24 セレとドラゴン
そもそも僕の右眼に、倒したドラゴンの魔力がどうやって詰まっているのか、理解不能だ。
そして、夢に出てきたあの金色のドラゴンの言い方。
眼はただの中継地点で、ドラゴンは人間自身に何かしたいのではないか。
かといって、金色のドラゴンの言うことをすべて真に受けるわけじゃない。
なにか理由があったとしても、これまで多くの人の命を奪ってきた魔物だ。
だけど今は、僕に都合のいいように利用してやる。
「ディールさん、何を……」
隣でフェリチが心配そうな声を出すが、説明している余裕はない。
――僕はここだ。
心の中で、呼びかけた。
「っ!」
セレに翳した手のひらから僕の右眼まで、痛みの波が一瞬で通った。
右眼のあたりから、みしみし、びきびきと脳に響く音がする。
あまりの痛みに、声は我慢できたが膝をついてしまう。
僕の身体から、良くない類の力が溢れ出している。
これは、まずい。
右眼を両手で押さえつけたところで意味はないが、少しでも僕に流れ込んできたドラゴンらしい何かが僕の外へ出るのを遅らせたかった。
「全員逃げろ!」
なんとか叫ぶ。
ドラゴンは右眼に隠れているわけじゃない。
僕の身体に巣食っているのだ。
そしておそらく、以前はセレにも棲んでいたのだろう。
しかし、ドラゴンからしたら家の扉である右眼をこじ開けられてしまったので、外へ出てしまった。
「ディールさん、その魔力、どうしてっ!?」
他の人は僕のただならぬ様子を見て素直に逃げてくれたのに、フェリチはまだ僕の隣にいた。
「離れろフェリチ!」
「でもっ、セレさんが!」
しまった。研究所の人たちの安全を確保することで頭が一杯で、セレ本人のことが抜けていた。
研究所の人たちも、あまりの事態に自分の身を守ることで精一杯だったのだろう。
セレはまだベッドで横になっていて、起きる気配はない。
フェリチの力ではセレを担いで逃げることも難しい。
「セレ、起きろ! 目を覚ませ!」
まだ痛む右眼から左手を外してセレの体を揺さぶるが、やはり起きない。
今更だが、僕だけが遠くへ離れればよかったのだ。
失策を悔いても、もう遅い。
僕の願いが、叶うというなら。
フェリチとセレを守ってくれ。
「あああああああっ!!!!」
とうとう押さえきれなかった力が、完全に出てしまった。
僕から出てきたのは……白い鱗に怠惰の名を持つ、セニティスドラゴンだ。
セニティスドラゴンの巨体は白く整然とした研究所の天井を突き破り、あたりのすべてをなぎ倒して、その場に荒々しく立ち上がった。
「ドラゴン……。あの体色は、セニティスドラゴンですか?」
横を見ると、フェリチが呆然とドラゴンを見上げていた。
「フェリチ、無事か!?」
思わず大声を出すと、フェリチは余裕そうにこちらを向いた。
「はい。この結界、ディールさんですよね?」
周囲をよくよく見ると、僕とフェリチとセレを包むように、強固な結界が張られていた。
フェリチの魔法でないことはひと目で分かるが……。
「僕が魔法使えないの知ってるよね?」
「でも、ディールさんの気配がします」
「???」
右眼には倒してきたドラゴンの膨大な魔力が宿っているが、僕自身に魔力は無い。僕に右目の魔力を操ることは出来ないし、そもそも魔力を持っているだけでは魔法は使えない。
このことは、フェリチのほうがよく知っているはずだ。
結界魔法なんてどうやればいいのか知らないし、使った自覚も無い。
「うーん、後で考えよう。とりあえずドラゴン倒してくる」
セニティスドラゴンは研究所こそ無遠慮にぶち壊してしまったが、その後は特に動かず、こちらを見下ろして呆然としている。
怠惰の名を冠するだけあって、自力で動く気がないのだろうか。
ドラゴンの気持ちなんてわかるはずもないし、分かりたくもない。
研究所でまさか剣が必要な場面に遭遇するとは思わなかったので、いつもの剣は持ってきていない。
腰には常に携帯している、ごく普通の短剣があるのみだ。
