23 想いと願い
「ディール、これあげるー」
エメラの町へ転移装置を設置して帰ってきてから十日ほど経った頃、セレがわざわざうちまでやってきて、木箱を僕に手渡してきた。
「ありがとう。でも、どうして? なにこれ?」
受け取りつつ、どこかよそよそしいセレに問う。
「開けてみてー」
セレは僕の後ろにいるフェリチをチラチラと伺いながら、ぼそぼそと箱の中身を説明してくれた。
木箱は厚めの本1冊分ほどの大きさで、蝶番付きの蓋がついている。
蓋を開けると、中には薄いベージュの布状のものが何枚か入っていた。
「それ、
肌布の薄いベージュは僕の肌とほとんど同じ色で、紙よりも薄くしなやかな謎の材質でできている。わずかに粘着性があり、試しに顔に当ててみると、顔の右半分をぴったりと覆い、眼の部分は瞬きするだけでぱかりと開き、それ以上破れなかった。
貼った直後はひんやりとした感触があったが、既に体温に馴染んで貼っている感覚すらない。手で触ると、つるつる、すべすべしている。本当に薄いから、貼っていない場所との段差や継ぎ目も見えない。
「どう? フェリチ」
「それなら眼の色以外は見えなくなりますね。……なんだかお肌が綺麗になったようにも見えます」
フェリチが少々羨ましそうにしている。
「すごいな。これもセレの発明品?」
「うん。でも、そっかー。女性の美容品にも応用できるねー。ありがと、フェリちゃん」
セレはフェリチにぺこりと頭を下げると、一歩後ろへ下がった。
「セレさん、私本当にもう気にしてませんよ。お時間あるのでしたら、お茶でも如何ですか?」
「そうだよ。どうしてこれを用意してくれたのか、理由もまだ聞いてないし」
フェリチがセレの手をとり、半ば強引に引っ張っていった。僕は箱を持ったまま、ルルムさんにお茶の準備をお願いしてからテラスへ向かった。
「理由言ったじゃないー。困ってるって言ってたからー」
セレはフェリチによって上座に座らされ、ルルムさんにお茶とお菓子を目の前に並べられると、諦めたようにお茶を口にし、ジャムの乗ったクラッカーを小さく齧った。
「困ってはいたけど、セレに頼ってまでどうにかするつもりはなかったよ。フェリチも気にしてないって言ってたし、お詫びなら……」
セレは先日、フェリチを襲いかけた一件の前後の記憶をまだ思い出せていない。
思い出すための薬や装置や魔法を使おうとしたり、僕やフェリチになるべく近寄らないようにしたりと、僕たちとの間に自ら溝を掘ってしまっている。
ちなみに記憶に関する薬や魔法は、脳へ負荷をかけるものなので、洒落にならない後遺症が残る場合がある。装置にしたって魔法を頼るわけだから、同様だろう。それでも使おうとするセレを、研究所の皆さんが必死に止めていると聞いている。
「思い出せないの、怖いのー。自分のことなのにー」
例の件の前ならば、眼の前に並べられたお菓子はすぐに平らげてしまうセレなのに、小さく一口だけ齧ったクラッカーを持ったまま、それ以上食べようとしない。
「僕も思い出せないことのひとつやふたつ、あるよ」
直近だと、セレを探している最中のことだ。眼の異常を感じたと思ったら、地面に寝転がっていた。その後、なぜか五感が鋭くなり、身体能力も上がった。
「ディールのはさー、誰にも危害を加えてないっていうかー。私はー、……フェリちゃんを」
「僕が気づいたからいいじゃないか」
「結果論だよー。もしあのとき鞄に本物のナイフが入ってたらー、ディールが気づかなかったらー……」
「起きてもいないことを気にしすぎだよ、セレ」
「そうですよセレさん。私はこのとおり無事ですし、何よりセレさんがご自分の意志で私を害そうとする筈ありません。きっと何か別のことが影響しているんです」
「うんー。そこも不安なのー。何の影響だったのか、いくら調べてもさっぱりわからないー……」
セレはうつむいたまま、結局手に持ったクラッカーをどうにか食べきったところで「ごちそうさま、そろそろ帰るね」と言って、出ていった。
「良くも悪くも学者だからな、セレブロム殿は。わからないことを放置できないのだろう」
