20 気持ち

「ごめんなさい、ディール君、違うの」

 アニスさんは僕の方へ広げた両手を伸ばし、下を向いて両目をギュッと瞑っている。

 僕の眼を見ないようにしているのだろう。

「ディール君が優しくていい人だってことは知っているし、怖くないの。でもどうしてか、その黒くなった時の瞳だけが……直視できなくて」

「お見苦しいものを」

「そうじゃないの! うう……ごめんなさい、やっぱり駄目だわ。どうしてなのかしら、自分でもよく分からないわ」

 アニスさんは両手を引っ込め、薄目を開けてはまた閉じる、という動作を何度も繰り返している。

 僕は適当に包帯を巻き、右眼を覆った。

「右眼は隠しましたよ」

「ありがとう。……本当にごめんなさい。前も、ディール君を傷つけてしまったでしょう」

「慣れっこですから、気にしてませんよ」

 口ではこう言ったが、実際はアニスさんにすら怖がられたという事実に足元が竦む思いをした。

 でもどうやら、なにか事情が、本人にすら説明できない理由がありそうだ。

「今、ウィリディスっていう国に住んでいるんです。文明が発達した国で、そこで一番の研究者が、僕の眼のこと調べてくれてます。なにか分かったら、アニスさんにもお伝えしますよ」

「眼を調べる!?」

 アニスさんが大袈裟に驚くので、僕はセレのことと、非接触型検査装置のことを話した。

「そんな便利なものが……。私、てっきり……」

 アニスさんは僕の元へ研究者や医者を名乗る奴が「眼を調べさせろ」と詰め寄ってきている場面を見知っている。

 僕の眼を抉り取る気満々の連中だったし、そうでなくとも当時は眼のことを言われるだけでうんざりしていたから、即刻お断りした上で国とギルドに報告した。連中がその後どうなったかは知らない。

