを得ないということは、聖女に異常事態が発生したに違いない。

 行く先々でどれだけ抵抗しても、結局は自分の命のために魔滅魔法を使うしかなかった。

 この日は魔力が尽きるまで、魔滅魔法の使用を強いられた。


 牢へと戻された二日後、再び兵士たちがやってきて、牢から出された。

「ねえ、これだけ頑張ったんですもの、恩赦とかあるんでしょう? でないとやってられないわ」

 第二王子すら虜にした美貌のイエナの色仕掛けは、兵士たちに効かなかった。

 イエナのこれまでの経歴を調べ上げた結果、イエナはどうやら誘惑魔法に似た何かを無意識に垂れ流していると判断され、イエナに近づく者には予め防護魔法を掛けてある。

「そうだな、もうしばらく仕事を続けてもらえば解放されるだろうよ」

 兵士が素っ気なく応えると、イエナは顔を輝かせた。


 兵士の言う事は半分嘘で、半分事実だ。

 イエナは第二王子の手引とはいえ無許可で城に住み込み、第二王子を誑かして英雄を国から追い出すという重罪を犯している。

 もう二度と牢から出されることなく、頃合いを見計らって処刑される予定であった。


 解放とは、魔滅魔法を使い続けた聖女が死んでしまうことを指していた。


 そうとは知らぬイエナは、「もうしばらく仕事すれば解放される」と自分に言い聞かせて、この日も魔力尽きるまで魔滅魔法を使った。



 イエナは魔力量が少ない上、回復も遅い。魔滅魔法が日に一度使えれば十分と、鍛錬を怠ったせいである。

 魔力を使い切ると全快まで二日かかるイエナの元に、兵たちは三日おきにやってきていた。

「行くぞ」

「行くから、そんな引っ張らないでよ」

 いい加減、自分の美貌が通用しないと理解したイエナは、兵たちにより一層横柄な態度をとるようになっていた。

 解放されるのはいつなのかと聞いても知らんふりをされるし、魔力が尽きると「使えない聖女だ」と目の前で罵詈雑言を浴びせられる。

 流石のイエナも、日に日に自信を失いかけていた。


 いつものように牢から引きずられるように出された時、ものすごい音と振動がした。

「きゃっ! な、何っ!?」

「何事だ!?」

 すぐに、牢への階段をばたばたと誰かが降りてきた。

「ドラゴンが襲来した! 戦えるものは前線へ!」

「ドラゴン!?」

 兵たちが慌てて牢の外へ出ていく。

 イエナは放って置かれた。


 これ幸いとばかりに自分で牢から出て、兵士たちとは逆方向へ走り出した。


 手には錠付きの鎖を繋げられているが、そのうちなんとかできるだろう。

 走るうちに王都へ出て、逃げ惑う人々の間を縫って走ったが、イエナには体力もない。すぐに疲れ果てて、その場に座り込んでしまった。


「あなた、しっかりしなさい。こんなところで座っていたらドラゴンに食べられちゃうわよ」


 声を掛けてきたのは、ゆったりとしたワンピースの上からエプロンを着けた、どこか見覚えのある女だ。

 誰だったかと記憶を探っている間に、女がイエナの頭上に手をかざした。

 温かい光が全身を覆う。疲労回復の治癒魔法だ。

 つまり、この女は聖女……思い出した。


 コーヴスのパーティに、イエナの前にいた聖女だ。


「あんた……」

「あら、貴女どこかで……」

 聖女――アニスの方はというと、イエナがあまりにも薄汚れていたため、イエナだと気づくまでに時間が掛かった。


 二人の聖女がお互いを真逆の意味で見つめ合っていると、そこへ大柄な男が走り込んできた。


「コーヴス!?」

「やっぱり、あんたアニスね!」

「アニス!? それに……イエナか! た、助かった、頼む、治癒魔法をくれ……」

 王都へドラゴンを誘導した犯人であるコーヴスは、知った顔の聖女を見て、その場に崩折れた。

 魔物の死骸を投棄している谷から、ずっと全速力で走ってきたのである。

 とうに限界だったのに走れていたのは、ドラゴンへの恐怖心からだった。

 その恐怖心も、治癒魔法が貰えるものだと安心し、気が抜けたのだ。


「貴女、イエナ? ……コーヴスも。よくもぬけぬけと私に治癒魔法を頼めるわね」


 アニスは二人を振り払って、後退った。

「アニス?」

「話は全部聞いてるわ。あなた達がディール君をこの国から追い出した元凶だってことをね」

 聖女よりは聖母という表現が相応しいと評判のアニスが、目の前のふたりを憎々しげに睨みつけていた。

「生まれて初めて、誰かに治癒魔法を使ったことを後悔したわ。さよなら」

 アニスは二人をその場に残し、去ろうとした。


「ま、待てっ!」

 もう一歩も動けないという顔で座り込んでいたコーヴスが、アニスの足首を掴んだ。

「きゃっ!?」

 当然、アニスは倒れてしまう。急に止められたものだから、受け身も取れず、地面に転がった。

「せめて治癒魔法くらい使え! 聖女だろう!?」

「嫌よ! ディール君に酷いことした人たちなんか、助けたくもないわ!」

 アニスにとって、ディールは弟のような存在だった。

 初めて黒くなった眼を見た時に怯えてしまったことを、未だに後悔している。

 そのディールを嘘と思い込みで遠くへ追いやり、謝りもしないコーヴスとイエナは、アニスの中で敵認定されていた。

 掴まれたままの足を振りほどこうと藻掻いたが、相手はコーヴスである。どうしても外せなかった。

「離して! 治癒魔法ならそっちの聖女に頼めばいいでしょう!?」

 二人が言い合っている最中、イエナは一言も発さず、身じろぎ一つしていなかった。

 よくよく様子を見てみると、空の一点を注視して恐れおののいた顔をしたまま、絶句している。

 アニスとコーヴスはイエナの異様な状態に驚き、イエナの視線の先を追った。


「ドラゴン!? も、もうここまでっ」

 今度はコーヴスが急にアニスの足から手を外し、アニスは再び転んだ。手と膝は擦りむけて、血が滲んでいる。

「やっぱりあれ、ドラゴンなのね……」

 恐怖で恐慌を起こしているのか、イエナは全く動かない。

「ひ、ひぃぃ……」

 コーヴスも怖気づき、腰を抜かしている。

 気づけば、周囲には誰も居ない。


 ドラゴンはまっすぐ、アニス達めがけて急降下をはじめた。

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