この家で唯一まともに働いているリオさんが、いつもの騎士団への指導を終えて帰ってきた。
セレが来たことやその理由、まだ落ち込んでいる様子であることを話すと、リオさんはそう分析した。
「もし私がセレブロム様と同じ体験をしたら、まずここから出ていきますね。刃を向けた相手がディール様たちだったら尚更です」
ルルムさんがとんでもないことを言い出す。
「そんな……」
僕だって考えなかったわけじゃない。
記憶が飛んでいる間に何かやらかしはしないかという不安な気持ちは、痛いほどわかる。
俯く僕の肩を、リオさんがぽんと叩いた。
「まあ、好きなようにさせてやったらいい。例の、記憶に関する薬や魔法についてだけ気をつけておけば、時間が解決するさ」
「だといいのですが」
セレが持ってきた肌布を改めて見ると、十枚入っていた。
一枚につき十回は再装着が可能だそうだ。
「紙でもないし、布でもないし……セレブロム殿の技術には驚かされる」
夕食後は時折、リオさんが町や城で手に入れてきた酒のご相伴に預かることがある。
今日は家に備蓄してあった赤ワインを持ったリオさんが、わざわざ僕の部屋までやってきた。
赤ワイン片手に肌布を一枚、明かりに透かすように掲げてしげしげと観察している。
「そういえば、セレの防具は砂を材料にしているって言ってました」
「砂!? 確かにあれも見たことのない材質だったな」
赤ワインはあっという間に無くなったが、リオさんは酒を追加しようとはしなかった。
「ディール。明日からしばらく、毎日城へ行かないか」
「へっ?」
僕とリオさんは、赤ワインひと瓶を一人で飲みきったとしても、酔っ払ったりはしない。
リオさんは素面同然で、真面目だ。
「先ほどはああ言ったが、セレブロム殿の動向が怪しくてな。いつ薬か魔法を行使するか、気が抜けないと研究所の人間が困り果てていた。できればフェリチも連れて、研究所でセレブロム殿を見張ったほうがいい」
「そんなことになってたんですか……」
普段の言動からよく誤解されるが、セレは責任感が強い。
転移装置の設置だって、説明書を作ったのなら後は研究所員に任せてしまえばいいのに、セレは自分の身を守るための防具まで作って設置監督をやり遂げた。
例の件のことを、心の底から気に病んでいるのだ。
当事者であるフェリチが何をどう言い聞かせても、記憶や原因がはっきりするまで、セレは自分を責め続けるだろう。
「わかりました。でも、理由なく研究所に居座るのは難しいですね。セレを見張るなんて言えませんし」
フェリチひとりならば、勉強という名目で通っていたが、セレに「しばらく来ないで、お願い」と言われてしまっている。
「そこなのだよな。なにか良い案は無いか」
男二人で深夜まで唸ったが、妙案は思いつかなかった。
もやもやと考えながらベッドへ横になり、気づいたら暗いところに立っていた。
まだ眠れていないだけであれば立っているのはおかしいし、夢にしては殺風景すぎる。
あたりをキョロキョロと見回すと、上から「コホー……」と大きな生き物の吐息がした。
臭いは無い。気配もよくわからない。
見上げると、そこには、金色の巨大なドラゴンがいた。
身体と同じ金色の瞳で、僕を見下ろしている。
明らかにドラゴンだというのに、敵意や悪意は全く感じない。
「あまり我らを嫌厭しないでくれぬか」
金色のドラゴンが、重々しい声で喋った。ドラゴンは言葉を持たないはずなのに。
「どういう意味だ?」
僕が問い返すと、金色のドラゴンは再び吐息を漏らした。ため息のようだ。
「ひとを襲うのは、故有ってのこと。倒されるのは当然。だが、取り込んだドラゴンを厭うような言動は差し控えてほしいと言っている」
金色のドラゴンの言うことが、僕にはまだ理解できなかった。
押し黙った僕の顔に、金色のドラゴンの鼻面が近づき、僕の右眼を紫色の長い舌でねろりと舐めた。唾液などは付かず、柔らかい綿のようなもので顔を拭われた気分だ。
不思議と、不快じゃなかった。
「倒せばそなたのものじゃ。そなたは自分を嫌うか?」
「あまり好きじゃない」
今度ははっきりと答えた。