「ねえ、フェリチちゃんはどうしたの?」

 フェリチとリオさんはまだ山を降りている途中だろう。その事と、セレの発明品でここまで飛んで来たことを説明した。

 あれから長い時間が経っている気がするが、まだ半日だ。

 二人は無事だろうか。

「そうなの。いえ、そういうことじゃなくて。フェリチちゃんは、ディール君の眼を見て怖がったりしない?」

「しません。今の僕の眼のこと、思い出すのも怖いですか?」

「思い出すくらいなら平気よ」

「じゃああの、白目のとこまで黒かったと思うんですけど」

「加えて、右眼の周辺だけ血管が浮いてて、肌も黒っぽくなってたわ」

 やっぱりアロガンティアドラゴンを倒した直後より変なことになっていたのか。

「フェリチは僕の変化した眼を見ても……アニスさんみたいな反応はしませんでした」

「良かった」

 アニスさんに対して失礼とも取れる僕の発言に、アニスさんはほっと安心のため息をついた。

「私はディール君の隣に立つ権利はないけど、フェリチちゃんがいてくれるのね」

「僕の隣なんて誰でも……いや、コーヴスとかイエナとかは勘弁ですけど。って、そうだアニスさん、これ飲んでください」

 うっかりしていた。アニスさん、手と足に怪我をしていたのだ。

 腰の物入れから治癒薬と解毒薬が入った小瓶を取り出して、アニスさんに押し付ける。

 聖女は自分に治癒魔法を掛けても効果が薄い。何度も掛けたり、長時間掛け続ければ他人に掛けたのと同じ効果を得られるが、当然効率が悪く、魔力も多く消耗する。

「このくらい何もしなくても平気よ」

「あのドラゴン、毒を吐いてたかもしれませんから、飲んでください。どちらもウィリディスで貰った薬ですから、よく効くはずです」

 僕が「飲むまで絶対動かない」という決意で見守っていると、アニスさんは観念して薬を立て続けに飲みきってくれた。




 さて、ドラゴンを倒したはいいが、これからどうしよう。

 冒険者ギルドには他に誰もおらず、外へ出てもまだ人は帰ってきていない。

 王城へ行ってみたが、兵士のひとりすらおらず、馬も全ていなかった。


 ドラゴンを恐れて国民総逃走したらしい。

 まあ、仕方ないか。あのドラゴンが止める人もおらず本気で暴れたら、全滅してただろうから。


 しかし困った。

 ウィリディスへ帰る手段が徒歩しかない。


 幸い、冒険者ギルドに食料や水の備蓄は豊富にあった。持ち出す手間も惜しかったのだろう。


「ディール君、お腹空いてない?」

 外をざっと探索して戻ってきた僕に、エプロンを着けたアニスさんが尋ねる。

 僕の腹が正直に応えた。なんだか既視感がある。

 僕とアニスさんは顔を見合わせて、笑った。

「ははっ、何か作ってもらってもいいですか?」

「ふふふっ、簡単なものしか作れないけど、すぐ用意するわ」


 簡単と言う割にはしっかりとした食事を終えた頃、ギルドへ誰かがやってきた。


「誰かいるのか?」

 聞き覚えのある声。ここのギルド長だ。

「お久しぶりです」

 ギルド長は僕の顔を凝視してから、仰け反った。

「英雄殿!? ああ、それでドラゴンが居なくなって……倒したのですね? 眼はどうなさったのですか?」

「ちょっと痣になっててお見苦しいので隠しているだけです。ドラゴンは倒しました」

「流石、いえ、この短期間に二匹も凶悪なドラゴンを倒した者など聞いたことがない! そんな英雄をこんなところにひとりで……」

「アニスさんもいますよ」

「アニス、無事だったか! 良かった、逃げた先で見当たらなかったから心配したぞ。ともかく、逃げた連中を呼び戻します。英雄殿はお休みください」

 ギルド長は懐から通信用魔道具を取り出すと、あちこちに連絡を入れ始めた。

 僕自身も魔導具を取り出して、フェリチに連絡を入れる。


『ディールさん、ご無事ですか!?』

「無事だよ。ドラゴンも倒した。そっちは?」

『私もリオさんも元気です。魔物が出ません。予定通りに下山できるつもりです』

「よかった。無理しないでね。こっちはちょっと騒々しくなりそうだ」

「ディールさんも。あの……」

 一瞬、フェリチが言い淀んだ。

『ディールさん、ウィリディスに帰ってきますよね?』

 不安げな声だ。

「勿論。どうしたの?」

『なんだか、あの国のことだから、ディールさんを引き止めそうで……』

 言われてみれば確かに。

 僕を追い出した張本人である第二王子は、問題を起こした王族を隔離する僻地の療養所に軟禁状態らしいし、イエナは多分もうこの近くには来ないだろう。

 でもまだ、この国には貴族たちがいる。

「さっきギルド長に言われたんだけど、短期間に二匹も凶悪なドラゴンを倒した人って聞いたことがないんだって。貴族のやっかみがますます酷くなりそうだ。だから、留まれって言われても僕自身の意志で逃げるよ」