多分というか絶対、ドラゴンなんか斬ったら壊れてしまうだろうが仕方ない。
「ふっ!」
ドラゴンが動かないのを良いことに、僕は両足に力を込めて思い切り跳躍し、ドラゴンの鼻頭に片手でぶら下がった。
眼の前に人間がいるというのに、ドラゴンはやはり呆然としたままだが……こころなしか、こちらを期待を込めた眼で見ている気がする。
そんなはずないか。
僕は短剣をしっかりと握り直し、鼻頭を掴んだ片腕で全身を振り上げてドラゴンの鼻の上に立った。
……今度は明らかに、ドラゴンの両目が中央、つまり僕に集中した。
僕は殺気こそ抑えているが、僕の行動が何を意味するのかわからないほど、ドラゴンは馬鹿じゃない。
本当に一体何を考えているのか。
いや、今はそんなことどうでもいい。
僕は躊躇わずに、ドラゴンの眉間めがけて短剣を突き刺した。
「思い出したあー!」
意外なほど元気な、しかし間延びした声が客室に響いた。
「……あれ、ここどこ? ふぇっ、フェリちゃん!?」
僕がドラゴンを消滅させたあと、まだ意識のなかったセレを僕たちの屋敷まで運んだ。
研究所は全壊しており、城はその対応に追われていて、セレの身柄の安全を確保できる体制が整っていない。
ならばうちで一旦預かります、と引き受けた。
ドラゴンを引き出して研究所壊したの、僕だし。
とはいえ、埃その他で汚れたセレの体を拭いたり着替えさせたりというのは、ルルムさんとフェリチに任せた。
セレの身体を綺麗にした後、僕が様子を見に来てすぐに、セレが先程の台詞と共に目覚めたのだ。
「どこかお身体に不調はないですか?」
フェリチはフェリチと僕とルルムさんを順に見ながら困惑するセレをなだめて、飛び起きたセレを再び横にさせようとした。
しかし、セレはそれを拒み、上半身を起こした。
「なんともないけどー、喉乾いたかなー。お水もらえるー?」
「はい、どうぞ」
ベッドのサイドテーブルに水差しを用意してあったので、すぐにフェリチがグラスに注いでセレに手渡した。
セレは水を二回おかわりした。
「ぷはぁー。もう大丈夫、ありがとー」
四杯目を注ごうとするフェリチを止めたセレは、グラスを自分でサイドテーブルに戻し、僕たちに向き直った。
「ええとー、ここはディールのおうちだよね」
水を飲んでいる間にセレは考えをまとめていたのだろう。僕たちに色々と確認をしてきた。
「そうだ」
「私からドラゴンでてきたー?」
あの時まだ意識がなかったはずのセレが、ぴたりと言い当ててくる。
「ああ。思い出したのって、ドラゴンのことか?」
「そうー。ドラゴンはディールが倒してくれたー?」
「うん」
セレは立ち上がろうとして……フェリチに止められて仕方なく座り直し、ベッドに腰掛けた状態で僕たちに向かって深々と頭を下げた。
「ご迷惑、おかけしました」
間延びしない、真面目な声のセレだ。
「いいって。セレが悪いんじゃなくドラゴンのせいだろ?」
「そうですよセレさん。顔を上げてください」
僕とフェリチが口々に言い募り、ようやくセレは体を起こした。
セレはあの日、何かに呼ばれた気がして現場から離れたのだそうだ。
セレの感覚からしたら、ほんの数歩の距離だったという。
気がついたら真っ暗な場所にいて、眼の前に白い鱗のドラゴン――セニティスドラゴンがいた。
そこからセレの意識は「身体の底の方に沈んで」しまい、
「私は正式な器じゃないけどー、入れるから入るー、みたいなこと言ってたー」
セレはいつもに比べて言葉数少なめに、僕たちに思い出したことを話してくれた。
「正式な器って……」
フェリチが僕を見上げる。僕は右眼のあたりに手をやった。セレからドラゴンを引き出したときの痛みはもう無いし、これまでドラゴンを倒した後のような変化が起きたりはしていない。
「ディールのことだと思うー。でもー、あの日フェリちゃんのところへ行ったのはー、本気でディールと間違えただけっぽいー」
ドラゴンからしたら、人間の区別なんてつかないということらしい。