眼のこともあるし、セレの問題を解決できない自分の無能さにも呆れているし……。
「なるほど、そこか」
金色のドラゴンは、今度は僕の顔全体を舐めた。
「すべてのものには確かに出来ること出来ぬことがある。ひとならば得手不得手がある。だが、それだけか? 出来ぬこと、不得手なことばかり考えずに、出来ること、得意なことをもっと考えよ。何よりそなたには、我らを倒せるだけの力があるではないか」
何言ってるんだこいつは、という気分になってきた。
確かに金色のドラゴンの言う通りだが、前向きにばかり考えられないのが僕という人間だ。
金色のドラゴンは「むぅ」と唸ると、首を持ち上げた。
「それだけの力を得ておいて、まだ己を疑うか。慎重過ぎるのも考えものだな」
僕の身体が、金色のドラゴンの目前まで浮かび上がった。
「もうそなたは、欲せば得られる。ただし、欲は1体につきひとつ。そなたには今ひとつ、叶えられる欲が残っておる」
一体何のことなのかと問おうとしたら、暗い世界が大きく揺れた。
「ディールさん、起きてください!」
ルルムさんが、鬼気迫る表情で僕を揺さぶっていた。
「ふあっ、ルルムさん? え、寝過ごした?」
「まだ日の出前ですけど、大変なんですっ! セレブロム様が!」
「セレが!?」
屋敷のエントランスでは、酷く息を切らした白衣姿のひとが、フェリチに治癒魔法を掛けられていた。
「ディール、セレブロム殿が薬を飲んでしまったそうなのだ。その場にいた研究員がすぐに吐かせたらしいが……」
「わかりました。フェリチと向かいます」
急いで言い、フェリチを抱き上げて、屋敷を出た。
僕が全速力で走れば、研究所まで数十秒とかからない。
ただし、乗り物酔いをするフェリチを気遣う余裕は持てない。
「フェリチ、大丈夫?」
「平気です!」
フェリチはこころなしか青ざめた顔になっていたが、気力で抑え込んでいる様子だ。
短い会話をしている間に、研究所の入口にいた研究員さんが僕たちに気づき、すぐに案内してくれた。
セレは研究所内の、簡素なベッドに寝かされていた。
まだ口の周りや服に、吐いた薬のあとが残っている。
フェリチはすぐさま魔法を掛け始めた。
僕の役目は、フェリチをここへ迅速に運ぶことだった。
あとは、フェリチに任せるしかない。
……ただ見ていることしかできない。
「ディールさん、お疲れ様でした。こちらで休んでてください」
研究員さんのひとりが僕に気を遣ってくれる。
「疲れてないので大丈夫です。セレが心配なので、ここにいます。……って、邪魔ですかね、僕」
「いえ、そんなことはないですよ。心配なのもわかります」
研究員さんはあっさり引き下がってくれた。
フェリチが一生懸命様々な魔法を掛けているが、セレが目覚める兆候はない。
薬のせいか、吐かせたときの衝撃が強すぎたのか、僕には見分けがつかない。
また無力感が僕を苛む。
……そういえば、昨夜は変な夢を見た。
金色のドラゴンが人語を操り、何か会話をしたような。
「一つ叶えられる、か」
僕がつぶやくと、フェリチが魔法を掛けながらこちらを見た。
「ディールさん?」
「なんでもない。ごめん、やっぱり邪魔になるかな」
「いいえ、そこにいてください」
フェリチはセレに向き直り、魔力の出力を上げた。
セレがこんなことになったのは、あの日の記憶がないから?
少し違う。あの日、セレにあんなことをさせた何かがあったはずだ。
ひとを操る魔法は存在するが、セレの周囲にそんな高度な魔法を操り、悪用する人物はいなかった。
何より……たしかあの時、セレは……「間違えた」と言っていた。
何と間違えたのか。いや、誰と間違えたのか?
「標的は、僕だった?」
すっと正解が頭に浮かんだ。
なぜ僕なのか。どうしてフェリチと間違えたのか。
「目的は、ドラゴンか」
「ディールさん、先程から何を……」
「フェリチ、下がってて」
僕はフェリチに魔法をやめさせると、セレの直ぐ側に移動した。
僕の願いが叶うというなら……。
僕はセレの右眼があった場所に手を翳した。
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