 他所の国でもやっていけることを知った。

 昔の僕が逃げなかったのは、どこの国も似たようなものだと思いこんでいたせいだ。

 もっと早く国から逃げていればよかった。

 でも、そうしたらフェリチやセレには出会えなかったかもしれない。

 もし過去をやり直せたとしても、フェリチ達と会えないかもしれないから、今のままでいい。

 魔導具の向こうから、安心したようなため息が聞こえた。

『よかっ……あ、そのっ。そ、そうですか。と、ともかくこちらは大丈夫ですから、ディールさんも無理せず帰ってきてくださいね』

「わかった」

 フェリチが急に慌てだした気がしたが、本当に大丈夫だろうか。


 この日はすでに夜遅く、僕は「起きていられる」という主張を通してもらえず、ギルドの宿泊施設の一番いい部屋へ押し込まれた。

 部屋の洗面台にある鏡の前で、包帯を取ってみる。

「うわっ」

 アニスさんの言った通り、右眼とその周りは黒くなっていて、血管が浮いている。

「朝までに引くといいんだけど……」

 血管は手の甲に自然と浮くものと違って、手で触るとゴツゴツと硬い。

 それに、瞳は真っ黒の中心に、小さな金色の点が見える。

 魔物か、ドラゴンみたいな目にも見えてきた。

「これじゃフェリチも怖がるかな」

 口に出した途端、ものすごい不安感に襲われた。

 フェリチが僕から離れるかもしれないと考えるだけで、全身の力が抜ける。

 鏡から頭ごと目を背け、そのままベッドまでどうにかたどり着く。

 腰掛けて、何度か深呼吸。少しだけ落ち着いた。


 なんだか、早くフェリチに会いたい。




 幸いなことに、寝て起きたら顔は元に戻っていた。

 瞳も、少しも黒くない。

「ディール君、起きてる?」

 扉の向こうからアニスさんの声がする。

「起きてます。今行きます」

 朝食に呼びに来てくれたものだと思い扉を開けると、アニスさんの周囲には大勢の人がいた。

 騎士団のアディさんに、ギルド長。あとは見たことあるようなないような、偉そうな服を着た方々に、全く知らない人たち。

「ごめんなさい、この人たちがどうしても貴方と話がしたいって」

 これだけの人たちに詰め寄られたら、アニスさんが断るのは難しいだろう。

「なんのお話ですか?」

 僕が尋ねると、ギルド長がアニスさんの前に出た。

「まずはドラゴン討伐の報酬の話、それから国外追放と冒険者資格剥奪の取り消しの件、あとはこの国の永久名誉市民の話やら爵位の話やらだ。どうするかね?」

 ここへ来る前にギルド長がある程度話をまとめておいてくれたようだ。助かる。

「報酬の話だけ聞きます。それ以外はこれっぽっちも聞く耳持たないのでお引取りください」

「そんなっ!」

「謝罪が必要だと言うならば今この場でっ!」

「侯爵位ですぞ!?」

 主に偉そうな服を着た人たちがきゃんきゃん喚きはじめたが、無視してギルド長とアディさんとアニスさんだけ部屋に招き入れ、他の連中はなるべくしかめっ面を作ってから睨みつけた。

「お引取りを。先に僕をこの国から追い出したのは、あなた方だ」

 向こうが絶句している隙に、扉をピシャリと閉じた。


「はい、二個目の勲章。二つ目って前代未聞だから用意してなくて、前のと同じだけどね。そうそう、リオさん元気?」

「ありがとうございます。リオさんは山に置いてきちゃったんですけど」

 僕が事情を軽く話すと、アディさんは楽しそうに笑った。

「あっはっは、元気そうでよかったよ。おっと失礼、余計な話を」

 アディさんが引くと、次はギルド長が話しはじめた。

「今回、町の被害は甚大だったが、奇跡的に犠牲者はいなかった。二匹目の討伐ということも加えて、報酬は金貨四千枚だ。以前の報酬の件は聞いているから、ウィリディスの銀行へ直接送っておくよ」

 また破格の報酬だ。

 いくらあっても困らないけど……。

「町の被害に関して、国から補填とか出ますか?」

「その方向で話を進めているはずだが……」

 ギルド長が言い淀んだ部分を、僕は正確に察知できたと思う。

 絶対、出し渋ってる貴族がいるのだ。

「じゃあ今回の報酬全額、王都の復興のために寄付します。ただし、貴族には銅貨一枚たりとも渡さないようにしてください」

 僕が宣言すると、他の三人が「ええっ!?」と声を揃えた。

「貴族に渡さないのはわかるけど、全額?」

 そして三人全く同じ台詞を吐いた。

「ウィリディスで何不自由ない暮らしを約束してもらっているので」

「そっか、そうよね。英雄なんだもの、普通はそうなのよ」

 アニスさんが頷き、ギルド長とアディさんも同調する。

「ではお言葉に甘えて、ギルドからの報酬は王都復興のために使わせてもらうよ。ところで、スルカス国からも褒美の話が来てるのだが」

「辞退します」

「はっはっは、徹底的に嫌われたなぁ、我が国は」

 アディさんがまた笑う。

「すみません。アディさんみたいな人もいるのに」

「いいって。俺も折を見てウィリディスへ行こうかな。この国の貴族至上主義にはほとほと呆れた」

「いいんですか、そんなこと言って」

「構わないよ。本心だし」


 話を終えた僕は、他の連中に捕まらないようにギルドの裏口から外へ出た。

 表でアディさんとギルド長が他の連中を止めていてくれるので、見送りはアニスさんのみだ。

「本当に走って帰るの? かなり遠いのでしょう?」

 馬を買おうかとも考えたが、よく考えたら手持ちに現金が殆どなかった。

 ウィリディスの銀行はこの国に支店がない、というか支店を出そうとしたら断られたそうだ。

 それに、一晩寝たら右眼が吸収か取り込むかしたらしいドラゴンの魔力が身体に馴染んだようで、すこぶる調子がいい。

「なんとかなります」

 アニスさんは僕に近づき、僕の胸のあたりに手をかざし、強化魔法をかけてくれた。

「あまり保たないけど、無いよりはいいかと思って」

「ありがとうございます」

「気をつけね」

「はい。アニスさんもお元気で。アディさんとギルド長によろしくお伝え下さい」




 三日三晩走り続けて、ウィリディスへ帰還した。

 それでもまだ体力が残っている自分は流石にどうかと思う。

 一旦家に立ち寄り、ルルムさんから帰還とドラゴン討伐のお祝いを軽く受けたあと、今度はフェリチとリオさんがいる山へ向かった。


「ディールさん!? どうやってもうこちらへ?」

「走った」

「走った!?」

 ふたりとも、ちゃんと無事だった。

「よかった」

 どうしてだかフェリチを抱きしめたい衝動に駆られたが、リオさんの手前、ぐっと堪えた。

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