「セレの意識はどこまであったんだ?」
「呼ばれてからしばらくは、なかったー。気づいたらセニティスドラゴンが良からぬこと考えてるのがわかってー、私すごく慌てて止めようとしてー。そしたらまた意識飛んじゃってー……」
セニティスドラゴンに呼ばれる前後から記憶が曖昧で、一瞬だけ浮上はしたものの、次の日に起きるまで意識はほぼなかったということか。
セレが俯いて、掴んだシーツごと両手をぎりぎりと握りしめた。その手に、フェリチがそっと触れる。
「やっぱりセレさんの意思ではなかったじゃないですか」
「でもー……」
セレは何かを言いかけようとして、言い淀み、口を噤んで下を向いた。
「セレ……」
声をかけようとした僕の服の裾を、フェリチが引いた。
振り返ると、フェリチが首を横に振っている。
僕がセレから少し離れると、フェリチがセレと目線を合わせるようにかがみ込んだ。
「セレさん、お腹空いてませんか?」
「お腹……空いてる、かも?」
フェリチの問いに、セレは首を傾げながらも答える。
「ピーナッツバターのサンドイッチ作ってきますね」
後で聞いたら、ピーナッツバターサンドはセレの好物だとか。
「う、うん……」
フェリチは立ち上がって振り向きながら、僕の肩に手で触れ、目で「一旦部屋から出ましょう」と訴えてきた。
セレをひとりにしてもいいのか不安だったが、セレにひとりの時間が必要そうなことも、なんとなく察した。
◇
ウィリディスに現れた新たな七匹のドラゴンのうちの一匹、セニティスドラゴンをディールが討伐した頃。
ディールが以前暮らしていたスルカス国では、クヒディタスドラゴンの被害の復興について、貴族たちが騒いでいた。
ディールはクヒディタスドラゴンの討伐報酬を、スルカスの貴族以外の民へと全額寄付した。
そのことを知った貴族たちが「我らも被害に遭った『民』だ」と主張し、ディールの想いを踏み躙らんとしているのだ。
「ああ、頭痛い。我が国どうしてこんなことになったのじゃ……」
王城では、病床からどうにか復活を遂げたスルカス現国王が、執務室で白髪頭を抱えていた。
貴族たちから寄付金の使用用途についての訴状が後を絶たず、いくら無理だと返しても二日後には別の切り口から同じ要望を出してくるのだ。
「潮時なのではないですか」
国王の向かいの机で黙々と書類を処理していた第一王子が、抑揚のない声で父親に告げる。
「潮時なのはまあ、お前が生まれる前からそうじゃった。だがのう、我が国は貴族で保っておるからのう」
本当に頭痛を起こしたかのように頭に手をやっていた国王が、頭から手を外してのそのそと目の前の書類に視線を落とす。
ここ半月ばかり、似たような文面しか見ていない。だが、差出人は百戦錬磨の貴族たちだ。微妙なニュアンスを読み落とすと
「存じております。しかし、……潮時という表現は柔らかすぎましたね。最早、限界、なのでは?」
かつん、という硬い音は、第一王子が潰れたペン先でインク壺の底を突いて発生させた。第一王子は立ち上がり、背後の棚から新しいインク壺を取り出し、机に置いた。
「限界、か。……そうじゃの。最早猶予を与える慈悲もいらぬか」
国王は目を閉じて椅子に深く座り直したかと思うと、ぱっと目を開け、眼の前の書類に次々に「不認可」を意味する記号の判子を捺していった。
「終わらせよう。貴族はもう無意味じゃ。儂が病にさえならなければ、もっと早うこうしておったのじゃがな」
国王の重大発言にも第一王子は眉一つ動かさず、ただ手にしていたペンを手放して、予備の判子を取り出した。
「ご決断を支持します。国終えの仕事、王族最後の仕事として、精一杯尽くしましょう」
王族二人の決断にしかし、貴族たちはこぞって反対し、抵抗した。
その果てに、スルカス国は「最大にして最後の」大事件を引き起こすこととなる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます